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1-3 あこがれ

 海鳥が鳴き声をあげて飛び回るその下で、到着した船の荷下ろし作業で港は人がひしめき合っている。港の男たちは作業の手は休めずに、怒鳴るように声を張り上げて他の船の乗組員と会話を楽しんでいた。

 大型船を動かし、ときには海賊をも蹴散らす海で生きる船乗りたちに非力な男などひとりもいない。幅を取る大きな体でも大荷物を抱えて身軽に動き、互いにぶつかることなく器用に船上を行き来している。声がとにかく大きく、会話に合わせて身振り手振りが大袈裟で、一瞬でもじっとしていることができない連中ばかりだ。

 その男たちが次々と積み下ろす船荷の隙間を、ひときわ小柄な少年がぜんまい鼠のように歩き回り、ぶつぶつと呟きながら荷札と目録を照らし合わせている。

 船の荷下ろし作業で往来する人とは別に、武装した大柄な男たちが悠々とした足取りで船から降りてきて、その少年をめざとく見つけ出し近寄っていく。彼らはひとりで百人力と言われる腕利きの船の護衛たちだ。彼らを雇うにはそれなりの契約金が必要になるがそれに見合うだけの働きをして、彼らを乗せた船だけが掲げられる護衛団の旗だけでも海賊避けの効果を発揮する。


「セオ坊、おまえ女ができたんだって?」

「おまえみたいな女顔でも一丁前に女を好きになるんだな。てっきり男が好きなんだと思ってたわ」


 荷下ろし場では年若い少年たちも仕事をしている。荷札の確認をしているセオ坊と呼ばれた少年、セオドアはそのなかでも見た目が実年齢よりも幼い。そのうえ線が細く、服装が違えば確実に少女と間違われるような顔立ちをしていた。そのことをいつも船乗りたちからからかわれ、本人はいつも笑ってごまかしているが内心気にしていて振る舞いには人一倍注意を払っていた。

 からかわれる要因は見た目だけではなく、いま真横で話しかけられたにもかかわらず納品目録を片手に仕事に没頭していてまわりの状況がまったく見えていないところなど。物事に集中しすぎるとそのほかに意識が一切向かなくなる、真面目で仕事にひたむきな性格は、同じく働き者の海の男たちから好かれる。それに加えて幼く見える容姿が作用して、自分の子どもや幼い弟のように思えてついかまいたくなってしまうのだ。


「おい! セオ!」

「はいっ! な、なんでしょうか」


 強い衝撃とともに肩にずしりと重い腕が回されて、はじめて声をかけられていたことに気づき、セオドアは悲鳴に近い返事をした。それもまた船乗りたちを笑わせる原因になる。


「今日こそ飲みに付き合え。セオ坊の女も連れてこいよ、みんな興味あるんだ」

「え? 女? そんな人はいません。それに、僕、お酒は一滴も飲めませんので」

「ゲイルが故郷に帰るって話、聞いただろ? 送別にくらい顔出せ」


 酒が飲めない、という言い訳は軽く流される。港町生まれの男が酒を飲めないなどという戯言は、誰も信じず冗談にすらならない。

 ゲイルという護衛のひとりが近々故郷へ帰るという話が唐突に流れ出した。護衛は危険を伴う仕事だが稼ぎがいい。大きな町で金を貯めて故郷に戻るというのは一般的なことだが急な出稼ぎ帰郷と聞くと、なんらかの理由で雇用契約を打ち切られ、別の護衛団でも拾ってもらえなかったのではないだろうかと。ゲイルの素行の悪さは折り紙つきだから、つい良くない理由ばかりを勘繰ってしまう。

 護衛たちに仕事を邪魔されながらもようやく納品の確認作業が終わり、それぞれを所定の倉庫へと搬入する指示を出す。セオドアをからかい倒して満足した護衛たちはその場を去り、作業員たちは素直に少年の指示に従う。仕事になると一切取り乱すことなく、セオドアは的確に采配する。商船乗りとなると簡単な文字の読み書き程度ならできる者はそこそこ乗っているが、算術もできて暗算までこなせるのはセオドアのほかにいない。それゆえに、皆からかいはするが、賢くよく働くセオドアを馬鹿にする者はいなかった。

