どす黒い具現化
第二章 どす黒い具現化
華月という妖が私達の生活に加わって来たのだが、特に大きな変化は起こらなかった。今が夏休みという時期なのが私達の救いだった。この四十日程の間に華月に細かな事を教えることができる。華月は独学で人間文化を観察、そして勉強していたみたいで、ある一定の常識は理解している様だった。
国語はきちんと理解している。漢字は大丈夫。算数はまあまあ理解している。数学は駄目。英語駄目。理科駄目。社会駄目。日本史世界史駄目。白い色が好き。服装は黒を好む。化粧水をやる意味をわかっていない、が、化粧には興味がある。買い物が好き。静かな場所が好き。賑やかな場所も人を観察出来るので好き。洋菓子好き。自転車にはすぐに乗れた。漫才が好き。コントも好き。飛び道具系はいまいち理解出来ない。本を読むのは好き。時代劇好き。任侠系好き。ゲームはあまり好きではない。散歩好き。車好き。肉より魚の方が好き。漫画より活字が好き。トイレの進化に驚いている。しきたりを守ろうとする。
などなどこの二日間、妖と一緒に生活してわかった事はざっとこれ位。大河さんは私よりもっと理解しているだろうが。二学期から私達と同じ高校に通える様に、陽子さんは学校に手続きをしておられるみたいで、葉月はこの夏休みで、ある程度の学力の向上が必要だった。明後日から全教科の家庭教師が来るみたいで、学校生活のリハみたいなものが始まるみたいだった。
「楽しみだわ」と華月は嬉しそうにそう答えた。私はこいつに振り回される未来が目にありありと映った。大河さんは妹ができたみたいで嬉しいと、課月に引っ付いて色々と教えている。大河さんなら極めて一般的な人間の常識をきちんと教えてくれるだろう。そう思っておこう。
妖と出会ったからといって、何も一日中一緒に居なければならない、という事はない。私だって一人になりたい時はある。人と合わせるのがあまり得意でない私にとって、むしろ一人の時間がないと息が詰まる。丸太町通を東に行き烏丸通りを南に下る、歩道は人で溢れており、自転車のペースがかなり落ちる。私の近所とは大違いだ。
いつもの自転車駐輪所に自転車を預けて、私は四条河原町近辺を散策する。まずは服だ。去年から夏服は何も変わっていない、昨日収納ボックスの中を見てみたら、ほとんどの服が高校生っぽくない気がした、ガキっぽく感じた。今着ている黒のチェックやピンクのパーカーなど、高校生が着るものじゃないわ。もっと大人っぽく、別に雑誌に出ている高校生モデル達の様になろうなんて思っていない。ただ、私が納得できる高校生らしい服が欲しい。まずはそれを探そう。
淡い青のワンピースを見つけた。足が止まった。「おっ」と声が出た。店は鰻の寝床の様に奥に広い、一度入って奥の方まで行くと店員に声を掛けられそうで嫌だったが、もっとまじかで見てみたいと思った。
入口から数歩入った所にそれはあり、私はワンピースを触ってみる。悪くない、値段も十分買える範囲だ。店内を見てみると奥の方に一人お客さんが居るだけだった。わざわざ手に取ってキープしておく必要もないと判断した私はこの店の中を一通り見てみようと思った。なんというか丁度良い、丁度高校生の私が着るべき様な服が、スカートが、カーディガンが陳列してある。早くも私が着るべきショートパンツが飾ってある。白と青のTシャツも私の心を掴んできた。あ、この白と赤のワンピースは大河さんに似合いそうだ。華月には明度の濃い、この紺色のカッターシャツとか似合いそう。大河さんのお古なのか知らないが、昨日の華月は黒いジーパンに黒いTシャツという真っ黒な服装で居た。華月は肌の色が白い、それがとても美しいというのは大河さんも、あの夜ファミレスに居た関係者達は全員わかっているだろう。だが黒と白は無彩色、本来はあまり目立たない組み合わせのはずなんだが、課月の肌は妖だからだろうか、私達人間のあずかり知らないもの様な白だった。逆に異様に目立ち存在感が隠し切れない程だった。あの子には肌の白を少し柔らかく見せる彩度の高い色が丁度良いんじゃないかと私は思う。
お店を出て、スマホに目を通す。午後四時前、まだまだ陽は高く街には熱気が漂っている。久しぶりに一人になった気がしていた晶は、この自由な時を楽しむ為に四条界隈を色々散策してみようという気になっていた。鴨川より西のエリアは友達とよく遊びに来ていたらしく、晶の足は西には向かない、鴨川を渡った先のエリア、祇園界隈の事を良く知らない晶はそちらの方に行ってみようと考えた。四条大橋を渡る時、河川敷に等間隔で恋人達が目に入った。橋の上から南の方にずらっと恋人達が座っている。
多分どちらかが京都の出身なんだろう。「これが京都のデートスポットだよ」とか考えてここに誘ったんじゃなかろうか、そう考えると男性が京都人っぽいな、と晶は冷ややかな目で「座っているだけで、何が楽しいんだろう」と考えていた。
