○第十話○怪物
「これはこれは。運命的な、出会いですね。お嬢。そして、王子よ」
墓地に圧倒的な存在感を醸し出すギルは、招かれし来訪者の、苦渋をにじませた顔に笑みを返した。
とても、凶悪な、笑みを。
※ ※ ※
…一陣の風が吹き抜ける。
それは、透き通った空の匂いがする。
「…悲劇的の間違いだ」
「これは手厳しい」
何故自分達の居場所が割れたのかなんて、もはやどうでも良いことだ。神名持ちが異能じみた力を持っていることなどザラにある。
大事なのは、これからどうするかにある。俺は、前しか向かない。後ろは全て忘れて、それっきりだ。
「しかし……、間違ってはいないのかもしれません。現にお嬢は身の危険に晒されているのです」
他人事のようにそういうと、おもむろに鈍色にひかるモノを取り出し、口をフーミルに向ける。
銃口だ。
彼女は短く震える。俺は動かない。
「やはり、賢しい方だ。後ろ手に彼女を庇ったりしない。私の目的がよくわかっている」
「俺が、彼女を守れるとでも?」
もし俺が動いたら、その瞬間に撃たれる。奴にはそれが出来る。
フーミルが小さく「えっ?」と反論するが、俺は心を鬼にして耐える。
おいフーミル。そんな目で見ないでくれ。捨て犬のような目で俺を見ないでくれ。
俺だって助けたいさ。力があったらの話だが。
だが、俺にはあいにくそれがない。
だから俺は、フーミルの目が蔑みの眼差しに代わろうが、というか現に変わってきているが、それでも、
(時間を稼いで突破口を見つける…!)
後ろに逃げるならギルダーが来る。フーミルがいるからある程度距離の近さは分かるが、一旦撤退は不味い。それに、目的地が墓地の先にある取水口だと勘づかれたら成す術がない。
……ここで何もかもを、終わらせる。
俺は首だけ動かして辺りを見回す。
「どうして、居場所が分かったんだ?」
無駄な問いだと分かっていながら、俺は時間稼ぎのため、ギルに言う。
奴は苦笑いする。
「私が探したのではありませんよ。ただ…、貴方がたが招かれたのです」
「運命にってか?勘弁しろよ」
なるほど答えになっていねえ。
しかし、ギルが百歩譲って俺たちを追う気が無かったら、墓地で何をしていたんだ…。
俺は先に感じた、『違和感』の正体を探る。
墓地はいつも通りだ。
金色の花。
時折吹く心地よい風。
そして、沢山の綺麗な十字架。
……?
「…はっ」
俺は溢〈こぼ〉すように笑った。
こんな簡単なことに気づかなかったとは。
そして。
「…さて、おしゃべりは終わりです」
ギルは片手で持つ銃を、
さらに一度構え直した。
持手は一切の震えがない。
また、一陣の風が吹く。
他とは一段と冷たい。
勝負は一瞬できまる。
スケルトンは、笑っていた。
「あんたは、冷酷でも、残酷じゃあ無いんだな」
ギル=クク=ノーストン。
アンタって人間が分かった気がするよ。
一面に並んだ十字架。直したのはあんただ。
俺が直したのは、リオネスの一つのみ。
そして、拳銃を持つ手が震えていない。
覚悟の云々もあるだろうけど、そんなにながい時間片手で持ってて、震えない方がおかしいよな?
…アンタは、
…アンタは、人を殺すってことをよく知っている人間だ。
…俺と、同類だ。
それじゃ、
「迎えに行ってやるよ」
俺は、一歩まえに進もうとした。
右足をあげ、それを少し前の地面に下ろす。そんな動作。
しかし何故だったのか。
下ろす前に、
土を踏む、戦士の足音がしたのは。
「これはこれは…貴方の決意に称賛を」
ギルが笑う。
後ろに、誰にも気付かれることなく忍び寄っていたのは。
今、たった今。
スケルトンを手に入れるべく、鞘の剣を振り上げる戦士は。
「おおぉぉぉぉぉ!!」
戦士〈リップス〉は、雄叫びをあげていた。
※ ※ ※
あり得ない事だった。
彼は、まさに今、スケルトンはおろか、フーミルにすら気づかれる事なく、背後の息がかかるまでの位置にまで接近を果たしたのだ。
それは、ギルの神業の再来であった。
真正面から気配を毛ほども感じさせずに近づく神業。
神の名を授かりし天才の技を、たったの凡人が成し遂げてみせた。
即興で習得し、成功させたのだ。
それは、リップスが雄叫びを勝ち鬨としてあげるほどに完璧なものだった。
後はその鞘の剣を振り下ろし、彼らを気絶させるのみであった。
全ては、友を、『アルバトロス』を守る為の、彼の決意が成したことに他ならない。
ギルにも手柄を横取りされることもない。
リップスの、
戦士の、勝利だーー
「おおぉぉぉぉぉ!!」
彼の意識は、そこで途切れた。
「………は?」
彼が打ち下ろす直前。
一筋の閃光が、彼を撃ち貫いた。
まるでその閃光は、当たり前のようにそこにあったかのように、静かに、彼を正確に、また、残酷に撃ち貫いていた。
(いや、違う)
俺は即座に否定した。
この世界に奇跡は起きない。
だとしたら、これは魔法だ。
俺たちの脳の処理が追いついていないだけでつまりそれはーー
……ッッパアァァァンッ!!!