 休む暇もなく今度は出庫の準備をして、後続の船が到着すれば同じ作業を繰り返す。荷下ろし作業が終われば船乗りたちはそれぞれ飲みに出かけて行くが、父の元で働く陸の作業員の仕事はつづく。時間が来たら倉庫番にあとを任せ、活気を失った荷下ろし場を出る。

 石畳の道を歩き、町中を走る水路にかかる橋を何本か渡り、目抜き通りは避けてひっそりとした裏路地を進む。そうして見える高台にそびえる大きな邸がセオドアの家だ。

 セオドアはこの大きな港町でも五本の指に入るほど、大きな商家の五人兄妹の真んなかに生まれ、年の離れた上の兄ふたりはすでに独立している。兄ふたりも商人だが父親に似て、海の男たちと一緒にいても見劣りしない顔と立派な体つきなのに対し、セオドアは町でも美人と有名な母親によく似てしまった。大商人の父親は兄同様にセオドアを後継のひとりとして育てたがっているが、貴族出身の母親は兄たち以上に英才教育を詰め込もうとする。

 家につくとすぐ使用人に連れていかれて風呂に入らされる。生まれも育ちも同じ港町なのに、母親は汗と磯のにおいのする海の男より香水漂う男を好み、三男をいつもきれいに着飾ろうとするのだ。またそれが似合ってしまう顔立ちというのも原因だが、兄ふたりにはできなかったことのしわ寄せが、すべてセオドアにのしかかっている。着慣れない硬い生地の洒落た服を無理やり着させられ、香までかけられる。まるで着せ替え人形のように扱われていても、気のやさしいセオドアは母親の機嫌を損ねたり、傷つけるようなことは絶対に言わない。

 賑やかな会話が聞こえる客間に入ると、母と妹たちに囲まれた一際きれいな客人が目に映る。彼女は兄の別宅を間借りしている旅客で、この町に短期間滞在しているだけなのだが、この人こそが港の男たちが誤解している「セオドアの彼女」で、名をリゼという。

 容姿の整った女を好むのはなにも男だけではない。男以上に女は見目麗しいものが大好きで、兄のところに訪れていた彼女を母親が偶然見かけ、一目惚れをして連日のように家に招待している。妹たちは趣味も好みも母親と似通っていて共感しやすく、連れてこられた彼女をひと目で気に入ってしまった。

 彼女の兄が所用で留守にしているあいだだけ家に来て、妹のわがままにも付き合ってくれている。


「セオ兄さま、今日はね、リゼにダンスを教えてもらったの」

「よかったね」

「リゼはお歌も上手なのよ」


 セオドアの姿を見るや否や、ふたりの妹が駆け寄り飛びついて、今日あったできごとを嬉しそうに話してくる。港から帰ったら妹たちの話を聞く、これも日課のひとつだ。ダンスなど何年も教わっているのに、リゼから教えてもらうことに意味があるらしい。

 家庭教師が妹たちを椅子に縛り付けてまで必死に教えようとしている行儀作法も勉強もちっとも身につかなかったが、リゼが家に呼ばれるようになってからは妹たちのなかでなにかしらの革命が起きたようだった。彼女の立ち居振る舞いは妹たちに絶大な影響をあたえ、教師が教えることの価値に気づいたのか、素直に学ぶようになって両親も大喜びしている。目標とする理想の女性像を見つけた妹たちは、最近出会ったばかりの彼女をまるで教祖のように崇めていた。

 母親は、兄たち一家、親戚や友人だけでなく怪しげな旅人まで毎日のように茶会に招き、会話を楽しむのが好きだった。父親も旅人がくるときはよく同席して話を聞くが、各地を転々としているリゼは格好の餌食となって連日茶会や晩餐に呼び出されている。客人であるリゼは子守りまで押しつけられているのに、嫌な顔ひとつせずセオドアに向かってにこりとほほ笑む。

 両親を亡くし兄妹で親戚の家に向かう道中なのだと言うが、彼女の振る舞いはどう見ても貴族の娘で、それが母の好奇心を吸い寄せたひとつでもある。リゼは身内の事情を濁しているが、移動が馬車ではなく身ひとつで馬移動というのは借金の形に財産をすべて取り上げられてしまったせいだろうと母親は推察している。よほどの貯蓄がない限り、父親の急逝で財産を失ってしまうことはよくある話だから驚くことでもない。人の家の事情はそれぞれで、他人に話す必要のないことまで無理に暴く必要はない。素直で良い息子を演じているセオドアにも言えない秘密くらいはある。


