○三十一話○裏切り者
「うぬ……う…?」
目を覚ますと、そこには見慣れた天井があった。ミシェルは、起床と同じ了解で体を起こそうとしたが、起きなかった。まるで金縛り、頭と身体が離れ離れになったかのように動かない。
「おーい……誰か……」
「何よ」
「!?……なんだ、レベルカか」
すぐ真横のベッドにレベルカがいた。首も動かせないので、いるらしい、という表現が適切だが。なんにせよ、レベルカもこの様子だとからだが動かせないらしい。
「もう、なんだって何よ……。ああ、こうやって喋ってるだけなのに身体に疲労が溜まっていくわ」
「そうだな。身体中の力を全て魔力に変換してしまったようだ。……あっ」
ミシェルはようやく気付いた。「あの子は?」今まで自分たちは、一人の女の子を救うため、力を振り絞っていたのだった。肝心のあの子はどうした。レベルカは「見えないわ。ここからは……ベッドは」という。ミシェルは動かない身体にやきもきする。他の奴らも起こさないといけない。ウシタのやろう。高いびきをかきやがって。
「あ」
レベルカがつぶやいた。
「どうしたの?」
「ありがとうね」
「何が」
「あの子を救けようと、してくれて」
「当たり前だよ。君も、救けようとしてくれていたじゃないか」
「救け始めたのはあなた。勇気を振り絞って、命も顧みずに飛び込んだのはあなたよ」
「そんな、大仰しい……ぼくは大してそんな立派な理由があったわけじゃない」
ミシェルは下唇をなめた。ギルドテントは、あの時の風圧だろう。出口が飛んでいる。そこから見える街並み。早朝の、水の底のような透明な薄蒼さ、静けさが、あたりに降りて滞留している。
「ほら、ボクって頭良い方でしょ?」
「はあ、自分で言うとモテないわよ」
「だから、合理的に判断したまでさ。ここで命をかけた方がいいってね」
「その心は?」
間髪入れずに彼女は聞いてくる。やれやれ。格好をつけさせてくれない女性だ。ただ、そこが嫌いじゃない、と、ミシェルは長く息をついた。
「死にたがってる人を救けるのは、初めてだった。そりゃあ、迷った。どちらを優先させるべきか」
「……」
「こういう答えがない問いとか、嫌いだな。全くもって、答えられないから。それでも、無理に答えを用意して、こういう時に迅速に対応をしないといけないんだろうけど、ボクは治癒術師として、未熟でした。答えが、出なかった。だから、ボクは単純に、馬鹿みたいに考えた」
「ボクはどうしたいって、聞いてみた。何に聞いたのか……それは分からない。きっと、ボクの大事なものさ。何にせよ。
あの時のボクはあの女の子を助けたかった。理由はたくさんある。あの子が辛そうだったから、スケルトンさんが辛そうだったから、冥府で素敵な女の子を助けることができたよって、じまんできそうだから。
そんな諸々のことより、ずっと、ずっと先にボクは、この女の子を救けたい。そう思った。だから、力を貸したんだ。これがその代償なら、安いもんさ……多分もう、三週間は動けないかな……ハハ」
「安い……ねえ?あと一人怪我人でも来たらどうするの。もう何もできないわよ、私たちは」
「……ああっ」今頃気づいてしまったミシェルは、半眼のレベルカを横目に一人慌て始める。連絡は誰が入れるんだ?ここのギルドルームはもう使い物になりませんと?そもそも、あと一日二日誰も来なかったら、ボクたち餓死しちゃうじゃないか!?
