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第二話



 やがて、出口が見え、光が差し込んでくる。

 深い森の中に降り注ぐ光は葉にさえぎられて和らいではいた。

 しかし石像だった男にとって、その弱まった太陽の光でも眩しすぎたようだ。

 目が焼けるように痛み、本能的に逃げ場を探していた。

 だが、男はどうやって痛みから逃れるべきかを考えなくてはならなかった。

 目からはとめどなく涙が溢れ、刺激を何とか和らげようとしていた。

 体の機能は衰えてはいないようだった。

 男はようやく目を閉じる事が出来た。

 また深淵が広がる。

 悠久の時の中で、男が最も恐れた深淵がまた広がったのだ。

 動かぬ身体を揺さぶって、深淵から逃れようと試みていた。


「お、どうしたんじゃ! どこか痛むか?」


 その様子に気が付いた結ばれた髭が、男に問いかける。

 男はその言葉の意味を理解していたが、やはり言葉は発する事が出来なかった。


「眩しいんだろう、目から涙がこぼれている」


 赤毛の女剣士が後ろから髭に声をかける。

 すると髭は深い森の中で立ち止まって答えた。


「ああ、そうじゃったか。石化してずいぶん長い間たっとったんじゃな。アーリ嬢、頼んでもよいか?」

「把握」


 アーリ嬢と呼ばれた赤毛は、自分の質素な服の袖を破った。

 背負われた男の目を隠すように覆うと、男は一層激しく身体を振った。


「どうやら眩しいわけではなさそうだが……」

「ふむ、わしにもわからぬ。話も出来そうにないし、困ったのう」


 一行が立ち止まっていると、前から急かす様に怒鳴り声が聞こえる。


「早くしろ!! 私達には重大な使命があるんだぞ!!」


 細身の男の声が木々を揺らした。


「とりあえずはキャンプに戻らないといけないのぅ」


 一つため息をついてから、髭がそう言うと一行はまた歩き始めた。

 しばらく歩き、キャンプについた。

 キャンプ地はただ深い森の中に三角のテントを立てただけだ。

 中央には焚火の後があって、男はいくつかあるテントの中の一つで寝かされた。

 そのテントの中には赤毛と結ばれた髭がどうしたものかと立っている。

 やがて、結ばれた髭が元石像に問いかけた。


「とりあえずは、ここでゆっくりしていると良い。言葉がわかるならうなずいてくれるかの?」


 髭が野太いながらも優しげな声でそう問いかけると、元石像はしばらくしてからうなずいてみせた。

 自由にならない身体で、ようやくほんの少しだけ傾けただけであった。

 それでも髭は嬉しそうに答えた。


「ほっ! 言葉がわかるか! アーリ嬢、今の見たかの?」

「ああ、これは驚いた。言葉がわかるのか」

「ふむ、まぁとりあえずは安静にしておくのがいいかの、ほっほ」

「そうすべきだろうな。よし、私が見張りをしておこう。ウルゴはキャンプの用意を頼む」

「了解じゃ! 我が友人よ! ほっほ」


 元石像は、ぼんやりともやのかかった頭をなんとか働かせようとしていた。

 自分は何者で、どういう人物だったかすら覚えていなかった。

 彼は長い間、無であり続け、こんなにも多くの情報を得た事はなかったのだ。

 世界中から注がれる情報に彼は困惑していた。

 頭が割れるように痛み、全ての情報は彼にとって今や凶悪な敵であった。

 やがて汗をかき始め、うめき声をあげるようになった。

 すると、アーリが濡らした布で丁寧に元石像の顔を拭いた。


「大丈夫だ。何も心配はいらぬ」


 優しくも確かな声色に男は不思議と安堵していた。


「ゆっくりと休め、今はそれが一番良い」


 アーリがそう言って、男の手を握っている。

 そっと添えるだけであった。

 元石像は手から体中のもやが解けるような感覚を覚えていた。


「大地よ、今私に力を与え、この者の苦痛を取り払いたまえ……」


 アーリは小さくつぶやきながら、男の手を握り続けた。

 それは回復の呪文であったが、男はダメージを負っているわけではなかった。

 効くわけではなかったが、多くの情報を無理やり与えられている状況よりも、手から感じられる温かい光に集中できることが男は何よりもありがたかった。

 いつしか男は眠りについて、やがて目を覚ました。


「起きたか?」


 アーリは男が眠っている間中、手を握り続けていた。

