幼女作家「わたしはわたしを売りたいな。誰か買ってくれるかな?」
下記は、いかぽん様の『自分が面白くないと思う作品がランキング上位にいることを「不正」と言いたがる人の心理』というエッセイに対して、自分なりの想いをつづったエッセイになります。
自分の中で生じた想いを剥製にしておきたく、ここに作品として残しておきます。
幼女作家
「わたしはわたしを売りたいな。だれか買ってくれないかな?
え、いかがわしい話をしてる?
むぅ(ぷくぅ)。チガイマス!
いまの世の中はさくひんを売ってるんじゃないんだよ。
みんな、だれもがじぶんを売ってるんだよ。
だから、コンテンツはべつになんでもいいんだよ。……それは言いすぎかな。
でも、じぶんの好きなものを書いたら、それがたったひとつの個性になるんだよ。
問題は、このじぶんを売るという感覚がゆるせないってひともいるってことかなぁ。
ランキングの上位にくるひとが「不正」だという感覚は、たぶんコンテンツを売りたい人で、そこにじぶんをまとわりつかせるのが「不正」なんだと思う。
小説家はさくひんで勝負するべきで、作家の個性で売るべきじゃないって考え方ね。
だから、そんなかんがえの人にとってみれば、例えば、誰も見向きもしないみちばたにさくひんは置いておくべきだし。宣伝はほんしつてきにはしてはいけないってかんがえてるんだと思う。
わたし?
わたしは、ちがうよ。
だから売りたいな。たーい。たーい。よまれたーい。
小説はわたしのかんがえを百パーセントあらわしたものじゃないけれど、わたしというフィルターを通じて、よのなかを見たいって人がいてくれるとうれしい!
わたしはわたしをうりたい!
わたしを買ってくれる人はいるかなー?
ね?
おねがいします!
こんなに、こびててごめんねっておもうんだけど、でも、そうしたいの。
そんな世界なんだもん。
みんな、だって、自分でいい作品とか見つけようって人より、ずっと多いのは、この作者さんならおもしろい作品書いてるかもしれないっていう期待感のほうが大きいでしょ?
ちがうかなー。
でも、あんまりよんでよんでってせがむのもカワイクないから、わたしの作品をよんだらおもしろいよって言ってみるね。
あ、お兄ちゃんの書いてるファンタジーおもしろかったよ!(こびこび)」
果たして『不正』と考えるそのベースとなっている思考はなんなのか。
作者様の考えは、つまるところ思考の矛盾を埋め合わせようという結果なのだと思います。
しかし、その考え方もまた、矛盾を内包していることを否定しておりません。
1、この作品はランキング上位であるが、不正していない
2、不正しているという人がいる
3、認知的不協和により、不正しているという人がいるという事実を、その人がおかしなことを言っているというふうに捉えるというふうに。
あ、この思考は不合理だと思い、自分の中で捨てました。
で、考えたのは、なぜ「不正」であるのかということをもう一度問い直すことでした。
わたしが思うに、それはおそらく、作品というコンテンツにそれ以外の行為を付加しようとすることの是非なのではないかと思いました。
おそらく「不正」だという思考には、コンテンツ以外になにかしらの行為を付着させること自体をNOだといっているわけです。
この点について、規約がどうだとかそういうことの前に、そもそも『小説とはコンテンツであり、作者の人格によって作品価値は変わらない』という思想があるのだと思います。そうよまれるべきなのだという思想ですね。
この点については、わたしもわからないではないのです。
たとえ、作者が妹と近親相姦していても、作品が素晴らしければ素晴らしいといわれるべきであると思いますし、そういった作品こそ永年、残るべきだという理想があります。
けれど――。
それでも、近年の消費のされ方は、おそらく情報の発信者の個に注目する消費のされ方なのだろうという判断があります。
きわめて冷徹で合理的な幼女先輩は、このあたりをしっかりと見抜いて、だから「わたしはわたしを売りたい」と発言しているのです。
わたしなんぞは、幼女先輩からしてみれば、若輩者に過ぎませんので、このあたりはまだ理想を追い求めたいところではあるのですが、しかし、世の中は厳しい。
つまるところ、ランキング上位にいる方々を『不正』したという思考は、ある種の理想主義で、幼女先輩からしてみれば、すごくかわいらしい思考なんです。
幼女先輩は若干小学二年生程度の御年であらせられるのですが、わたしのような理想主義者のような思考は、もはや赤ちゃんのようにバブみをもってあやせられるがごとしです。
何を言ってるのかわかりかねる部分もあるかと思いますが、このような感想を抱いてしまったのでした。
お粗末様です。
幼女先輩は実をいうとかなり現実主義者なんだよな……。
いろいろとご迷惑かけてすみません。