4話 ヴルックス迷宮前
端的に。片手に収まるは言い過ぎだが、そう思わせるほど小さな尻だった。
背中を踏んで乗れるようにと提案したが、またも本気で拒否されてしまったので、もう気にするだけ馬鹿馬鹿しいと、子供を乗せてやるのと同じように、ふとももから持ち上げて、肩に抱えて鞍の上にあがらせて、それでもずり落ちそうになったので尻を支えて押し上げやった。それだけのこと。
ついでに、バニー装束に貫頭衣の組み合わせもなかなかに面白いことになっていた。馬上用の、丈の短い貫頭衣から下はバニー装束がはみ出しているのだ、面白い様にならない訳がないのだが。あくまで実用のためなので仕方がない。
僕の愛馬は羊のような巻き角の生えた黒い軍馬だ。怖がるかとも思ったが、それほどでもなく、恐る恐るだが馬上で黒い毛並みを撫でていた。
僕の馬も大人しいので大丈夫かと安心したが、やはり走ると怖かったのだろう、きつく目を閉じて鞍にしがみつき、腕の中で小さく震えていて――バニー装束の大きなしっぽが非常に気になる位置にあり、もう気にするだけ馬鹿馬鹿しいので帰りは絶対に後ろに座ってもらおうと決心しておく。
よし切り替えて行こう。ダンジョンはもう目前だ。
馬上で、平原の風を受けながら爽やかに頷く。
「到着ですよ」
軍馬から降りる際は――恥ずかしがっているような余裕がないのだろう――小刻みに震えながら手を僕の首に回し、べったりと身体を預けて抱きつくようにと、少し困る。
降り立ってからも震えていた。産まれたての小鹿といった様子。
「大丈夫ですか?」
「……ぁ、……い」
フルルは応え、ぎこちない足取りで数歩進み、太腿を両手で押さえて身体を支えて息を整えている。前屈みにはだけた貫頭衣の隙間から見えるバニー装束。
体調に気を使ってゆっくり走らせたつもりだったが、鞍を掴んでガチガチに身体を硬くしていたので、すぐには思うように動けないのか。
軍馬からハミと鞍を外して自由にさせ、鞍の鞄からメイスと盾を取り出して具合を確かめたり、ローブの内側、腰鞄の後ろにダガーを隠すように収めたりしつつ。
準備を整えてから周囲を見渡して言う。
「どうです、ここがアーリファ王国、第10番目のダンジョン、ヴルックス迷宮ですよ」
この景色を見れば、少しは気分も変わるだろう。
「……」
フルルがなんとか頭だけを上げれば、眼前に広がるのは平原の中から巨大な上唇が突き出ているような洞窟型のヴルックス迷宮、その入り口。
入り口の前は整地されていて、学舎の運動場のような広場になっている。
夏から秋にかけての繁忙期にはごった返しになるのだが、時間帯もあり人影はダンジョンの入り口に番兵が二人と観測所の方に少しだけ。
広場の傍らには国営の休憩所兼ダンジョン管理のための詰所、観測小屋が建っている。横長の小屋と高い櫓が付いた、山小屋のような建物だ。その前では早めの帰り支度を終えた冒険者が立ち寄り、預けた荷物等を引き取っている。
ここからでも洞窟の奥深く、行き先は見えていて、濁った白色の岩肌がずっと奥まで続き、ひんやりとした風がここまで漂っていた。内部は鍾乳洞になっている。
深さは現在確認されている分だけでも43階層。一階層ごとの広さは500人規模の学舎の敷地が10から20程収まる規模。
周囲は小高い丘が連なっていて、草原の中に真っ白な巨石がごろごろと点在している。
「……ひつじ?」
