○第四十六話○聖戦
言葉が必要ない、というより、もう言葉を話す余裕が無かった、とも言える。
もし、クロウスが俺より早く魔法を発動させれば、もう俺たちにはどうしようもない。止める術が皆無なのである。だからこそ、詠唱を始める前までに、発動するという意思を見せることが、こちらが先でなければならない。あとはーー。
「「究極魔法」」
どうして、とかじゃない。薄く引き伸ばされた時間の切れ目。恐ろしく長い切れ目、どうかこれが走馬灯でないことを祈る。どうしてここに来たのか?どうして最後の標的が分かったのか?どうして、どうして、どうして…てんどうでもいい。俺には使命がある。
必ず、お前の罪に報いる。おれは、俺の罪を報いて。
「付与『雷神』」
「生者の行進」
雷が鳴る。
風が哭く。
俺は、まだ、立っている。
クロウスは、驚愕を顔に張り付けている。ギルではなく、俺がスケルトンが、あろうことがギルの力を使ってまでして、だから、発動が遅れてしまった。スケルトンに、機先を制されてしまった。生命魔法に。無害な力に。
ーーそう、雷に乗ることができなかったのだ。生命魔法が、人を害したというのか?クロウスは困惑する。しかし、この足は確かに動かぬ。誰かに掴まれたかのように、動かぬ。こいつは路傍の小石に過ぎぬ。生命魔法なんという脆い力。人を癒すなどという、破壊の前に、圧倒的な破壊の前に無力な力に。
路傍の小石に、つまづいたというのか、クロウスは。
「なに……?」
足を掴まれていた。何に?
それは人の骨だった。
「まさかーー」
『起こした』のか、こいつは。死者を。あり得ん。いや、あり得ないことではない。クロウスは吠える。もはや彼に玄野の面影は見られない。ただの殺人鬼だった。
「ーーなに?何故だ?スケルトン!生命魔法に人を傷つけるものなんて、ない、あり得ない!」
「俺はテメェのこと、傷つけようとも、なんとも思ってねえよ。ただ、起こしただけだ」
「なに……?」
「ただ、起こした相手は、お前に怒ってる。七番通りも、この世界も。もう、あんた、報いを受けるべき時なんだ」
スケルトンは冷淡に、起伏のない声で言った。クロウスはまとわりつく手を切り離した。しかし、わらわらと湧くまた違う手が、クロウスをその場に縛る。
「貴方ーー時間稼ぎを、しに来たのでは、ないのか」
「違う」
クロウスは、気づいた。「レベルカ」が、二人いたことに、気付いた。じゃあなぜ一度も集会に来なかった?それは分からない。単に尻込みしただけかもしれない。ただ、二人目のレベルカはゲームの認識の外にいるような存在だった。彼女は、自分のことをプレイヤーであると認識していなかったのだ。NPCと、同じ扱いをされていたのだ。それはありえないことだ。言語が理解できていなければ、知能がサル以下でなければ、ありえないことだ。
「貴様ーーでは、貴方が私の、墓場を作るというのか」
「違う。誰がんなめんどくさいことするかよ。墓を作ったのは、テメー自身だ。テメーが全部、全部、やったことだ」
ハウエルの後ろには、数えきれないほどの屍体がいた。クロウスは息を呑んだ。どうやって。どうやってこれだけ多くの死者を生き返らせるほどの、魔力がどこから。
「前話したろ。人は死ぬ時えらく魔力を放出する。ほとんどの奴らは、まだ生きたいと、想っている。お前に殺されたやつなんかは、もっと」
ーー魔力の転用か。一線を超えて、自らに生命魔法が行使できるよう、彼が行ったのはあくまでその手伝いなのだ。それは、一度死を経験したことのあるハウエルだからこそーー。
いや、考えている時間はない。こうしている間にも、クロウスは骸骨らによって群がれ埋め尽くされようとしていた。ここで雷魔法を放てば自分にも感電する。ただ、
「恐るるに足らない。個々は大した力が無い」
クロウスの剣技で易く切り払える。しょせん、骨。筋肉もなにもないから、そもそもの地力に差がある。胴体を薙ぐ。死者らは転がる。直ぐに、クロウスは縛られるものがいなくなる。クロウスが歩いているうちに踏んでしまった蟻でしかない。蟻はどれだけ集まろうと、ただの蟻でしかあり得ない。それにクロウスは象に等しい強さを持つのだ。
蟻に構う象などいない。足を掴まれ邪魔されるのなら、手の届かない上空で、雷魔法を行使すればいいだけのこと。クロウスは跳ぶ。宙に。骸骨が背伸びして伸ばす手の何倍も高く。
しかし、
「ーーっ」
