5話 ヴルックス迷宮後
「――ひっっ――つっ」
フルルは半裸の状態で枯魔岩の陰に隠れて泣いている。
ずぶ濡れで乱れた黒髪に、豪快にずれたままのバニーイヤー。
辺りには手袋や靴が散乱していて、中でも腹部を切り裂かれたバニーコートが凄惨な様相を醸し出されており。
(バニーコートの下はああいう物を着けているのか……)
知らなくてもいい知識が増えてしまった。
身につけている物は下着とタイツだけの状態で、胸の周りは剥き身の刀身のような、光りの帯で隠されていた。
「大丈夫か?」
フルルは反応する余裕も無いのだろう、嗚咽を詰まらせながら泣いている。
借りて来た毛布をフルルの肩にかけて、胸の前に浮かぶ浮かぶ白色の――離れていたのにまだ保っていた――魔法で形成された光帯を意識して消滅させる。
「ひっ――ひっく――」
膝を硬く抱えて泣き続けるフルル。落ち着くまでそっとしておくしかない。
(怖がらせてしまったか……)
僕は少し離れた岩の上に腰かけ、さっきの魔法を再現してみる。
意識を集中して行くと片手に持った魔石が小さく鳴きながら発光を始める。
「聖光魔法と……聖光剣……いや、聖光壁魔法?」
突き出した手の先に発生した、いつも通り白色の灯り。
その隣には横長の光の帯が浮いている。
普通の聖光魔法に少し改竄を加えると、こんな光の帯へと変化した。
(これで新しい魔導論文が書けないかな)
光を発するのではなく、光を収束させて固める魔法。
広範囲は照らせないが放置しても消滅までの時間が長い。鍛冶屋の使う熱炉魔法に近いのかも知れない。
(無駄に魔素使うけど)
聖光魔法を収縮させて固めているのだから当然だろう。
通常、どんなときに使えばいいのか思い浮かばないが、女性の衣服が駄目になったときには非常に役立った。
(……いや、それはまぁいいとして)
岩陰ではすすり泣く声は続いている。
「ひっく――……っきゅん……っ――ぅぅっ」
……なんぞ可愛い声が嗚咽の隙間に入った。鳴き声かと一瞬思ったが。
(……くしゃみか)
手を振って魔法の光を消し、がじがじと頭を掻く。
(最初は順調だったんだがな……)
踏み込んだ当初こそ、鍾乳洞の溶けたような岩肌に怯えていたが、慣れてくれば石筍を好奇の目線で眺める余裕も出て来ていた。
観光用の順路を進みながら、鉄板で補強された部分の滑りやすさや、坂道で鎖はあまり信用せず、足元をちゃんと固めて登ること。
ダンジョン内の生き物は魔素を多く含んでいるので食べられない。植物や水も直接は飲めない。塗り薬の素材として重宝される。
洞窟の石筍や壁をみだりに触らない、基本は順路から外れないようにと注意するのも忘れない。ダンジョンの保存の大切さ――ダンジョンの変化は魔素の乱れにつながる――を解説したり、特徴的な巨大岩の名称等の案内もした。
たまにすれ違う観光人や冒険者に奇妙な顔をされるくらいで概ね順調だった。
所々にある両手で抱えられる程の鉄枠の木箱、宝箱と呼ばれる箱は、魔石が精製されやすいように結晶核――使い切る寸前の、小さくなった魔石――を入れておくための物。
魔石はキノコのようなもので、ある日突然手頃な大きさに成長する。
密集させるより適度に離した方が効率は良く、広い空間の方が魔素は貯まり易い傾向があるので、通路では生成され難い。なので通路の宝箱は一定の間隔に置かれていて、進行具合の目安にもなっている。
達人は五階層までなら宝箱に魔石が精製される時期を完全に予想できるとか。
採取したら代わりに結晶核を入れて行くのが礼儀。
ダンジョンでしか取れない薬草や魔物の素材なども大切な冒険者の収入源となっている。
個人が鍵付きで設置している宝箱もあるが、賢人法典により、ダンジョン内で発生する物は、誰でも自由に採取してよいと定められているので、開錠して中身を持ち去っても文句は言われない、なんて解説もした。
