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第一話

また書き始めますので、よろしくお願いします。

18/02/28

―――私は石である。


 薄暗い石造りの部屋の中に石像が立っていた。

 彼が不覚にも石化の罠にかかってから、途方もない時間が経過していた。

 石と化した彼の一番の不幸は、間違いなく意識があったことだろう。

 最初の一月、哀れな石像は身動きが取れないことを嘆き、喚き、苦しんでいた。

 己に対するありとあらゆる罵詈雑言を吐き連ね、もはや考えうる全ての後悔を吐き出した。

 動けない事に対する憤怒は、やがて諦観に変わっていた。

 いずれ誰かが通りがかるだろうと彼はそう考えた事もあった。

 その誰かが彼を見つけ、石化の呪いを解く呪文をかけてくれるのだろうと考えていた。

 今はその希望も完全に打ち砕かれた。

 探索していた古代遺跡の入り口が、石化後に崩落したからだ。

 それまで悠久の時を保っていた古代遺跡の入り口が何故、突然に潰れたのか。

 そう、汚い罠に嵌められたのだ。

 彼は注意を怠っていたわけではなかった。

 ありとあらゆる危険な仕掛けのある古代遺跡を探索する時、彼はいつだって細心の注意を払っていた。

 今回も彼は同じように注意深く探索し、遺跡から『古代の遺産』と呼ばれる超遺物(アーティファクト)を手に帰還する所であった。

 彼が身を危険に晒し、その生涯をかけて探し求めていた超遺物を手にした矢先だった。

 安全を確認した場所を通っていたはずだった。

 しかし、そこに見落としがあった。

 仕掛けられた石化の罠は、巧妙に隠されており、彼はそれを発見するすべを持たなかった。

 挽回の機会を全く与えられないままに彼は石になったのだ。

 彼は油断していたわけではなく、むしろ帰還する際が一番重要だという事を知っていた。

 そんな思慮深く用心を怠らない彼に見つからぬように罠を仕掛けたのだ。

 歴戦の冒険者である彼に悟られぬよう、巧妙で狡猾な魔術の罠を仕掛ける。

 そんなことが可能なのは、この世に恐らく一人しかいないと彼はそう確信する。


―――私は裏切られたのだ。彼女に。


 あと少しだったと彼は後悔していた。

 もう少しで悲願が達成される寸前だったのだ。

 彼には為すべき事があり、彼にはその事が全てだった。

 それはもう終わってしまった。

 彼は嘆いていた、失敗だったと。

 彼女を信用した事が彼の人生の中で一番の失敗だったのだ。

 動かなくなった身体の深淵の中で、彼は激しい憎悪に身を焼いていた。

 やがて、石になった体の中に声が響く。

 どうやら、彼にも声だけは聞こえるようだ。


―――ふふっ、ごくろう様。


 彼女は悪魔のような微笑を浮かべ、石になった彼が落とした超遺物(アーティファクト)を拾った。

 その手は透き通る純白、手は細く整っていて、爪は輝きを放っていた。

 いで立ちは美しさと危うさを兼ね備えた美貌、黒く長い髪は踵を返して彼から離れていく。

 石造りの遺跡から、カツ、カツと規則正しく聞こえていた足音が消えた。

 彼は薄暗い遺跡の中で罵る事しか出来なかった。

 罵るといっても、彼の深い闇の中だけだ。

 その声は決して外には聞こえない。

 何故なら、もはや彼は石と同じなのだから。

 それからしばらくすると、遺跡の奥から地面を揺らしながら何かが近づいてくるのを感じた。

 石像は目が見えなかったが、ほんの少しだけ感覚は残っていた。

 全くの暗闇の中で、彼は自分の体が激しく打ち付けられている事に気が付いた。


 石化の呪いは、別名『不変の呪詛』とも言われ、かけられた者を石にして悠久の間、石にする恐るべき魔術であった。

 不変の呪詛と名が付くだけあって、石化した存在を変化させるのは非常に困難だとされた。

 長年の研究により、石像は壊れる事は決してなく、わずかばかりでも欠ける事はないとの見解が、魔術師協会から発表されていた。