掴まれる。まだ。どうして?掴まれた足を見る。忌々しい骸骨がまた掴んでいる。骸骨はまさに塔のように積み重なり、クロウスに追い縋っていたのだ。醜く、しかし、その細い糸を、掴んでいたのだ。
「あり得ん」
不可能だ。進行方向をふさぐいくつもの骸骨の壁が、うず高く積み上がっていること。人体じゃあり得ない。いくら軽くても、潰れないのか?もしや、新手か?と思ったが、違う。こいつら、胴と足がつながっていなかろうと、当たり前に動く。骸骨には出血などといった概念はないのだ。物理的に動ける限り、体の部品がいくつなくなろうと、構わず動いて見せるのだ。だから、壁になるのに最適な形となって、追い縋っていたのだ。
「ーーなかなか、厄介じゃないか」
迷わず、クロウスは雷魔法を行使する決心をする。こいつらは粉微塵にするか、動く部品を無くすために、頭を切り離す必要がある。
「トール」
一瞬、轟音。着弾した光の矢。その地点にいた十数体の骸骨は、影すら残さず破砕され、風に散った。しかし、それでは、
「足りねえよ。クロウス」
と、ハウエル。たった十数体。全く、足りぬ。間に合わぬ。この何十万の軍勢には。雷魔法はあまりに相性が悪い。この骸骨相手に雷の火力は大袈裟だし、広範囲に攻撃できる力でもない。例えば、ギルのような力でないと。
クロウスは、一つ思いついた。
「ギルさん。少し技をお借りしますよ」
「良いですよ。あなたの命で返してくれれば」とギル。
「付与『雷神』」周りに群れる骸骨ども、それらは地平線まで埋め尽くす十字架の数だけいる。ほとんど、白い波。それらを一斉に帯電状態にさせた。ハウエルもクロウスがなにをしようとしているのか、察したらしい。
「上等だ」と呟く。
「そりゃあ上等でしょう。神話では、一八万人を焼き殺した『神』の怒りだ」
「下等な怒りだな」
クロウスはきっと弩を引き絞った。無手の手というやつだ、弩自体は持っていないわけだが、ありありと幻視できるのだ。
雷鳴、駆ける。今度は、骸骨の間を縫うようにして。いくつもの、それは毛細血管のように。骸骨は即時に粉に化す。瞬きするごとにクロウスの操る雷の千本の矢は軍勢を射し貫いていくのだ。その姿は、もはや荘厳、神聖。クロウスなれど傷一つないわけではない。服は焦げ、手のひらからは血が垂れ流されているのだ。しかし、それすらも引き立たせているのは、クロウスの理不尽な美貌でもあり、狂気性でもあるが、やはり、ただの骸骨一匹がここまで食い下がったという事実であろう。
「百舌の早贄ってやつだ」
しかし、やはり地力の差。対応力の差。そもそもハウエルの策は苦し紛れに近いのだ。クロウスを迎え撃つときに、勝利を手繰り寄せられなかった。もはや運さえもクロウスに味方していると言ってもいい。この方法を思いついたこと。レベルカに気付けたこと。何もかも。
全ては天の定めに思える。
「さてーー僕は、急いでいるからね。もう、さよならも無しだ」
周りの骸骨は一掃された。そりゃあ数千消されただけだ。しかし半径五十メートルは一掃された。加勢がくるまであと十秒。長すぎる。あとは、ハウエルを殺るのみだった。そう。この魔法の致命的な欠陥は、術者を壊せば良いくせに、術者自身はなにも強化されないことだった。なので、雷魔法で移動できる自分はーー。
「死ね」
一足飛びに、ハウエルへと急接近する。
轟音。
ハウエルの体は鉄製。雷は受け流すだろう。しかし、圧倒的な破壊の力の前では、なんの意味もなさぬ。同じく、砕ける。軽い音を立てて、地面に散らばる。クロウスはハウエルをみやる。
違和感を、感じる。
「ーー頭は何処だ?」
そう呟くと同時に、魔力展開。奴は何処だ。頭蓋が見つからない。頭蓋骨だけでも奴が生き残れるのは知っている。待てよ。誰が奴の頭蓋骨を取った?不味い。奴は一度生者の行進を解除し、生き返らせるのを中断しているようだ。魔力では感知できない。魔力展開であってさえも、頭蓋骨の形なんていちいち分かってられない。それよりーー。
「頭蓋骨をすげ替えたのか?ーー死者が」
死者はただ向かってくるだけではないのだ。意思を持ち、クロウスを殺さんとはするものの、ハウエルがこの魔法の核であることも、きっと知っている。ならば、奴らが、死者が自らの身体を差し出したとでも言うのか。そうとしか考えられない。この地平を埋め尽くさんばかりの死者の数だけ、奴は残機があるとでも言うのか!?