ここから先は夜の街だ、という事で昼間この辺りをうろついても三十パーセント程しかわからないだろう。だが、普段は見ないキャバクラやスナックの看板が晶の興味を沸かせた。大通りからほんの一筋程の裏側には、表と違った違う表情がある。なんだろうか、昼間は完全に眠っているこの道を夜に歩いてみたい、高校生になったからであろうか? 何か刺激的な出来事が起こらないかと、心の奥底で新しい感情が生まれている。スーツ姿の若い女性をちらほらと見る、私もスーツ姿になる頃には来たくなくても、来なければならなくなるのかもしれない。
「――これも可愛い」
流石京都の観光地、世界に向けて恥ずかしくない様な気品があり、そして可愛いお土産の品が置かれている。四条通りに並んでいる店舗は京都のお土産というテーマに、細やかな我流を織り込んだ品で外国人観光客を楽しませている。
「今度、華月の奴も連れてきてあげようか」
さっきの店で見かけた藍色のハンカチなど似合うかもしれない。あの黒いチョーカーは小夜ちゃんに似合うかも。
西の空が青から赤になりそうになっていたので私は四条通りを西に向かい、家に帰る事にした。四条大橋の上はさっき通った時より人が多く、サラリーマン風の大人が忙しそうに歩いている。「私もいずれそっち側になるんだなぁ」と周りを見ながら歩いていると、
「――ん」
向こうから歩いて来る女性、いや女の子。服装は友達にそっくり、身長も体形もよく似ているが、金髪だ。
「・・・・・・んん? 」
向こうもこっちの進行ルート真正面に歩みを向ける。あれ? あれれ?
「おいーっす晶ちゃん、こんな所で何してんの?」
「いやいや、小夜ちゃんこそ・・・・・・何してんの」
呆気にとられている私を、
「そこに止まって居たら邪魔になるよ、端に寄ろうよ~」
手摺に体を預けて小夜ちゃんは夕日に染まりかけの川を見る。
「小夜ちゃん、その髪はどうしたの」
「ん~・・・・・・どう? 似合ってる?」
「似合ってるよ、ぶっちゃけかなりいけてる。でも駄目でしょ」
「だよねー、駄目だよね。でも似合ってるって言ってくれるのは嬉しいな~」
そういって小夜ちゃんは笑顔でこっちを見返している。「あはは」と笑いながら、でも、なんだろう? 少し陰が含まれている様な。
「あはははは・・・・・・はぁ」
「何かあったの?」
「あぁ~・・・・・・あ?」
上目遣いでこっちを見ているその目からは何の意図も読めない。・・・・・・何かあったんだなと今察した。こんな目の小夜ちゃんは今まで見た事なかったからだ。いや、見せない様にしていた小夜ちゃんを知っているから。
「あのね~・・・・・・」
「うん」
「お母さんがね~・・・・・・怒らないの、怒ってくれないの」
「・・・・・・は?」
「だからね、お母さんが私を怒ってくれないの」
なんだ? 小夜ちゃんの家族は放任主義なのか? 夏休みだから羽目を外しても別にいいよと、自由な教育方針なんだろうか。
「いや~実はね、私の両親って離婚しててさ~」
「え? あ、そ、そう」
急に重い話になった。出会った時より空の夕日が重々しい赤色を発している気がした。
「うちのお母さんさ~、男勝りというか~、サバサバしてるって言うの? 結構口うるさく注意とかしてくれてたんだけどさ~、離婚してからね、あぁ、離婚はうちが中学三年の時にさ~、お父さんが会社の人とさ~浮気しちゃったみたいで~」
「わかったわかった、あんまりそんなプライベートな事を・・・・・・」
「男ってさ~最低だよね~」
顔は笑っている、が、まだ許していない。それは笑い声が私達と居る時より低い、ほんの少しだが、静かな怒り。
「で、離婚してからさ~、なんだが弱気? になったみたいでさ~、私がだらだらしてても、あんまり注意とかして来なくなったの」
足先の裏で、石橋をガリガリと力強く擦っている。どんな話題にもリベラルにやんわりとした受け答えをしてくれていた小夜ちゃんが、家族の話題だけはあまりしない方がよさそうだ。
「そ、そういえばさ、小夜ちゃんはこれから何処行くの? 向こうに行く用事でもあるの?」
「私さ~一昨日からバイト初めてね、この時間から夜の九時まで、割といい値だったからね」
「夜の九時までは不味くない?」
「夏休みだけの短期バイトだから、ばれなきゃ大丈夫だよ」
何時もの笑顔の様に見えて、やっぱりなんか違う。でもなんか・・・・・・色々あるんだろうな。
「朝と昼は遊べるの?」
「うん、大丈夫やで。別に毎日シフトが入っているわけじゃないし~」
「あ、じゃあさ、近く何時空いてる?」
「ん? 別に明日は空いてるよ」
「んじゃ、明日の夕方、大河さんの家に来れる?」
「ん? 別に大丈夫だけど、私大河さんの家って初めてだけど、なんかあるの?」
「実はね・・・・・・」
小夜ちゃんに華月の事を簡単に紹介しておこう。妖の事とかは別に隠しきればそれでいいだろう。
――いや、言うだけ言っておくべきか?