「誰かあ……!気づいてくれ…!助けてえ……!!」叫んでも声にならない。何もかも動かない。
「しょうがないわよ叫んだって。体力を温存しなさい」
「ーーあっ」
「?……どうしたのよ」
足音が聞こえる。走ってきている。ギルドテントに用があるのか?ーー不味い。いや、自分たちが助かると言う点においては朗報だが、しかし、ここのギルドルームはもう使い物にならない。レベルカも気づいたのか、息を呑んだ。
「……言霊って、あるのかしらね」
「んなこと言ってる場合かよ……どうする。考えろ考えろ」
しかし……無理だ!何も思い浮かばない!というか、考えるだけで疲労が溜まる。頭が割れそうだ。
ああ……もういいや……どうでも……。
ついに足音の主はギルドテントに入ってきた。すみません。役立たずのミシェルです。そう答えようとした時……。
「あっ!良かった……気がついたんですねっ」
翡翠を嵌め込んだような瞳と、新緑を閉じ込めたみたいな髪をした女の子……フーミルが、タオルを片手に、ホッとしたように微笑んだ。ミシェルはそれを見て、
「ほら……安かっただろ」
「ええ、そうね」
レベルカに向かって呟くと、ほぼ同時に返ってきた。
※ ※ ※
「アレ、一回だけか?」
鍛冶屋であるワサツミは首を傾げていた。早朝から、仕事のために火を起こして支度していた彼は、急に来た大きめの地震に、大慌てで火を掻き消し、机に潜り込んでいたが、普通何回か起こるはずの地震は、たった一回揺れたあと、揺れる気配はなかった。こんなこと初めてである。机から這い出した彼は、乱れた髪を直した。しかしこれからの作業で結局、汚れることには代わりないが。
しばらく、鳥たちがざわめきが収まるぐらいの時間が経った。
すると。
「うっおおお!?!?」
とんでもない圧力、千や万の風が一気にワサツミの中で暴れ回ったみたいな、台風を飲み込んだみたいな暴虐がワサツミを蹂躙する。前髪はすべてめくりかえり、汗が熱した刃の上で走り回る水滴のように。
ーーこれ、これは共鳴。魔力の共鳴。信じられぬほどの量の魔力がいま一気に解放されたことの、証明。これは一人や二人じゃない。国民全員が体内魔力を全て放出して空気中を魔力で染め上げたら、おそらくこうなる。実行されたことはないが、そう確信させるだけの、異変。
俺に向けた、異変。
そうか。
彼は槌を持った。その手が震えていた。
「もう、すぐか……」
耳で聞いて初めて、ワサツミは驚いた。まるで自分の声が自分のものではないみたいに超自然的に、言葉になっていた。恐怖が。声にならない声が、溢れて止まらないのだ。
「クロウス……」
その時、戸をたたかれる音がした。ワサツミは間もなく飛び上がった。ついにきたか、と思った。しかし、それを断ずるにはいくつかの疑問点がある。まず……、
「……あ?」
手で叩いたにしてはやけに位置が低い。だいたいくるぶしくらいの高さで戸を叩く音が聞こえてくる。困惑を顔ににじませ、そろそろと劇物を扱うような慎重さで、戸を押し開けると、さっと、熱湯に触れたみたいに手を引いた。
「……旦那?」
そこには、頭蓋骨だけになった、スケルトンが転がっていた。
「よう、ワサツミ。また会ったな。急で悪いんだけど、義足とか、ないか?転がっていくと何かと不便でな」
とりあえずワサツミはスケルトンを家に招き入れて、ありあわせの義足と義手を見繕った。しかし、結局胴体がないので、顔にそのまま手足がついて、さながら頭足人である。それでもスケルトンは手足を意のままに(体への接合上以前のように都合良くはいかないが)動かせるようで、恐怖と、それを通り越して来る渇いた笑いが早朝の鍛冶屋を包んだ。
「いや、どうしたんだよテマエ。あんた身体どこに落っことしちゃったのよ」
