01 グレートデイズ ①
思えば遠くへ来たものだ。
広大な山々、鮮やかな緑。
田んぼと道、あとは山と空だけの景色。
平坦な旅路。
俺、失慰イノはバスに揺られてた。
たまにはバスのエンジン音での旅行もいいものだ。
目的地に着くまでバスには誰も乗車せず、ゆったりとした時間が流れる。
ブシュウ…
どうやら目的地についたみたいだ。
料金を支払って、俺はバス停に降り立った。
「まだ少し予定時間には早いな。」
背伸びをして息をつく。
ジャリジャリ…
どこからかタイヤが砂利を踏むような音が聞こえる。
バスで来た道に目をやると、田舎道に似合わない赤い高級車がこちらへ向かってくる。
誰だか俺にはすぐにわかった。
車は俺の目の前に止まる。
中から出てきたのは、30代後半あたりのビジネスシャツを着た男。
いかにも仕事帰りか、仕事中といった感じだ。
「失慰さんですね。はじめまして。鹿野です。」
「失慰イノです。どうも。」
「車に乗ってください。」
鹿野さんに促され、俺は車の助手席に腰を落とした。
車はすぐに走り出す。
「いいところですね。景色もいいし空気も綺麗だ。夜には星とかも良く見えるでしょうね。」
「…ただ田舎なだけですよ。ここから病院までは20分くらいかかりますし、不便です。」
「そんな不便な場所だと心配でしょう。入院してる息子さん、まだ7歳でしたっけ?」
「…はい。」
「気軽に見舞いにも行けないでしょう?」
俺の問いに鹿野さんは少し間を開けて、口を開いた。
「失慰さん。言っておきますが、私はあの子に対面する気はありません。」
鹿野さんの声は少しだけ震えてる。
「恥ずかしい限りなんですが…」
「…」
「私は、あの子が…怖いのです。」
…
鹿野灯矢くん、7歳。
今回、俺が呼ばれる原因となった小学生。
彼は半年前に交通事故が原因で両足が動かなくなってしまった。
そしてそれ以降、特殊な力が生まれたという。
ある日。
母親が鹿野灯矢くんの自宅療養中に、彼の部屋に食事を持って行った時の話だ。
「これはいらない。お母さん。ホットケーキが食べたい。」
「何を言ってるの?昨日も食べたでしょ?」
「好きなんだ。食べたい。」
「ダメよ。色んなものを食べないと栄養が偏るじゃない。」
「お願いだよ。」
こんな会話をした途端。
母親はふと気づくと、ホットケーキをトレイに乗せて息子の部屋の前に立っていたというのだ。
自分が作ったのか、それとも出来合いのモノを買って来たのかは分からなかった。
ただ彼女はホットケーキを持って、息子の部屋の前に立っていたのだという。
その時は「こんな事もあるのだな」と気にも留めなかったらしい。
しかしそれからも、彼の家族達に不可解な事が起こり続けることになる。
父親は仕事の準備を済ませ家を出ようとした時。
息子が「仕事に行かないで」とごねたことがあった。
…ふと気付くと息子の寝るベッドに座っていた。
時計に目をやると、家を出ようとした時から6時間が経過していたという。
もちろんその間の記憶は無くなっていた。
特に母親は頻繁に記憶を失った。
気づくと彼の好物を用意していたり…
彼の欲しがっていたゲームを大量に買い込んで玄関に立ち尽くしていたり…
他にも祖母や仲の良い友達もたびたび意識を失う事が起こった。
それらの事柄にはいくつかの共通点があった。
『記憶を失う前に息子と話している。』
『無意識のうちに息子の望みを叶えている。』
これに気づいた父親はまさかと思いつつ…
息子に対する不信感にも似た感情を抱き始める。
そんなある日の事だ。
父親がいつもより早めに帰宅する日があった。
家に帰ると、今日は仕事をしているはずの妻の車があることに気づく。
不信に感じてドアを開け、急いで息子の部屋のある二階に向かった。
そこで父親は、息子へ抱いていた不信感が恐怖に変わったのだった。