もしもの時が起こると想定しておくべきか?
――小夜ちゃん嘘つくの上手そうだからなぁ、大河さんより。
「まあ、来たらわかるよ」
「んじゃ~、また明日ね」
「うん、それじゃ・・・・・・あ?」
今気づいたが、小夜ちゃんの背中から、大きな黒い羽根、鳥の一枚羽の様なモノが風に凪いでいる。なにこれ? 小夜ちゃんの・・・・・・アクセか何か? え? すっごく小夜ちゃんらしくない、ださい。
「そんじゃ、一仕事行ってきますわ~」
「あ、ああ・・・・・・」
小夜ちゃんはひらりと東の方へ身を翻し歩いて行く。その背には・・・・・・何も異変は無い。今この時も四条大橋は人通りは多い。さっき一枚羽を見かけた時、たまたま近くの人が持っていた気味の悪い羽根が小夜ちゃんの後ろに合わさっただけなんだろうか? ――多分そうなんだろう。たまにはそんな事もあるだろう。そう思っておこう。
「さて、帰りますか」
随分と暮色も濃くなってきた。丁度晩御飯ができる位に帰れるかなぁ?
「お~、すっごく綺麗なロンストですね」
「貴方の髪の毛、あまり見ない色だけど・・・・・・とても綺麗だわ」
華月と小夜ちゃんの出会いは実に穏やかに始まった。華月も己のストロングポイントだとわかっているであろう長髪を、小夜ちゃんは見事に褒め倒した。華月も大仰に褒められたせいか、かなり照れている。顔を赤らめている。
「晶さん、二人共上手くいきそうですね」
「そうだね、まあ小夜ちゃんなら、華月とも仲良くできると思っていたよ」
「そうですね、小夜さんなら」
昨日の夜に大河さんと、華月の正体をどうするか? という相談をした所、意外な事に大河さんは正体を隠そうと言い出した。
「小夜さんに余計な気を使わせないでおきましょう」
まあ、大河さんがそう言うならそうしておきましょう。私はベッドに寝転びながら、「まあどっちでもいいか」位の気持ちで話を聞いていた。普通にしていれば・・・・・・ばれない。大河さんもきっちり華月を教育してくれるだろう、と思っていた。
「なんか良い雰囲気ですね」
「うん、なんかとっても楽しそう」
「さてさて、ここじゃあなんですから、家の中に入ってゆっくり話しましょう」
大河さんはお見合いの仲人の様に、自然と年寄りくさい喋り方になった。いや、古風と言っておこう。今日も日差しが強い夏日である。エアコンの効いているであろう部屋に入って・・・・・・
「ねえ晶さん、小夜さんの背中に・・・・・・黒い羽根の様なモノがありません?」
え? え? あるの?