 その石像に諦める事無く、己のこぶしを打ち付ける存在がそこにいた。

 それは守護者(ガーディアン)と呼ばれる土で出来た大きなゴーレムの一種だった。

 古代遺跡を守るために生み出された半永久的に動き続ける土の人形だ。

 その土の人形が、石と化した者を殴り続けたのだ。


 ゴーレムは哀れにも閉ざされた遺跡の中で、石像を殴り続けていた。

 土は無残に飛び散って、すぐに腕が無くなるのだ。

 片腕が無くなれば、もう片方の腕で殴り始めてはまた再生させる。

 それを幾星霜、ゴーレムは繰り返した。

 無意識のゴーレムは、気の遠くなる時間、同じことを繰り返し続けていた。

 命令された通りに侵入者を排除しようと、凄まじい力で殴り続けたのだ。


 だが、石と化した彼にはそのような事はどうでもよかった。

 殴られているのだとわずかに理解出来るだけで、微動だにしない体にうんざりしていた。

 もう数か月はたっただろうか、彼は自分自身と会話したり、何か歌を作って遊び始めた。

 膨大な数の歌を詠んだ。

 自分自身を見つめなおし続けた。

 それでも石化は解ける事なく、彼を石であり続けさせた。


 深淵の中で彼は色々な事を考えていた。

 時間は無限に存在していた。

 彼は魔術の理論を少しづつ、自分の知る限りの知識の中で昇華させる事を考えた。

 しかし、それは無理な相談だった。

 いくら考えても、彼は新しい発見をする事はほとんどなく、その発見を試す事すら出来なかった。

 もし、彼が天才だったならば、魔術において右に出る者は存在しなくなるほどに理論を構築する事があるいは、出来たかもしれない。

 だが、彼はその点に関しては凡人だった。

 思いついた事を書き留める事も、試すことも出来ないのだ。

 それではすぐに忘れてしまうのは必然であった。

 やがて、彼は飽きて次の事を始めた。

 それからまたかなりの時間が過ぎただろう。

 彼は自分自身と会話することが一番の楽しみとなっていた。

 この時点で彼は狂人と化していたのかもしれない。

 死ぬことは出来ないし、考えをやめる事すら出来ないのだ。

 生きている限り、人間は何かを考える必要があった。

 意識がある限り、人間は色々な事を考えるのだ。

 脳まで石化しているはずだった。

 そこに意識があるのは、体に染み付いた意識の名残なのだろうか。

 彼は石化してからも、とにかく何かを考え続けていた。


――――――さらに途方もない時間が流れた。


 ゴーレムはその間も土のこぶしを哀れな石像に打ちつけていた。

 殴られるたびに石像の中でぼんやりと何かが光っていた。

 それを彼が知る事は無かった。

 何故なら彼は目が見えないし、自分の状況が何もかもわからないからだ。

 ただただ、殴られるたびに輝き続けていた。

 彼はその事を心臓の鼓動のように気にすることなく、ぼんやりと無に浸っていた。

 長い時間の中で彼は発狂し、長い時間をかけてふと我に返る。

 そのことを繰り返し続ける彼の精神は、深い闇に浸蝕され続けた。

 彼はやがて、ついに考える事を辞めていた。


 人は考える事を辞めて、その間も何一つ動かす事なく静寂を保つことが出来るのだ。

 人工的に作られた場所の水面のように、ほんの少しの揺らぎも無かった。

 その水面にわずかな揺れを感じた。

 彼が意識を取り戻したのだった。


―――う。


 彼が発したのはこの一言であった。

 しかし、これには膨大な量の情報が詰め込まれていた。

 たった一文字であったが、彼はこの一文字に自分の知りうる限りのすべての言語を詰め込んだ。

 一瞬で『う』という文字が余韻を残して消えた。

 彼はどうやって頭の中に発声したのかすら理解出来ていなかった。

 それでも彼は全てを理解していたのだ。


 彼が最後に言葉を考えてから、どれほどの時が経過したのだろうか。

 彼はまた何一つ考える事無く、無と同化している。

 彼自身が無であった。


―――おい、あんた。


 遠い遠い昔に聞いたことのあるような音がした。


―――大丈夫か?


