○第二十五話○満点
ーーきた。
バサバサと音を立てて排水口の馬鹿でかい穴から飛んできたのは、あの時の伝書鳩であった。
鳩の足には、また新しい紙がくくりつけられてあった。紙は厚紙の筒に丸めて入れてあった。中身をさっと見聞したいところだが、おれは今頭だけなのでやろうにもやれない。ただ、だからこそ、届くだけで大丈夫。そういう状況にしている。
クロウスは排水口、絶え間なく風切り音が聞こえる大穴に足をかけ、覗き込んだ。そこに広がっているのは、終わりのない暗黒であった。しかし、クロウスはそこに希望を見出したのだろう。ふっと微笑んだ。
「それでは、また会う日まで、兄様……ごきげんよう」
「おい待て。今降りたらオマエは終わるぜ」
「ーー?、ほう。理由を聞きましょうか」少しは驚いた顔をするかと思ったら、全くこちらの思う通りには動く気がないようだ。クロウスは笑みの端をさらに深めて、くつくつと、押し殺した笑い声をあげていた。
「恨むんだったら、あの女王を恨むんだな」
「ん?」
クロウスが怪訝そうな表情をして、言った。
「末代まで恨む事になるのは貴方の方ですけどねえ、私が殺人を犯したなどという証拠は何処にもないわけですから。自白してもね」
「別に、殺人鬼じゃなくてもいいさ」
「ほう」
「あんたはいま、国中から血眼になって探されてる。行方不明の王子、目撃情報どころか、噂にだって報酬が出るほどだ。あんたの情報を喉から手が出るほど欲しがってるギルドの連中は山ほど居る」
「ふむ、事実は小説より奇なりと言いますが、だからこそ、ガセネタには敏感だと思いますがね。王子が、パイプの排水口から落ちてくるなんて、そんな突拍子もない話、ソースも確かでないのに、誰も信じませんよ」
「その、がせねただのそうすだのは分からないが、まあ、信憑性はないな。普通なら」
「普通でないと?」
「そうだよ。あんたは二つの失敗をした」
「私が今朝、あの墓地で、騎士を沈めるのに雷魔法を行使したことですか?そして、ギルと顔を合わせたこと」
「そうだ。あんたはあの時柄にもなく焦っていたし、そうでなくとも時間も迫っていたので、使わざるを得なかった。あれのおかげで、オマエはもう手の届かないところまで逃げ延びているだろうと思っていた連中に、希望を与えてしまったんだ」
「たしかにあれは失策でしたね。しかし、それだけでは私の居場所の情報への信頼が勝ち取れるとすれば、それは難しいでしょう」
「そうだな。そこで二つ目の失敗はーー。そうだな、あんた、読んでみろよ。俺宛でもあったが、オマエにだって関係のあることだ」
「……」
一つ鋭い風切り音がしたかと思うと、彼は鳩から紙筒を奪い取っていた。火鼠の背中に留まっていた鳩はあまりにも速すぎて、首を横に傾げるのみだ。火鼠だけが、さっき起こったことを理解してぷるぷる震えている。クロウスは紙筒を開けると、中に入っていた手紙を読み始めて、恐らく数行のところで、その形の良い眉を寄せた。
「ノーストン家を呼びましたか」
「そうだ。そもそも俺が一からギルドとの信頼を築くのは厳しい。だったらもともと関係があったやつに頼むべきだ。俺はギルに手紙を送った。あんたが排水口から出てくるという情報。ありったけのギルダーを用意してほしいという、頼みも書いた。今、排水口の出口の泉を、何十百何十というギルドが取り囲んでいるはずだ。あんたは殺人罪じゃない。失踪していたから捕まる。もしアルバの反乱が成功していたら、逆賊として、また捕まる。逃げ道はないぜ」
「ええ、そうですね、素晴らしい。最善策です」手紙には、『包囲に参加するだけで報酬を出す』とある。たしかに、このこうどうには、メリットしかない……。クロウスはほくそ笑み、また腰の前で拍手をする、手首だけを動かして、上品な音を立てる。