「付与『雷神』」
最大火力だ。こいつを敵と認めよう。殺して、レベルカへの餞としてやろう。
「百舌の早贄」
再び、圧倒的な暴力の権化が地平を駆け巡り、殺害への最適解をその軌跡は徐々に編み出していた。それは芸術的でもあった。あの世が花畑を連想させるなら、おあつらえ向きだ。この金色の花の咲いた墓場は、隠り世そのものだった。
「止まらんーー」
止まらない。思うに、あのスケルトンらは相当遠くまで逃げてしまっている。すると、クロウスはスケルトンを捕捉することができない。
このまま、骸骨の群れに紛れて、私の魔力切れを待つつもりだ。たしかに、認めたくないが、これでは骸骨を殺し切る前に、自分が魔力切れを起こしてしまう。骸骨自体は倒せる。素手でも、窒息さえさせられなければ蹴散らせる。だからハウエルらには勝てる。ただ、その後が問題だ。レベルカの捕捉が不可能になってしまう、魔力展開ができなくなるからだ。
「ふん、万事休すとは、いかないよ」
すぐに骸骨がわらわらと湧いてくる。百舌鳥の早贄で持っていけるのは、たかだか十秒の時間。
しかし、まだやりようはある。クロウスは駆ける。次善の策という奴だ。その先には、ギル=クク=ノーストンが。
「ーーやはり、そうなりますか」
予想は付いていた。しかし、早すぎる。このような状況に陥って仕舞えば、魔力の提供元である、ギルを狙うことになるのはごく自然な流れだが、その結論に彼は十分と経たずにたどり着いてしまった。ヨルは後六時間は続く。ワサツミのいう時間制限が本当なら、クロウスのタイムリミットは、後六時間。
ギルは駆ける。無駄な魔力は使えなかった。魔法で彼から逃げるのは故に現実的でない。死者らの妨害もあいまって、逃げる速度自体はギルのが上だ。
「この年になって命懸けの鬼ごっことはね、人生分からないものですねえ」
「もうすぐ幕を閉じる人生なんだ、一度立ち止まって過去を振り返ってみては?」
「嫌ですねぇ!恥ずかしい記憶しかございませんので!」
クロウスの適当な茶々にわざわざ返を入れながら、花を散らして、ギルはひた走る。先刻の神話のような戦いとは全く遠いところにある、不恰好な逃走劇である。
「ーーッ」
しかし、クロウスはこれでは埒が開かない。例え土の中に潜って骸骨らをやり過ごしたとしても、ワサツミのように位置が固定されている訳でないから、捕まえるのは至難の業だ。一度骸骨を処理しなければならない。しかし、魔力は温存したい。
「相乗りしようか」
クロウスは足首手首を掴んでいる骸骨を抱き抱えて跳んだ。骸骨ごと、雷に乗るのだ。もちろん、雷より速く動けるものなどいない。あっとも言えないままに、ギルに辿りつくのだ。
「随分と強引な」
「強引なのはお嫌いで?」
骸骨をギルに投げつけ、クロウスは雷を纏わせて風を薙ぐ。それだけで人体にとっては致死の攻撃。しかし、ギルはやはり神名を預かった怪物の一人。クロウスはその才で、ギルは何十年ものの努力で対抗するのだ。
何本もの腕より太い蔓が束になって、クロウスの斬撃を受け止め焦げる。
「ギルさん!?あれあれギルさん!?使っちゃっていいんですか魔法!?もう容量がないんじゃないんですかァッ」
その通りだ。ギルは歯噛みする。クロウスの魔力切れまでこの魔法で耐えるには、ここで力など使っていられない。しかし、生命魔法を持続させるには自分が死んでもいけないし、ハウエルが助けに来てしまえば好都合。クロウスは斬り捨てるだけである。ギルの知る限りハウエルは合理的な男だから、それはないとしても、もともと綱渡りの戦いだ。こうなることは目にみえていたのだ。だから、ここが、こここそが、
「正念場ーー」
防ぐ、防ぐ、防ぐ。一瞬にして森と化した墓場に、閃光が絶え間なくひらめく。緑が一瞬で芽吹いて刹那に赤く染まる。それはもしや永遠に続くのかも知れなかった。でもそれも、所詮綱渡りの連続に過ぎなかった。
限界が、近づこうとしていた。