深い階層では魔宝石や魔素を含む鉱物が取れることも有るが、潜るだけでも大変なのに、探索するのもまた一苦労で、魔宝石なんて年に一度取れるかどうかだなんて夢の無い話はやめておいた。
大人しく、興味深そうに聞いてくれていると話していても嬉しくなるもので、魔法についての知識も一通り説明してみた。
魔法とは魔宝石の仕組みを解析した論文――魔導論理――を完全に覚え、頭の中で論理を展開、魔石へと意識を繋げ、魔素を変化させ現実へと放つ技術。
測定魔法が良い例だろう、魔宝石の測定石を解析して測定魔法が作られた。
呪文は暗記の補助、記憶の整理のためで唱えなくても発動は可能。最低限使う魔法の名前くらいは唱えた方が失敗も減る。失敗しても魔素は消費される。
訓練次第で誰でも扱える技術だが、手間も危険もあるのであまり覚える人もいない。それにある程度の才覚も必要だ。
普通の市民は魔動機を買う方を選ぶ。魔動機とはその名のとおり、魔石を媒介に動く魔法道具の総称。魔宝石はもちろん、魔物の素材から作られる物も含む。
聖教歴以前の、魔石を媒介にする方法が発見以前は体内の魔素を使いながら命を削って魔宝石を発動させる、文字通り悪魔の術だと恐れられていたらしい。
つまり昔の人は魔宝石を直接素手で発動させていたと言うのだから驚きだ。
(それ用の、生贄が造られていたなんて話しは控えておいて正解だろう)
魔石を肩代わりに使うにしても限度があり、微量だが体内の魔素も消費される。使い過ぎれば眩暈とだるさが襲い、一気に大量に使えば意識を失ってしまう。
魔法の研究で頻繁に魔法を使い続けている魔導士はやはり体が弱い。骨から削られて行くというのだからぞっとしない。
体内の魔素は、空気中の微細な魔素や普通の食べ物から間接的に、少量づつ取り込んで回復する以外ない。これも一度に摂取すると骨が変形してしまうので、魔素を使い切れば回復するのに2日はかかる。
年寄りの魔導士に背中が曲がっている人が多いのは、これが原因だとも言われている。それは単に机にかじりついて魔導論文を読んだり書いたりを続けているせいだとの異論もあるが。魔素の過剰摂取が身体によくないことは確かだ。
魔導士は組織形態が少し特殊で、組合は一つだがその中の派閥で動く。
「魔導職・魔導士・火炎の使徒」等といった具合で、門外不出の秘伝魔導論理が多くあり、派閥以外の人間が秘伝の魔法を使っているのが知れたら抹殺――は大昔の話で、今は教会法に則り魔導士組合で協力して憲兵へ突き出すこととなっている。
魔法の使用に関して、教会法で健康被害が出ない程度の目安を定められているが、魔導士が聴く耳なんてもつわけがないので、魔導士は概ね骨が脆い。
僕の使う魔法も聖教会秘伝の聖教魔導論理だ。
聖光魔法は明かりになる上、対抗魔素の効果もあるので複雑な魔法でも打ち消せるし、死霊系の魔物への防壁にもなり、瘴気含む魔素も浄化してくれる便利な魔法だ。傷を癒す治癒魔法と、能力を測る測定魔法も使える。
僕が使えるのはこの3つだけだが、途中からの転職組みなので覚えるのには随分苦労した。
もちろん僕は節度を守って使っているし、用心に魔素を多く含むミスリルの腕輪もつけているので身体も健康だ。
そんなこんな、基本的なことを雑談交じりに解説しながら冒険者用の道に足を踏み入れて進んでいると、迷宮鼠の親子が岩壁の上からこちらを見ていることに気づいた。
指で示して、フルルに見せてやれば、ほっこりとした表情で可愛いと評していた。思わずこちらも自然に微笑んでしまう。
そこまではよかった。
その直後に、迷宮鼠の視線を追ってフルルが後ろを振り向き、尾の長い大きなトカゲを見つけて、竜がどうこう騒いで池に落ちた。
