彼女
理想の彼女ができました。
私には勿体無いくらいの、才色兼備な女性でした。
そう、言うなれば、雪と墨。この場合は私が墨となります。そして、月とすっぽん。この場合は、やはり私がすっぽんになるわけですが、すっぽんは好きなので、それは嬉しく思います。
雪で、月。
そう例えてもあまりあるくらいに、彼女は神秘的な女性だったのです。
そんな非の打ち所のない彼女が、何故、墨で、すっぽんのような私を好きになり、お付き合いしてくれるようになったのか……。
その辺はおいおい考えていくと言う事にしておいて、私の彼女について、少しばかり話そうかと思います。
私の彼女は、笑顔が素敵な女性でした。
先程も例えた通り、まさに、彼女の笑みは、月光のような和やかさがあり、雪白と比喩出来るほど、濁りがなく、煌めいてみえるほどに眩いのです。
でも、私は彼女の笑顔を見たことがありません。
だからでしょう。私は、彼女を笑顔にさせてみたいと思いました。
-1-
彩り豊かに並ぶ木々を眺めながら、汽車に揺られ、山中の、小さな人気のない駅へ到着すると、人っ子一人いない景色を一瞥して、私は1人背を伸ばした。
秋の匂いが、そこらかしこからしてくるようで、日頃の仕事での疲れを癒すにはもってこいのロケーションと、彼女が必ず笑顔になるであろう、絶景があるスポットへと続いていく路の始発点を歩み始める。
少しだけ舗装された、自然の路を1人。
彼女と歩いていると、いつの間にか、彼女は聞き覚えのあるような歌を口ずさむのでしょう。
彼女は歌を歌うのが得意でした。
でも、私は彼女の歌声を聴いたことがありません。
ですが、きっとそれは、聴く人すべての心を鷲掴みにするであろう、と、確信していました。本当に音楽が大好きなんだと、楽しそうに弾む声が、心地よく伝わってくるようなのです。
誰もいない山々の、それも緑が綺麗に色落ちた、黄落の葉々の間に溶けていく。
小動物の鑑賞者たちは、立ち止まらず、その場を後にする。
1人きりなのかもしれない。
私だけが、彼女の歌声を、唯一認めているのです。
「ここか……」私は、1人小さく呟くと、足を止める。
目的の場所に辿り着いたのです。
眼前に広がるのは、真っ青な水溜まりのその先に上がる白波を起てる遥の滝。
水溜まりに映り込むは唐紅に染まった世界。その群青と真っ赤な色とが混ざり合う水面は、どうなっても菫の色にはならないでいた。
私の彼女は、とても芸術的で、感受性豊かな女性でした。
絵画や骨董など、奇妙なものを眺めるのが趣味で、風景画を描くのが得意でした。
だからかもしれませんね。
私は、この秋色に静まる景色を彼女に見せれば、一体どんな言葉で表現するだろうと思い、楽しみにしていたのです。
……しかし、彼女は言葉を発することが出来なかったのでした。
彼女の知り得る言葉では、この景色のすべてを表すことは、適わないのかと思っていたのですが、それは応えにはならず、私は落胆した。
彼女の、表現できる言の葉をいくら探そうと、私自身の知り得る言葉では、到底考えつかなかったからでした。
重くなる気持ちを他所に、私はふと、元カノのことを思い出していました。
元カノとは、前の彼女のことである。
恥ずかしながら、私は元カノが人生で出来た初めての彼女でした。
この場所を彼女に見せようと思い立ったのも、元カノと、以前、来たことがあったからでした。
元カノは、今の彼女と比べ、無遠慮で、知力に欠け、芸術的なところなどほとんど見たことのないくらい、莫迦な女性でした。
元カノがこの景色を最初に見た時の言葉は、ただただ、「綺麗……」と、凡夫なら誰でも思いつくようなありきたりな台詞だったのですが、私はどうにも、その言葉が心残りなのです。
-2-
目的を果たした私は、少し寄り道をしながらも、元来た路を折り返します。
ゆらりふらりと、木枯らしに靡く紅葉や銀杏の葉。
愉快そうに振れる百日紅の花。
敷き詰められた落ち葉の、音楽性の欠片も無い無造作な踏み音。
浅春の頃に見たきりの光景は様変わりして、忙しなく、私の中を通り抜けていく。
まるで、ここに取り残された私の追憶を、疎ましく思うように。
迷い子となった私の心を導いてくれるのは、銀色に縁取られたコンパスの針。
その指針の先導には、君がいるのかもしれないと、走る気持ちを歩ませた。
君とは、前の彼女のことである。
黙っていても、喚いていても、きっと変わらない。
彼女は、そんな私を見て、優しい言葉をかけてくれるだろう。
私の彼女は、ひどく優しい人でした。
それは、誰にでもではなく、私にだけ向けられていた非常の慈悲。
笑ってもくれない、泣いてもくれない、よしんば怒ってもくれない。
しかし、彼女は表情豊かな人でした。
感情の全てを、パレットに入れてぐしゃぐしゃに混ぜたような、そんな表情をしていることでしょう。
それでも、私には、彼女の表情が分かりませんでした。
そうまで話しておいて、ようやくわかったことがあります。
やはり、彼女は君とは正反対の女性のようでした。
君とは、ことある事に口喧嘩をしていたことを思い出し、しかし不思議なことに、今になってこそ、それは確実に笑い話のように、私を懐かしませるのです。
ほんの数ヶ月前までの君とは、3年近い付き合いだったのにです。
懐かしむ程に、残酷に、君のことを想い出に、想うしかないのですから。
きっとそれは、今の彼女と引き合せるために現れた、神様の気まぐれな悪戯だったのかもしれない。
神だろうがなんだろうが、それだけは私は許せなくて。
忘れられなくて、
毎晩、君を夢に見ては、少しずつ色落ちしていく想い出の枯葉を、星屑で出来た箱の中に閉まって、涙型の南京錠を掛けました。
君が戻り道に惑わないように、桜の挿し木を懸けました。
天ノ川を渡れるようにと、青芒で橋を架けました。
そうした後、ようやく私は理想の彼女を書けました。
かけました。
いいえ、それはやはり嘘でした。
彼女は僕の理想とは程遠い。
なぜなら、僕の理想は君だったのだから、
そう思う度に、何故だか、涙が零れるのです。




