聖剣の台座に転生したんだが
終わりの音がした。世界が俺から遠ざかってゆく。なんのことはない、トラックに跳ね飛ばされた俺が宙を舞っているだけだ。通勤カバンから書類が散乱する光景が、スローモーションのように流れてゆく。痛みは感じない。アドレナリンでも出ているのだろうか。
視界いっぱいに広がる青空が、やけに青い。下はアスファルトだ。まず助からないだろう。衝撃に備えて目を閉じる。
「…………長いな?」
待てども待てども、なにも起こらない。それどころかハープの美しい旋律が聞こえてくる始末だ。奇跡的に一命をとりとめたものの気絶し、病院で目覚めたのだろうか。期待半分、疑問半分で目を開ける。
そこには水の壁があった。壁というのも不適切だろうか。なにせ、部屋自体が水で覆われているのだから。水で隔てられた外界は青空が広がっているように見える。もう少し近づきたいが、俺の身体は動かない。
「身体の感覚がない、というか……俺の身体が見当たらない」
そう、水にぼんやりと反射する室内――と言ってもほぼ水しかないのだけれど――に、俺の姿はない。俺自身はここに存在するというのに。唯一あるものといえば、剣の台座だろう。
「わけがわからない。ここはどこなんだ。俺はどうなったんだ」
問いに答えるように小鳥がさえずる。……大きいな。すずめのような小鳥は視界を半分占領すると、のんびり水浴びを始めた。天井には台座と小鳥が揺らめいている。なにかが頭の隅でひっかかった。
目元の小鳥を見る。そして天井を見上げた。こうして目だけ動かし……ふんっ。くぬっ。ぐうっ、なかなか見えない。俺はやればできる男だ。目元に力をこめる。力みすぎた結果うんこが漏れても構わない。唸れ俺の視神経。
「――おらあっ! 見えた! やっぱり視線の先に台座がある。つまり……」
現実を認めるのは辛いことだ。今のように厳かな音楽が聞こえる状況だと悲壮感が三割増になるような気さえしてくる。だが受け止めて前に進まなければ。
そう。俺は死んで台座に憑依したのだ。
「受け止めきれるか! 責任者でてこい!」
ありったけの怒りと虚しさを込めて叫ぶ。声は聞こえるのか、小鳥が飛び立った。水の壁が形をわずかに歪ませる。これなら人前でうんこを漏らした方がマシだった。小説だと転移やら転生やらで九死に一生を得ることもあるだろう。なにが悲しくて台座に。せめてゲームみたいに容姿とか能力とか選びたかった……。
しかし、なってしまったものは仕方ない。これだけ神秘的な場所だ。今は小鳥しか見かけていないが、有名な観光名所の可能性がある。そこで俺の存在を認識してもらえれば――化物だとか異端とかで、壊されたり沈められたりしない限り――喋る台座として人と触れ合えそうな気がする。
「そして偉い人に謁見したり博物館に展示とかされたりしてな。ふへへへへ……うん?」
水の壁は荒れ狂う海を切り取ったかのように激しく波打っている。笑い声が響いたわけではなさそうだ。胃がキュッとする威圧感が振動とともに伝わってくる。
一段と盛大に視界が揺れた。神秘的なハープの音色ももはや場違い甚だしい。小鳥も逃げだすわけだ。視点の低さも相まって天に匹敵する高さの闇が、水越しにはっきりとわかる。
「女神め、こんなところに聖剣を隠していたか。百年かかるわけだ……」
男でも惚れ惚れする渋い声が、忌々しそうに舌打ちをする。声を出したら確実に壊される。いやこれもう居場所バレてるよな。俺は台座俺は台座俺は台座――。もし助かるなら喜んでうんこを漏らそう。
水の壁から骨と皮だけの手が生える。そしてなにかを握り潰すような仕草をした。嫌な音がした。具体的には俺の下から。
風切音がうるさい。雲が見える。空が見える。視界が上に下に横にと、頻繁に入れ替わる。落下してゆく壁材と土。そして俺。地面の下に空があるわけがない。さっきまでいたところは浮いていたのか。聖剣と言ってたけど、確かにこの高さなら無事ではすまないだろう。肝心の聖剣はないけど。落下損かよ。しかし詰めが甘いよな。もし聖剣があって、しかも無事だったら。
俺の思考を嘲笑うように光の帯が数本、視界を横切る。不運にも直撃した壁材と雲が変な音をたてて消し飛んだ。その勢いは衰えたように見えない。遥か下の方――地表で赤や白や黄色の閃光へ変わった。
「念には念を入れるってか……」
このまま落ちたら死ぬ。光の帯に当たっても死ぬ。不思議と恐怖はない。アドレナリンは本当にいい仕事をしてくれる。視界いっぱいに大地が見えてきた。地面だろうがアスファルトだろうが関係ない。うんこを漏らしてでも生き延びるんだ。世界が俺に近づいてくる。目は閉じない。
「――今だ!」
衝突する寸前、内蔵すらひりだすイメージで力む。俺に呼応するように銀色の棒が前へ突き出る。そのおかげなのだろう。爆音はともかく、衝撃は体育館のステージから飛び降りたレベルにまで緩和された。すごいな聖剣の台座。ちょっと拍子抜けしたぞ。視界が暗くて状況がわからない。地中に埋まったのだろうか。
「落ちてる最中に俺と台座が馴染んだんだろうな。視点移動がスムーズだ」
後ろを振り向くようなイメージをすると、視界が後方へと動く。暗闇の真ん中に、一円玉サイズの青が落ちている。つまり細く深く地中に埋没したのだろう。どうにか衝撃を緩和することしか考えてなくて、周りの様子なんてわからなかった。
光の帯は未だに明滅を繰り返している。今はただ音がうるさい。詰めが甘いんだか念入りなのか、よくわからない。まあ助かっただけ――――おや。視界が歪む。ボヤける。日が暮れたのだろうか。いや、これは。
「もしかして水没してる……?」
聖剣の台座に転生したんだが、どうにも前途多難のようだ。瓦解した大地とともに、水底へ沈んでいく。おそらくさっきの応用で脱出できるだろうが、少し時間をおくとしよう。
第二の人生。その始まりを労うように、ハープの音色が鳴り響いた。
<了>