~式神ナナツの因縁~
鴻池駅から西へ4駅の天神橋駅。
ここは鴻池エリア再開発計画以前よりある住宅街で、駅周辺は昭和な雰囲気が色濃く残っている地区である。
東側には住宅地、西側には『地域一番店』の天馬屋ショッピングセンタービルを核に商業施設が集まっている。
駅東へ歩くこと5分。
住宅街の中に年代物のコンクリート塀に囲まれた、『碧山中学校』が姿を現す。
空襲跡の残る焼け焦げた塀の一角は、『戦史遺産』として県から指定を受けている歴史の長い学校である。
月曜日、多くの学生にとっては憂鬱な一週間の始まり。
3年4組の教室の扉が開いて、ツインテールの小柄な女の子がぴょんと教室内に入って来た。
「おっはよー。」
「あ、おはよー、紗彩。」
ツインテールの女の子、石川紗彩はゴキゲンな様子で女の子の集団に歩いて行った。
「ねぇ、石川さん知ってる? ウチのクラスの西園寺たちのこと。」
「ああ、あんまり関わりたくヒトたちよね。何かあったの?」
紗彩はちょっと声をひそめて大きなタレ目をきょろきょろと動かした。
「あれ、紗彩、知らないの? 昨日の5時のニュースでやってたの見てない?」
「あ、その時は『雪月花』で涼子さんとお話しに花が咲いてたから。」
「あの甘味処? 紗彩、好きねぇ。」
「だって、涼子さんとお話ししてると楽しいんだもん。紗彩、時間が経つの忘れちゃう。」
ニコニコして話をする紗彩の傍らの女子が、本筋の話題に戻した。
「あいつら、高島駅のコンビニで大麻吸って昏倒したそうよ。」
「で、入院してるんだって。」
「ふ~ん。じゃあ、当分登校できないわね。」
紗彩は下げていた学生カバンを床に置いた。
「ココに復学出来るかも怪しいんじゃない? 出てきたら絶対マスコミとかが群がって来るし。」
女の子友達がちょっと小声にして話した。
「そうなんだ。じゃあ、紗彩もテレビ用にコメント考えておかなきゃ。」
真剣な顔で紗彩が囁いた。
「さ、紗彩って、考え方が斜め上よね。」
「そう?」
そんな話をしていると、教室の後ろの扉がそっと開いて、そこから気の弱そうな男の子が顔を覗かせた。
「あ、笹山くん、おはよー。」
紗彩がにっこりと笑って挨拶する。
「あ、石川さん・・・おはよ。」
はにかんだ彼、笹山修一は少し上目遣いに紗彩を見て、そそくさと自分の席に就いた。
「ねぇ、紗彩。笹山にも挨拶?」
小声でグループの女子が囁く。
「うん? クラスメイトだもん。悪い事ないでしょ?」
「そうなんだけどさ。何か笹山ってクラいんだよね。見た目はそんなにキモいわけじゃ無いんだから、もっと普通にしてれば良いのに。」
「そう言えば、西園寺たちが笹山イジメてたよね? 昨日のことで笹山、ちょっと気が楽になってるかも。」
席に就いた修一は窓際の席をチラ見した。
(僕があの妖に命令したから・・・)
『何を怯えておる? どうせ生かしておいても、この先害毒を撒き散らすことしかできぬ輩じゃぁ。おぬしの決断は社会的にも良いことをしたのじゃ。もっと自信を持て。』
修一の頭の中に妖艶な女性の声が響いた。
予鈴が鳴り生徒はみんな席に就く。
ホームルームにやって来た担任教諭がこのクラスの西園寺騎士・西原勤・大野晃司の大麻事件について話を始め、クラスアンケートとして全員にプリントを配った。
生徒達が妙にしんとしてペンを走らせる。
その教室の天井に、10センチぐらいのヤモリがちょろりと這って中庭側の天窓へと移動して行った。
鴻池駅から見える小高い丘。その丘の前の公園には御影石製の高さ5メートルの大鳥居が陽光に輝く。
大鳥居から石段で丘を上ること二百二十段。
上りきると左右に参道が伸び、右側は参拝者用の駐車場、左側は拝殿に向かう朱の鳥居が建っている。
朱の鳥居をくぐり、手水場、参門、石畳と過ぎ、12段の石段を上ると正面に源綴宮の拝殿が姿を現す。
拝殿正面の左右に大きな山桜の古木が茂り、桜の季節には観光名所となっている。
拝殿を正面に右手側に社務所の棟があり、その『談話室』の中に黒ずくめの禎茂保昌とその秘書のササメが並んで座っていた。
出されたほうじ茶を軽くすする保昌の隣で、水色銀髪のササメはきょろきょろと部屋の中を見回していた。
廊下からさらさらと衣擦れの音が聞こえ、襖がすっと開く。
角刈りで大柄な体格の、神職衣装を着た青年が笑みをたたえて入って来た。
「いやぁ、兄貴がしばらく『里』の方へ行ってるんだ。保昌さん、要件は俺がうかがっても良いかい?」
この青年、黒田博通は机を挟んだ正面にどっかりと腰を下ろした。
「ああ頼むよ、博道くん。この子はササメ。僕の秘書をやってもらってる娘だ。」
「保昌さんにはいつもお世話になってます。権禰宜の黒田博通です。よろしく。」
「はい。こちらこそ。」
博通とササメは握手を交わした。
「おっ。あんた雪女か。どうだい、ニンゲン側の世界は?」
少し驚いた顔をした博通は、すぐににかっと笑ってササメを見つめた。
「うわ、こんなに早く看破されたのは初めて。さすが保昌サマのご友人ですね。」
ササメが大きく目を見開いた。
