第五話
一行は夏の始まりを告げる陽気の中をしばらく進んでいる。
風は生温かく、空気が蒸し始めていた。
歩きながらリフリールが飲み水を水筒から飲んでいた。
「食料は十分にある。だが飲み水は大事に飲んでくれ」
アーリがそう言うと、リフリールが動物の皮で出来た水筒に蓋をして言った。
「補給場所が遠いのか?」
「ああ、しばらく無い。少し辛いと思うが節約してくれ」
「わかった。そうする」
そうしてまたしばらく歩くと、ウルゴが不意に口を開いた。
「ここから普通に行けば二週間くらいでエルフヘルムじゃの」
「だが私達は十日で行かねばならぬ」
「ふぅぬ……歩きっぱなしじゃ、牛車が欲しいわい」
「偉大なるドワーフの王が弱音か、似合わないぞ」
「むっ、弱音じゃないわい! ちょっとした要望じゃ! 世界を救うかもしれんワシらにこの仕打ちはひどすぎると思わんか?」
「すまない、我が主も八方塞がりなのだ。やりこめられぬようするのがやっとでな、それについては本当に申し訳ないと思っている」
「ふぅ……何も責めたわけではないわい……すまんの。年寄の愚痴じゃ、忘れてくれい」
いらぬことを言ったとドワーフの王は、少しばかりしょんぼりとしている。
そんな彼にアーリが何かを差し出した。
笹の葉っぱにくるまれた何かだ。
ちょうどいい木陰があると言って、彼女はそこに座った。
どうやら休憩するようだ。
「小豆で出来た団子を3つ持ってきた。早く食べないと悪くなってしまうのでな」
「ほう、どうやら最高の旅になりそうじゃな」
「それはなんだ?」
「高級な趣向品だ。貴族が間食に食べる事が多い。もてなしを出来なかった主からのせめてもの償いと言ったところだ。これで詫びにしようとは思わない、さあやってくれ」
ウルゴは嬉々としてそれを受け取ったようだ。
これで一週間は戦えると口元はほころびをみせている。
彼は大の甘党で、甘いものを食べるためならドラゴンとも戦うのだろう。
リフリールは笹の包みを開けて、若干躊躇している。
「泥の塊みたいだな……うまいのか?」
「ああ、甘くて一口食べれば口の中がとろけるような感覚に襲われる」
「……いただこう」
リフリールは手に取った団子を口に持っていく。
なんという甘さ、なんという至福の瞬間だろうかと彼は神々を祝福する。
多くの心地よい刺激が彼の体を満たしていく。
すると突然、彼の頭が割れるように痛みだした。
ゆらゆらと蠢く視界、地面に座ったまま彼の上半身が左右不規則にゆらめいている。
リフリールは今、途方もない過去の世界に旅立っていた。
「ねぇ、リフってば!」
リフリールはこの呼び声の主が誰かわからなかった。
頭のもやは晴れる事なく、かろうじて女性に呼ばれているのだという事しかわからないのだ。
彼女が誰かはわからなかったが、彼は酷く懐かしく、そして愛おしい声だと感じている。
「リ~フ? ちゃんと聞いてる?」
思い出したい。
彼は今、痛烈にそう感じていた。
彼女は彼にとって、とても大事な存在で数千年の時がたっていてもその声色が色あせる事は無かった。
眩しい光が彼を照らし出していた。
「もう行っちゃうの? わかったわ、私待ってるね」
彼女はやがて、薄くなって消えていく。
リフリールは必死に呼び止めようとしたが、やがて目の前に結ばれた髭の顔が映し出された。
心配した髭が、彼を抱きかかえて揺さぶっていたのだ。
「大丈夫か!?」
髭はずいぶん慌てた様子だった。
リフリールは一つうなずいてから、それに答えた。
「少しだけ過去を思い出していた」
「ほう! その話聞かせてくれるかの?」
リフリールは心配性のドワーフから少し離れて、頭の中を整理しようとした。
膨大な記憶の片りんは垣間見える。
だが、それを取り出そうという気にはならなかった。
いや、なれなかったのだ。
もし無理に取り出そうとすれば、頭が壊れてしまうと考えたからだ。
「すまないが、メドゥの事では無いから役に立ちそうもない」
「そうか、それでも聞かせておくれ。ワシらはリフリール自身にも興味があるんじゃよ」
「少しだけ思い出した事があった。私にはとても大事な人がいたんだ。あいつのために旅を続けていた。生命の宝石という超遺物を求めて」
「……こんな時にワシはなんといえばいいのか」
ウルゴは彼のおかれた境遇を鑑みて、言葉に詰まったのだ。
