○四十三話○ハウエル
※ ※ ※
『クエストが、完了されました』
「ゆうな」の声がクロウスの脳にこだました。
……。
…………。
おかしい。
「おかしい」
何故何も起こらない?脱出できるのではなかったのか?あの時と同じだ。クロウスは五十個のクエストを全てクリアしてしまった時と。
「ーー裏クエストか?」
裏クエストは、クエストを全クリした直後に強制的に発生、そして受注した千個のクエスト。時間制限は今日までだった。今日のヨルが明けるまで。殆どのクエストは既にクリアされていた。故人だからだ。内容は、明快。
『亡き者にする』
ーーそう、最後のクエストは、二十四人全員を犠牲に、自分だけ助かるという残酷な選択の強制であった。
クロウスはその通りにした。抵抗とかは、なかった。狂人と呼ばれていい。現実世界では、そう呼ばれることはなかったが。むしろ、この世界で生きるのを是としている輩の方がよっぽど狂人。あれらは現実に居場所がないから、一と〇で構成されたこの世界にしがみつく哀れな奴らなのだ。玄野は会社に居場所があった。抜け目がなく、優秀だった。恵まれないのは、妻子がいないことくらい。それ以外、完璧。だから殺すことに抵抗はない。現実でも、死刑囚を擁護する奴らはいない。初めから生を諦めた情弱どもに生きる価値はない。
「どうしてだ……」
クロウスは親指の爪を噛む。簡単な仕事。どれだけ追い詰められても、クロウスは、天秤に乗せることすら馬鹿馬鹿しくなるくらいの地力の差で圧倒できる。ギルも。ハウエルも、何もかも。実際、うまくいっていた。ワサツミの殺害も、成功した。全てうまくいっていた。
「クエスト内容が間違っている?あり得ない。今までと比べクエスト内容が曖昧であるにしろ、クエストが虚偽を述べたことは今までで一度もない」
鳩が空を飛んでいた。視界に入った途端、なんとなしに鏖殺した。赤い血のシャワーが、クロウスの煌びやかな金髪を中身にふさわしくくすませた。
「帯電状態はもうじきとける」
電気が抜けていくのを感じる。電気を魔力に変換している。同時に、食らった自らの電撃。じくじくと、痛む。ワサツミほどでは無い。奴には刺したのちに、流したから電撃が肉を焼いているはず。殺った、とクロウスの中の殺人鬼がそう呟いている。
しかし、玄野はそれどころでは無い。殺人鬼は追い詰められれば詰められるほど動悸を増して興奮を伝えてくる。空恐ろしい奴だ。自分でありながら、理解できない。
「もし私が間違っていたとしたら、何を間違う?どう間違う?足りなかったのは?時間だ。時間が足りなかった。最低限の準備をしても、時間は、時間だけはぎりぎりだった。足りていないのは、ゆえにーー」
何か見落としがある。玄野は、帯電が抜けるや否や、雷に乗って、石碑へ向かう。あそこで、確認できるのは、クエストの進行状況、人数。
表示されるホログラムによると、やはり二十四個しか、クエストはなかった。理解不能だ。
また、玄野の殺人鬼が、首をもたげる。
「落ち着け、落ち着け、落ち着けーー」
言い聞かせる。今度はリストを開いた。千人近くの名前が箇条書きに映される。じっくり見る。動悸と焦りを抑えながら。まさに、試験終了ぎりぎりまで必死こいて見直しをする受験生の気分だ。
五分が経った。
「落ち着け、落ち着け、落ちつけーー」
二十分が経った。
「落ち着け、落ち着ーー」
「ーー?」
なにか違和感があった。すぐに見直す。
「ーーまさか」
※ ※ ※
フーミルは不安で胸がはち切れそうだった。幾度の地震。魔力の爆発。轟音。それでも、人が叫んだり逃げ惑ったりしているのは、ギルドテントの窓からも見られない。それが、不気味だった。
「ハウエルーー」
「危険を承知なら、行ってもいいよ」
とミシェルが言う。
「僕たちのことはなんとかなる」
「なりませんよ、そんな体で」
「……」
そう言われてしまうとミシェルはぐうの音も出ない。どこもかしこも筋肉痛に近い何かで、もう全く体が動かないからだ。しかし、ミシェルが心配しているのはそんなことではなく、もっと拍子抜けすること。十二歳の女の子に下の世話をされたくないというものだった。治癒術師なのに馬鹿げているが、下の世話をしたことはあってもされたことはない。いや、下の世話をされること自体は別にいい。問題はここままでは、十二歳の女の子がやるということ。
