↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月と炎の伝説  作者: 蒼井七海
第一幕 陽光は若き命の糧となる
18/154

第二章 お互いの秘め事 9

 道が、裂けている。

 もののたとえなどではない。浅き緑の生い茂る道に、ばっくりと裂け目が走っているのだ。裂け目は、ひとつではない。奥へ、奥へと続く道、数歩ごとに裂け目はあって、来訪者の歩みを妨げている。

 来訪者、つまりイゼットとルーとカマルは、言葉もなく森の裂け目に見入っていた。この三人にしては長い沈黙。それはややして、空気を震わす音に破られる。長い、長いため息をついたのは、イゼットだった。

「これも『からくり』かな」

「……わかりません」

 ルーが降参とばかりに両手をあげる。さすがに、彼女の表情にも呆れの色がにじんでいた。そして、そのまま歩きだすと、裂け目のふちを指でなぞった。それから、屈んだ姿勢のまま、熱心に裂け目をながめまわす。落ちるかもしれない恐怖などは、微塵も感じられなかった。

 イゼットは内心はらはらしていたが、そこはルーの身体能力を信じることにして、黙って見守った。

「最近できたものみたいです。修行のための仕掛けじゃないですね」

 振り返ったルーが顔をしかめて告げる。イゼットもまた眉をひそめた。

「カマルくん、このあたりで最近、地震がきたとか大雨が降ったとかいうことがあったっけ」

「へぇ?」

 ぼうっとしていたのだろう。ひっくり返った声を上げたカマルは、それからちょっと考えこんで、首を振った。

「ないと思う。雨はちょっと降ったけど、それ以外は特に――」

 カマルは言いながら、大ぶりのナイフで裂いたみたいな裂け目をにらむ。

「なんなんだろうな、これ。こんだけばっくり割れてるとちょっと怖い」

「だよね。それに、どうやってここを渡るかっていう問題もある」

 裂け目の幅は、だいたい歩幅三歩分。イゼットとルーならなんとか渡れないこともないが、その隣にいるカマル少年が問題だ。

 その少年は、籠をぐっとにぎりしめて、イゼットの方へ身を乗り出す。

「おれ、このくらい平気だよ。何がなんでも先に行くんだからな!」

 イゼットは、笑っているとも呆れているともつかない表情で、カマル少年の頭を押さえた。これはいくら言い聞かせても聞かないだろうと思ったが、危険が伴うことには変わりない。

 イゼットは悩んだが、その悩みは間もなく吹き飛ぶことになる。

「大丈夫ですよ。一緒に頑張りましょう」

 ルーがけろりとしてそう言った。彼女は、近くの木の枝に蔓のようなものを巻きつけて、何やら準備を始めている。イゼットは苦笑いしつつも「わかったよ」と答え、カマルの手をとった。

 よし、と呟いたルーが、蔦の先端をにぎる。頭上の枝が軋んだが、ルーは気にすることなく、蔦をにぎったまま数歩後退した。そのまま助走をつけて、裂け目の手前で地を蹴った。少女の体は軽やかに飛んで、裂け目のむこうできれいに着地する。唖然としている二人を振り返ったルーは、この上なく明るい笑顔を見せた。

