○第四十五話○五回目のノック
魔法」
※ ※ ※
「おい、おーい、誰か出てきてくれないか」
カジは声を張り上げた。まっくらな通りに、ぼうっと光る魔晶灯に照らされる、あばらの浮いた野犬は、転がった魔獣の死体に群がって、血の匂いがあたりに充満している。
「なあ、いるんだろう?逃げたわけじゃないよな?なあ、カジだ!軒先にある花屋『ジョーツ』の!ワサツミさんを知らないか!?協力して欲しい!俺はあの人を探さなきゃいけないんだっ」
ミシェルとかいう男が漏らしたのを適当に処理した後、(気まずいのもあったが)ワサツミの安否を確認するべく外に飛び出したカジは、人々にワサツミの行方を聞こうと大声を上げた。野犬が振り返っただけだった。さっと視線を外す。
「おい誰も……誰も知らないっていうのかよ」
カジは坂を登り始めた。瓦礫が散り、埃が舞い、血と泥にまみれ、変わり果てた七番通りを歩いているうちに、彼は当初の目的すら忘れていた。
「おい誰もーー知らないふりしてるっていうのかよ」
初めに湧いてきたのは怒りだった。ーーおい、お前ら、誇りはないのかよ、七番通りが、こんなになっちまってるってんだぞ?まだ、家に閉じこもって、そんなに生命が惜しいってのかよ。
「なあ!?居るんだろ?ウェルスンさん!?そう、肉屋をやってるあんただ!ワサツミの行方を知らないか?」
答えはない。
「おい!今どんな状況か分かってるのか!?少なくとも、引きこもってていい状況じゃないだろ!」
答えはない。
「なあ!答えろよ……答えてくれ……」
答えは……、
「嘘をつくなよ……」
耳を疑った。ウェルスンはまだ三十手前といったところだったはずだ。どうしてこんなに老成した声が返って来るのか。何が、彼をそうさせてしまったのか。
「外にはクロウスがいるんだろう……」
「いない!」
「どうしてそう言えるんだ……信じないぞ……お前の言うことなんてっ」
そう彼は扉越しに捲し立てた。カジは何も言えなくなってしまった。クロウスはどこにいるのか、どうしてクロウスはレベルカを狙っているのか、カジにもわからなかった。だから、信じる、信じないを言うなら、きっとカジも同じことだった。この戦いに、勝つか、負けるか。信じることが、できるか。
諦めて、カジはすたすたと坂を上がっていた。そこに、道端にそれはあった。
「ワサツミ……さん」
魔獣に喰われることがないように、石壁の上に寝かされていた彼は、遠巻きにもワサツミその人であるとわかった。
言葉がでなかった。初めに去来したのは、ありきたりな怒りというより、ああ、そりゃ、そうだよな。という、妙な納得であった。そりゃ、クロウスが狙っていて、そうだよ。勝てるわけも、逃げ切れるわけもないよな……と思う。
クロウスは天災だ。天災は忘れた頃にやって来る。俺はもうどうしようもないのだ、と膝をつくしかないのだ。
「カジさん?その声は……花屋の息子じゃあないか」また、声がした。
「あんたは……?」
「酒屋のトンプソンだよ。あんた……最近嫁を貰っただろう」
「ああ……そうだが」
「守ってやらなくてどうするんだ。今外には死が蔓延している。いつ家の中に入ってくるかわからない。女子供を守るのが、男の仕事じゃないのか」
「そりゃあ、そうだけど」
「ワサツミはなんだ。ワサツミは死んでしまったのだ。仕方なかったことなのだ。死んでしまったものは仕方がないのだ。馬鹿な真似はよせ。君もワサツミのようになるぞ」
カジはさまざまな感情が入り乱れて、もはや話をするのに十分な状態ではなかった。トンプソンの、下水道で外敵に怯えて震えるドブネズミのような声に、たしかに心を動かされていた。カジは、ドブネズミらしく生きるべきなのかもしれない。大河の流れにはどうしても勝つことが出来ないのかもしれない。ワサツミも、それに押し流されて。
カジはワサツミの死顔を見た。安らかだった。きっと安らかな死に様ではなかったはずなのに、瞼は降ろされ、目に見える汚れは取り除かれた。
ーー誰によって?誰によって、死化粧を施されたっていうんだ?
ーー生者に、決まってる。
「立ち上がらないと……」
「?」
「立ち上がらないと!今……ここで……」
「何を言っているんだお前さん……気でも触れたか」
「まだ、闘っている人たちがいるんだ」
「いい加減にしろ!勝てるわけがないだろう」
「『勝てる』『勝てない』じゃない。もっと『大事なもの』のために、俺たちは闘うんだ」
「カジッ!!!」
ガラリと窓が開けられ、血相を変えた中年の男が、顔を覗かせた。
「それ以上はいけない。それ以上は考えてはいけないんだ。気が触れてしまう。どうぞこちらへきなさい。暖かい飲み物を用意してあるから」
「あんた、そうやって引きこもっていたら、何のためにワサツミさんが死んだのか、わからないじゃないか」
「ワサツミは私たちに抗うことの愚かさを伝えたくて死んだんだ」
「本気で言ってるのか?」
「そう考えた方が……楽だろう……!」声を絞り出した。彼は顔を引っ込めた。
「本気で、言っているのか……?」
「……」窓の奥から、嗚咽が聞こえてきた。
「弔い合戦なんて、ありきたりだけど、それでもいい。俺は闘うよ、クロウスのところへ……トンプソンさん。俺は……死にたくないんだ。あんたも……」
「あんたねえ、ヨルに外で歩いてんじゃないのよ」
背中から声を投げられた。振り返ると、ボロボロの風体の青年と、針金が通ったかのように背中がしゃんとした女性が立っていた。
「全く、最近の子は……すぐ熱くなるんだから……で?どこよ……案内しなさい。行くわよ。クロウスのところへ。早く終わらせるわよ。どうせ有給出ないんだし」
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