第六話
傷だらけの男ダイラス。
傷だらけの名はダイラスと言い、物心ついた頃に親が魔物に殺されて、それからずっと傭兵稼業をやっているらしい。
8歳のころに弓矢で敵を射って以来、今まで殺し続けてきたと言った。
その相手は魔物の時もあれば、人の時もあったと言う。
一同は山道に差し掛かっており、少しばかりの斜面を登っていた。
まだ日は浅く、そう大きくない山道だ。
夜明けはこの山の裏側で過ごせるだろうとアーリが言った。
「それにしてもよお、子分らが不思議がっていた。お前はどういう身体してんだ?」
ダイラスが首をかしげて、問いかける。
その目は好奇心に溢れていた。
リフリールが、さぁねと首を横に振っている。
「さぁ、私にもわからない。目が覚めたらこうなっていた」
「まぁ死なないなんて良い身体だな。どうだ? 傭兵になってみねえか? 稼げるぜ? 女だって死ぬほど抱けるしよぉ?」
ダイラスがニタニタと笑いながらそう言う。
どうやら彼はアーリの反応を面白がって、わざと聞こえるように言っているようだ。
「ダイラス、無駄口はやめろ」
「へいへい」
アーリはむすっとして、明らかに不機嫌だ。
それでも出ていけと言う事は無かったし、必要以上に邪険にすることも無かった。
「でよぉ、お前らがメドゥを倒すために色々してんのはわかった。ってことは最終的にはメドゥと戦うってことだよなぁ?」
「そうなるな」
アーリがぶっきらぼうにそう答える。
彼の方を少しも見ようとはしない、ただうんざりとしたように答えた。
ダイラスは足早に歩くアーリの隣につくと、後ろを振り返って二人の様子を見た。
それから、もう一度アーリの姿を見て言った。
「ふーん、おまえらがなぁ。老いぼれドワーフに記憶喪失、それから女だ。無理じゃねーか?」
「無理ではない」
「でもよ、お前ら見たことあんのか?」
「何をだ」
「不可能」
「話には聞いたことがある。ここ最近現れたとされる魔物だろう」
「聞いたことがあるなら話がはええ。俺はあいつらに傭兵団がまるまる一つ、たった2匹に叩き潰されるのを見た」
傭兵団がまるまる一つというのは、約1000人を指した言葉だ。
どんなに大型の魔物も人間が50人も集まれば、対処が可能とされている。
ほとんどの魔物への対処法は確立されているし、種族ごとに弱点や強みなどが事細かく記された本も出回っている。
たとえば、最も大型で凶悪な魔物として名高い魔物がいる。
石のように硬い装甲を持つトカゲという意味を持つ、その魔物の名は『リーディアゴン』。
かつてドワーフが打倒するまで、九つの都市を滅ぼした最大の脅威とされる恐るべき存在の一体だ。
勇敢なドワーフ達は石のように硬い皮膚に対抗するために、神々の炎と呼ばれる爆薬を発明した。
その神々の炎と呼ばれる爆薬は『リーディアゴン』の腹の中で炸裂し、奴を吹き飛ばしたのだと誇らしげにウルゴが語った。
「そうだ。たしかに魔物には弱点がある。一つ目の巨人はその目が大きすぎて、的がでかい。その目をつぶしてしまうだけで無力化出来る。トロルはとにかく足が脆弱だから足を狙え、みたいな対策がされてるだろ?」
ダイラスはのっしのっしと歩きながら、後ろのリフリールとウルゴを見てからそう言った。
するとウルゴがそれに答えた。
「その通りじゃな。どんな化け物でも対処を間違わなければ、都市が一つ壊滅するなどありえぬ」
「あいつらには、不可能の2匹には弱点がねえ」
「手練れの揃った傭兵団が潰されたなら、信ぴょう性はあるのう」
「俺たちはなすすべもなかったさ、仲間たちは一瞬でひき肉にされ、血の雨が降り注いだ。躯が転がっている中、奴らが悠々と帰っていく背中を俺は見ていただけだった」
「それでおぬしはどうするのじゃ?」
「おーう、奴らが目の前に現れたら次は頭をたたき割ってやるぜ。あの馬面と牛のひしゃげたような面をしたやつらの頭をな」
「ふむ、意気込むのは良いが、無鉄砲は死を早めるぞ」
「老い先短い爺は説教臭くていけねえや」
「ほっほ、元気な奴じゃ」
ダイラスが静かになると誰もしゃべらなくなった。