「じゃないですね。枯魔岩と呼ばれる、魔素の影響で脆くなってる石です」
言うと思っていたので独り言に合わせて答える。多少は魔導の力を持つが、屑魔石よりも質の悪い無価値な石なので誰も手を付けない。
それでも景観を担う役割としては中々の物だ。
「……ぁ」
ぽかんとした表情で周囲を見渡し、遠くに霞んで見える街の影で視線を止める。
「……遠いん……ですね」
「もしかして、街から遠出するの初めてだったりします?」
こくん、と頷かれる。
「そうですか……」
「……」
しばらく街を眺めてから、これから向かう洞窟に目を向け更に不安を覚えたのだろう、肩を抱いて緊張しているようだ。
「なんでダンジョンの周辺に街や商業施設を作らないか、知ってます?」
駆け出しの冒険者がよく疑問に思うことを、緊張を解そうと話題に出してみる。
「えっと……?」
首を傾げられる。質問の意味がご理解されなかったようだ。
「ダンジョンのすぐ前に道具屋や酒場があった方が便利でしょう?」
「あ。そうですね……なんで近くにないんです?」
フルルは素直にうんうんと頷く。
「理由は3つ、まず1つに、商売職同士が場所の取り合いで揉めるから」
「……? 譲り合えばいいのでは?」
そんな格好で敬虔な聖教徒のようなことを言われても返答に困ってしまうのだが。
「その通りですが、そう上手くいかないのが現実のようです」
換金屋くらいここに建ててくれれば色々と楽だろうにとは思わなくもないが、それが元で過去にダンジョンが独占されてしまったとのことなので、今でも戦利品は商会の荷上場で換金するか個人で商店に直接持ち込むようになっている。
大物が取れたときなんかは酒場で競売に賭けたりもするか。
「次に」
僕はメイスで周囲一帯を示す。フルルは素直に示された方へと顔を巡らせる。
丘の隆起で所々見えないが、どの方角にも遠くに街の影が霞んで見えていることに気づくはずだ。
「一つの場所に冒険者が集まり過ぎないように、東西南北と冒険者用の街は分けられているんですよ」
戦力を持った者が集まり過ぎると貴族のお偉いさん方が良い顔をしない。
一般的に冒険者街と呼ばれているが、僕達が利用している街の正式名称はヴルックス迷宮南方隣接区。
一つの冒険者設備を利用している冒険者は500人から700人程いると言われている。
東西南北合わせて、ヴルックス迷宮を利用している冒険者の数は少なく見積もって二千人程か。観光目当てで訪れる人数まで含めるならその倍はいることだろう。
「……?」
よく分かっていない様子。
「つまり、ダンジョンを中心にして街は広がっているんですね」
もう一度周囲を指し示して。
「え?」
普通に驚いているようで、本当に本気なのかと心配になる。これもたぶん初等学舎で習うような話だぞ。
セフィロード大陸には人口8百万人規模の国が20あり、それぞれの国がダンジョンを10宮有し、迷宮を中心とした10の都市を独立した市壁で囲み、管理、統治し、ダンジョンの恩恵でそれぞれの国同士が争うことなく成り立っている。
今、この場の正式な名称はセフィロード大陸、アーリファ王国、ヴルックス市、ヴルックス迷宮地区となる。
こんな常識を今更語るのかと、こちらが驚きだ。
駆け出し冒険者として防具や道具について知識が無いのは分かるが……俗世を知らないお姫様、有り得ない話ではないのか?
(バニー装束のお姫様?)
