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月と炎の伝説  作者: 蒼井七海
第一幕 陽光は若き命の糧となる
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第一章 石と月光の修行場 4

「番人が動いた」

 唐突に、声が響く。

 声の音量は決して大きくなかった。しかし、静まり返った館の中では、鮮明に響いた。声を聞きつけて、その近くで寝そべっていた青年が顔を動かす。

「ほお。アグニヤの成人修行の時期かな」

「うん。けれど、それだけではない」

 青年の言葉に、声が返す。そして、また呟いた。

「もしかしたら――」


 ※


 岩石でできた腕が振りかぶられる。それはすさまじい勢いで叩きつけられた。石の番人の前にいたイゼットとルーは、とっさに横に跳んでいた。

 衝撃と、轟音。震えた空気が肌を刺し、石の衝撃を受けた地面が揺れる。石の破片が乱舞し、砂埃が立ちこめる。あたりは一瞬にして、戦場さながらの荒れ果てた景色になった。石の番人は、それらになんの感慨を抱くこともなく、再び腕を持ち上げる。どこからのものか、めきめきと嫌な音がした。

 すんでのところで破壊的な腕から逃れた二人は、遠目から互いを見る。どちらも蒼ざめているのは、明らかだった。

「あれ、いったいなんなんでしょう……」

「わからない。ただ、文章にあった『石の番人』であることは確実だよ」

 イゼットは槍の柄をにぎりしめる。その手が嫌な汗で湿っていることに気づいた。

「『石の番人を制せよ』――あれを倒せってことですか? 無茶な……」

 ルーは、至極当然の悪態をついた後、顔をしかめた。みずからの発言に不快感をあらわにしたような表情だ。イゼットはふしぎに思ったが、相手の事情を詮索している余裕はない。

 石の番人たちは、わずかに体の向きを変える。今度は、三体同時に動いた。腕を振り下ろす。狙いはイゼットだった。彼は転がるようにして腕の追撃から逃れたが、危うい。飛び散った石の破片が頬をひっかく。生ぬるい血の感触があった。

「イゼットさん!」

「大丈夫!」

 悲鳴を上げるルーを安心させようと、大声で返す。直後、石の番人がまた動いた。イゼットを追うように。彼はすぐに立ちあがって、駆けだす。石の番人たちと鬼ごっこをしているような感覚にとらわれた。鬼ごっこにしては、危険が大きすぎるが。

 ちらと後ろを顧みる。石の番人は緩慢に、しかし確実にイゼットを追っていた。彼は思わず舌打ちをする。

「なんで俺ばっかり狙うんだよ……」

 決してルーを狙ってほしいわけではないが、そう思ってしまうのもしかたがない。振り下ろされる腕を、みたび彼が避けたとき、なにかの砕ける音がして、つかのま石の番人の動作が止まった。

「ご無事ですか!」

 ルーが、巨体の陰から駆け寄ってくる。先ほどの音は、彼女が石の番人の胴を蹴ったがためのものらしい。一体の胴が少し欠けているのを見て、イゼットは顔をひきつらせる。

「あ、ありがとう。なんとか平気」

「よかったです。でも、どうしてイゼットさんを狙うんでしょう」

「それ、俺も知りたい」

 ルーが構えをとって石の番人たちをにらみつける。その後ろでイゼットは、目まぐるしく頭を働かせていた。

 どのみち、この石人形たちを止めなければ、自分たちの身が危うい。なにか手立てを考えなければいけない。ケリス文字の羅列を必死で思いかえす。

「『石の番人は満月に動き、新月に眠る』……」

「それと『力の源は、月光なり』でしたね。でも、お月さまの光なんて、入ってこないですよ」

 敵から目を離さないルーに代わり、イゼットは天井をあおぐ。穴のひとつもないのを確かめ「うん」と呟いた。

 そのまま、ぐるりと首を巡らす。そのとき――イゼットは一瞬の違和感に気づいた。なにかが、視界の端で光ったような。

 慌てて光のもとを探し、果たしてそれを見つけた。イゼットの背後。最奥の壁の上に、光る円形のものがある。先ほどからそれは、石の番人の目の光を反射して光っているようだ。

 頭の奥に、雷光が走った。

「ルー! あれを!」

 イゼットはゆっくり後退しつつ、ルーを呼んだ。ルーも気づいて、石の番人から少し距離をとる。イゼットが奥の壁を指さすと、視線でそれを追いかける。そして、彼女も息をのんだ。

