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○第二十六話○帰還

     ※ ※ ※



 落ちた。クロウスが、落ちた。いささかの躊躇、それすらもなく。あり得ないよな?ギルとその他大勢とやり合って、魔法なしに逃げるなんて。もしくは、勝つなんて。しかし、俺は見えてしまった。死体の山の上に、返り血で真っ赤のクロウスが立つところを。でも、俺の中での混乱は、時間に直したらきっと、秒に満たないもので。


「フーミル……!」


 そう強く呟いて、俺は転がり、排水口と繋がっている方とは逆の排水口に飛び込んだ。あとは、水が俺を家へ連れていってくれる。転がるよりも断然早く。俺の家は比較的下流にあって、多くの水脈を一気に集めた、血管で言えば、大動脈みたいなところにある。故に、どこに飛び込んだって、排水口に繋がらない口なら、俺の家へ行ける。


(魔力の乱れは、生理のようなものですからね。時期が重なってしまうと、魔力中毒になどならなくともーー、いえ、ここらで止めておきましょう)


 クロウスの言葉が、頭の中で再生される。そんな子じゃないことは分かってる。フーミルは強い。俺なんかより、ずっと。ずっと。そうだろ?帰ったら、ゆっくりお茶をして、また昔話でもしよう。まだ言い足りないことが、たくさんあるんだ。だって、まだ、ありがとうすら、言えていないのだ。


 人間は死んだらそれで終わりだと思っていた。過度に悲しむのは、良くないことだ。そう思っていた。引きずらずに、忘れるべきだと思っていた。俺が居なくなって、悲しむ人が出るくらいなら、俺のことなんか、誰一人覚えていなくて良いと思った。でも、忘れられるわけがなかった。誰かに、この気持ちを伝えたいと思った。なのに、彼女に。


 ーーリオネスを覚えていてくれて、ありがとうとすら、言えていないのだ。



     ※ ※ ※



「あら。あららら。ひどい顔ではありませんか。戦士には休息が必要でしょう」


「何故、俺が戦士になんか見えるかよ」


 リップは教会前にいた。そして、何故かギルがいた。初めから待ち合わせを約束していたみたいに。ギルはあの時の格好ではなく、甲冑の上に黒い外套を羽織り、ゴツゴツした手袋を身につけ、極め付けには、いくつもの銃口が、外套の袖口から覗いていた。


「ーーハッ。あなたも、戦いに行くってわけですかい」

 

「左様ですねぇ。巨悪と。ところで貴方は?」


「僕じゃない。戦いに行くのは仲間だ」


「と言いますと?」


「俺はギルドを辞める」


 意外にも、ギルはそれには無反応で、彼をじっと見つめていた。苦手だ。と思った。ギルと目を合わせていると、俺の中の何かが解けそうな気がする。


「そうですか。どうしてか、お伺いしても?」


「金。金金金金。飽きた。もう、疲れた」


「そうですかねえ、貴方がふがいないだけではなくて?」


 ずんずんと、人の痛いところを押してくる男だ。何もそんなに、言うことないのに。いつものリップなら勢いよく反駁しただろうが、今はそれだけの気力もなかった。


「そうだよ。俺はカスだ。適当に夢をぶち上げて、それに酔っていりゃよかったのさ。そうしないと生きていけなかっただけの、ただの、小市民だよ。悪いか。仕方ないだろ。申し訳ないより先に、情けないが来る自分が本当に、情けないよ」


「そうですか。そうですねえ……。貴方は、夢を掴むには、役者不足だったと」


「ああ、そうだよ」


「貴方は、何にもなれなかったと」


「ああ、そうだよ!うるせえなあ、なんなんだよ!ほっとけよ!俺はっ……」


「俺はーーなんです?」


「……」


「貴方はなんです。なりたかったものになって初めて、貴方はこの世に生まれ落ちるものなのですか?」


「知らねえよ。勝手に決めろよ」


「知らないのはワタクシの方ですよ。貴方がなんなのか決める気なんて、ワタクシにはさらさらございませんし、そもそも、そんなに暇じゃありません。貴方が決めてごらんなさい。何に生まれたか。何になるか。それぐらい。貴方で決めて良いのです」