 誰に問いかけているのだろうか、彼はそんな事も理解出来なかった。


―――だめだ、正気を失っている。


 彼は自分が石から元の自分に戻った事すら、理解していなかった。

 そんな事は起こらないだろうと遠い昔に決めたからだ。

 彼の王国は彼自身の深淵の中だけで、王国は決してその決め事を破ることはなかったからだった。

 しかし、その決め事がついに破られたのだ。


 彼の周りには数人の男と一人の女性が立っていた。

 傍らには破壊されたゴーレムの土くれが転がっていた。


『っ!』


 石像だった彼は気が付いて、言葉を発する努力をした。

 だが、駄目だった。

 わずかなうめき声だけを上げ、それは終わった。

 石化が解けるまでの長い時間が彼から言葉を奪い去っていたのだ。

 発声器官が劣化したわけではなかった。

 それでも、彼は言葉を発することが出来なかった。

 何故なら、彼は今のうめき声で全てを説明したと考えていたからだ。


「おまえさん、大丈夫かい」


 心配そうに覗き込む髭面の中年男性は、がっしりとした体型でずんぐりむっくりとしていた。

 白髪の混じった髭は何故か、あごの下まで伸びて結ばれていた。

 肌はしわだらけで、土やほこりなんかで汚れている。


「言葉がわからんのか?」


 問いかけに対して、石像だった男は答えようとした。


―――どうやって?


 そう考えたことすら、はるか昔をたどってようやく出てきた答えだった。

 男は赤子よりも考えられず、どんな賢者よりも一瞬で物事を巡らせられた。

 膨大な知識の渦から逃れられない彼はしばらく考えた後、どうにかして言葉に出そうと試みた。

 やはり、それはうまくいかなかった。


『うっ……』


 うめき声にしか聞こえない言葉が光の差し込んだ遺跡の中に響いた。

 ぱっと顔を明るくした結ばれる髭が、うなずいて答えた。

 体を動かそうとした元石像が、バランスを崩してよろめいたのを結ばれる髭が支えていた。

 彼はもう、満足に体を動かす事は出来なかったのだ。


「よしよし、わかったわい! とりあえずここから出るかのぉ! 治療はその後、わしらのキャンプまで戻ってからじゃ」


 結ばれる髭が石像だった男を担ぎ上げると、そこには細身で長身の男が行く手を阻むように立っていた。

 細身の男は、腰に長剣を一本差して何かの皮の半鎧に身を包んでいる。

 彼はしかめた顔で結ばれる髭をにらんでいた。


「おい、どこへ行く。仕事はまだ終わっていないはずだ」

「まぁまて小童。この先どんな危険が待っているかわからんのだ。一度戻ってからでも遅くはあるまいて」

「いくら案内役だからと言って勝手な行動は許さんぞ、そいつを置いて先に行くべきだ」

「ここにこやつを置いてか? それは石に誓って出来ん相談じゃ。わしらはこやつを石から戻した責任が生じておるじゃろ、見殺しにしたとなれば後でどんな良くない事が待っているか、わからんぞい?」

「ちっ……だから俺は言ったんだ。石像を戻す呪文など試すべきではないとな!! これで遅れたら、お前たちに責任は取ってもらうからな!」


 細身の男が吐き捨てるように言うと、遺跡の出口に向かって苛立ちを隠そうとせずに歩いていった。

 男が蹴飛ばした小石が、ころころと石作りの廊下を転がっていく。

 その様子を見た結ばれる髭が、赤毛の髪の女に笑いかけた。


「ふぉっふぉっ、どうするかの。怒らせてしまったわい」


 髭がそう言うと、赤毛の女は少しだけ息を吐いて言った。


「ふっ、かまわん。あいつはいつも怒っている」


 澄んだ声は凛々しく、そびえ立つ巨城のように堂々たるものだ。

 意思の硬さが垣間見えるその声色に、周りの男達が安堵した表情を見せた。

 赤毛の女は手に持った松明を少し高く持ち直して、出口のほうへと歩いて行った。

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