心優しいドワーフの王は、幾人もの不幸な者に力強く、元気づけた。
それでも彼のような全ての繋がりは死に絶え、記憶すら朧気で孤独の極みにいる者にかける言葉が見つからなかったのだ。
「エルフは失われた古代の技術を少しだけ使える。彼らはきっと君の記憶を戻してくれるはずだ」
「おうおう! そうじゃな、とにかくエルフヘルムにいくことじゃ!」
「……ありがとう」
甘い休憩時間は終わり、3人はまた腰を上げた。
アーリやウルゴは、この世界がどれだけ素晴らしいかをリフリールに聞かせた。
リフリールはそれを聞いて、ほんの少しだけ希望があると感じる。
彼はようやく自分のおかれた現実を理解しはじめ、希望を失いつつあった。
だが、二人の陽気な言葉と優しさによってリフリールはふさぎ込むよりも前に進むべきだと考えるようになっていた。
イシアの都市を出発して、五日間が立っていた。
3人は水場にようやくたどり着いていた。
森の中に流れる綺麗な川、澄んだ水の中には小さな魚が泳いでいる。
森のせせらぎは心を洗うようだ。
3人は久しぶりにリラックスして、足を休めていた。
「ふぅ~生き返るわい」
ウルゴが喉を鳴らして水を飲んでいた。
空になった水筒は、これでもかというほどに詰め込まれて苦しそうにしている。
「ここから遠いのか?」
「ああ、まだ半分くらいだ。足は大丈夫か?」
「不思議と問題ない、頭の方はダメでも、どうやら筋肉は衰えていないらしい」
「石化ジョークか、背景を顧みると笑えないな」
そうは言いながらも、アーリはにやついている。
「まぁ私は問題なさそうだ。あの髭のじいさんは大丈夫なのか」
「大丈夫だろう、彼は頑強で辛抱強い。まるで意思は石のように硬いよ」
「ふふっ、石化ジョークは私の専売特許なのだが」
「ほう、ならば私も石化してみるかな。だったら、私も使えるのだろう?」
「もしそうなれば、今の会話をきっと覚えていないはずだ。契約は無効になる」
二人はふふっと声を漏らした。
気が合うらしく、リフリールとアーリは良くしゃべった。
大体がこの世界の事についての話題だったが、アーリの過去についてもしゃべったりした。
彼女は未だに付き合った経験が無いらしく、そのことについては少し自虐的だった。
アーリはリフリールより少し年下に見えるが、物腰から幼さは感じない。
安心感のある会話と適度なユーモアが二人の仲を大きく縮めていた。
ウルゴは元から、リフリールを気に入っていて最初からほとんど距離が無い付き合いだ。
3人はとても仲が良くエルフヘルムから無事帰ったら、酒を飲み明かそうと約束までしている。
休憩時間をそろそろ終わりにしようと立ちあがる。
一行が荷物を背負う所で、アーリが手を止めた。
「不覚、気が付かなかった」
一瞬の殺気がどこからか洩れる。
それは目の前で、アーリはすぐに身をひるがえした。
複数の弓矢がアーリのいた場所に次々と突き刺さっていく。
「ウルゴはリフリールの援護を頼む!!」
「オウッ!」
ウルゴがリフリールのそばに立ち、戦槌を肩に担いで敵を待った。
リフリールは手に持った短剣を構える。
するとすぐに木陰から刺客が姿を見せた。
アーリはすぐにその刺客が誰なのか気が付いていた。
前に一戦交えたあの野盗の首領だった。
彼はたった一人で3人の前に姿を現して、堂々と立った。
「ずいぶん探したぞ」
「私は捜索を頼んだ覚えはないが?」
アーリは刺々しい物言いだった。
かなりきつめにそう言うと、刺客は息を小さく吐いた。
それからフードを取って見せる。
男の顔にはいくつもの傷跡があった。
右耳は半分無く、痛々しい。
それでも哀れな印象は受けず、むしろ勇ましく力強い印象を受ける。
体つきはがっちりとしていて、背中には大剣を背負っていた。
「そう邪険にするな」
「招かれざる客をもてなせというなら、この長剣を突き刺してやろう」
「ふっ、嫌われたものだ」
「当然だろう、背中から弓矢を放つ卑怯者に好意を持てというのか? 悪い冗談だ」
夕暮れ時の森の中に緊迫した空気が流れる。
木々から葉が落ち、風がほほをなでる。
「あの程度で死ぬならそれまでの人物だったということ。俺にも話す相手を選ぶ権利があるだろうよ」
「御託はそこまでにして、さっさとかかってきたらどうだ?」