「理想論だ。現実はそんなにうまくいきやしない。あなたにはわからない。、生まれた時から貴方は他とは違ったはずだ。声も、かたちも、生まれたその時から万夫凡夫とは違う人間だと思われる!何者かに成ると未来を期待される。その過程でさえも、そして他とはまったく違う人生を送ってきたんでしょう?下らないですよ」


「ワタクシ、さっき失禁しましてな」


「ーーは?」


「生まれつき膀胱が弱いんですな。ワタクシは。そういう意味で言えば、ワタクシは生まれたときから違う人生を送っていたといえる。成人してからのワタクシの失禁は人生で二度。一度は王子が生まれ出ずる時。そして、二度目は、クロウスを斃すと、王子が仰った時です」


「僕は本気で言ってんすよ。何ふざけた事言ってるんですか」


「ふざけてるのは貴方ですな。上手くいかないのは本当に『現実』かな?」


 ギルは頭の中で、この青年にかけてやるべき説教をいくつも思いついた。こういうまだ尻の青い冒険者を見ると、ギルはいつもこう言ってやりたくなる。


ーー現実はうまくいかないと?当然。この世が寸劇でもあるまいし。当然のことなのです。なのに、役者不足なんて誰が言える。どこから劇は始まっている?他人面するな、阿呆が。


ーーワタクシは王子が生まれたその時、魔法を究めるのを諦めて、財で一番を成すことにしました。ワタクシはね。王子をこよなく愛し、そして嫉妬している。役者不足などと嘆くなら、諦めて変わるか、死ね。ーーまあ、ワタクシとしては、努力して欲しいのですがね。ワタクシが取れなかった選択肢ですから。


 しかし、ぐっとこらえる。彼がこんな簡単な言葉で更正してしまうような小物であって欲しくはなかったし、のちのち「僕が立ち直ったのはギル=クク=ノーストンさんのおかげなんですッ」なんて恩に着られたくはないし、何より自分が、評判よりもマトモであることを、悟られたくなかった。ギルは適当に切り上げることにした。



「おっと、そろそろ時間のようだ。それでは」


「あんた、誰と戦ってくるのか、結局、言わないんですか」


 ギルはやれやれといった感じで嘆息した。畢竟こいつは、仲間が欲しいだけなんじゃないか。こいつの仲間が戦っているのは言わずもがな、リップスとやら、彼もまた、戦っている。無意識に。


 自分もまた、まだ甘いな、とギルは思った。


「クロウスと」


「応援してますよ。僕もあの怪物が墜ちるところを、生きているうちにみたい」


 恐ろしい名前を聞いて、無理だ、とか、不可能だ、とか、おくびにも出さないのは、彼がやはり戦士だからだ、と勝手にギルは思った。


「ありがとう」そう言って、ギルは歩いていった。その後ろをどこから湧いて出たのか、大勢の武装したギルダー達が、後をついていくのに、リップスはただ圧倒されていた。


 リップスは、どうしてクロウスとやりあうことになるのか、とか、勝ち目はあるのか、とか、出てきて当たり前のことを考えたくなかったし、知りたくなかった。いや、知りたがりたくなかった。きっと、気になってしまうだろうから。


 ーー俺はどうすれば良い。どこから来て、どこに行けばいい。


 もう、何も考えたくない。



    ※ ※ ※


「あ、おかえりなさーー」


「フーミルっ無事かっ」


 ほとんど扉を割るようにして帰宅した俺は、呆気に取られているフーミルを見て、とりあえず胸を撫で下ろした。その数瞬後に矢継ぎ早に質問を吐き出す。


「体調悪くないか?吐き気とかは?怠くないか?」


「な、な、な、ないですけど、なんですかいきなり……」


 畳みかけられたフーミルは、しどろもどろになりながらも答える。


「そうか。良かった。それと、それと、俺何話せば良かったんだっけ」


 あれ、フーミルの安否しか考えていなくて、すっかり話すこと、話すべきことを忘れてしまった。俺は、俺は……あれ?この身体になって、本格的にボケてきている。


「はいはい、落ち着いて、深呼吸しましょうね深呼吸」


 言われた通り、息を吸って、吐く。


「まったく、何が起こったか、順を追って説明して下さいね」


 言われた通り、俺は順を追って説明し始める。


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