父親が見たものは、妻が息子にホットケーキを食べさせてあげているという微笑ましい光景。
しかし着替えの途中であったのか、妻の服は中途半端に肌けており。
その表情に力はなく、目は何処を見ているのかもわからず、口からはよだれを垂らしていた。
そんな妻に息子は
「お母さんありがとう。今度はオレンジジュースを持って来てよ。お願い。」
そう言われると妻は
「あぁ…あ…ああ…」
言葉と呼べない唸りのような言葉を発して立ちあがり、そのまま台所へ向かった。
それを見た時に父親は、やっと自分と妻が意識を失う理由を理解した。
…息子には、他人の意識を操作するような能力がある。
その後、息子を問い詰めても要領を得ず。
それどころか、意識を失うことも多くなっていった。
父親は彼の能力が他人に悪影響を出さないため…
またはただ恐ろしかったのか。
息子を田舎の病院に移したのだった。
…
病院は、田んぼと森に囲まれた場所にあった。
大きな建物ではあったが、もともと白かったはずの壁が少し黄ばんでいる。
古い病院なのだろう。
中に入りエレベーターで彼の病室のある階へ向かう。
彼の部屋の前には医師と何人かの看護婦、母親と思われる人が立っていた。
彼の病室には黒いカーテンが掛けられていて中が見えない。
俺は母親と思われる人に軽く頭を下げた。
「具体的な話は車の中で聞いてます。一人で彼と話をしてきます。」
母親がコクリと頭を下げる。
医師達はどうしていいのかわからないと言った表情だ。
看護婦の一人がドアのカギを開けてすぐに離れた。
ガチャリ。
中に入ると、窓という窓はすべて閉め切られ、外側の窓にも黒いカーテンが付けられている。
明かりはついてはいるものの、妙に暗い。
6人分のベッドが置いてあり、窓際の一番隅のベッドに彼は寝ていた。
枕に頭を置いて布団をかぶっているものの、耳にはイヤホンをつけて音が漏れてる。
起きてはいるみたいだ。
「だれ…?」
すぐに俺に気づいたようで、イヤホンを外して上半身を起き上がらせる。
「こんにちわ。鹿野灯矢くんだね。失慰イノです。」
「父さんが言ってた…専門家のおじさん?」
おじさんて…
「まだ21歳だ。お兄さんと呼びなさい。」
「…ごめんなさい。…お兄さん。」
意外と素直な子のようだ…
「何を聴いてんだ?音楽好きなのか?」
「好きってわけじゃないんだけど…この部屋、テレビも無いし。お父さんの趣味のCD。」
「どれどれ…おお!!リバティーンズじゃんか。高校の時良く聞いたよ…あと『Room on Fire』、ストロークスの2ndアルバムだな。お父さんいい趣味してんなぁ。」
どちらとも名盤だ。俺が死んだ時一緒に墓にいれてほしいくらい大好きなCDだ。
「そうなの?どれも英語だし、何を歌ってるのかも僕にはわからない。」
「そりゃそうだ。さては洋楽の聞き方を知らないな?」
「…聞き方?そんなのあるの?」
「あぁ。日本語と違って意味がわからないからこそ、どんな気持ちの時にでも聴けるんだ。」
「…どんな気持ちの時…でも?」
「悲しい時に聞けば悲しい歌になるし、嬉しい時に聞けば、楽しい歌になる。」
「…そんなもんなのかな。」
「そう。歌詞を自分で想像しながら聞く。音楽が君の心に合わせてくれる。知らない言葉だからこそ、君に合わせて意味が変わるんだ。」
この子の無垢な表情と、大人達の恐怖の表情の差。
俺の彼への第一印象は「ただの少年」だった。
他人を無意識下で操作する能力…
そう考えていいのだろうか。
それを彼が望んで行っているのなら、言わなければならない。
「けれど、そのCDと人間は違う。」
「…え。」
「君に合わせて人間は変わらない。変えちゃいけない。」
「…」
「話を聞かせてくれるかな?君の力の。」
大野原幸雄です。
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