至近距離で、耳をつんざくような音がする。
たまらず俺は、フーミルは膝をつく。
やっと視覚が追いつき、白煙があたりに立ち込める。
そして、…長い時間をかけて晴れる。
…この世には。
この世には、勝ち負けなど超越した存在がいる。
どこまで手を伸ばしたって届かない存在が居る。
今目の前にいる『ヤツ』をそうと呼ばずしてなんと呼ぶか。
おぞましく、綺麗な笑みを浮かべる、
「……健やかで、安心しました」
「…………兄上」
『ヤツ』を。
ヤツは、沢山の名で呼ばれた。
王国の希望。
神に最も近い存在。
もはや、現人神〈あらびとがみ〉。
王国ハイネックの政治腐敗、賄賂の横行があるにも関わらず暴動が起きていないのは、全てがヤツに起因する。
王族としてみても圧倒的な魔力量で生まれた。
それに加え、魔法適性は、最強の『雷魔法』。
髪は光を鏡で映したような金髪。
目は見るもの全てに安心感を与え、
立居振る舞いは、まさに『王子』のそれーー。
14の年で神の名を冠する怪物ーー。
それが、世界から見る『クロウス=フォン=ハイネック』。
しかし、俺は違う。
負け惜しみでもなんでもなく、俺が見るクロウス、といっても自慢できるほど長く過ごした訳じゃないが、ヤツは『人間』だった。『喜』があり『怒』があり『哀』があり『楽』があり、周囲の重圧に苦しむ、ただの子供だった。
…なのに、今は、なかなかどうして、
「『怪、物』……」
「出会い頭に怪物とは、兄様も衰えておりませんね」
クロウスは金髪の頭を掻く。その動作自体を切り取るのですら、名だたる画家が筆を折る名画となる。
顔の良し悪しを超えた何かが、隔絶としたモノがそこに深く深く横たわっている。
俺はその存在感に、ただただ圧倒されていると、
「………ッ!!!」
「困ったな。そんなに怖い目で…」
横からもまた、異常なほどに多量な魔力が押し流されて来た。
見やると、フーミルがクロウスを見て歯を食いしばっていた。
そうか。
「フーミル、抑えろ」
「でも…!!」
「抑えろ」
「…」
フーミルにとってクロウスが恩人の仇だったとしても、それはまだ妄想上の結果に過ぎない。例えそれが、どれほどの信憑性があったとしても。
さて、状況を整理させてくれ。
俺に気取られる事なく、近づいて来たリップスに俺たちは絶体絶命だった。
そこに、空から降って来たクロウスが反撃、リップスは一撃で沈没…??
何故?
「なんで助けたんだ?」
「兄上の危機に馳せ参じるのは弟の義務でしょう」
「ああ、面白い冗談だ。もう一度聞くぜ?何故、助けたんだ?」
どうしてだろう。
何故俺は、クロウスにこれほど敵対的な口調になってしまうんだ?
ただの嫉妬か、敵愾心か。
それとも……。
クロウスは諦めたように笑うと、
「やはり食えないお方だ。……実は…」
「どうです?ギルさん」
「やむを得ないですねえ。気がのらないでもありませんが。」
すると、ギルはいつのまにか俺たちの背後へと移動しており、気絶しているリップスの首根っこを掴んでいた。
まさか。退くつもりだろうか?
クロウスの立ち位置がわからなさすぎる。
もしクロウスが、こちら側なら撤退を選択する気も分かるが。
「それでは。健やかで」
たった一言、ギルはそう言うと、リップスを引きずりながら、路地へと消えていった。俺たちは、ただそれを見送るばかりだ。いや、フーミルに至っては、感情の整理が追いついていない。
金色の墓地に、一筋の、苛烈で、圧倒的な、焼き跡が、残る。
これほど派手な魔法を出していながら、ギルが動揺していないのを見ると、リップスは本当に気絶しただけで済んだようである。魔法の中で最も殺傷力の高い雷魔法において、ほとんど神業と言っていい所業だ。
クロウスは短い時間それを見送ると、俺にゆっくりと振り返った。
「兄様、これから何処へお行きですか?」
「知ってるだろうがよ。というか、質問に答えてもらってねえな」
…なんて奴だろう。
もちろん、クロウスの疑問の真に意味するところは、すでに後ろへと後退りを始めていた俺への戒めに他ならない。
フーミルにそれを気取られない為にも、俺は勝手に俺たちの行き先に話をすり替えたのだ。全く、嫌になってくる。
クロウスはやはりというか、困ったように苦笑いを返した。
クロウスの言いたい事はだいたい予想がつく。
戻ってこい。
といったような趣旨のことを言われるに違いない。
クロウスはこのまま王城に帰ったとしても、疑いの目は免れないように思う。状況が状況だからだ。
もし怪しい集団に誘拐なりなんなりされていたとしたら、……まず、誘拐自体が現実的では無いが、人質など取ればやりようもあるので。まだわかるが、なんの要求もなしに解放は、一国の主となる者を攫っておきながら、ちょっとありえない。
というより、こいつはそもそも何故行方不明になっていたんだ?
クロウスは口を開く。
「一旦、兄様の家で、匿ってほしいのです」