「多分、スケルトン君はどっかで戦ってるんだよ。また。心配なのはよくわかるけど、僕だってそりゃあ、行って欲しくないけど、僕の存在というのがいま、君の足枷になっているんだとしたら、それは違うと思う」
ミシェルは若かった。まだ二十歳なかった。仕方なかった。言葉を弄しながら、頭の中では、どうやってフーミルに下の世話をさせないようにするかを考えていた。正直、漏らしたほうがマシだ。
「でもーー」
フーミルが言い淀んだ時だった。ドアを叩く音がした。だいぶ乱暴に。さっとフーミルは身構えた。病み上がりとはいえ、彼女の魔力は非凡の二文字では足りないほどに非凡。並の相手ではーー。
「すいやせん、ヤ分に」
泥だらけの男だった。籠手と、腰には両手剣を差した大柄な男だ。彫りが深く、歳は三十半ばくらい。息切れしており、走ってきたみたいだ。戦闘系のギルダーか、とミシェルは思ったが、どうもちがうようだった。
「ぼかァ七番通りの花屋をやってました。今は自警団のジオーツ=カジです。さっきの爆発に巻き込まれた者ですが、少し頼みたいことがあるんです」
「どう致しました?」
「ああ、嬢ちゃんーー、もしかして、ここの寝ている方々は、全員」
「ええ、今は動けません」
「ーーなんてこった」
カジは空を仰いだ。
「カジさんこそ大丈夫なんですか?あの爆発、何があったんですか」
「見ての通り、ピンピンしてるよ。爆発は、ーーああこれ言っていいのかなあ……いや、クロウスが」
フーミルは思わずため息を漏らした。
「やっぱりクロウスですか」
「なんだ、嬢ちゃん知ってるのか。そうだよ。クロウスが好き勝手やった結果さ。俺はギルさんの使いで、頼みっていうのは……ああ、これだ」
などと言って紙切れを取り出したカジは、
「レベルカっていう名前の子はいるか」
「ーー私に何か用?」
ベッドから気だるげな声が聞こえる。
「ーーやっぱり動けないのか」
「んー、無理ねー、やっと指先が動かせるようになったくらいだし」
「……動けないとダメなんですか?」
「いや、ギルさんの話によると、どこか密閉したところへ匿わないといけないって話なんだがよ……どうしたもんかな、できるだけ急がねえと」
「私が行きます」
カジは間髪入れずに答えた翡翠の少女に息が詰まった。どうもその可愛らしい見た目に釣り合う声色ではなかった。胆力に裏打ちされた、言葉の重み。
「そんな、嬢ちゃん、外はあぶねえぞ、クロウスがーー」
「ハウエルが戦ってくれてるんでしょう」
「……まあ、そうだけど」
「ハウエルは強いわけじゃないんです。ただの骸骨なんです。取っ組み合えば、私だって勝てます。なのに、戦ってる。いま、私が戦わなくてどうするってんですか。ーー理由は後で聞きますからね」
「あーーああ」
カジはフーミルの剣幕に押され、もはやあの戰乙女を幻視し始めた。リオネス。遠目にしか見たことがなかったが、騎士として、カジの憧れた者。結局花屋を継ぐことになったが、フーミルはまさにそれだった。
「あては、あるのか。行くところの」
「あります。ーーひとつだけ」
カジはフーミルに手を貸して、二人がかりでレベルカを持ち上げて、滑車のついたベッドに載せた。意外と重い、と思ったが、口が裂けても言えない。
「大丈夫ですか。移動しますよ」
「ええ、分かったわ」
と開け放たれた扉を通って、担架車はするすると坂をくだっていき、
「気をつけろよぅ」
と、まるで親戚のおじさんのお見送りのようなことしか言えなかったカジは情けなく感じて、何か自分もこう、手伝えたんじゃないか、俺はあの騒ぎで、せっかく無傷だったのに、俺がやるべきことなのではないか。
でも、もう体力も魔力も、魔獣掃討のためにすっからかんであった。俺はやるべきことをやるんだ。そう。あの嬢ちゃんの仕事を、完璧に。引き継いでみせる。
そう意気込んで振り向いてみたはいいものの、
「ーーなんだ?この匂い」
なんか据えた匂いがする。見ると、鼻を啜る音が聞こえた。
「お、おい、どうして泣いてるんだ、兄ちゃん」
あわてて童顔の男子に駆け寄ると、彼がしゃくり上げながら、言った。
「すみません、漏らじぢゃって……」
ーー前途多難だ。
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