「あれは、硝子? いや――鏡?」

「多分、あれが『月』だ!」

「え?」

「『月光』は鏡が反射する光のこと。それが、石の番人の動力になってるんだと思う。仕組みはわからないけど……『満月に動き』っていうのは、おそらくそういう意味で――」

「『新月に眠る』は、鏡の光がなくなれば、石の番人も眠る、ということ」

 ルーが呆然とした様子で、イゼットの言葉を引きとる。二人はどちらからともなく顔を見合わせた。先んじて声を上げたのは、イゼットだった。

「ルー。壁をのぼって鏡を隠すことって、できるかな。もしくは……少し危険だけど、鏡を割るか」

「それは、楽勝ですけど」

 困惑した様子のルーに、イゼットは畳みかける。

「じゃあ、俺が石の番人を引きつける。その隙に、ルーは鏡のところへ」

「で、でも、イゼットさんは」

「どのみち彼らは、俺を狙っているんだ。それに」

 明るい色の瞳が、緩慢に動き続ける石の番人をにらんだ。その目に宿る輝きは、いつになく鋭い。無論、彼自身は己の変化に気づかない。しかしルーは、彼の変化を敏感に察していた。

「それに、彼らにはおそらく感情がない。ただ侵入者を排除するよう仕組まれていて、そのとおりに動いているだけだ。だから、大丈夫」

 みずからに言い聞かせるように、若者は言う。

 クルク族の少女は、その言葉の意味をほとんどわかっていなかった。それは、イゼット自身承知の上だった。

 はりつめた沈黙。その中で、ルーはしかとうなずく。それを見て、イゼットは面をほころばせた。

 ルーはなにも言わず、体を反転させて駆けだした。イゼットは彼女を見送らず、ゆっくりと姿勢を整える。六つの目をにらみすえ、視線をそらさぬまま――みずから「飾り」と呼んだはずの槍を、両手で構えた。

 大地を踏みしめる。深呼吸をする。心が静まり、音のすべてが遠ざかる。

 懐かしい感覚。二度と戻ることはないと思っていた場所。

 そこに今、彼は立っていた。

「さあ――始めようか」

 石の番人たちは、若者の言葉を受けない。ただ黙って、その存在を排除すべく動きだした。

 振り下ろされた腕を、イゼットは軽やかにかわす。自分の中でなにも動かないことを確かめると、そのままの勢いで前へ出た。石の番人が腕を上げるより前に、腕から肩へ勢いよく駆けあがる。鋭く息を吐きだして、イゼットは槍を突き出した。首と頭の間、石の継ぎ目を槍がしたたかに打つ。ガリっ、というような音がして、石の番人の頭が傾き、落ちた。体が傾く前に、イゼットはすばやくとびすさる。崩れ落ちる体のはるか後ろ、壁際に着地した彼は、そのまま槍を横向きにして首の前にかかげた。槍の柄に石の腕が叩きつけられる。腕全体の感覚を奪うほどの衝撃に、歯を食いしばって耐えた。槍の柄は激しくしなったが、石の腕が離れていくまで、折れることはなかった。

「さすが」

 イゼットは笑みとともに相棒を労うと、残り二体の石の番人と相対する。再び深呼吸をした彼は、番人たちを翻弄するように、ジグザグに走りだした。



 ルーが壁際にたどり着いたのは、イゼットが石の番人の首と胴を離した瞬間のことだった。たまたま振り返って、その光景を目の当たりにしたルーは、唖然とする。あれが自分の父であったなら驚きはしない。だが、現実にいるのは父ではなく、知り合ったばかりのヒルカニア人の少年だ。

「『お飾り』どころじゃないじゃないか」

 ルーは思わず笑みをこぼす。自分の戯れのような予測が当たっていたことに、笑わずにはおれなかった。

 だが、そうなるとふしぎなのは、イゼットがあえて嘘をついたことだった。いや――もしかすると、「嘘」ではないのかもしれない。

「相手に感情がないから大丈夫、みたいなことを言ってたような……関係があるのかな?」

 ルーは少し考えたが、すぐに思考を放棄した。詮索するのは後でもできる。今は自分とイゼットのために、鏡をふさがなければならないのだ。

 ルーはひとつうなずいて、汚れた外套を脱いで丸め、左の脇に抱える。布一枚と幅広の筒袴ズボンからなるクルク族の衣装が、華やかな色彩をもって現れた。ルーは壁に手をかけ、足をかけると、力強く登りはじめる。動きに合わせて、衣装が揺らめき、銀の飾りがしゃらしゃらと音を立てる。

 ルーはあっという間に鏡の下へたどり着く。間近で見ると鏡は大きい。しかし、問題はない。

 鏡をのぞきこむと、白い娘の顔が映る。彫が深く、鼻が高く、目が大きい。唇は厚く、眉はごついといえるくらい太い。顎は、ほんの少しとがったふうに見える。間違いなく、ルー自身の顔だ。

 修行以外で使われないはずの鏡は、傷も汚れもついていなかった。

 ルーは脇に抱えた外套を器用に左手で持つ。それを鏡の上にかぶせ、これまた器用に片手で広げた。

 これで、石の番人が止まってほしい。

 心の底から願ったルーは、壁際から地上を見下ろした。

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