「小夜さんにしては・・・・・・随分と趣味が悪いというか、気味が悪いというか」
それは昨日私も見た。でも、今その羽根は私には見えないんだけど・・・・・・大河さんが嘘をついているとは思えないが。
その瞬間、私側からは見えない小夜ちゃんの左腰から、黒い羽根が戦いでいるのが見えた。しかも白い模様の様なモノが付いている。なんだろうか、昨日見た時より・・・・・・不快な気持ちにさせるモノだ。
大河さんもそうなのだろう、表情が険しく感じる。小夜ちゃんと華月が楽しそうに話しているのが一層、不気味に見える、あの黒い羽根のせいで。
「ところで小夜子、貴方どこで祟られたの?」
「え?」
反応したのは私達の方だった。小夜ちゃんは「何を言ってるの?」という感じで受け流している感じだ。
「ち、ちょっと華月、祟られてるって・・・・・・どう言う事?」
「貴方にも見えているんでしょう、この黒い羽根が」
「・・・・・・見えてる」
「何が? 何かあるん?」
小夜ちゃんは私達が見つめている視線の先、腰からお尻の辺りを何度も見ている。だが小夜ちゃんには見えていないのだ。
「かなり力は弱い、弱いのだけど・・・・・・何かしら、強い感情が籠っていて不気味ね」
「何? さっきから何を言ってるの華月ちゃん」
華月に聞いているが華月は黒い羽根を見ながら何かを考えて込んでいる。小夜ちゃんはこっちを見た。
「晶ちゃん、大河ちゃん、どういう事なの? 私のお尻に何か・・・・・・あるの?」
私達の様子を見てか、小夜ちゃんも不安になっていた。笑顔は無くなり目の奥に焦りの色現れだした。その様子を見て、真実を言うべきが否か、大河さんと目が合い、彼女は首を下に下げた。
「あの・・・・・・」「小夜さん、真実を話します、実は私と晶さんには小夜さんの腰の辺りに黒い羽根の様なモノが見えております」
「え? 黒い羽根? そんなモノどこにも付いてないよ?」
「いや、ある。見えてる」
「だからどこに? 三人で私をからかっているの」
駄目だ、小夜ちゃんは現実的だ。私達がドッキリか何かをしているんだと思っており、今度は怒りの表情が目に現れだした。
「あれ?何かこの羽根が、さっきより濃く見える、濃くなった様な気がする」
「だからさっきから何を話しているの、ちゃんと答えてよ」
小夜ちゃんが眉をひそめる、こんな顔を見た事がなかったから、この状態の小夜ちゃんへの対応がわからなかった。
「私と晶さんが見えるのは・・・・・・やはりあの事が原因でしょうか?」
「ええそうよ、貴方達を我がしもべ・・・・・・いえ、眷属にした時に私の父の方の能力が伝播したのでしょうね」
なんて厄介な能力だ。もしかしたら見なくてもいいモノが見えてしまうという最悪の出来事が起こるのでは。
「小夜子、黒い羽根が見たいのなら簡単よ。貴方も私の眷属になれば・・・・・・」
「ちょっと待って、それだけはちょっと待って」
「何よ、邪魔する気?」
「眷属って、小夜ちゃんの血を吸う気?それは直ぐには決めさせられない」
「・・・・・・私も晶さんと同じ考えです。そう簡単には決められませんわ」
「・・・・・・晶ちゃん、大河ちゃんも何があったの? 本当の事を話してよ」
今度は不安そうな顔で私達を見ている。しまったなぁ、こんな顔を見る気はなかったのに。
「わかりました、では全てをお話しします」
長い話になるという事で私達は大河さんの部屋に招待された。
過日に起こった出来事を、大河さんは丁寧に小夜ちゃんに伝えた。私が口を挟むと逆にややこしくなりそうだった。
全てを聞いた小夜ちゃんは、恐らくまだ全てを信じていない。やはりこの黒い羽根が見えない事には百パーセント信じはしないだろう。現状恐らく九十パーセントってところかな。だが平時の笑顔は取り戻した。これは素直に私達を信じてくれていると思ってもいいだろう。
「で、華月ちゃん、私はなんで祟られてるの?」
ファミレスで家族間での事を楽しそうに聞いていた、その内容を聞いて華月の事も多少は信じたんだろう。楽しそうに話していた瞬間の空気がまた流れている。
「小夜ちゃんは誰かに恨まれる様な事を・・・・・・やっちゃった?」
「な、なんにもやってないと思うけど・・・・・・もしかしたら知らない間にやっちゃったのかもしれないけどさぁ」
「それは大丈夫だと思います。小夜さんは優しいですからそのような事は絶対にありませんよ」
「ありがとう大河ちゃん」
「でも・・・・・・じゃあなんで・・・・・・」
「晶、貴方さっき羽根が濃くなったと言ったわね」
「うん、そう思ったんだけど」
「私もあの時、黒が一段と濃くなった気がしたわ、見間違いかと思ったけど貴方も見ていたなら間違いないわね」
「あの時、私達は何の話をしてたっけ」
「皆が私にドッキリを仕掛けているんじゃないかって、問い詰めた時だよ」
えらいニコニコしながら小夜ちゃんが返事をする。怒ると笑うタイプなのかな?
