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5-6 約束

 冷え切っていた町に日が差して、街は夜から朝の装いに切り替わる。これ以上この町にいてもなんの収穫もないだろうと、村へ帰ると決めた。ふたりは来た道をたどり町の外れへと馬を引いて歩き、早朝到着した旅客と何度も入れ違う。この町は大きくはないが都市を繋ぐ中継点として眠ることはないらしい。街道の分岐点まで、町に向かう人や出ていく人はたくさんいたが、村へ向かう道を進む者はふたりしかいなかった。

 今日も天気は安定した青空で、数日は崩れそうにない。この調子なら平原の雪はすぐに解けるだろう。

 結局、医者から情報を聞き出すことはやめた。自分の過去にそれほど興味が湧かないというのもあるが、決断の大部分を占めたのは、気長に待つと言ってくれたリゼとのこれからに夢をみてしまったからだ。──イリヤには家族と呼べる存在はいない。それさえ知れたら十分だった。

 季節の移り目、気温はどんどんとあがっているけれど朝晩はまだ冷え込む。冷えた風に晒された鼻や耳が冷たくなっていることが気にならないほどに浮かれていられたのは半刻も持たなかった。一定の距離を置いて、明らかにイリヤたちのあとをついてくる二頭の馬が後方に見える。馬に荷物を乗せていないから旅行者ではなく、遠目にも姿形は昨夜見たふたり組の男たちとよく似ている。あれらはスリではなく、人さらいのほうだったかとイリヤはちいさく舌打ちをした。

 小悪党が縄張りを離れてまで標的を追跡するのは珍しい。諦めるには惜しい価値を放つリゼ、その連れは平凡なイリヤ。無理をすればどうにかできると、儲けと手間を天秤にかけたに違いない。案山子役にすらなれない自分の不甲斐なさには呆れてしまうが、いまは嘆くよりも対策を考えたい。

 疾駆したところでふたり乗りでは分が悪く、いずれ追いつかれる。リゼだけを馬で逃しても相手は捕縛の手練れだから二手に別れ、馬術に長けていないリゼなど簡単に捕らえてしまうだろう。

 周りを見渡せど頼れそうな民家もなにもない雪原、すぐ目の前には馬を休ませるのに最適なちいさな森がある。森に周囲を遮られたところで襲ってくるつもりだろう。細長い森の出口は駆け抜けるには遠すぎて、身を隠すには狭すぎる。

 ふと自分の馬を見下ろす。この馬の呼び名はなんだったろうか、青毛がうつくしく類稀な瞬発力と脚力を持ち、主人に尽くす最良の牝馬。伯楽がひと目見ただけで良馬と評すほど、イリヤにだけ懐いているこの自慢の馬もきっと彼らに取りあげられてしまう。失うばかりなのは過去の自分がろくでもないことをしてきたせいなのかと、忘れてしまった記憶の海に思いを馳せる。

 イリヤがどうにかして男ひとりを押さえ込み、馬の性能に賭けてリゼを医者の元へ向かわせることを再考した。医者にリゼの保護を求めるのはイリヤの心に強い制動をかけたが、いまはわがままを言っている場合ではない。しかし、小悪党の目的は十中八九リゼだろうから、イリヤなど放置して彼女だけを追いかけるだろう。たとえ駿馬でも別の乗り手で慣らしていないから、彼女ひとりを逃がすのはやはり無謀だ。無謀なら好機を作りだすしかない。

 リゼは美貌だけでなく教養もあるから、広範囲の客に高値で売れる。いくら頭の悪い悪党でも高価値な商品に傷をつけることはしないから、最悪な状況になってもその点は安心だ。


「リゼ、振り向かないで聞いて。うしろをついてきている男ふたりにこれから僕らは襲われるけど、できるだけ抵抗してみるから離れないで。君が目当てだと思う」

「わかりました。お気をつけて」


 リゼは後方を振り返らず、イリヤの言葉に驚きも疑いもせず素直に返事をした。窮地に追いやられると人はこうも落ち着いてしまうものなのか、彼女の反応があまりに冷静だからイリヤのほうが面を食らった。

