○第十八話○火鼠の皮衣
「おぉわぁぁあ!!」
加速した。なんと、火鼠の毛一本一本がほと走る烈火となり、馬の駆け足くらいまでの加速を遂げた。間違いない、これはーー魔法だ。
「貴族種ーー」
おそらく先頭に、群れのボスがいる。魔法を行使できる魔力量。この数を従えられる実力。位の高い貴族種しか、あり得ない。しかし、なんと間の悪い(クロウスにとっては)。
この世界は、魔力量の絶対順に農奴種、臣民種、貴族種、神職種、王種、神格存在がいる。この世では強い順に個体数が少なく、神格存在が確認されたことは王国の歴史でも数度しかない。討伐はサラマンダー(火蜥蜴)の神格存在、ゲリラ(喧嘩の神)の登場一度きり。
さて、そんな貴族種に、どうして俺は好かれるのかーー。まあ、どちらにせよ、クロウスの見えないところに行った俺は、五、六回曲がり角を曲がったところで、火鼠の背中から転げ落ちた。わざとである。このままだと火鼠の魔力からクロウスが感知して追って来られてしまうための判断。
俺の魔力量はほとんどないと言っていい。今日の水魔法の行使より、俺の魔力はさらにない。
なので、格好はつかずとも、クロウスを迷子にさせることに成功した!
あとは家に戻るだけ。大丈夫大丈夫、排水溝は俺の庭なんで、目をつぶっても帰ることができる自信がある。
いやさしかし、少しは離れねばなるまい。クロウスが魔力感知無しで歩き回ってたまたま俺が見つかるなんて笑えない。
そんな感じで歩き回ることにしようかーー。
「ーー待てよ」
もし、さっきと同じに、「たまたま」家にクロウスが帰り着くことができたら?
家にはフーミルしかいない。
「馬鹿野郎。なんでそれをーー」
舌打ちを、どういう原理か知らないがとにかく鳴らして、俺は道を変えて、家を中心として円を描くように歩くことに決めた。時間をかけて、円を狭めていって、家に帰りつくという寸法だ。
そんな感じで六割五分程進んだくらいに、ことは起こる。
俺が壁にもたれかかって一休みしていたところ……そこは割と開けたところである。水路の十字路になっていて、家が立ちそうなくらい。そいで、天井はもちろん、壁にも蔓みたいに這っている。今更ながら、奇妙だ。ごうごうと水の流れる音を聞きながら、それらを眺めていると、バサバサという音が上の方から聞こえてきた。それは、羽音であった。
「ーー鳩?」
意外なことに魔獣が跋扈する中、鳥は、パイプの中だってお構いなしに飛んでいる。魔獣の中に空を飛べるような機能を備えるものはサラマンダーくらいしかいないから、パイプ内の制空権はほぼ鳥に握られているが、なかなか鳥がここに来ることは珍しい。彼らにとって豊潤な魔力は毒らしい。その毒を持って戦うのがサラマンダーだ。彼らは攻撃するときに意図的に魔力を譲渡し、相手を魔力中毒に至らせる。レベルカもそれで苦労したとか。
さて、その鳩は足に紙をくくりつけられている伝書鳩であった。
「ギルんとこの新聞鳩か?」
俺はその鳩にてをのばす。
ーーパチッ
「お、こいつはーー」
この時期にビリッとなるなんて珍しい。最近分かったが、ふさふさしたものや金属製のものに触れると流れるこいつは電気らしい。俺は手紙を広げる。
『最近の世相は物騒でございますね、王子よ』
こいつがそもそも銃なんか持つのが悪いんだろ?