「小夜子、その羽根は貴方の感情に依存している様よ。貴方にこにこ楽しそうに笑っているけど、かなり感情の起伏が激しいのね」
「えへへ、そうかなぁ」
すごい、華月は小夜ちゃんのリアルな一面を言い当てた。
「あの時、確かに小夜さんは怒っていましたね。最近何か怒れる事があったのですか」
家族の事だ。
「ん~・・・・・・家族の、お母さんの事かなぁ~」
デリケートな問題だ、家族間の事を私達がとやかく言える資格はない。
「ねえ小夜子、貴方の家族に会わせてくれないかしら? もしかしたら貴方の家族が原因かもしれないわ」
「ちょっと華月、それは止めておこうよ。人間の世界では家族の問題に他人は口出ししない方がいいんだよ」
「何よそれ、私は小夜子に憑いているこの気味の悪い羽根を取ってあげようと言っているのよ、何故それが間違っているの?」
「華月、貴方は間違っていないよ。でも、小夜ちゃんの家の事にあまり深く立ち入る事はできない。それが人間のルールだから」
「えらく歪んだルールなのね」
「晶ちゃん、別にうちは大丈夫だよ。それよりお母さんが心配だからむしろ華月ちゃんに見て欲しい。」
「親が祟られているとか、それは家族として、とても心配ですよね」
「そうよ、心配よね普通」
華月が流し目で、しかも勝ち誇った様な目でこっちを見た。非常にイラつく。
「・・・・・小夜ちゃんは、お母さんが祟られているなんて信じられないよね」
「いや、信じてもいいかなぁ~、晶ちゃんと大河ちゃんが嘘をついてる感じじゃないし~」
私と大河さんを見ながらしっかりと答えてくれた。そこに私達の繋がりが確かに感じられた。信じてくれているなら、私もきちんと信用に答えなくてはいけないな。
「じゃあ小夜子の家に行きましょう」
華月も悪気で言っているんじゃない、今さっき出会った小夜ちゃんと友達という繋がりを華月も持ちたいんだろう、その事は私達にとっても悪い事じゃない。
「小夜ちゃん、今から行っても大丈夫?」
「いいよ~、お母さんも家に着く頃には帰ってきてるだろうし」
華月は赤いシティサイクルの自転車を買ってもらっていた。スラっとした体躯に長いロングヘアー、ロードバイクなどの競技用が似合いそうな気がするが、本人は「籠が無いのは絶対に嫌」との事。そしてまだ慣れていないのか京都の細い路上にかなり苦戦している。大河さんが殿で優しくフォローをしながら小夜ちゃんの家を目指す。
夕刻は終わり夜が始まる頃合いに小夜ちゃんの家に着く。小さなアパートで部屋数は一階二階合わせて十部屋しかない。言っちゃなんだが、ぼろい。薄い鉄板の階段を「カンカン」と音を鳴らしながら二階に上がってすぐの部屋の前に立つ。
「ただいま~」
鍵を開けて「さ、どうぞ」と私達を家にあげてくれるジェスチャーをしてくれたので家に上がる。入ってすぐの所に台所があり、すぐ奥に畳の和室が見える。
「あら・・・・・・小夜子、お友達なの?」
小夜ちゃんのお母さんが奥の部屋から姿を現した。
私はこの家に入ってから「狭いなぁ」と思っている事を、小夜ちゃんにばれないようにするにはどうしたらいいかと考えていたが、その思考は吹っ飛んだ。
小夜ちゃんのお母さんは体は大きくなく、表情は弱弱しい、ボブヘアーで目元を隠している様子が更に表情を暗くしている気がする。
そんな事より、小夜ちゃんのお母さんの背中には、小夜ちゃんが付けている黒い羽根が沢山ついている。孔雀の様に黒い羽根がお母さんの周囲を真っ黒に映し出している。
「こんばんは、私、桜乃華月と申します」
後ろから華月が挨拶をした、振り返って見ると、大河さんもその黒い孔雀を見て唖然としている。口を閉じながら凝視している。
小夜ちゃんのお母さんが動く度に黒い羽根がもっさもっさと揺れる。真っ暗な闇の中に飲み込まれている様に見える。これは祟られてますわ。
挨拶が終わり、部屋の中に招待されたが、どうにも羽根が気になってしまう。
「ねえ、お母さんどうなの?」
「なんか、凄い事になっている」
「・・・・・・やっぱ祟られてるの?」
「ええ、そうね」
「治して・・・・・・くれるんだよね?」
「ええ、私に任せればいいわ」
華月は余裕のある微笑を見せた。どうやって除霊? するんだろうか? この羽根を全てむしり取ればいいのだろうか?
