35.アシュトン子爵の帰宅
「シェリー、アシュトン子爵とまだ話しているのかい? それならお茶を用意させるが……」
廊下の向こうから父親のカルロスの声が聞こえてきた。
「お父様、話は終わりましたわ」
シェリーは遠くにいるカルロスに大きな声で返事をしてから、アシュトンの顔を見た。
「それでは、そろそろお暇しましょう」
アシュトンが少し寂しそうに言った。
「……はい」
シェリーも時間が過ぎる速さに、ため息をついた。
シェリーとアシュトンは玄関そばに立っていたカルロスのところまで戻った。
「素敵な宝石箱でした。拝見できて光栄でした」
アシュトンがカルロスにお礼を言うと、カルロスは嬉しそうに笑って言葉を放った。
「いや、ただの古びた宝石箱ですよ。ところでシェリーと何を話していたんですか?」
カルロスがアシュトンに問いかける。
「えっと……あの……」
口ごもるアシュトンを見て、シェリーが口をはさんだ。
「ジル様のことを話しておりました。怪我が早く治ると良いとか、婚約者といつ結婚するのだろうとか、ですわ」
「……そうか」
カルロスは何とも言えない表情で、アシュトンとシェリーを交互に見た。
「それでは、今日は突然お邪魔してしまい申し訳ありませんでした」
「いえ、おもてなしもできず申し訳ありませんでした」
カルロスが丁寧にお辞儀をすると、シェリーもお辞儀をしてから言った。
「……また来てくださいね」
「はい」
アシュトンは柔らかく笑うと、ホワイト家を出て馬車に乗った。
帰っていくアシュトンの姿をカルロスとシェリーは、その姿が見えなくなるまで門のところで見送っている。
カルロスは、シェリーと二人きりになると真面目な声でシェリーに尋ねた。
「シェリー、もう次の恋人かい?」
「……さあ、どうでしょう」
シェリーはカルロスの後に続いて屋敷の中に戻った。
「シェリー、お前があまり頻繁に隣国へ行くので、シェリーは隣国のスパイなんじゃないかと言う貴族が数名だが出てきているぞ」
「まあ! スパイだなんて……ドキドキしますわ」
「のんきなことを行っている場合ではないぞ。隣国とは友好関係を築いているが、他の貴族から疑われるのはホワイト家としてもよいことではない。しばらく隣国の方々と会うのは控えなさい」
「……はい、お父様」
シェリーは部屋に戻ると、父からの言葉をつぶやいた。
「私が隣国のスパイ……まるで物語の主人公のようで興奮するわ。でも、アシュトン様とお友達になれそうなのに、会うことを禁じられるなんて思ってもみなかった」
アシュトンの優しい笑顔を思い出して、シェリーは少し切なくなった。
「しばらくは……隣国に行くことを控えましょう……」
シェリーは窓から外を眺めた。
窓の外はもう日が落ちて、青黒い夜の空にいくつかの星と、大きな月が輝いていた。