「しかし、貴方も一つ失敗を犯しているようです」
「なに?」
「貴方は私を舐めすぎだ」そう言った瞬間、クロウスが纏っていた重圧がより一層濃くなった。常識の埒外の怪物という言葉こそ、クロウスのためにある言葉だった。
「骨は折れますが、魔法なしでも、全員殺して仕舞うのは可能です。それに、そんな下手な手を打たなくとも、彼らに見つからぬよう脱出すれば良いだけのこと……。私にとっては、容易です」
その通りだ。クロウスの実力をもってすれば、数は問題にならない。しかし、だからこそ、俺が勝負するのは手札の厚さ。
「その紙筒、中に何か入ってないか?」
「いや、なにも……」
彼は筒を逆さにして振るが、パラパラと砂が舞うのみで、なにもものが入っている様子はない。
「いや、もう『落としたぞ』」
「ハ?何を……、ーーッ!?」
突然、地面が隆起したかのような錯覚を覚えたクロウスは、すぐにその場を立ち退いた。刹那、木の枝が蔓のように、もっといえば、触手のように、あたりを緑と枝で蹂躙した。彼は瞠目し、瞬時に一つの可能性にたどり着いた。
(樹木魔法か。生命魔法の劣化版の魔法。植物の成長を早めるという効果のある極めて珍しい……。しかも、土もないところからいきなりか。それは非常に濃縮された魔力を込めなければできないはず。技術云々では、なく一回の魔法に多量の魔力を込められる者ーーいやしかし)
枝や蔓は、まるでクロウスと俺を隔てるように張り巡り、即席の壁となって、クロウスの前に立ちはだかった。隙間だらけだが、恐らく見た目以上に硬い。
(間違いない。これは先に魔力と指示を込めておいた罠ではなく、行使されたものだ。つまり、ここは私以外の誰かの、魔力感知の範囲内)
そこまで考えたあたりで、クロウスは俺が何をしたか理解したようだった。
「まさかーーハハ」
「そのまさかだ。神名持ちのギルも待ってるんだよ」
彼は汗をその頬に浮かべていた。そして、いまに右手の甲で拭うと、じっと見つめて、まるで生まれて初めて汗をかいたみたいな、意外そうな表情を浮かべた。そして、こちらを向いて、別種の笑みを浮かべる。それは事態が想定の上を行くことに対する、良くとれば焦りとも、悪く取れば、興奮とも言える、どちらにせよ、こちらが有利な状況になってもなお、こちらからしたら恐ろしい笑みである。
「どうして?どうやって?無粋かもしれませんが、聞いても?貴方と彼は、敵対関係にあったはずでは?」
「さらに、強大な敵が現れたから、意気投合したってだけの話だ。敵の敵はさらに敵ってことだ」
「んん、素晴らしい」
はは、と、溢れるように笑っていたのが、そのうちクロウスはクロウスは大口を開けて笑い始めた。
はははは。ははははははははははははははははははははは。
はははははははははははははははははははははハハハハハははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハハハはははははははははははははは。
まさに、狂笑。壁がビリビリ震えて、それだけで枝の壁は弾け飛んでしまいそうだ。そして、ひとしきり笑った後に、顎を右手で触りながら、クロウスはつぶやいた。
「ーーどうやら、私は追い詰められているようですね」
「何を今更」
「ーーたしかに、私でも『神名』持ちから逃げ延びるためには、魔法を行使せざるを得ないでしょう。なんせ彼らは十中八九、魔力感知が使えるわけですから、その範囲外に逃げるか、魔力を出し尽くすしかありません。この場合、どちらも私には不可能なわけですから、一度は逃げることはできても、次の殺しは格段に難しくなる。さらに今夜、一人をマストで殺す必要もある」