斜面がきつくなって、少々負担に感じていたからだった。
山は木々が生い茂って、山道以外はとても歩けそうにない。
山道にはあちこち崖が切り立っていて、一歩踏み外してしまえばたちまち滑落してしまうだろう。
一同は歩くのが厳しいと感じるようになっていた。
「止まれ」
アーリが鋭く口にした言葉は、一同に緊張を走らせた。
一瞬で理解出来る。
危険が迫っているという緊迫感だ。
アーリはゆっくりと一本の木に近づいていく。
その巨木には鋭い爪痕が何本も残されており、これ見よがしに目立っていた。
「やっかいな……」
「そのようじゃな」
「ちっ、ついてねえな」
手練れが三人とも同じように言った。
その様子からリフリールは危険な存在が近くにいる事を悟っていた。
「さて、引き返すか?」
ダイラスが意地悪い笑みを浮かべてそう言うと、アーリは首を横に振った。
「その選択肢はありえぬ。注意しながら先に進むぞ」
「ふっ、命知らずだぜ女」
「怖いならここで帰ってくれてもいい。お前は少々おしゃべりすぎるものでな、静かになって良い」
「おいおい、誰が怖いだって? しゃあねえ、俺が先頭を行ってやる」
大剣を抜いて、ダイラスが前に出ようとするとアーリがそれを引き留めた。
「待て、お前が大事な場面で動けなくなったら私たちに危害が及ぶ」
「お~お~言ってくれるじゃねえの」
一触即発の空気。
ピリピリとした緊張感があたりを包む。
「俺が行く」
ダイラスはとてつもない威圧感を放って、そう言い切った。
これ以上文句を言うなら容赦しないとその目は語る。
アーリはその威圧を受けても、たじろぐことはない。
ただ、彼の中に本気を見たのかもしれない。
一歩下がって、ダイラスの後ろについた。
鋭い眼光を光らせて、ダイラスは進む。
「あの傷はグルザールの縄張りを示す傷だ。魔物の中でも最も好戦的で縄張り意識の強い魔物だ。どんな獣よりも大きく、どんな獣よりも力強く素早い。弱点は猪突猛進だ。最初に見つけた者に襲るべく速度で突っ込んで来よる、罠を張って始末するのが一番良いのだが今回はそうはいかぬ」
小さな声でウルゴがリフリールにそう説明する。
「本来ならば、数十名の熟練した駆除隊を結成して挑む。罠を駆使して戦うのだ。それでも損害が出るほどに手ごわい」
「私たちは4人しかいないし、罠も用意出来ない。それでもいくのか?」
「行かねばならぬ、ワシらには時間が無いのじゃ。ま、先にこうやっている場所を示してくれるのが唯一の救いじゃな」
「私も力を尽くそう」
「そうしてくれるとありがたいのう」
ウルゴは再び硬く口を閉じて、前を向いた。
ザッザッと土を規則正しく蹴る音がする。
一歩、また一歩と山頂を目指して進む。
すると、白い破片があちこちに転がっているを見つけた。
「骨だな」
アーリが言うとウルゴもそれに続いた。
辺りを警戒しつつ、周りを調べ始めた。
「何の骨かはわからんのう」
周りを見ると、切り裂かれた麻袋のが木に引っかかっていたり、雨ざらしになった鍋が落ちていたりする。
ここで襲われたのだろう、焚火の痕跡がわずかに残っている。
そこでこの残骸が人間の物だと確信出来たのだ。
それほどに人がいたという痕跡は少なかった。
「数日か、長くても1週間前かのう」
「私たちは善良な死者を弔う必要がある」
アーリは危険を承知でそう言った。
目には悔しさの炎が灯っている。
「正気か?」
驚いたダイラスは、馬鹿にするような声色でそう言った。
「正気だ」
アーリは静かにそれだけ言うと、小さなスコップを取り出して穴を掘りだした。
イシアの職人の作った折りたたみ式のスコップだった。
「おいおい、お前ら止めろよ。正気じゃない」
「死者を弔うのは生きる者の務めじゃ」
「こんな場所でか? ばかげている」
ダイラスはつばを地面に吐いたが、やがてあきらめたようだ。
彼は周囲に気を配っている。
「手伝う」
リフリールがアーリにそう言うと、アーリはそれならば周囲を警戒してほしいという。
うなずいてそれを承諾し、木々に気を張り巡らせた。
ザクッ! ザクッ! っと土にスコップが突き刺さっている。