 額にはうっすらと汗がにじみ、端整な顔立ちには疲れが見える。

 男にはそんな彼女の様子は見えない。

 それでも彼女の優しさに気付いて、何とか感謝の言葉を述べなければならないと考えた。


『うっうっ』


 絞りだしたような言葉はすぐにかき消えた。

 アーリは冷めたスープを木のスプーンで男の口元に持っていく。


「食事をとらなければならないだろう、無理はするな。だが人は食べなければ生きていけぬ」


 男は口元に運ばれたスープを口に含んだ。

 激しい情報が口内で暴れまわる。

 ぼんやりとしたもやが一気に吹き飛ぶのを感じていた。


「ごほっごほっ」


 本能的に吐き出していた。

 アーリは嫌な顔一つせずに吐き出されたスープをぬぐいとった。


「無理はしなくていい、だが食べなければいけないのだ」


 その言葉を聞いて、男は食事というものを思い出していた。

 次に口を開くとまたアーリが食べさせた。

 今度は飲み込むことが出来ていた。

 何度も繰り返すうちにようやく、上手に飲むことが出来た。

 それから数日の間、アーリは男に付きっきりで看病している。

 それは10回目くらいの食事の時だった。


「すまない……」


 自然と言葉が紡がれていた。

 元石像だった男は、自分から発せられた言葉だとわかると、もう一度試してみたのだ。


「ありがとう」


 言葉が出る喜びをアーリと共に分かち合った。

 アーリは嬉しそうに微笑み、皆を呼びに行くとテントを後にした。

 すぐに全員が集まったようだった。


「それでお前は何故、石になっていた。いつから石になっていたんだ」


 細身の男が強い口調でそう聞いた。

 元石像はその問いに答えるべく、数千の答えの中から一つをようやく選び出した。


「わからない……」


 元石像がそう言うと、細身の男が持っていた本を地面に叩きつけた。


「はっ! そんな事だろうと思ったよ、ほら見てみろ! この数日は全くの無駄だった! 数日の遅れをどう取り戻すんだ? もう取り返しのつかない事になっているかもしれないんだぞ!」


 細身の男はウルゴに向かって激しく叱責するようにそう言った。

 叱られた髭はあごをポリポリとかきながら、ゆっくり口を開いた。


「まぁまぁ、まだ全くの無駄となったわけではない。そういきりたつでないぞ、コルタナ。そこはおぬしの悪いところじゃ」

「ちっ、だったら無駄ではなかったと証明して見せろ! 時間がないんだぞ、俺達には!」


 髭は少しばかり怪訝な顔をして、深いため息をついた。

 それから、元石像に問いかけた。


「病み上がりのところすまないんだがのぅ、どうじゃ我らにおぬしの覚えている事を教えてはくれんかの?」


 少しばかりきまりの悪そうな問い方だった。

 歯切れが悪く、本当に申し訳なさそうに髭は言った。

 元石像は思い出せそうな事を頭の中に巡らせてみる事にした。


 それは果てしない時の流れだった。

 乱雑する思考のかけらを一つ一つ拾っていく。

 膨大な量のかけらは常人にはとても処理しきれないだろう。

 彼はひどく痛む頭に顔をしかめながら、それでも一つのことを思い出した。


「アームル歴、私が思い出せるのはアームル歴だけだ。恐らく私が動いていた頃の太陽暦のはずだ。それ以上はすまない。頭が痛くてだめだ、思い出せそうにない」


 今の元石像はまだ20代半ばのように見えるし、40代にも見える。

 それは彼に生気が全く感じられないからでもあるし、疲れ果てているからなのかもしれない。

 とにかく彼は外見から、年齢を予想出来ない何かを持っていた。


―――それは本当(まこと)か?


 一同は皆が目を見開き、その真偽を確かめようと元石像に視線を注いだ。

 とてもじゃないが、信じられない。

 そのいくつかの視線はそう語っている。


『3000年ほど前に太陽暦は終わっている』


 誰かがそう言った。

 しばしの沈黙の後、元石像は口を開いた。


「だとすると私は少なくとも三千年は石だったということだろうか」

「そういう事になるな」


 返事をしたのはアーリだった。

 彼女は一人だけ、彼の言葉を受け入れたようだった。


「そうじゃないかと思っていた。君の着ている衣服は、おおよそ3400年から3200年ほど前によく着られていた織物に酷似している。私は考古学者で、そういったことには少しだけ詳しい。おそらくは間違いないだろう」

