二
短いです。
学校での苦痛が減った分、家での苦痛が増えた。
だが、それがさほどつらいと思わなくなるのは早かった。
夏休みに入ったからだ。
学校は部活と登校日しか行かない。それ以外の日は、あの日から仲良くしている派手な女子グループと一緒に出掛けるようになった。
実は中等部の頃から気になっていたのだ、という彼女達は外見から受ける印象とは大きくかけ離れて非常に面倒見がよくしっかりしていた。
引っ張って連れていかれたのは、彼女達が常連だという安価でデザイン豊富な服屋や雑貨屋。スポーティというか地味に過ぎる明希の私服は、彼女達の面倒見の良さがいかんなく発揮されて一新された。その際、使い道がなさ過ぎてため込んでいたお年玉や月々のお小遣いが消費されたが、半分以上はまだ手元にある。値切りができる古着屋で大量購入できたのが幸いだったが、値切る彼女達を見るのは少々怖かった、と明希は遠い目になる。
そんな日々の中で、リーダー格である辻宮 奏の家で、明希はお鍋と向き合うことになった。
曰く、家で出来ないならうちでやる? とのことだった。
作ったのは自分達の昼食にすればいいんだし、みんなで食材持ち寄って作りっこ、とかと他のメンバーからも提案されて、さくっと可決された結果である。きっかけは、明希以外の全員が自身の弁当を作っていたからだ。
初めて訪れた日から一週間以上が経過しているのだが、明希にはまだ慣れないことがある。
「今日は肉じゃが?」
「ぅあはいっ!」
上ずり変な声になったのは、対面式のキッチンのリビング側から声をかけられたからだ。正確には、剣道部男子副部長に声をかけられたからだ。
なぜ彼がいるのか、は単純明快。
「兄さん、邪魔」
にっこりと綺麗な笑顔ですごみ切り捨てる奏に、肩をすくめて去っていく。
奏と剣道部男子副部長・辻宮 新は、れっきとした兄妹だった。
名字で気づけ、と知った時に明希は思ったが、純和風の美形である兄と西洋人形のような妹では、名字だけでは気付き辛い、と他の子に諭された。彼女達も同じ経験をしたらしい。
外見は古めかしい立派な日本家屋(しかも平屋建て)に日本庭園があるが、中はバリアフリーにオール電化というちぐはぐな家の住人は、娘の友人達が連日泊りに来てもニコニコ笑顔で歓迎ムード全開だった。その理由までは明希は知らない。
思わぬところで思い人と同じ時間を過ごすに至った明希は、最近ではそれにすっかり慣れた。不意打ちにはまだ動揺するが。
基本的には自分達で食べるが、時には新も加わる。凄く嬉しそうに微笑まれるのが、心臓に悪い。新と遊びに来た男子部長や部長会議をするのにちょうどいいと押しかけて来た女子部長と副部長も、一回だけ加わったことがある。
こんな風に、自分の言動を貶されることなく過ごせる日々、というものに最初の数日、明希は泣きそうになった。それを奏と新に察知されて、ちやほやと甘やかされたのはいま思い出しても憤死するレベルの黒歴史となっている。
ぐっと菜箸を握りしめて悶えるのをこらえていた明希は、炊飯器のアラームではっと我に返った。
いい感じに汁気が飛んでいるのも確認して、火を止める。
炊き立ての白米、豆腐とねぎの味噌汁、肉じゃが、ほうれん草のお浸し、が本日のランチメニューである。昨日はロコモコ風プレートという洋風だったので、純和風にチャレンジしてみた。
新が正面に座る(何故かは不明)ことにも慣れ、和気あいあいと昼食を終えると、午後から用事が、と新が抜けて女のみになる。
「それでは、第一回明希の恋愛成就作戦会議を行います」
「「「おーっ」」」
「ぶっ」
食後のお茶を飲んでいるところだった明希は、唐突な奏の発言とノリ良く拳を突き上げる他三人に思わず噴き出した。口にしたところだったので、テーブルに数滴飛んだだけで済んだのは僥倖だった。
「言うても、もう秒読みやあらへん?」
ロシアとのハーフだという関西よりの方言を使う、銀髪灰瞳の凛とした美少女は楽しそうに笑う。
「そうそう。告白すれば?」
日本とイギリスとイタリアとカナダの血が混じっている、という赤髪茶瞳のスタイル抜群な美少女は少々投げやりに告げる。
「見ててもやもやするぅ」
くるくると癖のある茶髪と垂れた碧眼に、語尾がわずかに伸びた独特な語調の砂糖菓子のような美少女は頬を膨らませている。
唐突な発言の数々について行けない明希は、きょとんと首を傾げている。
それに呆れた眼差しが四対突き刺さり、居心地が悪い。
「あの女、こんな所まで侵食してるとかっ」
「ほんま腹立たしいわぁ。どう見てもそうとしか思えんに」
「10年くらいの洗脳、か…。こっわ」
「もう、あの子を隔離した方がいいんじゃないかなぁ? 百害あって一利なしってやつでしょぉ?」
どうしても四人の言い分が理解できなかった明希の鈍感さに対し、その原因をいち早く察した奏達が恨み言を連ねる。
奏達は成績もすこぶる良い。奏に至っては総合二位、他三人も二十位以内に入っている。明晰な頭脳を持つ彼女達は、明希の鈍感さを分析のみならずその原因への報復方法を即座に考え始める。ちなみに、自分の手は汚さない、が奏達のモットーである。…何をしてきたのか、を明希は怖くて聞けなかった。
ひとまず、奏達が言うあの女やあの子が誰なのかは見当がついた明希は、ただ苦笑いを浮かべるしかない。
奏達と過ごすうちに、自分がいかに美鈴によって言動を制限され委縮させられてきたかを自覚した。それがすぐになくなるわけもなく(それこそ10年物の年季の入ったものだ)、少しずつ奏達に手を引かれる形で進んできた。
ようやく、夏休みに入って料理ができるまでになったのだ。
ちなみに、部活の大会は県大会ではそれなりの結果だったが、全国には駒を進められなかったのでさほど忙しくはない。
年頃の少女らしく、恋の話やショッピングに勤しめるなど、夢にすら見られなかった明希からすれば、現状だけで非常に満足だった。
ふわふわと花を飛ばしかねない明希に、無欲が過ぎる、と奏達が嘆き叫ぶのはこれから一時間後である。