「ささ。二人とも来てください」

 簡単に言うな。

 イゼットは心の中で悪態をついた。

 それでも毒は心にとどめて、イゼットは近くの木を見上げた。ルーが木の枝に巻きつけた蔓は、すでにちぎれそうになっている。この二人の重量を支えるのは無理だろう。

 イゼットは少し考えて、わくわくした顔で待ちうけているルーの方を見た。

「しょうがないな。――ルー」

「はい!」

「ちゃんと受け取ってね」

 ルーは首をかしげていた。が、ほどなくしてなにかを閃いたように笑みを浮かべる。イゼットは続けて、カマルの体を抱えあげて、持ちあげた。

「うわ、ちょ、何すんの!?」

 少年から当然の抗議が飛んだ。しかしイゼットは、それには答えなかった。代わりに、

「ごめん。危ないから口閉じておいてね」

 と言うと、抱えあげた少年を――文字通り、投げた。

 対岸でルーが体と腕を伸ばす。顔じゅうをひきつらせた少年をしっかり受けとめて、自分の隣にそっと下ろした。

 イゼット自身は、その見事な働きを見届けた後、木に登り、枝をつたって裂け目の先に渡った。ちょうど、先刻、ルーがやったのと同じ芸当だ。

 無事むこう側に着地したとき、彼を出迎えたのは、怒りのこもった涙声だった。

「ひどいやイゼット! あんたがそんなことするなんて思ってなかった!」

「ご、ごめん。とっさに思いつかなくて……」

「せめて、やるならやるって言えー!」

「いや、うん。申し訳ない」

 半泣きで怒るカマルに、イゼットは平謝りする。もう、こればかりは謝るしかない。なんとなく腕が痛いが、当然の報いと思うことにした。

 ルーは当初、笑いをこらえて二人のやり取りを見ていた。しかし、突然目を細めて振り向くと、すぐさま二人に向き直った。

「二人とも、お静かに」

 二人――主にカマルは、ぴたりと黙りこむ。ルーは変わらず険しい顔で耳を澄ませる。ややあって、彼女は確信した様子で続く道を指さした。

「先の方から人の声がしました」

「本当? なにも聞こえなかったけど……」

「すごく小さな声でしたからね。たぶん、あれは女の人の声です」

 三人は誰からともなく顔を見合わせた。

「どこの誰かはわかりませんけど……」

「行くんだよね」

 イゼットが言うと、少女と少年が同時にうなずいた。

「です」

「あたぼうよ!」

 イゼットは顔をほころばせると、荷物と槍を抱え直して歩きだす。小さな連れが後を追った。声のもとへ向かうために、差し当たって、また割れた大地を飛び越えなくてはいけない。

「投げてもいいけど、今度はちゃんと合図くれ!」

「承りました」

 イゼットはうなずいた。

 この件に関しては、カマルに対して頭が上がらなさそうだ。


「もうちょっと先です」

 何度目かの曲芸、もとい裂け目越えの後、ルーが眉間のしわを増やして言う。さすがにイゼットも疲れてきて、カマルなどは息も絶え絶えといった様子だが、二人ともうなずいた。

 声のもとには確実に近づいている。イゼットの耳にもかすかにだが、聞きとれるようになった。助けを求めているような、か細い女人の声だった。

 またひとつ、細い裂け目を越えた先で、ルーの眉間のしわがもう三本増えた。その理由はイゼットにもはっきりわかった。悲鳴に近い声が、裂け目の下から聞こえる。

「ボクの声が聞こえますか」

 裂け目の下に向かって、ルーが叫んだ。かすかに声がした。応答があったのだろう、ルーはうなずいてから「そこを動かないでくださいね。今助けます」と続けた。

「本当にルーが行くの?」

 地面に槍を突き立てて、イゼットは問う。

「女の人一人なら、ボクで大丈夫だと思います。それに、ボクが行った方が『彼女』も抵抗がなくていいですよ」

「それはまあ、確かに」

 男は妻以外の女に触れてはいけない――というのが、ヒルカニアや古のペルグの習いだ。その習いを堂々とおかしている二人がここにいるわけだが、裂け目に落ちた彼女も同じ感性の持ち主かはわからない。

 イゼットは荷物から取り出した革ひもを槍の石突近くに巻き、ひもの先の方ををルーへ投げ渡した。ひもを軽く腕に巻いて強くにぎったルーは、槍を支えるイゼットに向かって「きをつけ」をする。

「では、行ってまいります」

「気をつけて」

 ルーはいっさいの抵抗なく裂け目の中へ飛び込む。間もなく何やら会話する声が聞こえたが、地上からではほとんど聞きとれない。イゼットはしばらく槍を支えて黙然と立っていたが、少ししてカマルの方へ目を向けた。彼が、急に目を見開いて息をのんだことに、気がついたからだ。

「カマルくん?」

「……てた」

「え?」

 震える声でなにかをささやくカマルに、イゼットは思わず問いかえす。答えを聞く前に、槍が少し揺れて、ひもがぴんと張った。イゼットは慌てて槍の方へ体重をかけた。

 ほどなくして、「帰りました」という元気な声が響く。槍とひもにかかる力がゆるんだ。

 ルーは、女の人を抱えていた。

 少女というには大人びて、しかし婦人というには若い。娘、という言葉がしっくりきそうなその人は、土ぼこりと傷と痣をやせ細った体のあちこちにつけている。長い黒髪はバサバサで、血色は悪そうだ。けれど、相貌には安堵の色が浮かんでいた。娘は両足が地面につくと、ふらつくようにルーのもとから離れる。

「あの、本当にありがとう」

「いえ、いいんですよ。それより少し休憩してください。絶対に消耗してますから、そのまま動くのは危険ですよ」

 ルーが澄まして忠告すると、娘はほほ笑んで「はい」と言った。イゼットは口を挟まずに見ていたが、途中でふしぎな感覚をおぼえて、目を瞬いた。彼女の横顔をなんとなく知っている気がしたのだ。

 見えない手に引き寄せられるように、イゼットは隣を見る。

 どことなく娘に似た雰囲気を持つ少年が、両目をいっぱいに開いて、固まっていた。

「姉ちゃん」

 開かれたままの口から、感激とも動揺ともつかぬ声がこぼれる。

 娘が振り返ったその瞬間、カマルは雷に打たれたように震えて、前のめりになり、そのまま倒れて地面に手をついた。

「サミーラ姉ちゃん!」

 見開かれた両目からにじんだものが粒となってこぼれ落ち、草をぬらす。その先が続かぬ少年と、ただ立ちつくすその姉を、イゼットとルーは呆然として見ているしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。