○第十六話○宣戦布告
応接間。だったはずだ。設計図にはそう書いておいたはずだ。多分。
椅子が三脚と、円卓…というと少し大袈裟だが、まあ、高い足のついたちゃぶ台のような台が中央に置かれている。他の部屋と比べれば床もほとんどが姿を見せており、清潔であるように思える。まあ、俺だって自分の家が散らかっていることぐらい分かるのだ。分かるのだが…。
もし、俺が部屋を掃除しようと、五回考えたとしよう。その時点で、実行に移すことが出来るのはたった二回にも満たないのである。忘れる。三回は。
さて、その中でも最もいる時間が長いので、掃除しようと考える回数が多い応接間なのだから、清潔なのも道理。
いや、普通なら全ての部屋が綺麗であるべきだ。と言う意見には耳が痛いが、出来ないことは出来ない。
まずは、お茶とワサツミの作ったパイでも食べて落ち着こう。
茶、といっても大して特別なものじゃない。市場で買ってきたアレだ。名前なんだっけ。
「これ…この茶葉…レモンバームじゃないですか、私、好きです」
と、何故かカップを両手で持って飲むフーミル。肌寒いのかもしれない。
そうそう。レモンバームだった。飲んでみて、癖が他のとは抜きん出てないから。という理由で買ったのだった。栽培も簡単らしく、かなり安い。蒸す時間に気をつけると美味くなるらしいが、ぶっちゃけ違いが分からない。
「大丈夫ですよ、一夜くらい食べなくても」
とクロウスがやんわりと辞退しようとしていたが、
「遠慮すんなって」
と半ば強引に椅子に座らせたのだった。遠慮したにしては、なかなか優雅に座っている。
これには色々と訳あっての事だ。
と、そんなこんなで全員を椅子に座らせ、一息ついたところで。
「それじゃ質問の時間だ。お互い聞きたいこともあるだろうし」
「「どうしてそんな姿になったんですか」」
「……あー」
これは誤算だ。ここで喋ることで、フーミルがクロウスに持つ疑念を払拭するきっかけくらいにはなるかもしれないと考えていたが、自分の姿がまずもってツッコミ所そのものであることを忘れていた。
フーミルが言う。
「見た目が骸骨の人と一緒にいて、逆に今まで何も聞かなかった自分が不思議です」
「いや…アンタは意外と図太い方なのかもな…この姿になったのは3年前だ」
「兄様が失踪された件は…申し訳ありませんでした」
「いいのいいの。全部リゼの婆さんが悪いのさ。事故ってことで、俺は『取水口』に突き落とされたんだけて…色々あって…こうなっちまったのさ」
「その『色々』が聞きたいです」
フーミルがカップを卓上に置いて言った。
まあ、気持ちはわかるけど、そう言われてもだな…。
「いや…忘れた、その色々は」
「ええ…」
お手上げだといった感じで、俺は舟に持って行かれた方の手を振った。本当に思い出せないのだから、まあ仕方ないのである。どちらにせよ、ロクなことはしていない。俺の記憶がはっきりしているのはちょうど一年半ほど前、この家を漂着物から作り始めた時だった。
すると…クロウスが深刻そうに言う。
「記憶を無くすほど過酷な生活を送ってらしたのですか…申し訳ありません」
「だからいいって」
どうやら、クロウスは少し背負いこみすぎる性格なのかもしれない。演技なのかもしれないが。…この茶番にも思える茶会。いや、茶番にしては少し緊張感があるが……とにかく、クロウスの腹を探りたい。その一心で設けた時間である。恐らく…外はもう暗くなりつつあるだろう。天井のヒカリゴケも少し暗くなった気がするからだ。こいつが…最も自らを警戒している、フーミルに危害を加えるとすれば…。
…まあいい。今は観察に徹する。話題を作ろう。
「そうだ…今日のヨル飯なんだけど、俺がそこらへんで魚釣ってくるぜ」
「…住んでるんですか?魚が」
意外そうにフーミルが言う。
「習わなかったか?意外と、排水溝はそこらの堀と変わらないしな。住んでる魚も馴染みのあるやつばっかだぜ?なんでそんな基本的なことも教えてもらえないかな…」
「……」
…フーミルが湿度の高い目でこちらを見ている。教えてもらえるわけないのに、何言ってるんだこの骨は。と目で言っている。まあ、パイプに入って帰ってきた者は確かに少ないし…。
…パイプは、怖いもの辛いものと教え込まれたこと。それはぼんやり記憶があった。パイプは魔物の跋扈するまさに魔境。どんな魔導士、騎士であっても帰っては来られないと…。
「やはりと言いますか、国民の脳裏には『第三次魔獣征討』の大惨事が記憶に残っているわけですからね」
『第三次魔獣征討』。
魔物。パイプの中に存在する魔法を使用する動物。人の目にする魔物のほとんどが飛行能力があるのは、『取水口』からも『排水口』からも出ることができるからだ。ただ、飛行能力を持つ魔物は種として見ると極めて少ない。あの時は、『排水口』から奴らが出てきたが。
故に、『取水口』は知られていなくても、『排水口』は意外と位置が広く知られている。
無自覚かは知らないが、『大惨事』と『第三次』は妙なことに駄洒落になっている。わざとだろうか。いうまいか迷っていたら、フーミルが湿度の高い目で、
「…不謹慎です」
と、小さくこぼした。
「…魔物、ね…へんな生き物だよな」
アレは本当に変な生物である。