「ああ、こんチキショウ、あのネズミども……たしかに全部くれてやるって言ったけど、本当に全部持っていくとは……ビタ一文まけてくれねーとは」
「あ?どう言うことだよ。分かるように説明しろい」
「……魔獣に襲われたんだよ。おっかない奴だ」
ワサツミは解せないところは多いにせよ、嘘を言うことも必要もないだろう、とおもったので、適当な胴体を見繕おうとそこらを探し回っては見たものの、どうにも良さげなものが見つからなかった。仕方ないから試作品の義手と義足をもってくる。
「すまねえな。適当なのが見つからねえんで、そいつで我慢してくれるかい」
「分かった。ありがとうな」
スケルトンはそこの卓にちょこんと座ると、差し出した水を気持ちいい飲みっぷりで飲み干した。慣れないのか、大分零していたが。慌ててスケルトンは拭くが、それすらもおぼつかないので、手伝ってやる。
「俺は一度戻らなきゃならない。大事な用があったんでな。義足ありがとう。この礼は用が終わったらするよ」
「おおい、待て待て」
「うえ?」と間の抜けた返事をしたスケルトンにため息を吐くと、ワサツミはさっき起こり出したことを整理しだした。
「まず小さな地震があった。もう少しで本番までが来るかと思えば、来なかった。代わりに、どえれえ量の魔力が、南で解放された。流石に、分からない訳ないだろ?いくら頭蓋骨の旦那でも。そして、そのすぐあとに旦那がやってきた。頭蓋骨だけのな。はたからみれば、そういうこった。流石に関係していないとは言わせないぜ。バタースコッチ代だ。喋ってもらおう」
「……あー、そうだな、分かった」
スケルトンはガチャかちゃ音を鳴らしながら、流石に誤魔化せないよなあ、と言った感じで頭をかいた。ワサツミはそれを注意深く見ていた。刀を検分するのと全く同じ感じだ。だからワサツミには分かる。何十年刀を見てきたワサツミには。ああいった理屈抜きに、今のスケルトンは、ワサツミにとって、「抜き身の刀」にみえる。それがボロボロでも、サビだらけでも、鞘から抜いた……、ということは。
「旦那。誰と戦ってきた?」
「ーークロウスだよ。クロウスが殺人鬼だった」
「……何だって。それは本当か」ワサツミは目を見開いて驚く。犯人は複数だと思っていたが、彼単独なら、或いは、と。
「ああ。ただ、どこに繋がりがあるか分からない。他言無用だ。もし誰かに言ったら、多分あんたは消される」
「だろうな。……ところで、本当である証拠は?」冷静な態度を崩さないワサツミに、スケルトンはいくらか驚きの色を含ませながら、呟く。
「昨日の深ヤ、フーミルが斬られた。ギルドテントで寝かせてある。さっきの魔力解放は、その子を治療したときのもの。本当いえば、俺の手足もその代償だ(本当は少し違うが)。全て、あいつの計画通りだった。俺が、上手くあいつを追い出したと思ったのに。あいつは恐らく逃げ出して」
「ーーいや、それは無理だ」
「なに?」
「テマエ、今日の朝刊見てなかったのかい?アルバッカス近衛兵長兼軍団長が、殺されたんだってよ。どうやら、犯人は第二王子さまで、銃で撃たれたんだってな」
今度は、スケルトンが驚愕する番であった。
※ ※ ※
「どういうことだ……?」クロウスは王宮に行き、脱出し、王宮からのパイプを通って殺しに来たのではなかった。時間的に考えると、先の推測はなかなか厳しいが、クロウスには方法がある。
「雷魔法で高速移動すればあるいは」
「無理だな。対策されてる」
「どうやって」
「レベルカの片手剣は魔導具で、短時間ながらレベルカの魔力展開を再現できる力がある。しかも、|魔力波長記憶合金〈オリハルコン〉が素材なんで、もし魔力展開がなんらかの理由で断絶されたとしても、一度くらえば効果が持続する。空気中の魔力がそれを勝手に再現するからな。俺の傑作だ」