……。
僕だって気にならないわけではないが、考えても仕方がない。
当人から話してくれるまで待つのが聖職者だ、それまでいつでも門は開けておく。門を叩いてくれたなら全力で手助けする。
僕は物静かな父の背中からそう学んだ。
冒険者を目指しているというなら、冒険者の先人としてダンジョンについて手助けするまでだ。
「言ってしまえばここも街の中なんです。昔はここにも街があったので。大昔の外壁ということですね。壁を抜けるのに手続きもなかったし、門番もいなかったのは区壁だから必要ないんです。今は最も内側の区壁として、迷宮地区と迷宮隣接区を分けています」
最古の外壁が、今では一番内側の壁となっている。
遠く、街の内壁をよく眺めようと無意味な背伸びをしているフルル。
「そして最後に――結局これが一番の理由なのですが――ダンジョンから凶暴な魔物が這い出て来ることがあるので、ダンジョンの周囲に住居は構えないと、そういうことになっているんです」
駆け出し冒険者の気を引き締めるための注意点。フルルは背伸び姿のまま固まった。
「……」
「溢魔現象なんて呼ばれます」
「ここは……大丈夫……なんです……か?」
効果は抜群だったようだ。効き過ぎた感すらある。表情の消えた真顔で、ぎこちない動きでダンジョンの方へと頭の向きを変えた所で急いでタネ明かし。
「ええ、本当に強い魔物は魔素の濃い地下へと潜りますから。滅多なことでは上がってこないので安心してください」
川で海の魔物を怖がるようなものだ。
「そこの小屋があるでしょう、あの観測小屋でダンジョンの様子を毎日観察したり魔素の濃さを測っているので、凶悪な魔物がダンジョン外に出て来ても、大きな事故はここ数十年起こっていないとのことですよ」
魔素の流れが乱れるのは前兆があり、そういう時期は内壁の門は閉じられ、迷宮地区自体に素人は立ち入り禁止になる。
僕が冒険者になってからも一度だけ黒牙熊が出たらしいが、討伐隊が組まれ速やかに駆除された。
「この時期に這い出て来るのは迷宮鼠の群れくらいです」
軽く肩を竦めながら言う。
普通の駆け出し冒険者ならここで笑い飛ばすか、大袈裟に怖がってはしゃぐのだが。フルルは青ざめた表情で、ネズミ……と独り言を呟いていた。
「ネズミ、苦手ですか?」
「い、いえ、だ、だいじょうぶ……です」
「街中のより大きいですが、あんなに邪悪じゃない、青いリスみたいで愛嬌ありますよ」
タヌキ程の大きさがあるが、碧色の毛並と金色の目は路地や下水道を走るネズミと違って美しく、顔もリスに近いものがある。別名、大青鼠。
「……」
緊張を解そうと思ったのだがフルルの表情は晴れない。
恐怖もあるだろうが一番大きなのは不安なのか。
「では、行きますか」
未知への不安は知識だけでは晴れないものだ。進むしかない。
観光順路を巡って、少しだけ冒険者用の順路に入ってから屑魔石の一つでも持って帰ればいいだろう。学舎から来る、学生の迷宮見学のようなものか。
とりあえず人の空いた観測小屋に鞍や使わない荷物を預けに行くとする。
「あ、あの!」
呼び止められた。怖気づいたか?
「あの……言葉、使い、もっと普通で……あなたは、お、お客様ですから」
……そんな話もあったな。せっかく丁寧口調にも慣れて来たのだが。
「うん、じゃまぁ、そうするか……でも、お客とか気にしないで、フルルも普通にしてくれた方がいいかな」
変に気負ってやる気満々の初心者程怖い物はない。
今のフルルのように、不安に押しつぶされそうなのを誤魔化そうと興奮気味なのが一番危ない。
「普通にして、疑問に感じた事や知りたいことは聞いてくれればいいし、困ったことがあればなんでも言ってくれ。その方が助かる」
「……はいっ!」
爽やかに微笑んでみせると、力強く頷かれて不安は募る。
踏み出す勇気を奮い立たせるためには仕方がないのかも知れない。
僕が気を配って補助に徹すれば大丈夫か。
「じゃあ注意点だが」
池に落ちないことと、スライムが出たら慌てずに逃げる。これだけは徹底するようにとフルルと打ち合わせる。
一生懸命に頷いていたフルルがバニーイヤーを整えるのを待って。
「それじゃ、行こう」
「はいっ!」