 逃げ込んだり身を隠せる場所も見あたらないこんな広野ではどうしようもなく、抵抗するにしても手元にあるのは元から持っていた汎用の短剣のみ。圧倒的に不利な状況であるにもかかわらずなぜか心は落ち着いて、けれども全身の関節はなぜかぴりぴりと疼いていた。

 ふたりが森の入り口に差し掛かるころ、後方から走る蹄の音が聞こえてきた。

 奇跡が起きて助けがこの道を通りかかればいいが、万が一に通ったとしても農夫か行商人くらいだろう。落雷から生き延びた時点で、すがれるほどの運は塵ほども残っていないはずだから期待するだけ無駄だ。

 覚悟を決めて馬を旋回させ、小悪党ふたりが近づいてくるのを待ちかまえると、イリヤたちの行動に驚いたのかふたりは顔を見合わせていた。近づいた男たちはやはり昨夜の小悪党で、見るからに質の悪そうな顔をしている。

 イリヤは素早く周囲を見渡す。晴天がつづいたおかげで道の雪は解けていたが部分的に泥濘んでいて、森のなかはまだ根雪が広がっている。


「よお、兄さん。その女と金目のものをこっちに渡しな」

「金なんて持ってないですよ」

「とぼけても無駄だ。まだ換金してないやつ、その女が隠し持ってるのは知ってるんだよ。素直に渡すならお前は見逃してもやってもいいぜ」


 その言葉にイリヤはリゼを振り返る。


「これは今後の生活費にあてるのでだめです」リゼがぼそっと呟いてイリヤの背中に張りつくように身を縮めた。

「馬ごと女をもらう。さっさと降りろ」


 手前の男が苛立ったように語気を強めて手招きしている。イリヤはすこし考え込み、ずっと頭のなかにあった後悔がほつれていく気がした。


「なんだ、そういうことか。わかった」 


 思わず笑みを漏らしてしまったイリヤに、手前の男は怪訝な顔をして近寄ってくる。

 イリヤが鞍から降りるために立ち上がると、奥の男が腰に手を回した。彼らは殺しも平気でするから、このまま目撃者のイリヤを生かしておくはずはない。

 彼らに馬ごとリゼを渡すため鞍を降りると見せかけて、イリヤは男の馬を飛び越えるように跳躍し、その勢いのまま男の顎に腕をかけて馬の後方へと引きずり下ろした。

 見るからに頼りない顔をしているイリヤに完全に油断していた手前の男は奇襲にまったく反応できず、声をあげる暇すらなく背面からずり落ちる。男の片足はあぶみにひっかかり、防御の体勢すら取れず体が逆さまになった。イリヤは間をおかず、男の頭を片手でひねりながら短剣で喉を逆方向へ切り裂き、すかさず心臓にも切っ先を叩き込む。

 馬が衝撃を嫌がり数歩動くと、すでに事切れている男の体は、あぶみに絡んだ足ごと力なく地面を引きずられていった。

 もうひとりの男は、瞬きのあいだに絶命してしまった仲間の姿に一瞬狼狽したが、さすがは悪党人生を歩んできただけある。体勢を整えるイリヤに構わず馬を蹴り、すぐさまリゼを捕まえにかかった。

 リゼさえ捕まえればもうイリヤに用はない。男はリゼに手を伸ばしたが、彼女は間一髪でするりと馬から滑り降り、そのままイリヤの背後に逃げ込んだ。


「こいつ!」

「はは、上出来」


 リゼの機転と悔しそうな声をあげる男を見て、イリヤは楽しくなって自然と笑いが漏れた。残りの男は逃げるかと思いきや、イリヤに笑われたことに腹を立てたのか、手ぶらでは帰れないと思っているのか、怒りの形相で馬から飛び降りると刃渡りの長い湾刀を抜いた。

