もう一度
好きだった女の子がいた。
ぼくの知る限り世界で一番綺麗な笑顔をする子だった。凛とした彼女は、いつでも正しくあるべきだと言っていた。周りの友達は少し鬱陶しそうに返事をするのだが、引き下がらない彼女に半分諦めたように笑うのだ。らしいとかっぽいとかそういう言葉が飛び交い、いつも場は和やかだった。
誰に対しても優しい彼女は、多分皆のヒーローだったんだと思う。
今思えばそれが間違っていた。
彼女が自殺したと聞いた。
原因は不明。
遺書や遺言はなかったらしい。
ただ靴は綺麗に並べられていたらしく、それを聞いたぼくは彼女らしいと思ってしまった。
噂では上司と不倫してその関係に耐えられなくなったとか結婚相手の夫にDVを受けていたなどと根も葉もないことばかり囁かれていた。誰も本当のことなど知らないし、真実よりもむしろ何が起きたかを推理するゲームを楽しんでいるようだった。
そのことがひどく不快で、煙草を吸うと言ったきり戻らなかった。
ぼくが居なくなっても彼らはゲームを止めないのだと思うと更に不愉快で、立てかけられた古い看板を思い切り蹴とばした。
看板はシンとした夜道には似つかわしくない音を立てほんの少しだけ歪んで、余計にみじめになる。
どう思ったとしてもあの子が死んだ現実は変わらない。
蹴った足のつま先が歩くたびにズキズキ痛み、スマホのアラームみたいに警告してくる。
スマホみたいに電源が落とせたらいいのにと呟いて、また歩き出す。
さっきまでは確かに家に向かっていたはずなのに、同じところをぐるぐる歩いている気分になってくる。
自分では前に進んでるつもりでも全然進めていなくて、見える景色は変わらずにただ棒立ちしているだけなんじゃないかと不安になり、下を向いて一歩一歩確かめながら間違えないようにゆっくり歩く。
そんなことを考えながら、ふっと懐かしいという気持ちに襲われる。それはぼくが彼女と話せた最後の記憶だった。
「君はどうしていつもそんな暗い顔をしているの?」
「・・・僕の顔が暗いんじゃなくて、皆の顔が明るすぎるんだよ」
美しく澄んだ黒い瞳がこちらをじっと見つめる。それがあまりにも綺麗だったから目を逸らした。
「君の顔が暗いことには変わりないじゃん」
ぐぅの音も出ずに言葉が詰まる。
「暗いとか明るいとか主観で・・・」
その後の言葉を続けるよりも早く彼女はぼくに近寄った。
「悩みがあるなら聞くよ?」
ぼくは彼女のこういう態度が嫌いだった。誰もが被害者で、勝手に憐れんで、救いの手が必要だと勘違いしている。
「・・・同情なら要らないよ」
「じゃあ、なにがいるの?」
まるで自分が与えるのが当然のように聞く。
「・・・・・なにも」
哀れまれる自分の情けなさを、彼女にぶつけようと睨む。ぼくはその時の彼女の顔を一生忘れることができないだろう。夕日に染まる彼女の顔は、この世のものとは思えないほど不気味に笑っていた。きっと悪魔が存在したらこんな感じの顔なんだろうか。