魔女と悪魔と普通の子
翌日の朝、父親は出社ギリギリまでテレビでゴルフ中継を見ている。
井上家は新聞を取るのも去年やめた。
新聞代をWi-Fi代にしようという佳子の意見が通ったのである。
ゆえに最新情報はテレビかネットだけだ。
でも、この朝は父親がゴルフを見ている。
佳子は自分とヒロシのお弁当を作っている。
「いってきまーす」
とヒロシが出て行った。と、思ったらすぐ引き返してくる。
「どうしたん。忘れ物?」
と佳子が聞くと
「姉ちゃん、凄い人」
とマンションの下を指さした。
その先を見ると本当にすごい人だ。
あんなにマスコミが集まっているということは大事件が起きたのではないか。
不倫殺人か、財産狙いか。
佳子は悩んだ。
このマンションの住人から考えると
6階の親子の娘が母親の不倫に悩んで相手を殺した。
そうだ。これに違いないと佳子は思った。
「ヒロシ、エレベーターの裏の出口から出なさい。私、時間まで不倫した母親を見とくわ」
佳子は両親の部屋に行って窓からマンションの入り口をじっと見ていた。まだ何も起きない。
父親が行ってくると佳子に声をかけた。
「あ、お父さん、いってらっしゃい。お父さんも裏から出た方がいいわよ」
「お前ももう出ろよ」
と父親が出社した。仕方がない。駅までマスコミが塞いでいるから
裏から出て阪堺電車で行こう。恵美須町で乗り換えればいいし。
佳子は笑顔のまま阪堺電車に乗った。
よし、何もなかったように不倫事件のことはもう忘れて出社するぞ。
と佳子が会社に行くとビルの前にすごい人が。
マスコミがいっぱい。もしかして不良債権が出た? ウチが作ってる薬で死人が出た?
大変だどうしよう。冬のボーナス出るかなぁ。
佳子はあわてて裏口に回った。
というのも、普段から人を避けるあまり裏口から入っていたのである。
これぞ裏口人生。
あはは、と心の中で笑う佳子。
だが、この笑顔は決して人前では出さない。
裏口から入るとみんなが大慌てしている。
死人が出たんだから大変だろう、
と見て見ぬふりをしていると
一人の男性が
「あっ」
と大きな声で叫んで自分を指さした。
その声と共にマスコミみんなが集まって来る。
ええ、死亡の原因は総務の私?
どうしよう。
何をしたの。
こういう時はとりえず謝りながら土下座?
「どうも申し訳ありませんでした」
佳子はマスコミの前で土下座した。
パシャパシャと光るフラッシュ。
首かなぁ。損害賠償請求されたらどうしよう。
ヒロシ、情けないお姉ちゃんでごめんね。
佳子は頭を下げ続けた。
「これはプロで投げたいから機構へのお願いと言うことですよね。無理を言ってごめんなさいという謝りと。すごい立派な女の人だ」
とマスコミの一人が言った。
「えっ」
佳子の頭は真っ白になった。
さっと立ち上がり裏から会社を出た。
どうしよう。何なのこれは。
申し訳ない。会社サボっちゃえ。
でも、ボーナスに響くかなぁ。
佳子は走り続けて中之島の中央公会堂に行った。
どうしよう。何かわからないけど、見つかったら逮捕かなぁ。
佳子は過大解釈していた。
3時間ほど何も考えずボーっとしていた。
あ、そうだ。お昼食べなきゃ。と、お昼ご飯を食べてると、
中之島の秋の風景を撮影しているテレビの取材陣が。
あれが本当の取材風景ね。いい景色を撮りなさいよ。
と、佳子が思ってると、カメラが佳子の方向を向いてピタッと止まった。
そして走ってこちらに向かってくる。
「井上さん、希望球団はどこですか。秋のドラフトには入るんですか。もうどこかに決められているんですか」
「今からなら阪神百貨店の」
と佳子が言った瞬間、
「やっぱりタイガースなんですね。やっぱり阪神か」
佳子は阪神百貨店でやっているアニメ・コロラドチキンのカフェに行こうとしていた。
あわてて弁当をかたずけ阪神百貨店に向かう。
「どうもすみません」
と言って御堂筋まで走って行った。
今日はコロラドチキンのコースターを手に入れないと
せっかく会社をずる休みしたんだし。
普通のOLが会社をずる休みするなんて大事件だ。
クビになったらどうしよう。
私みたいな高卒のOLはどこに行っても役に立たないよ。
まだ絵がちょっとうまいから京都アニメーションで雇ってもらえないかな。
でも、遠いな。宇治か。遠いな。
と思いながら御堂筋を北向きに歩いて阪神百貨店に向かった。
実はあらゆるメディアで佳子のことを大騒ぎしているのだが、
佳子自身は地味なため梅田を歩いていても誰も気づかない。
コロラドチキンのコースターを無事に手に入れた佳子は
せっかく梅田に来たんだからポケモンセンターに行こう、
それから会社に謝りの電話を入れようと思って、
大阪駅の上にあるポケモンセンターに行った。
あぁ何か落ち着くわ。私の恋人、ピカチュウううう。
佳子は気持ち的にピカチュウのぬいぐるみにほおずりしているのだが、
そんな姿は決して他人に見せられない。
全て脳内コミュニケーションだ。
あ、JRの上でコナン君カフェやってる。
特別品何かあるかな。行ってみよ。
そこで電話したらええわ。
と、佳子はJR大阪駅の上のカフェに行った。
やったー。コナン君カップがあるわ。ヒロシの分も買ってあげよう。
ほんで電話、電話。
「すみません、井上です。今日はちょっとすみませんでした」
「ああ、井上君。大変だったね。動きづらいだろうから当分来なくていいよ」
と部長が言ってガチャっと切った。
え、当分来なくていい。来なくていい。首ってこと?