 先ほどまでは余裕の表情だった男も、仲間を潰されたことで動きに慎重さが加わり、明らかにイリヤを警戒をしている。おそらくこちらの男が兄分なのだろう。湾刀は意外にも手入れが行き届いていて、曲芸じみたなぎ払いもただの脅しではなく、相当扱い慣れているということをわざわざ教えてくれている。だがそうであってもイリヤに焦りは微塵も生まれず、どう動けばいいのかは体が知悉していた。

 襲われることへの恐れはなかったが、先の男を刺してから胸中のざわつきが止まらない。急ぎ決着をつけたほうがいいと短剣を持ちかえた瞬間、視界がぐらりと揺らぐ。柄を持ちかえるときに指を立ててしまう仕草を、誰かに揶揄される光景が頭によぎる。

 恐ろしく手に馴染む短剣の柄を握りなおし目を落とす。これは縄を切ったり果実の皮をむくために携帯していた、ただの便利な道具ではなかったようだ。

 男が剣を振りかぶる様子と、記憶の逆流による白昼夢が交差して足元がふらつき困惑していると、目の前を雷光が走った。


「ぎゃあ!!」


 男の叫び声が森に響く。また落雷を受けたかと錯覚したイリヤの全身は精神的に強張ってしまったが、すぐに硬直から解けたのは、男が情けない悲鳴をあげてくれたおかげだ。

 敵対中に放心するなど自殺行為も同然と、頭を振って眼前に集中すると、雷光の正体はあのミミズクだった。ミミズクが人間を襲うことは滅多にないと聞いていたが、鋭い鉤爪は見事に男の顔にめり込んでいた。猛禽の握力はすさまじく、顔を狙われたらひとたまりもない。

 おそらくなにが起こっているのかもわかっていない男は、突然の激痛と視界を奪われたことで混乱状態に陥っていた。自慢の湾刀から手を離し、足をもつれさせてうしろへ転倒する。

 枝にとまっていたときでも大きく見えたこのミミズクが、目の前で翼を広げた姿は勇壮としてうつくしい。羽根の模様に見入りながら一歩踏み出すと、ミミズクはすぐに男の顔面を蹴って飛び立ち、その隙にイリヤは暴れる男の体に短剣を突き立てた。

 刃が肉を切り進み、臓器に到達していく感覚が刀身から柄へ、柄から手に伝わっていく。そのときイリヤの脳裏に浮かんだ感想は、「良い角度で入った」ただそれだけだった。

 すべては一瞬の出来事で、事態は呆気なく幕を閉じた。森はふたたび静まりかえり、ひと息ついてから小悪党たちの荷物をくまなく調べた。大したものは所持しておらず、男らの袖をまくると、ふたりとも罪人をあらわす模様と識別番号が腕に刻まれている。これなら誰かに見つかったところで悪党同士の抗争だと、誰も大ごとにはしないだろう。もしどこかの組織に与しているとしたらなおさらのこと、この刺し傷を見れば口を閉ざすはず。それがわからないというのなら、わからせればいい。

 ふたりの体を馬に牽かせて森の奥の段差下に投げ入れる。落ちたふたりの体は雪に沈み、埋もれて姿が見えなくなった。体を伸ばし、手を開閉して首をかしげる。やはり動けるようになったとはいえ病み上がりの体はまだ動きが鈍い。

 表面だけが硬い雪に足を取られながら森のなかを歩く。あのミミズクは村からずっとついてきていたのか、木立のあいだを見まわしてもいまは姿が見えない。羽音を立てないミミズクの急襲にはまったく気づけなかった。

 道に戻り乗り手を失った馬のたてがみを払うと、本来の持ち主と血統をあらわす識別印が二頭ともにあった。とても彼らには手を出せない純血馬だから、盗んだか誰かから奪い取った馬なのだろう、鞍を外して叩くと二頭の馬は並んで走り出した。リゼは走り去っていく馬に目を向けている。