「華月、一体どうすればいいのかしら」
「簡単よ、この羽根を全て毟ればいいんじゃないかしら」
・・・・・・かしら?
「華月・・・・・・ほんとにそれで大丈夫なんですね?」
大河さんも疑わしい目をしている。この妖、実はかなり適当なんじゃないか?
私の疑わしい目を見て気に入らなかったんだろうか、御茶の用意をしておられるお母さんに華月は近づき、その羽根を一枚抜いてみた。痛感があったのだろうか、小夜ちゃんのお母さんは何かに反応した。
「何か今、糸の様なモノが」
大河さんはそう言ったが、私には何も見えなかった。糸? そんなモノがどこにある?
「今、この羽根の主に触れた気がする、もしかしたらこっちに来るかもしれないわ」
危険だ。華月は私達と触れ合い違っていた。だけど今から来る妖はそうじゃない。明らかに敵意、悪意を持っているに違いない。そんなモノが来るのか? 今ここに。
「華月、大丈夫なの? どうにか・・・・・・できるの?」
「私より強い妖だったらどうしようもないわね」
何を呑気な、ここに居る皆が危害を加えられる可能性が・・・・・・
「晶さん大丈夫ですよ」
大河さんが小声で教えてくれる。
「華月がああいう言い回しをする時は余裕があるという事ですよ。ここ数日一緒に暮らしていてわかりましたが、かなりの天邪鬼です」
ふふ、と大河さんは優しく微笑む。彼女の人となりが私よりわかっているのだろう。
華月はもう一枚、羽を毟り取ろうとしたその時、奥の部屋から「ドスン」と、何かが落ちてきた音がした。
「なんじゃいな・・・・・・」
目が合った。
黒い大きな鳥と。
私はその瞬間止まった。
「華月っ!」
大河さんが叫び、華月はその妖を睨みつける。
「なになに? 何かあるの?」
「向かいのマンションに何かあったの?」
羽藤親子には見えないそれは、大きな黒い怪鳥だった。日本ではまず見ない大きさ、その黒い黒い体毛も私は見た事がなかった。
そしてその顔、私はこんなにも悪意に満ちた顔を見た事がない。
左右非対称、左の目尻が大きく大きく上に吊り上がっており、顔の骨格から大きく逸脱している。口もそうだ、左側口角も大きく吊り上がり、嘲笑っている様な表情を見せる。
成程、妖だ。こんなモノが、居るんだな。関わっちゃいけないモノだ。見えない小夜ちゃん達が羨ましく思った。
華月が窓に向かって駆け出した。
「え? ええっ!?」と小夜ちゃんのお母さんは驚いた。こんな小さなアパートの一室を本気で走り抜ける、そんな事は常識外の事だっただろう。だが窓の外にいる人外に私達の常識は通じない、華月の持っている常識に任せた方が良い。
反応は早かった。黒い鳥は華月のダッシュを見るや否や、羽根を大きく羽ばたかせ上空に逃げて行った。
「追うわよ、あいつは今何とかしなければ不味い奴よ」
あれを、追うのか。追わないと駄目なのか。
不味い、という言葉に小夜ちゃんは反応した。明らかに不安になっている。横に居るお母さんは状況がわかっておらず、あたふたとしている。その挙動に黒い羽根が狭い空間であらぶっている。確かにこの羽根はやばい、どう見てもやばい。
「早く! 自転車で奴を追うわよ!」
「行きますよ晶さん!」
「う、ああ、わかってるよ! 行こう!」
「私も行くよ晶ちゃん」
「小夜ちゃんはここに残って・・・・・・」
「お母さんは晩御飯の用意をして待ってて、あ、皆の分もね」
黒い鳥はそんなに早くは動けないらしい。急いで自転車を漕げば何とか付いて行ける。信号が赤の時はかなりひやひやしながら渡っている。
「ねえ! 三人には何が見えているの? 空に何か居るの!?」
時刻は夜の七時前だが、今日はまだ随分と明るい青空が残っている。その空を悠々と大きな黒い鳥が泳いでいるこの光景は、どこか幻想的な雰囲気を出していた。
といって、呑気に漕いでいる訳にはいかない。腐っても鯛というべきか、かなり急いで追跡しないと、その姿を見失うだろう。
華月はまだ自転車に慣れていないはずだったが、いつの間にか立ち漕ぎができる様になっていた。
どこまで逃げるのか、または巣に帰るのか。このまま山の方にでも逃げられたらどうしよう。そんな事を考えながら走っていると、妖がとある建物の上に降りていった。
「ここ、お母さんの職場だ」
小夜ちゃんがぽつりと呟く。
「ここに妖が、という事は、この中の誰かが小夜さんのお母さんに危害を加えようと・・・・・・」
「嘘だよ、私のお母さんは誰かに恨みを買う様な事やらないもん!」
「わざわざ建物の中に入るとは思えない、屋上かしら」
「あそこに非常階段があるけど、屋上まで行けるかなぁ」
まだ建物に明かりは点いており、人が居るのだろう。だが見渡す限りでは人の姿は見えない。作業自体は終わり皆が帰宅の途に就いているのか、潜入するチャンスではある。
「まずはさ、人目につかない様に建物の周りを調べてみようよ」
「小夜さん、案内とかはできますか?」
「無理~、私ここに来たのは初めてだもん」
「大丈夫よ、この黒い羽根からあいつの匂いをたどっていけるわ」
流石、鬼と吸血鬼と人の混合種。でも匂いが鋭いって鬼か? 吸血鬼か?