「大冒険時代……そんな時代の人間が現代に馬鹿な、ありえない」

「だが現状を鑑みても、私の見解は彼の証言と一致している」


 アーリはそう言い切った。

 こういう時には疑心暗鬼の者よりも、はっきり言い切った者の方がはるかに強い立場になる。

 コルタナは、アーリをにらみつけたまま何かを考え始めるしかなかった。


「失われた技術も復活の可能性があるじゃろうな」


 髭がそう言うと、後ろにいた男達がざわめいた。

 彼らはしきりに世紀の大発見をしたのではないかと、小さな声で感嘆を表現している。


「通常の遺跡探索ならこれは世紀の大発見じゃな、しかし今はそこのコルタナが言う通り、時間がない」

「ああ、もうじき奴が来る」

「大帝メドゥ……」


 誰かが呟くようにその名を呼んだ。

 元石像がその瞬間、叫び声を上げながら頭を抱えた。

 上体だけ起こしていた体をくの字にまげて、横になってもがき苦しんでいた。

 元石像は世界から切り離されて、深淵に引きずり込まれていった。


 そこは何もない世界だった。

 全てを隔絶した世界だ。

 そこに男が一人、立っている。

 立っているわけではない、立っていると認識しているだけだった。

 実際には、地面も無ければ空も存在しない。

 果てしなく広がる暗闇の中に男がぽつんと存在していた。

 突然、彼が地獄すら生ぬるい劫火に囲まれる。

 そして彼は思い出した。


 メドゥという名前を。


 自分を石にしたであろう卑怯者の名を。

 何度、裏切者と罵ったか。

 それを今の今まで忘れていたのだ。

 男はその事に激しい怒りを感じ、現実の世界に引き戻された。

 脂汗をにじませて、正気に戻った元石像が口を開いた。


「メドゥは私を石にした女の名だ」


 一同に緊張が走った。

 目の前の男が嘘を言っているようにも見えない。

 誰もが口を開くのをためらっていた。

 すると、アーリとウルゴが何かに反応した。

 二人は素早く得物を手に取り、何かに備えた。

 アーリは長剣を、ウルゴは戦槌を手にしている。


「先の叫び声を聞かれたか。話は後じゃな」


 髭が持つ、独特の少しばかり気の抜けたような空気はそこに無かった。

 二人は緊張し、男達を連れてテントを出ていった。

 コルタナは、腰に差した長剣を抜くと一言だけ言う。


「おい、ここで待っていろ。敵襲だ」


 冷ややかに言い放ったコルタナは、すぐにテントから出ていった。

 臨戦態勢なのだろう、彼もまた鋭い眼光を放っていた。

 元石像は、思うように動かぬ身体を奮い立たせて何とか立ち上がった。

 すでに戦闘は始まっているようだった。

 テントの周囲から怒号やうめき声が聞こえる。

 元石像は、危険を承知でよろめきながらテントから出ていった。

 焚火の火を頼りに辺りを見回す。

 すると4つ足でいるにもかかわらず、人の背丈ほどもある獣と一行が戦っていた。

 その獣はするどい牙を持ち、大きな頭にけむくじゃらの体。

 頭にはたれた耳を持っていた。


「ちぃっ!! 出てくるんじゃねえ!! 死にてえのか!?」


 いち早く気が付いたコルタナは憤慨し、激昂して元石像を地面に荒々しく転ばせた。

 それを守るようにコルタナが前に立って、一匹の獣と対峙する。


 一閃ッ!


