STEP7-2 去りし者、さらわれし者(上)
「あーあっついあっつい。なーんかここだけ真夏だなー☆」
そのとき、後ろからうれしそーな声が聞こえてきた。
振り返ると、亜貴がにっこにこ笑っていた。
これは――確実に誤解されている!!
俺たちはあわてて腕を解く。ちがう、これはそうじゃないんだ。
「あ、亜貴?! いやこれはそのあくまで……」
「おっおおおおにいちゃん?! い、いいったいなにいってるかなあ?!」
「みたまんまー。
ごめんね奈々緒。そろそろメンテの時間だから」
「あ、そうだった。よろしくお願いします」
そういわれてみればそうだった。
俺はアズのチョーカーに触れて、エスコート権を亜貴にバトンタッチする。
「りょーかーい☆
急いで済まして返すからね。
今日は俺一晩シゴトだから、二人でゆっくり楽しんで♪」
「いや楽しむも何も俺たちはですね?!」
「はーいはい梓いこーねー大事な夜だししっかり調整したげるからねー」
「ひとのはなしをきけえええ!!」
アズが叫びの尾を引きつつ連行されていく。
しばしぼーぜんとしていた俺だったが、ひとりでこうしていても仕方ない。
とりあえず部屋にでも戻ろう。そう思って歩き出すと、聞き覚えのある声に呼ばれた。
「ナナオ、そこにいるの?」
下からだ。手すりをつかんで覗き込むと、下の甲板からエリカが見上げていた。
* * * * *
「はい、昼間のお礼。
クッキーよ、毒は入ってないわ!」
エリカがそういって差し出したのは、甘い香りの可愛い包み。
受け取ると、ほのかに温かい。
「わざわざありがとう。焼きたて?」
「べ、べつに……わ、わざわざ焼いたわけじゃないんだからっ! その……
あ、あんたには、負けないんだからっ。たっただ、それだけなんだからねっ!!」
確かに、ものすごくおいしそうな焼き上がり。
たまらずリボンをといて、一枚口にしてしまった。
「んむ……おいしい!」
「ちょ、あっ、なっ?!」
気がつくとエリカが真っ赤になっていた。それは、窓からの明かりでもわかるほど。
目の前で食べられたのが恥ずかしかったのだろう。ちょっと悪いことをしてしまった。
「ごめんね。すごくおいしそうで我慢できなくて…… 実際、おいしかったし。
あのさ、よければレシピ交換しない? 俺のプリンと、このクッキー」
「へ……
だ、だめよっ! 門外不出のレシピなんだから!!
どーしても知りたいっていうならエトワール家に婿入りするのねっ!!
……って、ちがーう!! いまのはこれは、そういう意味じゃないから!! 誤解しないでよ?! 誤解しないでよっ?!」
「え、えっと、大丈夫、誤解してな……」
でもそういうと、エリカは不敵な笑顔になった。
「あら、それはよかったわ。
いい。あんたとあたしはライバル。あくまでライバルなんだから!!
あした。覚悟しとくのね!! 勝つのはあたしなんだから!!
そうとわかったらさっさと寝る! 全力のライバルを叩き潰してこそ勝利が完全なものになるんだからっ。いい、ベストコンディションで来るのよ。わかったわねナナキ?!」
「あっとえっと、はい……」
「わかればいいわ。おやすみっ!」
「おやすみ……」
彼女が身を翻す一瞬、赤いカメオのペンダントが、ちかりと光を弾いた気がした。
* * * * *
エリカの後ろ姿を見送る俺は、またしても不思議な懐かしさに包まれていた。
けれどそれは、切ない記憶をよみがえらせた。
エリー――エリカ・エトワール。
彼女と同じ名を持つ、かつての幼馴染のことを。
エリーは由羅の姫だった。
つまり、『アユーラ西ノ島の騒乱』が終わった後、新旧住民融和の象徴として求められた政略結婚を厭い、海を渡ってきた人たちの中核をなす者。
由羅は瑠名とは対立した。しかし俺たち七瀬とは、仲がよかった。
それは彼女と俺についてもそうだった。
ひとつ違いの俺たちは、気の合う友達だった。よく遊んだ。勉強も鍛錬もいっしょにした。
いずれ、結婚するのかとすら言われていた。正直俺も、悪い気はしてなかった。
けれど、偉名王が世紀の悪政といわれる『光の都』政策を採ってから――すなわち重税か、安全な町からの追放かの選択を人々に突きつけた時から、俺たちは徐々に道をたがえるようになった。
国の庇護からはじき出された人々を守る、その志は一緒だった。
けれど俺はペンを取り、彼女は剣を取った。
『光の都』政策はまもなく瓦解したけれど、そのとき俺たちの間にできた溝は、その後も埋まることはなかった。
アズールが帝国宰相となったのち、俺は軍拡政策に反対し、彼女は戦場に立った。
由羅の人々をまとめ、アユーラ西ノ島攻略を目指す征西軍を率いて、俺の前から去っていった。
『決めたの。わたしはこの手で、わたしたちの土地をとりもどす』
『必要なときに剣を取らない人とは一緒にいられない。――さようなら』
そう、言い残して。