どうしよう。でも、貯金あるからなんとかなるかな。
ゆっくりバイト探そう。
その前に今あるアニメカフェにみんな行ってやる。
明日は三宮の魔女と悪魔と普通の子のカフェだ。
佳子は気持ちを落ち着かせ家に帰ろうとした。
電車から駅周辺を見るとまだ人がいる。
一つ先の住吉大社駅まで行って
そこから歩いて裏口から入った。
意外とこの入口、誰も知らないのよね。
私はコンビニ用にしてるけど。
佳子は家に入った。
「しつこい人らやねぇ」
と母親が言う。
「う、上の人捕まったの」
と佳子がごまかして言う。
佳子はもうわかっていたのだ。
自分のために集まっているということを。
「お母さん、明日、三宮に行ってくるわ」
佳子はまだ会社を首になったとは母に言えない。
しかし、母も呑気でマンションの周りにマスコミが集まってることを気にしてない。
「お姉ちゃん、ありがとう。わー、うれしい」
ヒロシはコップをもらって喜ぶ。素直な性格だ。
佳子はこの喜んでもらえる瞬間がうれしいのだ。
なお、テレビは母親がネットチャンネルでドラマを見続けている。
この時点でも情報はなしだ。
父親は一週間、会社の台湾支社に行っている。
そこからの情報もなしだ。
翌日、佳子は住吉大社から電車に乗った。難波まで行って阪神電車に乗る予定だ。
佳子はいつも難波で乗り換える時は地下街を通らずに上を歩く。
そちらの方が人とすれ違わないからだ。
魔女と悪魔と普通の子、面白かったな、DVD買おうかしら。特典のタオルついてるし。
佳子は胸を弾ませながら阪神電車に乗った。
阪神電車に乗るとたまたま京セラドームに向かう記者が。
難波で取材して、そのまま京セラドームに行く予定だったらしい。
「井上さん、京セラドームに行くのですか。それとも甲子園ですか」
「いや魔女と」
と言った瞬間
「もう魔女と言われて批判されているんですよね」
と言われ
「いや、悪魔と」
と続けようとすると
「機構は悪魔みたいなんですね」
と記者は言った。
佳子は魔女と悪魔と普通の子のカフェに行くんです、と言おうとしていたのだが、
一般人にそんなアニメの話は通用しなかった。
その記者は京セラドームの駅で降りた。
まさか記者に見つかるなんて。
これはなかったことにしよう。
その3時間後、ネットの記事では魔女やら悪魔やらの言葉が躍るのだが、
そんな話、佳子には関係ない。
佳子は三宮で魔女と悪魔と普通の子のクリアファイルを買い、
母親のおみゃげにバームクーヘンを買った。
帰りは阪急で帰ろっと。
阪急電車に乗っていると向かいの席のおじさんがスポーツ新聞を読んでいる。
今時珍しいな、と思ってよく見ると
土下座している自分の写真が。
どうか私をプロ野球に入れてください、って
何だこれは。
びっくりしながら見ていると
向かいのおじさんも佳子に気づく。
「170キロ」
とおじさんはつぶやいた。
佳子はたまらず阪急電車を降りる。
うわっ、やばい、やばいわ。昨日のことが記事になってる。
何となく、みんなが遠目に佳子のことを見ているような気がした。
佳子は走って雑貨屋に行き、帽子とサングラスを買った。
これで変装OKよ。
まるで有名女優だわ。
阪急は何か怖い気がしたのでJRで帰った。
梅田に着くと川口から電話がかかって来る。
今から会いたいと言われた。
何、遠回しのナンパ?
一回り以上、上じゃない。
どうするの。えへへ。
恋愛経験のない佳子は完全に勘違いしていた。