「セオ、リゼを家まで送ってあげて」

「はい」


 母親の指示のもと、使用人から食事と飲み物を入れた籠を渡される。それを受け取り港をまわって、彼女を家まで送るのがセオドアの本日最後の仕事だ。


「すみません。旅の合間の休憩だというのに、連日母や妹たちが迷惑をかけて。ちっとも気が休まらないでしょう」

「いいえ、楽しく過ごしていますよ。それにこちらこそ、なにからなにまでお世話になってしまって感謝してもし足りません。これほどの恩義、お返しできるかどうか」

「母は誰にでもそうなので、気にしないでください。というか、この町の人間は旅の人にお節介し倒さないと気が済まない性分なので、母がしなくても誰かが同じことをしますよ」

「すてきな町ですね」


 母親はリゼの家に使用人まで送り込んで世話を焼いている。リゼが借りている兄の別宅は町外れにあるが、セオドアの家からも歩いて帰れない距離ではない。

 すこしだけ遠回りをさせるが、一緒に港まで行って倉庫番たちに夜食を届けてから、リゼと海沿いの景色を眺めながら歩いて帰る。


「セオドアさんがお父さまのあとを継がれるんですか?」

「うちは代々一番商才のあるものが継ぐしきたりなんですけど、おそらく長兄になると思います。僕は商人には向いていないみたい」

「それは気持ち的に?」


 そう言って覗き込んできた彼女の翠玉色の目はあまりに透き通っていて、心のなかまで見えしまっているのではないかと思った。

 商人になりたいわけではないし、親のあとを継ぎたいという意欲もない。漠々とした理想はあるが、自分には到底叶えられそうにもなく、早々に目標とする人に出会えた妹たちをすこしだけうらやましく思ったりもした。

 ときどき通りすがりの人がリゼとセオドアを交互に見てくる。おそらく両親の知人でセオドアのことも知っている誰かだろう。こうしてリゼとふたりで歩いているところを周囲に見られて自然と噂が流れだす、そのすべては母親の計画なのだとセオドアは気づいていた。いつもなら使用人が倉庫番へ届けている夜食をあえてセオドアに持たせ、馬車を使わせずわざと歩きで遠回りをさせ、ふたりきりで海沿いを歩いて帰るように仕向けている。

 結婚している上の兄ふたりの相手も母親が探し出したひとで、両兄とも家庭は円満で仲睦まじく暮らしている。そしていまはリゼを三男の相手にするべく、母親は虎視淡々と彼女を狙っているのだろう。

 もともと両親は幼少期からの知り合い同士で、お互いを気に入っていて自然と婚姻まで進んだ仲だったから恋愛結婚にも抵抗がない。

 つい最近、物凄い持参金を持たせてセオドアの嫁に、と娘を強引に押しつけてきた家があった。セオドアは初対面だったが相手の娘はセオドアのことを良く知っていて、知らぬところでかなり気に入られていたようだ。

 はじめて会った日、縁談だとは知らされずに顔合わせをさせられた。すこし話をしただけでも相手はあまりにも幼く、妹と仲良くなるために連れてこられた娘だと勘違いをして、もてなしもせず部屋に置き去りにしてしまった。あとで事情を知らされて失礼なことをしてしまったと反省したが、結局、母親を満足させられる娘ではなかったため、縁談は流れてしまった。相手がどんな家柄であろうと、まずは母親の気に入る相手でなければならない。

 リゼの場合は母親が先に気に入ってしまったから、なんとかしてふたりを近づけようと画策している。しかし、三男は結婚どころか誰かを好きになった経験がまだないから、まずはリゼとの距離を縮めてセオドアの気持ちを変えようと母親は必死なのだ。

 楽しく雑談をしているうちに目的地が見えてくる。海沿いからリゼたちに貸している兄の別宅を見ると、窓からは明かりが漏れていた。家から使いに出している使用人が手伝いをしているのは昼間だけだから、今なかにいるのはリゼの兄だろうか。

 彼はリゼがこの世でもっとも信頼している人だという。彼女にそこまで言わしめる人がどんな人物なのか興味が湧いて、会って話がしたかったが自分も母親と同じ詮索好きの血が流れているのだと気づいて急に恥ずかしくなってしまった。好奇心の赴くままに質問することはできず、彼女に手を振ってその場で別れて家に帰ることにした。

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