「あの馬たち、無事に帰れるでしょうか」

「さあ。帰巣本能が働けば、元いた場所には戻れるかもね。リゼの馬は家に帰れたと思うよ」


 リゼが振り向いてじっと顔を見つめてくる。

 人を刺す感触で自分が何者だったかを思い出すなど、きっかけがろくでもない。隠れていた記憶がひとつひとつ綻びはじめ、頭に流れ込む見覚えのある光景を思い出しながら、きりきりと痛むこめかみを片手で押さえた。

 イリヤはフクロウと呼ばれる暗殺組織に属している。物心ついたころから育ての親に素手での戦闘や暗殺術、浮浪児から王族の所作など、あらゆる教育を教え込まれて育った。フクロウは素質のある子どもを探し、後継を育てていく。イリヤは親が誰だかは知らないが、同じフクロウの子として生まれた謂わば暗殺者の血統だった。ほとんどは身寄りのない子どもを拾ってくるけれど、ごく稀にイリヤのようにフクロウの元に生まれた子を別のフクロウが引き取り育てることもある。

 訓練をすれば誰もがフクロウになれるわけではなく、通過儀礼を経てはじめて自分がフクロウになったと知る。巣立ったあとは育ての親とも干渉せず、フクロウの調整役以外との交流はしていない。禁止されているわけではないが、イリヤ自身が他のフクロウに興味がなかった。それは本当の親に対しても同じで、親がまだ現役なのか引退したのか、生きているのか死んでいるのかさえも知らない。イリヤの父親もフクロウだということは、育て親が別れ際に教えてくれて、知っているのはそれだけだ。

 あの医者はフクロウの怪我を診る。表と裏で働く医者のひとりで、点々とするフクロウたちと同様に医者たちも定期的に移動を繰り返す。イリヤは怪我も病気もあまりせずに育ったから、頻繁に医者の世話にはならなかったがあの男だけはよく覚えている。

 この特徴のない、誰の記憶にも留まりにくい顔立ちは強みだったが、顔にまで伸びる雷の刺青が入ったいま、目立ちすぎて仕事がしづらくなる。そう思いながらイリヤは自分の喉に残る痕に手をあてて、なにもいない森の木々を仰いだ。

 あのミミズクは、以前依頼されて殺した男が、観賞用としてちいさな鳥籠に押し込めて飼っていた野鳥だ。幼鳥のころから育てたのではなく野生を捕獲し、戦利品程度に扱っていたのだろう。

 籠のなかで暴れつづけて羽根は散り、傷だらけの籠に閉じ込められていたミミズクは、琥珀色の目でイリヤを見つめていた。ミミズクから注がれるあまりに強い視線に負けて、つい目を合わせてしまった。猛禽と目を合わすべきではないのに、目を見て近寄ってもミミズクは暴れたり鳴き声をあげたりはしなかった。

 見事な細工で絢爛に飾り立てられた鳥籠は、翼を存分に広げられるだけの大きさはない。華奢な作りに見えるのは貼りつけられた外側の装飾だけで、籠本体はミミズクがどれだけ暴れようとも壊れそうにないほど頑丈な作りだった。潜入中は標的以外には絶対に触れないけれど、籠のなかのミミズクから目が離せなくなって、気づいたら手が勝手に動き、あとひと蹴りで蝶番が外れるようにイリヤは扉に仕掛けを施してしまった。その場を去ったあと籠が壊れる音がして、ミミズクは無事空へ戻れたことを知った。

 それがなぜあとをついてくるのかはわからないが、すくなくとも恨まれてはいないらしい。

 そして、そのころに受けた新しい依頼。あのミミズクの目と同じ色の髪を持つリゼと出会ったのは偶然ではなく、リゼを殺すためだった。


「約束って……依頼のこと?」


 言葉に詰まってリゼを見ると、彼女はそしらぬ顔で首をかしげ、まだ自ら語るつもりはないらしい。開きはじめた記憶の蓋をこじあけて、必死にリゼとの出会いにさかのぼる。

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