訥々と自分の状況を語り始めたクロウスは、語り出すうちに、まるで歌でも歌うような、弾むような口ぶりになっていった。一日一人必ず殺すのは、彼のこだわりだろうか。それとも、強制されたものなのだろうか。それすら俺には分からない。そもそも、圧倒的に不利な状況からここまでこぎつけた。良くやったと思う。そんな達成感に満たされる胸(いまは他所にあるが)を、次のクロウスの一言が完膚なきまでに叩きのめす。
「しかし、打開する方法がありますよ」
「なに?」
「どうやらあなたの来た方角に、もっと良く言えば、貴方の家に、非常に特徴的な魔力がある。非常に荒々しい。どうも魔獣のようだ……いや、下手な芝居はやめましょう。つまり、今すぐ貴方を殺して、フーミルを殺すと、先の二つの条件は容易に達成出来そうですが。いや、貴方はそもそも死んでいるので、カウントはされないでしょうがね」
「……ッ」
ああ、そうだった。どうして、それを忘れていたのか。今俺の家では、フーミルが帰りを待っているというのに。鈍い頭を必死に動かして、状況を打開する言葉を生み出す。
「いいや……無駄だね。俺がそのことを見越して、フーミルの魔力を火の魔力ごと貰っていった。そういう魔導具が家にある。当のフーミルはもうとっくの前に帰らせているのさ」
「ふむ、それが魔道具なのだとしたら、ずいぶん活発な魔導具ですねえ、あっちへいったり、こっちへ行ったり魔力の動きが非常に忙しないのですがーー魔導具はひとりでに、動き出したりしませんよね?」
「それはーー俺の体に取り付けているからだ。セイレーンの……知っているだろ?奴の牙は人の魔力を吸い取る効果がある。それを俺が持ってる。俺の体なんだ。今は朝食の準備でもしてるさ」
俺はわざとアサに関する話をすることで、クロウスに時間がないことを暗に示して、精神的な圧をかけたかったわけだが、たいして効果はなかったようだ。クロウスはあくまで冷静に詰めていく。
「ふむ。証拠は?」
「ないね」
「そうでしょうね。さて、フーミルはどんな顔をするでしょうね。とても、楽しみだ」
どうしたものか。と考えていることだろう。クロウスからしてみれば、五分五分の賭けになる。落ち着け、落ち着いて考えろ、俺。もともと窮地だったのが、対等に持って行けて、それで劣勢になっただけだ。それに、そうだ。奴は『俺を殺せない』!奴は目的遂行より、重視するものがあるのだ。
「おい、いいか、クロウス。あんたがフーミルを殺したら、俺はそこの川に身を投げて、二度と上がってこないからな」
「そうですか、構いませんよ」嘘だ。
「いいや、構うね。オマエは俺を殺せない」
「ほう。何故?」
「じゃあ、あんたにとって、何点だ」
「……」
「オマエを、五分五分の二択にまで、ここまで追い詰めた俺は、今、何点だ。言ってみろよ。今ここで殺して、お前の美学とやらに引っかからないのか?
ーーなあ、もっと簡単に言うぜ。
ーー殺してみろよっ!俺を!」
オマエは俺を殺せない。ここまでオマエを追い込めた俺を、オマエは殺さない。クロウスはあくまで微笑い、ぶるりと肩を振るわせ、右手で肩を抱いた。
「ーーハハ。いやあ、興奮しますね、肌がビリビリする。これが、土壇場かぁ……」
こいつは敵わない、というふうに頭をかいた。
火鼠が、声にならない声で鳴いて、どこかへ飛び出した。というより、逃げ出してしまった。というのも、恐らくクロウスがその魔力を全解放したからだ。今までの上品な魔力は、ただ上澄みをすくったに過ぎなかった。恐らく、下界にすら届いているはずの、重い質量をを錯覚させる魔力。悪意の煮凝りみたいな、血のこびりついた断頭台みたいな、恐ろしい魔力。
魔力とは、魔の力。クロウスのために、ある力なのだ。
「ん〜、スリル”満点”!!」
そういうと彼は、まるで飯を食いに行くような気軽さでピョンっと、底なしの闇に落ちていった。
俺は呆気に取られるまま。ぽっかり開いた穴だけが変わらず、ヒョウヒョウと鳴いていた。