私達は華月の後を付いて行く。建物の中に入らず外の自転車置き場の方に進んで行く。さらに奥に進み、建物を右に曲がると電柱が在り、その下に人が居た。煙草を吸っている。喫煙所の様だ。
「あらま、どうしよう」
「どうしようも何もあの辺りから匂いが漂ってくるわ」
「ええ、じゃああの人が犯人なわけ?」
「あ、あの人動きますよ」
煙草を吸い終わるとその人は長椅子から立ち上がり建物の中へ入っていった。私達はすぐにその場へ向かう。
「確かに匂いはここからするわ」
周りを見渡しても、石壁と砂利道がある位で・・・・・・
「っ! 上!」
大河さんが上に指をさす。簡素ながらも木で出来た屋根がある。
華月が一階の開いている窓を足掛かりに屋根の上に上る。「あら」と一言漏らした。
居るんだ、そこに。
私も続いて上る。そこにはあの黒い怪鳥が静かに横たわっていた。
「寝て・・・・・・いるんですか?」
確かにそう見える。あの嫌な顔面左半身も眠っている表情は大人しい。
「そこに何か居るんだね」
「うん、気味の悪い大きな鳥がいる、寝てる」
「こいつ・・・・・・もしかして、まだ自分が妖になった事に気付いてないのかしら? それとも認めていないのか」
何か妖になるのにも複雑な手順があるのかしら
「どっちでもいいから、華月ちゃんなんとかして」
「そうですね、早く退治した方がよろしいかと」
華月は右手の袖を捲りあげ、右手を眺め始めた。こんな華奢な人間の体をしていても中身は鬼とか吸血鬼だ。鬼の怪力で思いっきり殴り倒すのだろうか?
と、華月の右手をよく見ていると彼女の指か細く、そして先端から鋭く、まるで五本のナイフの様に彼女の指が変わっていく。
「あ!?」と小夜ちゃんがその指を見て驚きの声を出す。その声に反応してこの妖モノだ。目を覚ました。だが目を開けた瞬間、横一線に腕を凪ぐ。黒い怪鳥は、長い首とその大きな体躯が別々にずれ落ちていき、首の方は屋根の上から落ちていった。嫌なモノを見てしまった。最後の最後に目が合った気がした。
「もう、大丈夫そうですよ、小夜さん」
「ほんとだ、黒い羽根が無い」
彼女の腰に憑いていたセンスが悪い羽根が消えていた。怪鳥の方を見るとその胴体も消えていた。私はあの首も消えているのかどうかの確認をした。そ~っと屋根の下を見ると。
無い。が、何かある。
「作業着の帽子だ、お母さんのを見た事ある」
拾ってみると確かに無地の帽子、特に何の変哲もない帽子だった。
「この会社の誰かのかしら」
「恐らくそうでしょうね、小夜子、明日お母様に最近居なくなった人間を聞いてみたらどうかしら」
「その人が、犯人なんだね」
関わるのか、これ以上。あの妖は死んだんだ。
でもこれは私達人間の範疇を超えている問題だ。これで解決したのか、所詮人間の私にはそのラインがわからない。
「とりあえず家に来てよ、晩御飯も食べていってよ~」
小夜ちゃんの家に戻り私達は晩御飯をよばれる事になった。少し狭いその食卓でぎゅうぎゅう詰めになりながら冷たいソーメンを頂いた。麺つゆに水を入れる量が少なく濃い味でソーメンを味わえる。うちで食べるより美味しかった。
華月も「これは美味い」と遠慮なく食べていた・小夜ちゃんのお母さんは
「まだまだおかわりがあるから沢山食べてね」
と、嬉しそうに言っていた。
ソーメンを食べている華月は実に幸せそうな顔をしており、私達も沢山食べているその姿を見て楽しんだ。小夜ちゃん曰く、
「こんだけ賑やかな食卓は久しぶり~」
と、これまた嬉しそうだった。
そして午後の八時、そろそろ帰らなければいけない時刻になり、私達は腰を上げ、おいとまする事にした。「また遊びに来てね」と挨拶をもらい、自転車を道に出す。