「ええ。あの時も、三匹を生捕りにしましたが…王都に運ぶときには、すでに死んでおり…破裂したのです」
口封じでもしたいのか、自爆機能もついていたとは。初耳である。
「その際に、数人の騎士が犠牲となってしまいました。その中には、英雄オルト=レベルカも…38歳でした……」
クロウスが悼むように顔を伏せた。今の状況の悲惨さも相まって、何となく重苦しい雰囲気がその場に横たわる。
「……あ、フーミルのカップ空じゃねえか…俺もだけど。ちょっと注いできてくれないかな」
俺は上手いこと話題を転換しようと…。
「わかりました」
とフーミルが立ち上がる。俺は服のすそを引っ張って止めた。
「いや、クロウス頼む」
「僕ですか」
クロウスが自らを指さす。
「ええ…なんで」
「なんでって、あいつが一番ヤカンに近いからだよ。フーミル」
「……」
フーミルが閉口した。俺の論理が完璧すぎて言い返せなかったのか、それともくだらなさすぎたのかのどっちか。
「…でもそしたらスケルトンさんが一番近いです」
「え?」
見ると、ヤカンは見事俺の真後ろにあった。ヤカン置く場所間違えた。やはり後者の理由だったようだ、ようだが…
「えーい、いいからクロウス持ってこーい!俺は兄ちゃんだぞ!」
「…かしこまりました」
渋々、クロウスが立ち上がった。そして、フーミルと俺のカップを手に取り、ヤカンの元へ向かう。クロウスからしたら俺は今死角に入っているはずだ。
…ちょっとやらかしすぎたが…どうだろう。
円卓の下…あらかじめ作っておいた隙間から、黒光りする手骨を取り出す。魔導具、というやつである。名前は…『猫の手』。それを持ってかれた右手の肘に取り付けると…悟られないよう気をつけて…すると、俺も魔導具の魔力で、魔力感知を使用することができる。魔法は使えないけど。
クロウスは今絶好の機会にある。どんな機会かというと、フーミルに毒を盛る機会だ。他の二人は魔力感知も使えない荒粒なのだから、気付かれないように魔力を注入するだけで、フーミルを魔力中毒に追い込むことができるだろう。
今まで使わなかったのは…憶測には過ぎないが、あまりにも俺と近かったり、フーミルを警戒されていると『共鳴』して気付かれるからだ。 それに、俺はこう見えても全ての魔法に適性がある。故に『共鳴』はする。魔力感知は共鳴の延長線上にあるのだ。
つまり、クロウスがフーミルのカップに茶の代わりに魔力を注ぐことがあれば、奴の腹は真っ黒であることが確定する。もし本物の毒を入れようとしても同じだ。その場合は俺が飲む。俺は人間じゃないので死なないだろう。きっと。おそらく。多分。
(魔力感知……発動)
別に、発動するのに何か特別な所作は必要ない。魔導具の魔力は人間には感じ取れないので、大して警戒する必要もない。俺の切り札である。死角が無くなる。真上の様子はわからないが、前後左右の見ている画が、知覚が、一段『上がる』。
そして、新しく獲得した視覚を使って辺りを『視る』。
そして…
そして……。
…ほんっとにフーミルは魔力ダダ漏れだな!
教えてもらわなかったのだろうが、穴の空いたバケツみたいにドバドバ出ている。故に、少し視えづらい。
ほんと、社会の窓開けて大通りを練り歩くようなもんなのに、無神経な子である。
…あれ?…反応がある。フーミルの…胸あたりから属性の違う魔力反応がある。
いやいやいや。フーミルのあの…取っ掛かりの少ない胸に魔力があるわけない。しかし…あれは間違いなく火属性だ。何故だ?フーミルは2属性持ちだったのか?でも、こんな魔力の出方は初めて見るが…。
いや、それはそれとして、刮目すべきはフーミルのカップ……クロウスの行動だ。
奴は優雅な所作で俺のコップに茶を注ぐ。一番チャチなヤカンを買ってきたのに、これでも格好がついているところに、少しイラつく。
そして…フーミルのカップに手を移す。
茶を入れる。
戻す。
そして、お盆に置く。
…全くの、魔力反応が無い。嘘だろ?冗談だろ?何もしないのか?絶好の機会なのに。そこまで俺警戒されてたのか?
…いや、もしかすると、『魔力感知』に引っかからない毒の盛り方を実行したのだろうか?あり得なくは無い。
「はい。お持ちしました」
そう言って、クロウスはフーミルにカップを手渡そうとした。そこに俺が魔導具をつけてない方の手で割り込む。
「悪いな、俺はそのレモンバームが飲みたいんだ」
「は、はあ…承知しました」
少し強引だが…クロウスは頷き、フーミルは、途中から俺の意図に気づいたようで。
「…!わかりました…でも…」
「いいからいいから」
そういってカップを掴むとぐいと傾ける。爽やかな香りが口の中に飛び込む。ヘンな香りはしない。味も、飲みやすく喉越しがいい。何かぴりりと来るものもない。
そして腹の中に落とし込む。舌が…スケルトンなのに舌だけあるのもおかしいが、これがないと喋れないので仕方ない。とにかく、舌が痺れるような気配もない。
本当に……何も入れてないのか。
俺が呆然とした中、クロウスが横で言った。
「いかがです?兄様」
そう奴は言った。単に、茶の味を聞いた。それだけにも聞こえるが…
俺は、違った。違う意味に聞こえた。だから…。
「ああ。上等だ」
…そう、力強く答えた。