征西軍が発って間もなく帝国は崩壊し、彼女は後ろ盾を失った。
そのため、嫌がっていた政略結婚を受け入れて、民を祖国に帰らせた。
その後は、愛される王妃として幸せになったと、風の噂に聞いていた――
* * * * *
翌朝の目覚めはスッキリだった。
あれから速攻寝たので、先祖がえり夜族のアズもいいかんじな顔をしている。
それでも、本来夜族は夜行性。ここでは調査の関係で昼型生活をしてもらっているが、今日の調査が終わったら、すぐにも元通りの生活リズムに戻してやりたいところである。
ともあれ、今日でひと段落だ。
俺たちは装備を整え、朝一番で偉名宮の建つ島へと向かった。
歴代の偉名王は、求心力を強めるための方法として、富による権力の誇示、権力による富の集積を行った。
つまり、重税を課して壮麗な城を建て、人を集めて使役し、可能な場所から搾取した。
アズールが宰相となった後もその方針はさして変わることがなかった。
その集大成が、これだ。
前方の島にそびえる城は、後ろの海原がすっかり見えなくなるほどの規模。
もはや、豪華大型客船かっ!! といいたくなるような威容を誇っている。
複雑な気持ちがこみ上げた。
建造物に罪はないのだ。エリーや兄上、アズとの思い出もここにはある。
けれど、人のいる場としてのこれが、当時どれだけの維持費を必要としていたかも俺は知っている。
すなわちそれが、どれだけの犠牲によるものかを思うと……
いっそ、管理システムも止め、放棄しておいてほしかった気さえしてしまう。
今後これを維持するために、それだけのものが必要になる。それははたしていいことなのだろうか。そう思えてしまうのだ。
「いっそここも、唯聖殿みたく利用するんでもなければ割に合いませんよね、きっと……」
「まるで我々みたいなことを言いますね、奈々緒君。
そうですねえ。何に使えるでしょうね、このやたらでっかい建物。水上ホテルがいいですかね? 各種施設完備してますし。落成式には我が姫と私でバージンロードを」
「ちょっとユーユー?
バージンロードを歩くのは新婦とその父でしょっ。
ボケをかますんならせめて間違えないでよね、恥ずかしいからっ!」
俺の呟きに答えたユーさんとエリカのやり取りを見て、すこし気持ちがほぐれるのを感じた。
そういえばエリーは三倉の民――偉名東部に入植した竜樹国の行商人たちと結託して、『光の都』政策を廃案に追い込んだ。
あのころエリーもこうして、三倉の御曹司と軽口をたたきあったりしていたのだろうか。
そうして、笑えていたのだろうか。
行く道をたがえてからの彼女は、俺の前では笑わなくなった。
せめて別の人の前ででも笑えていたらと願ってしまうのは、俺のエゴだろうか。
意味もなく通信機のイヤホンを付け直しつつ、俺はそんなことを思った。
壮麗な門と扉は、どちらも遥儚さんの手をかざせばなんと言うこともなく開いた。
イメイ宮管理システム『クシナ』に迎えられ、それぞれ“公子”や“ゲスト”としての認証を受けてなかへ。
しかし、中央制御室の扉は誰の手でも開かなかった。
するとそこはユーさん、頼もしくこういってくれた。
「こういう場合は、城内にある別のコントロールルームから開けることになっているはずです。
場所はつきとめてあります。十分もすれば戻ってこれるでしょう。
遥儚さんと未来さん、一緒にいらしてください。そちらの扉も遥儚さんが開けるものでしょうから」
「わかりましたわ」
「頼んだよ」
ユーさん、ジゥ、遥儚さん、彼女の護衛で技術者でもある布川未来さんの四人の別働隊が歩いていくと、後に残ったのはGOを出したユーリさん、エリカにミーナ、俺とアズ。
ロク兄さんはホークさんとともに、マリン・ジュエル号の本部に詰めているし、遥希さんはせきがぶり返してまだ隔離室だ。
いっそミーナは残らせてあげたい気もしていたが、彼女は行きます! と譲らない様子で一緒に来たのである。
いつもの可愛いあわてぶりを示すこともなく、ミーナはいっそ、鬼気迫る様子でうつむいている。
一刻も早く、無事に帰してあげなくちゃ。そう思った俺は彼女に、がんばろうね、と声をかけた。
するとミーナは小さな声で、はい、と呟いた。
泣き出しそうなその様子、おもわず――
『すみませんっ、三人が、連れ去られました!!』
その瞬間、右耳のイヤホンから飛び出してきたのは、息を切らしたユーさんの叫び声。
ノイズまじりのそれは、もちろんみんなのイヤホンにも届いていたようだ。
顔を見合わせれば、その場は一気に緊張に包まれた。
2019/05/05
この「部分」初出の要ルビ名(人名・地名など)にルビを追加いたしました。
2019/05/06
第33部分(7-2)38行目:
誤字ご報告、ありがとうございます!
受け取ると、ほのかに暖かい。
↓
受け取ると、ほのかに温かい。




