Dear you 〜拝啓 貴方へ〜
彼と出会ったのは私が物心つく前で、私はその日のことを覚えていない。
ただ、写真に写る彼の表情は、私のよく知るものと何ら変わりないように思う。
彼は私をいろんな場所に連れて行ってくれた。
休みの日父と母と一緒に、自転車を持って公園に出掛けた。
家に居たいと駄々をこねる私に何も言わず付き合ってくれた。
少し遠出をして、温泉に行ったりもした。
なかなか帰ろうとせずに長々と居座ってしまって、彼を随分待たせた。
帰り道で次から次へと浮かぶ遊びに、いつまでも付き合ってくれた。
幼い頃には、並んでシャワーを浴びたこともある。彼の躰に傷を見つけて、大騒ぎした。
彼が自分の傷に対して何かしら言うことは無かった。
夢の国に遊びに行ったこともある。
はしゃぎ疲れて、ぬいぐるみを抱いて眠る私を起こすことなく家まで連れ帰ってくれた。
一緒に母の実家へ行ったこともある。美しい青い山を並んで眺めた。
その時に食べたアイスの味を、私は今でも覚えている。
熱を出した私を迎えに来るのは彼の役目だった。
気持ちまで弱って涙脆くなる私のせいで、彼の背中は濡れていた。
引越しをすることになった。
友達と別れることになって、たくさん泣いた。
彼の故郷から離れることになる。彼ともお別れなのかと不安になった。
新しい家になって─────
私の側には、いつもと同じ表情の彼がいた。
春には近くの公園へ行った。
彼の黒い服に、桜の花びらが良く映えた。
夏には大きなプールに行った。
黒い彼は光をよく吸収して、とてもとても熱かった。
秋には紅葉を見に行った。
葉が紅く染まる頃にはすっかり寒くなって、彼の所に駆け寄った。
冬の外出は大変だった。
彼の躰のあちこちに雪が積もり、傍に寄っては雪だるまを作った。
あれは、一緒に過ごして何年目だったろうか。
彼が足に怪我を負った。そろそろ潮時か?と言った父に、泣いて嫌がった。彼と別れるのが嫌だった。
そんなに言うなら、といろんな人が協力してくれて、彼の足は以前より強くなった。
冬をいくつ数えた頃からか。
彼が傍にいることが当たり前で、彼と向き合うことが少なくなった。
"別れが近い"そう告げられて驚いた。
久々に見つめた彼はあちこちに傷を負っていて、本当に長い間見守っていてくれたことに気付いた。
「今まで、本当に有難う。」
彼は何も言わず、さいごにならんで撮った写真の表情はやっぱりいつもと変わりなかった。
実は人でもなんでもなく、我が家の愛車の話だったのですが……
楽しんで頂けたらなによりです。