 コルタナの繰り出した剣戟は、獣の体を一撃で切り裂いていた。

 素晴らしい急所への一振りだった。

 地面に打ち付けられた元石像は、何事もなかったかのように立ち上がる。

 かなり激しく叩きつけられているにも関わらず、彼は少しも痛がる素振りを見せなかった。

 コルタナはそれを見て、不可思議な顔をしたがすぐに戦闘に戻る。

 今、キャンプ地は完全に囲まれており、逃げ場がほとんどない状況だった。

 そんな中で、一人の男が叫んだ。


『キングトローーーーーーーーーーーール!!』


 その声と共に身の丈が人の5倍もあるような巨人が現れた。

 一歩踏み出すごとに地面が揺れ、木々から葉が落ちる。

 巨躯からは想像も出来ないほどに素早い動きであった。

 一瞬でテントまで距離を詰めると、二人が近くにいた地点を狙いすましたようだ。

 コルタナは一瞬躊躇したが、思い切ったようだ。

 舌打ちを一つしてから、勇敢に踏み込んで切りかかっていく。

 巨人は手に持った分厚い木で、出来たこん棒を力いっぱい振り回した。

 元石像はその凄まじい風圧によろめいた。

 コルタナを狙ったであろうこん棒は、むなしく空を切った。

 至近距離に入り込んだコルタナが激しく切りつけたが、キングトロルと呼ばれた巨人はびくともしない。


「駄目だ!! 避けろ!!」


 いったん距離を取ったコルタナが叫ぶ。

 その視線の先には元石像がいた。

 激しく切り付けられたキングトロルは怒り狂って、こん棒を振り回した。

 迫る巨大なこん棒を避けるすべを元石像は持たなかった。

 俊敏には動けないし、ましてや判断力が欠如していた。

 無防備な元石像をすくうようにこん棒が襲った。

 ゴッ!! と、鋭い衝撃音が響く。

 間違いなく致命的な一撃になるだろうと、そこにいた誰もがそう思っただろう。

 蹴飛ばされた小石のように元石像が跳ね上がった。

 ゴッ!! ゴッ!! ドンッ!!

 と、2度か3度も太い木に衝突してからようやく止まった元石像。

 誰が見ても生存は致命的であった。

 むしろ、手足がちぎれなかったのが奇跡的だと誰もがそう思っただろう。

 だが次の瞬間にはじけ飛び、凄まじい衝突をしたはずの元石像が、何事もなかったかのように立ち上がったのだ。

 それを見たキングトロルは完全に息の根を止めようと襲い掛かった。


「ウルゴ合わせろ!!」

「おおうッ!!」


 のっしのっしと走っていたウルゴが横からキングトロルの足に、両手で持った戦槌を強烈に叩き込んだ。

 トロルの足に大きな穴が開き、その巨体がよろめいた。

 アーリは鋭く迫って、一つだけ叫ぶ。


「大地よ!! 悪しき巨躯を貫く力を私に与えたまえ!」


 アーリの剣がその言葉に反応したように輝きを増した。

 片膝をついたキングトロルに素早く駆け寄って、もう一つだけ叫んでいた。


「風の精霊よ、私にしばしの羽を!!」


 彼女がそう言いながら地面を蹴った。

 常人では考えられないほどの跳躍力を見せ、軽々と片膝をついたキングトロルの上をいった。

 片膝をついたといっても、人が3人分は縦に並ぶ大きさだ。

 その上を軽々と飛ぶ彼女の跳躍力は間違いなく異常だった。

 大上段に構え、キングトロルにそのまま襲い掛かっていく。

 普段ならば、簡単に迎撃出来るであろうキングトロルの素早さは、ウルゴの一撃によって失われている。

 狙いすました振りおろしがキングトロルの首を切り裂き、青紫色の血が傷口から噴き出した。


「無事か!?」


 アーリは立ち上がってぼんやりとしている元石像に前に立っている。

 元石像が何故、見た目には怪我もなく両足で立っているのか理解出来なかった。

 彼女は看病ももちろんしていたが、彼の体に何か手掛かりがないか調べてもいた。

 彼女のその時の見解は、何一つ不自然な点の無い完璧な人体だった。

 その彼がどうして、あの一撃に耐えられるのかが理解出来なかった。

 古代にあった今は『失われた技術』と呼ばれる魔法の類なのかと、頭を巡らせた。

 が、すぐにそれを奥底へと追いやった。

 恐ろしい獣の気配が彼女を考古学者から、すぐに歴戦の戦士へと変化させたからだ。

 彼女は後ろから飛びついてきた4本足の獣を軽々と切り伏せた。


「話は後だな、無事ならそれでいい。君は私の近くにいてくれ」


 アーリは背を向けてそう言った。

 少しだけ間を置いて、元石像が口を開く。


「あ、ああ、わかった」

「いい子だ」

「でもすまないが」

「後にしてくれ!」

「いやしかし」


 なんだとアーリが振り向いた時に彼女は目を疑った。

 彼の下半身が恐ろしい食人植物に飲み込まれていたのだ。

 その食人植物は一瞬で人を溶かしきってしまう、強力な酸を吐く事を彼女は知っていた。

 すぐに救出しても、酷い傷が残るかもしれないと焦りを隠せなかった。


「な!?」


 アーリは慌てて、根本を切り裂いて元石像を助け出した。

 衣服はすでに溶け、その下の肌を見た。

 完璧に整った肌だ。

 酸にやられた醜い姿はそこに無かった。


「なっ……これはどういうことだ」

「何かおかしいのか?」

「いや、何もかもおかしいといったほうがこの場合近しいはずだ」


 彼女は苦笑してそう言った。


 

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