「落ち着け小娘、斬り合うのは話を聞いてからでも良いだろうよ」
傷だらけの男が堂々と歩き、切り株に座った。
アーリは隙あらば切りかかろうと考えたが、そうできなかった。
男は張り詰めた空気をまとい、寸分の隙も無かった。
ドカッと腰をおろした傷だらけの男が、小さく息を吐いてから口を開いた。
「俺もお前らについていく」
アーリとウルゴは目をまんまるくして、考慮の範囲外からの言葉に面食らっていた。
リフリールも不思議そうに顔をしかめただけだ。
誰一人として傷だらけの男の言葉を飲み込めていないようだった。
「おい、聞いてんのか」
「聞いている。聞いているが、いったい何が目的だ?」
「ドワーフとやたら腕の立つ女、そして不思議な体を持つ男。何やら退屈しなさそうな奴らじゃねえか」
「断る」
即決だった。
アーリは決して退かぬというよりにきっぱりと言い切った。
傷だらけの男は解せぬと納得がいかない様子だった。
何故、受け入れてもらえると思っていたのかをリフリールは聞きたかった。
「迷惑はかけねえぞ? お前より強いし、護衛にもなる。良い事づくめだろうが」
「お前みたいな無作法な奴と共にする旅路は無いと行っているんだ。この剣の錆になりたくなければ今すぐ消えろ」
アーリは明らかに不機嫌だ。
お前より強いという言葉はアーリを指して言われた言葉だった。
彼女はまるで確かめてみろと言うように殺気立っている。
そんなアーリを逆なでするように傷だらけの男が言った。
「そうは言ってもな、俺ァ盗賊団を閉めてきたんだ。行く宛てがねえ、だからついていくぞ」
「はぁ!? 何を言ってるんだお前は」
「いいじゃねえか、一人くらい増えたって」
傷だらけの男は自分のいう事は全てまかり通る。
そう考えているようにふてぶてしく、堂々たる主張だ。
アーリもそれにはあきれたらしく、言葉を失っている。
言葉を聞いたウルゴがゲフゲフとせき込んだ後、笑い出した。
「ごふっごふっ、ほっほっほ! 久しぶりに笑ったわい。いいじゃないか、アーリ嬢。なかなか面白い奴じゃよ、目も真っすぐに綺麗じゃ。何やら企んでいる様子はないの」
「ああ、企みとか陰謀だとか俺ァ……そういうのが大の苦手でな。この腕っぷし一本で生きてきたってえ、わけよ。そんな俺が力になってやるってんだ。ありがたく思ってくれねえとなぁ?」
「ほっほ、言うわ言うわ。こやつめ、ワシは気に入ったわい。どうだアーリ嬢、一人増えたところでさほど変わらんじゃろ」
「いやしかし、寝込みを襲われたらどうするんだ? 野盗をそばに置くなど心鎮まる事がなくなる」
それもたしかになぁ、とウルゴは結ばれた髭をこすっている。
会話は平行線をたどりそうであったが、その時だ。
傷だらけの男が大きな声で叫んだ。
「この剣に誓ってーーーーッッ!! お前らに一切の危害を加えねえと約束しようッッ!!」
アーリはその太い腕とどこまでも真っすぐな目をじっと見る。
彼は優れた武芸者であり、その眼には一点の曇りもない。
そして、一度剣を交えたからこそ理解している事があった。
彼は直線的で、曲がったことが嫌いな実直な男だと。
「給金は働き次第、帯同している間の食料はこちらから出そう。ただし勝手に抜ける事は許さん。私が抜けてよいというまでの契約だ。それでいいならついてこい」
傷だらけの男は金じゃないと首を振った。
それでもその契約を受けた。
アーリには傭兵は契約が絶対だという事を理解しており、今回はその契約を使って彼を縛ったのだ。
もし、傭兵が雇い主と成立した契約を破ってしまえば、すぐに悪評が広がって職が永久に失われてしまう。
どんなに腕の立つ傭兵も、次の雇先が無くなってしまえば野垂れ死ぬか、野菜を作るしかなくなる。
男もそれを理解していたから契約を受けたのだ。
彼は自分が少々苦しい立場になっても、この面白そうな機会を逃すまいと考えていた。
「ま、これで正式な雇い主ってわけだ。一応傭兵ギルドに一報入れておいてくれるか?」
「エルフヘルムについたら、イシアの傭兵ギルドに文を出す。それでいいか?」
「それでかまわん、さ、雇い主殿、行先はエルフヘルムか。急ぐんだろう? ずいぶんここまで早足できていたからなぁ、追いつくのが大変だったぜ」
「私達はもっと急ぐべきだったらしい」
アーリが苦笑しながら、髭と元石像に笑いかけていた。