そこから、ずぶ濡れになった貫頭衣を脱がせて預かったのが失敗だったのか、すぐさま引き返さなかったのが悪かったのか、結局服装がダンジョン向きじゃないのが――
(――いや、完全に僕の油断だった。予想出来たことだろう)
水辺で擬態していたスライムが水音に反応して飛びかかって来た。
スライムの恐さは取り込んでしまえばあらゆる物を溶かしてしまう性質と、獲物の頭部を覆い窒息させる攻撃方法。鼻や口から体内に潜り込み、爆ぜて臓器を破壊する習性。
獲物の頭部へと伸びるスライム。
水よりも粘度が高く、動きも緩いので運動能力の低い子供でもなければ回避は容易いはずだが――子供並に動きの鈍かったフルル。
間一髪で肩を引き寄せられたが、大きく空いた胸元からぬるりとバニーコートの内側に入り込み――膨れ上がり――爆ぜる――寸前のところ、僕はダガーで膨れ上がったバニーコートの腹部を一線。切り裂き、手を突っ込んで爆発寸前のスライムを引きずり出し――僕の顔めがけて襲いかかって来る前に、宣教士のローブに包んで遠くに投げ捨てた。一瞬の早業。
魔導士や火がない場合の緊急対策。布に包んで捨てる。
フルルの腰を小脇に抱えて観光順路まで退避し、息を吐いたところで、バニーコートの横紐まで切れてしまっていたことに気づいた。
元々大きさの合っていないバニーコートは――水を吸った重みにスライムのぬめりのせいもあっただろう――すとんと落ちて……咄嗟の反応だった。フルルの身体の前に手を掲げた。
聖光魔法が光帯へと変化し、見えてはいけない個所を隠すように覆った。
咄嗟に聖光魔法の、光の拡散、発光を司っている論理を収束、倫理、守護等々と入れ替え発動させればそうなった。
熟練の魔導士は魔導論理を自分用に使い易く改変したり、もっと上位の、二代目賢者の称号を持つ伝説の魔導士は、その場に対応した魔導論理を即興で組めたとあるが。
偶然それが出来てしまったのだろう。
光帯の向こう、しゃがみ込んだフルル。追従する光の帯。
しゃがんでバニーコートを引き上げるが、紐も切れてしまっているのでどうしたってずり下がる。
涙目のフルル。
とにかく腕でバニーコートを押さえさせて小脇に抱えて――ダンジョン内を久しぶりに全力疾走した。
「……酷かった」
回想しながら項垂れていると、泣き声が止んでいた。
岩から降りてフルルの傍らに近寄るが、膝を抱えてうつむいていたまま無反応。そんなフルルへ深々と頭を下げる。
「すまない、僕が油断した」
「……」
「本当にすまない」
全ては水辺で警戒を怠った僕の責任だ。打ち合わせをして、事前に注意したからと言って会話に気を取られ油断し、僕まで気を抜いてどうする。言い訳のしようもない。
「……」
フルルはじっと押し黙ったまま。
「……これが怖がらせたかな」
腰鞄の下に差し込んだ肉厚のダガーに手を回して。
聖職者が殺傷能力の高い刃物を扱うことは教会法に違反している。聖職者でも一応宣教士組合と巡礼士組合では自衛のための殺生は認められているが、刃物は装備禁止だ。
(いつもは一人のときしか使わなかったんだけどな……)
衣服に入り込んだスライムの対応として、あの処置で間違いなかったはずだが。
滅多にあることではないが、スライムが衣服の内側で爆発した際の衝撃で臓器を痛める恐れだってある。特に女の子のお腹だ、考える前に身体が動いてしまった。
肉厚なナイフなんてチラつかされるだけでも怖いし、目の前で空振りされるだけでも足が震えあがるのに、服を切り裂かれて恐怖しないわけがない。
「あんまり人に話すようなことじゃないんだが……生みの親が盗賊でな」
罪滅ぼしというわけではないが、真摯に謝りたい。
物心がつく頃には市壁の外を転々とする生活だった。外地の農村を転々と襲撃する最低の盗賊団だった。僕は顔を伏せたまま語りはじめる。
「8つか9つの頃、親が死んでから――」