『私がそちらへ手紙をおくらせていただいたのは、王子の身の安全を案じてのことでございます。なんせ物騒ですからね。窃盗に殺人。今日は城から魔導具が盗まれたそうです。火蜥蜴の何かしらとか。犯人は貴方の追っ手の一人だったようです。因果は巡るものですね。さて、本題に入りますと、七番通りに殺人鬼が出たそうです。もう二十人程殺されているのだとか。一日一人から二人、きっちり殺されており、ほとんどが喉を一突き、初めから標的が決まっていたかのように目撃者もいない。実をいえば、私は怪しんでいるのです。昨日のリオネス殿が凶刃に倒れた件についてですが、その日は殺人鬼による犠牲者が出ておりません。私は、この件と殺人鬼の件は一つでつながっているとおもうのです。もしくは、これから起きるであろう反乱さえも。ーー驚きましたか?貴族で反乱のことを知らぬ者はおりませんよ。もう少し猶予はあると思っていましたがね。まあ、上手いこと私はやるつもりです。ある程度王国は乱れるでしょうし、南のトーチャーだかカルチャーだかの国に墜とされるかもしれません、とにかく今までの安寧とは比べ物にならぬほどの物騒な世相となるでしょうが、仮初の安寧が、国民の屍の上に成り立っているのであれば、世直しが必須と断ずるのに些かの迷いも必要としません。
まあ建前はそんな感じで、私は起こるであろう戦乱から、あと両手で数えられるくらいの数の人々を安全に保護出来る余裕があります。いかがでしょう。こちらへ来るのは?私が怪しんでいるのは、クロウス王子が、一連の事件の元凶そのものではないかということなのです。それが、そのまま王子の身の安全に直結するのはいうまでもないことです。理由はありません。私の嫌な勘です。私では恐らくかれに敵いません。差し出がましいようですが、まだ敵対していないうちに、かれの目の届かないところへ逃げるべきです。返事は新聞鳩に宜しくお願い致します。良い返事を期待しております』
小さな紙に、ぎっしりと書かれている文字は非常に整っていて読みやすかった。驚いたのは、ギルがおもったより俺に親身になってくれていることだった。というのも、奴は俺のことを仮初の王子としての小道具としか思っていなさそうだなあ、と懸念していたからだ。ただ、それは杞憂であった。俺は生前二、三回しか会ってなかったような気がするし、ギルは俺の事をどう思っているのか気になったが、好く思っているであろう以上こちらから悪くするようなことはしない。
すると、鳩は躰をびくりと震わせ、怯えるようにして鳩は俺の服の中、またあばら骨の中に潜りこんだ。振り返ると、
「兄様。探しましたよ」
やれやれといった感じでクロウスが俺の後ろから現れたのだ。
「……」
流石に声が出なかった。待ち伏せしているというセンは考えていた。が、そしたら前から現れるはず。だとしたら、俺を拾えるほどの精度が常識はずれの魔力感知を使えるーー?いや、それじゃない。こいつの魔力は感じなかった。それはありえない。
それで、すぐに追いついたら俺が道を教えない可能性があるから、自力で辿り着けるくらい案内してもらって、それで現れたということか?
「ああ、悪いな、適当に歩き回っちまって……」
「大丈夫ですよ。道は覚えていますから。さあ、帰りましょう」
我ながら言い訳が雑……、不味い状況だ。俺は頭の中で頭を抱える。ここまで完敗である。俺ではクロウスを振り切れない。つまりそれはフーミルとクロウスが鉢合わせることを意味する。
「ーー兄様」
「……なんだ?」
「私が信用できませんか?」
「……」
火鼠のせいだ。一度流れのついたパイプの中の空気はこれから下水口に向かって流れ始める。風が俺の平静を浚う。
「そうですよね。どうして弱気なのか、そうお思いでしょう?」
「ーーああ。そうだよ。悪かった」
「わたしは、普通の人間なんですよ。ただの、クロウスなんです」
「ーー悪かった。ごめんな。疑っちまったんだ。たいしたことじゃない、出来心で」
「違うんです、聞いてください」
俺は沈黙した。クロウスが本気で話出しそうな、そんな気配がしたから。
「私だって、迎え打ちたかった。分かっておりました、リオネスに何ものかが後ろから参じて、首を掻こうとしているのは。しかし、私の身体は動かなかったのです。何か、まるで押さえつけられるように動けなくなったのです。それが生存本能であり、死への恐怖であったということに気づくまで、長い時間がかかりました。あの感覚は、私はおよそ初めて味わっただろうものでした。それに気づいてそして、私の身体は震えました。不甲斐なさでもありましたが、生きてて良かったという、『リオネスのところに立つのが自分でなくて良かった』という、恐ろしく女々しい理由でありました。私はどう償えば良いのでしょうか。私はーー」
「わかった」
「……ッ」
「わかった。もういい。自分を責めないでくれ。それが普通だ。俺だって普通だ。だからーー安心した」
「……」
クロウスを手で制した俺は、戸惑っていた。信じられなかったといってもいい。俺はまだ王宮にいた頃、突然やってきたクロウスがどんなだったか、もう覚えちゃいない。だから、俺はレベルカと、馬鹿馬鹿しいくらいの強さを有するという意味で同類のクロウスを重ねていた。
強さには、それに見合った精神が付いてくると、勝手に思っていた。所詮、住む世界が違う、と。
クロウスは、行動が一貫して……なんと言おうか、人間くさい。なんか、生来のものというのは、その人の能力に左右されないのだなぁ……、なんて、悠長に構えている暇はないが。
俺の勘は、クロウスが嘘を吐いてはいないとささやいているのだ。しかし、俺は勘というものを安い値札の次に信用していないんで、その声を心の隅に押しやって、出来るだけ冷静な思考を続ける。
リオネスは、不意打ちでアルバッカス……長いからアルバと呼ぼう。そいつにやられた。そして、七番通りの連続殺人はまた別件。ギルドや自警団も結成されているが、未だ捕まえられない。ーー否、それどころか、殺人すら止められてはいない。クロウスにだって、まだ疑問がある。
「クロウス」
「はい」
「家に、帰ろう」
「……はい」
しかし、俺はそれらをいったん全て忘れることにした。いつかまた日常が戻ってきてくれるなら、それでいいとすら思った。今更クロウスの兄になんて俺はなれないしなる資格もないけど、クロウスが何か恐ろしいものだと、もう思いたくなかった。