リフリールは周囲を注意深く見ている。
そこで不可解な事を一つだけ発見したのだ。
これは遥か昔に探索者をしていた経験からか、それともたまたまなのかはわからなかった。
しかし、ここでは彼だけがこのことに気が付いたのだ。
木に出来た爪痕はいくつもあったが、爪の傷跡の間隔が少しづつ違うのだ。
じっくりみても、気づく者の方が圧倒的に少ないだろう。
それでもリフリールは明らかにおかしいと気が付いていた。
皆に声をかけようとしたその時だった。
『グォォォオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
突然の雄たけびだった。
全ての生きる者を震え上がらせるには十分な怒号だった。
「ちっ!! きやがったな!!」
ダイラスが吐き捨てるようにそう言えば、ウルゴが唸るように叫んだ。
「こっちから来よるわッ!!」
小枝を激しく音を立ててへし折りながら、その大きな魔物が姿を見せた。
背丈は人が縦に二人分、体毛は無くその体は濃い紫色に染まっている。
目は血走っており、顔の半分ほどある口からは大きな牙が伸びていた。
手には鋭い爪を持ち、2足歩行の獣よりは人間に近い化け物だった。
「オオウ!!!」
爪による大振りの一撃をウルゴが身体を投げ出して避けた。
鋭い反射神経と老いた身体とは思えないほどに素早い反応だ。
「良い反応だジジイ!!」
ウルゴが避けた隙をダイラスが見事についた。
憶することもなく踏み込み、グリザールを強烈に切り付けた。
グリザールは防御するために右腕を差し出して、盾代わりにしようとしていた。
大剣はそのままグリザールの硬い皮膚を切り裂き、右腕をざっくりと落としている。
『グォォォオオオオ!?』
グリザールの体にはいくつもの小さな傷がついている。
生半可な攻撃では、この魔物の皮膚は貫けないとその傷が物語る。
グリザールにとって、これほどの一撃を受けた事は無かったのだ。
強靭な筋肉に守られた腕を切り落とすほどの一撃、ダイラス以外には不可能な必殺であった。
が、この一撃で決めるはずだったダイラスはグリザールの強靭さに驚きを隠せなかった。
すぐに距離をとって、グリザールに注意を払っている。
「ちぃっ!? かてえなぁ、おいっ!?」
グリザールは落とされた右腕を見て、怒りに震えた。
『グォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』
手負いの魔物はウルゴよりも、ダイラスを脅威と判断したようだ。
離れた距離をたった一歩で肉薄するほどに迫った。
「ちぃっ!?」
ダイラスは良く見える目でその一撃を避けた。
薄皮一枚でその爪を避ける。
頬からは血が飛び散ったが、ダイラスはひるみもせずに手と足に力を込めた。
避けながら攻撃の動作に移って、そのままグリザールの背中を切り付けた。
「オラァ!!」
グリザールの背中の皮膚は分厚く、鋼で出来た鎧のようだった。
刃が通らないのだ。
予想以上に硬い体を切り付けたせいで体勢が大きく崩れていた。
グリザールは素早く体勢を立て直すと、よろめいたダイラスに腕を振り上げた。
「大地よ!! 悪しき巨躯を貫く力を私に与えたまえ!」
アーリが叫ぶとその剣に力が宿った。
グリザールの背中を強烈に切り裂くと、返す刀で脇腹をえぐった。
吹き出る紫色の血、それでもまだグリザールは反撃の意思を示した。
アーリに向かって腕振り回したが、すでにアーリは攻撃の範囲外だ。
「恩には着ねえぞ!!」
ダイラスが狙いすました一撃を放った。
次の瞬間、グリザールの首は胴から離れ、音を立てて魔物は崩れ去った。
激戦が終結したと思われた頃だ。
アーリはとあることに気が付いた。
「……リフリールはどこだ?」
彼らは緊迫した空気の中、リフリールの姿を探した。
それから一体目のグリザールが来た方向とは逆側から叫び声が聞こえてくる。
リフリールが見張っていた場所だとすぐに三人は理解している。
それからようやくグリザールが2体か、もしくはそれ以上いると気が付いたのだ。