「ねえ、晶ちゃんと大河ちゃんは何で妖の姿を見る事が出来る様になったん?」
「それはですね、華月に血を吸われたからです」
大河さんはさらりと言った。私は驚いて何も言えなかった。
「晶さん、小夜さんもここまで妖に関わった事ですし、隠し事はもう無しにしませんか?」
「え? ああ、まあ、いいけど・・・・・・」
いいのか?小夜ちゃんも少しだけ人ならざる者になるんだけど、普通じゃなくなるんだけど。
「私は眷属が増えれば良いと思っている。小夜子、貴方が望むのなら私は今すぐにでも」
「じゃあ吸って。今すぐほら~」
「さ、小夜ちゃん、いいの? ちょっと人間じゃあなくなっちゃうかも知れないんだよ? ほんとにいいの?」
「いいの。なんかさぁ、こういう秘密を共有してるのって、友情みたいじゃない?」
彼女は凄く良い笑顔で私達を見つめ返した。小夜ちゃんにとっては血や妖などより私達との友情の方が重いんだ。
「華月ちゃん、お願いします」と、華月の下にとてとてと歩み寄る小夜ちゃん。彼女に覆いかぶさる様に抱きしめて、小夜ちゃんの首筋に牙を立てる。お互いの表情はよく見えない。ただ小夜ちゃんが痛がっている様な感じには見えない。これでよかったんだろうかとまだ思う。
「ねえ、私の血ってどんな味がしたの?」
「喉越し良く飲みやすい。そして甘口ね」
「じゃあ晶ちゃんと大河ちゃんの味は?」
「ふふふ、どんな味だったか忘れちゃったわ、もう一度飲みなおさないといけないわね」
華月が流し目でこちらを見てくる。まあ別にいいかと、こう思う事自体があいつの眷属になってしまったという事だろう。貧血になる位までは飲まないで欲しい。
しばらくして、あの妖の正体がわかった。六月の終わり頃に一人あの会社を辞めた人が居たらしい。その人は人づきあいが下手だったのか、職場内でもあまり親しい人がおらず、人から注意されるとすぐに不機嫌になり、大声で反論をする人だった。別段仕事ができる訳でもなく、ただただ黙って仕事をやらせておくのが一番だと周りの人達は思っていた。小夜ちゃんのお母さんも顔だけは知っている、話をした事は無い。それ位の距離感だったらしい。だが、男はそういう環境に苦しんでいた。喫煙ができる休憩室にはあまり人の出入りは無い。顔見知りのおっさんが二人と、その男の三人が休憩室の主となっていた。顔をよく合わせる為か男もその二人には少しだけ心情を漏らしたことがあったらしい。自分が悪いんだと、自分からもっと周りと上手い事接していかないと、と。おっさん二人はそういう男の事を少しだけ気にかけていた。小夜ちゃんのお母さんが休みの日になにやらトラブルがあったらしい。そしてその男もトラブルの真ん中に居たらしい。その場はとりあえず収束したが、男の怒りは収まっておらず、後日会社を辞職した。
彼があの妖になったんだろうか? 彼の消息はまだわかっていない。ただの高校生の私達にはその男の住所を調べる事も簡単な事ではない。彼が死んであの妖になったのか、恨みの念の様なモノがあの妖を作ったのだろうか? あの喫煙所で体と心を休めていたあの妖は紛れもない彼なのだろう。華月に聞いてみても
「さあ、どうなのかしら」と我、存ぜぬだ。
「どうしてお母さんを狙ったのかな?」
「誰でもよかったんじゃないかしら、あの会社の人なら誰でも。たまたま小夜子の母上がそこに居た、それだけかもしれない」
誰でもよかったか、実に現代の事件とよく似通っているじゃないか。妖というモノも時代の流れに沿っているんだなぁと、この真夏の青空を眺めながらそう思った。