保昌が傍らのブリーフケースから一個のUSBメモリーを取り出した。
「ちょっと見てもらいたいものがあるんだ。良いかな?」
「ああ。兄貴に比べてPCスキルは高く無いが、そのぐらいなら出来る。」
傍らからノートパソコンを引っ張り出して起動させ、保昌の持って来たUSBメモリーを接続する。
開いたウインドウに店舗入り口からの角度で、どこかの駐車場の様子が映し出された。
「Fマート高島店の防犯カメラの映像だ。端の方になるんだが注意して見てくれ。」
一緒にディスプレイを覗いた保昌が、ウインドウの右上の辺りを指差した。
店舗側でしゃがみ込んでダベっている三人の少年から時折白い煙が吹き出されている。
咥えタバコで、妙に陽気にゲラゲラと笑っている三人の顔がはっきりと映っていた。
程なくして、三人が画像の右上端の方に体を向けると、わらわらと走って行った。
その先に青いポロシャツの少年が居て、その少年をこの三人が壁際に追い込んで取り囲んだ。
「ふ~ん? 恐喝現場ってところかな?」
「君もそう見えるかい? で、ここからが見ものだ。」
三人のうちの一人がぐいっと体を屈めて、怯えた様子の少年を覗き込む。
少年のポロシャツの胸ポケットから金褐色のものが飛び出し、恐喝していた一人がそのまま崩れ落ちた。
壁にもたれたままの少年を置いて残りの二人が画像の外のほうに向かって消え、その2~3秒後に一人が放り投げられるような軌道で画面に戻って来て地面に転がった。
そして右上端に、最後の一人の喉笛に咬み付いている、白い、鼻先の尖った犬のような生き物の顔がちらりと映った。
「君ならこれをどう見る?」
止まった画像を指差して、保昌は博通に視線を送った。
「犬に襲われたんならピレネー犬かマスチフ犬ぐらいの大型犬だな。だがこのポロシャツの子が逃げ出していない所を見ると、単に狂犬が人を襲っている場面と言う訳ではなさそうだな。」
保昌は短く頷くと説明を始めた。
「この映像は先日の土曜日の20時前あたりのものだ。この三人の中学生は大麻使用の容疑がかかっている。」
「ああ。ニュースで言ってたヤツだな。『若年層の薬物汚染』とか。」
「この不良のうちの一人、西園寺の両親から『息子の冤罪を晴らしてくれ』と依頼を受けたんだ。」
「はっ。冤罪も何も、ばっちり画像に映ってるじゃないか。」
博通が鼻で笑った。
「ああ、調査していても良い評判は聞かなかったな。まぁ、おおかたの予想通りの素行のヤツだったよ。」
画像の中で転がっている少年の姿をコンコンと爪で突いて、保昌が続ける。
「ホントならこれで調査を終了させて報告書にまとめるトコなんだが、この映像を見て個人的に終われなくなってね。」
保昌が弱ったように笑みを浮かべた。
『保昌よ、回りくどいぞ。ヤツだ。ヤツに違いない。』
談話室に野太い声が響いた。
「その声はナナツだな。」
博通が天井を見上げた。
『博通、久しいな。この室内は我には狭いので姿は出さぬぞ。』
「この生き物に心当たりがあるのかい?」
『ああ、忘れるものか。霊威が回復しておらぬからか、かなり小型化しておるがこのツラ、思い出しただけでもヘドが出る。』
野太い声が毒づいた。
「ナナツが言うに、こいつは『白面金毛九尾の狐』だそうだ。」
保昌が画像を指し示す。
「九尾の狐と言えば、平安京で災厄を撒き散らし、陰陽師との闘いに敗れて『殺生石』になったって言う?」
『ああ、そいつだ。華陽夫人を名乗っていた頃、「星の都」に乗り込んで我の同胞たちを惨殺して行きやがった。殷の妲己の時に、道士たちと共に退けはしたが、我の同族は滅び、我も右腕の一本を喰いちぎられた・・・』
ナナツの声が低く沈んだ。
「殺生石の大部分は那須高原の地に呪の縛りと共にあり、戦闘の際に飛び散った破片は各地の術者の管理の下にある。つまり、こんな所にひょっこり出て来られるとは思えないんだ。」
保昌は、ちょっとお茶をすすって博通を見た。
『それは日本人が好きなタテマエと言うヤツだろ? 事実ヤツがそこに居た。放っておけば災いにしかならぬ! 我の腹のムシも収まらぬわっ。』
部屋を揺らすほどの怒号が響いた。
「と、いう訳で依頼の件とは別に、このポロシャツの少年が何かを知っていると踏んで調査中だ。そこで別のほうからのアプローチを頼みたいんだ。」
「聞きましょう。」
博通は背筋を伸ばした。
「殺生石の破片の行方をリサーチして欲しいんだ。殺生石は破片一つにも九尾の分霊が宿っている強力な呪物だ。その所在は伊勢のトップシークレット扱いなので『鬼狩衆』の君達の権限で調べて欲しい。」
「ふむ。本来の保管場所からの移動や紛失の事案を探れと言うことですか?」
「ああ。些細な動きでも一旦、結界呪から出せばそれなりのリスクが生じる。その隙に何かが起こったとしても不思議は無い。」
保昌が真剣な顔で博通を見据えた。
「解りました。先ずは俺に出来る範囲でリサーチして、兄貴が帰ってきたらツメてもらいましょう。」
博通はそう伝えると、モニターの中の白い顔の狐の画像を見つめた。