愛情と狂気とのよくある話
「もう勝手にしろ!」
怒った夫が部屋を出ていく。
私はそれに一瞥をくれ、ベッドに横たわっている息子へと視線を戻す。
最愛の息子カインへと。
そして、再び深い後悔を思い出す。
どうして私はカインを守ってあげられなかったのか。
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「お母さん、早く、早くー」
「カイン、ちょっと、待って……」
とても良い天気だ。
雲一つない快晴である。
そんな中、村から出てすぐの街道を元気に走るカインを追いかける。
息を切らしながらもなんとか付いていく。
カインは家にいるより、外で遊ぶ方が好きな子供だった。
やはり男の子だからだろうか?
それとも、猟師である父親に似たのかもしれない。
カインは更に少し先へ行き、道端にしゃがんで何かを見ている。
虫でも見つけたのだろう。
「カイン、何を見て……」
そこで言葉を切る。
言葉を続けることは出来なかったのだ。
ガサガサッ。
カインのすぐ近くの茂みから、棍棒を持った1匹の小型のゴブリンが現れたからだ。
「!?」
大きく目を見開き、息を吞む。
この辺りにはモンスターなんて、全くと言っても良いほどいないはず。
なんでこんなところにゴブリンが?
カインは虫に夢中なのか、ゴブリンには気付いていない。
「カイン、逃げてー!」
叫ぶと同時に、全力で走り出す。
カインはこちらを向いて「何?」という顔をしている。
そして、後ろを向き、やっとゴブリンに気付いた。
しかし、遅かった。
ガゴッ!
棍棒で殴られたカインがゆっくりと倒れていくのが見えた。
「カイン!!」
カインは倒れたままピクリとも動かない。
駆け寄り、祈るような気持ちで抱き起こす。
しかし、カインは既に事切れていた。
体温が失われていくところだった。
大きく揺すってみるが、何の反応もない。
息をしておらず、心臓も動いてはいなかった。
私はカインの死を感じ取った。
「……うわぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!」
カインを抱き締め、ゴブリンを睨む。
ゴブリンは私の気迫に気圧されたかのように、僅かに身体を後ろに逸らす。
「お前が……」
ポケットから小さなナイフを取り出す。
戦闘に使用するようなものではない。
木を削ったり、果物の皮を剥いたりなどの日常生活で使用する本当に小さなナイフだ。
カインを優しく地面に横たえ、ゆらりと立ち上がる。
ナイフを構え、ゴブリンに向かってダッシュする。
ゴブリンは後ずさりながらも棍棒を構える。
私はスピードを全く落とさずに突撃していく。
ゴブリンまでもう少しというところで、左膝の辺りに衝撃が走る。
棍棒で殴られたようだが、痛みは感じない。
そのまま無言でゴブリンの顔面へとナイフを突き立てる。
ゴブリンから「ぎゃ!」という悲鳴が聞こえた気がした。
ナイフを抜き、また突き刺す。
また抜き、刺す。
何度も繰り返す。
ピキッ!
ナイフの刃が根元から折れた音で、ふと我に返った。
「……カイン?」
動かなくなったゴブリンから離れ、ナイフの柄を取り落とす。
フラフラとカインの傍へと行き、ペタンと座り込む。
そして、カインの亡骸を強く抱き締め、涙を流した。
涙は止まることがなかった。
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帰りが遅いことを心配した夫が迎えに来たらしい。
息子の亡骸を抱えた私とゴブリンの死体を見た夫は状況を理解したようだ。
左脚が上手く動かせない私を支えながら3人で自宅へと戻った。
ただ、この辺りはあまりはっきりは覚えていない。
頭がフワフワしていて、夢の中にいるかのようだった。
本当に夢であれば良いのにと、ぼんやりと考えていた。
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ベッドに寝ているカインをぼんやりと眺めるだけの日々。
何度も何度もカインが死んだ日を、死んだ瞬間を思い出す。
後悔と絶望の感情でいっぱいになる。
何日が過ぎただろうか。
夫から声を掛けられる。
「そろそろ、カインを火葬してやらないか?」
「……火葬?」
「そうだ、このままでは――」
「そんな可哀そうなことはしないわ!」
意味を理解し、夫をキッと睨みつける。
夫は驚愕の表情を浮かべた後、徐々に不機嫌になっていく。
「もう勝手にしろ!」
夫は乱暴に部屋のドアを開け、出て行ってしまった。
優しかった頃の夫を思い出す。
カインと3人で笑顔だった日々を思い出す。
夫もカインを愛していたはず。
だが、もうあの日々は取り戻せないのだ。
「…………」
「彼は間違ったことは言っていないように思えるけどね」
突如、声が降ってきた。
不気味な微笑を浮かべている少女がいた。
一目見て人間ではないことに気付く。
空中に浮かび、頭から角を生やし、黒い翼を背に持つ少女だった。
悪魔というやつだろうか?
少女は更に言葉を続ける。
「あら? あまり驚かないのね。つまらない」
私はその少女に一瞥をくれるだけで、すぐにカインへと視線を戻していた。
よく分からない少女の出現など、カインの死に比べれば取るに足らないことである。
そんな風に思っていた。
次の言葉を聞くまでは。
「子供を生き返らせてあげようか?」
即座に、角と翼を持つ少女へと向き直る。
少女はその微笑を全く隠すつもりがないようだった。
「カインを生き返らせることができるの?!」
「ええ、生き返らせることができるわよ。ただ―――」
「カインを生き返らせることができるならば、私の肉体、魂、その他全てを捧げるわ!」
「……条件の提示は必要ないみたいね。では、、、」
もったいぶるように少女はそこで一度言葉を切り、続けた。
「契約成立ね。息子を生き返らせてあげましょう」
少女はとても嬉しそうだ。
再び涙が流れ始める。
枯れ果てたかと思っていた涙がとめどなく流れる。
「君のそれは子供への美しき愛情なのか、行き過ぎた狂気なのか。全く人間というのは見ていて飽きないものね」
少女が何かを言っているが、私の耳には届いていなかった。
カインが笑い、カインが走り、カインが話しかけてくれる。
私はカインの傍にいて、カインを見守り続ける。
カインは私の全てなのだ。
それ以外は何も要らないのだ。
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