すると、さっきの推測も不可能になってしまう。アルバが魔力展開を発動される前に雷魔法で殺すことができるだろう。雷魔法に先手を打たれるともうどうしようもないのだ。それに、素手のクロウスにアルバでは勝てるかどうか怪しい。頭は切れたが、戦略家であって戦闘において優秀とはいえない。
「そうか……クロウスにも協力者がいたのか」
辻褄を合わせると、フーミルを斬ったのはクロウスではなかった。クロウスは取水口と行き方を協力者に伝えて(方法も隙もいくらでもあるはず)、アルバを殺した。
「そうか……真の目的ってやつか」
「?」
全ては謀られていた。俺が、用意されていた仮初の正解にたどり着いて満足している間に、クロウスは真の目的のために動いていたのだ。全く、追い詰めてなんかいなかった。奴は非常に丁寧に巧妙に、仮初の正解を
作り上げていた。
まず、取水口から案内させたのは、自分が王宮以外のパイプへの道筋を知るためではなく、協力者に道筋を伝えるため。そう。静電気の件、俺を帯電状態にさせた件。あれが本当にクロウスのいう、「ターゲット」だとしたら、あれは位置を探知するのではなくて、有事の際に殺せるようにするため。
そして、フーミルを殺す際に雷魔法を使わなかった、剣で斬り捨てたのは、殺したのはクロウスではなく、頼んだ協力者、その何者かが殺したから。問題は、その協力者だった。
何人いるのか?どれくらいの権力が、能力が、実力があるのか?どこまでクロウスのことを知って行動しているのか?
「ところで、なんでおっさん、レベルカの片手剣が王宮にあることを知って、それが今も使われていると知ってるんだ?」
さあっ、と空気が変わる。クロウスの時と同じ。緊張が喉元に這い寄る予感。あの時は相手が相手だったが、今回はそうじゃない。ワサツミはどもりながらも答える。
「あ、当たり前よ。俺が打ったんだから。あれはちょっとやそっとじゃ折れない。そして扱えるほどの人間も少ないからよ、王宮が手放すわけもなく、考えたら当たり前のことだろ?」
「そうだな。その通りだ。ところで、今日は新聞屋は休刊日だが、どうしてあんたにだけ朝刊が届いてる?アルバの訃報は、号外だった筈だが」
「あ、ああ、そうだったな。そうだった。そういや、号外で届いたな」
「ーー悪い、嘘だ。号外なんて出てないよ」
「あ!?ーーんな馬鹿な!」
「おいおい落ち着けよ。そもそもアルバが死んだことを知らない俺が、号外だの朝刊だの分かる訳ないだろ。俺は雑にあんたを揺さぶって反応を見たかっただけだよ」
「あ……まあ、確かにそうか」
こんな簡単な鎌掛けに引っかかるおっさんとの頭脳戦は気が楽だ。もしかすると日常会話よりも数段。クロウスもギルもおっさんになればいいのに。みんな、おっさんにな〜れ(ギルは四十代だが紳士であるので、おっさんというよりおじさまといった感じ)。
「そんなことどうだっていいんだ。それよりも問題がある」
「んな?あんたどういうーー」
コツ、コツと窓を叩く音が聞こえる。見なくても分かる。伝書鳩だ。どうせそこにくくりつけてある紙は『号外』で、「近衛兵長アルバッカス死亡」とでかでかと書かれているはずだ。
「問題は、あんたが『いずれバレる嘘をついたってこと』だ。嘘の内容は別に大したことじゃない。号外と朝刊の言い間違いは決定的じゃない。ありもしないことを捏造したこと、それ以上に、俺があと数分ここにいるだけでバレてしまう簡単な嘘をついたこと」
「……」
「それと、あんたがアルバッカスが殺されたことを分かっていたということ。これが解せない。ただ前者は分かる。そして前者が正しいとなると、後者も芋づる式に分かる。あんた気づいて欲しかったんだろ?俺に賭けた。あんたがーー」
「ーーああ、その通りだよ」
「クロウスの、協力者だってな」