21話 再度挑む。ヴルックス迷宮2
順路に戻るまでかなりの時間がかかってしまった。
途中はぐれ小鬼を追い払ったり、スライムに足を取られたフルルを助けたりと、ひやりとする場面もあったが、なんとか戻れた。
「あ、あの……疲れて……いません、か?」
「……ああ、大丈夫だ」
誰のせいだ。とは言わないが。
魔物との遭遇はなんの問題も無い。むしろいい運動となったくらいだ。
それとは別に、洞窟の行き止まりで、フルルが起きるのを待ち一時間近く程身動きも取れず、起こすのも大きく揺さぶったり声を掛けたりと一苦労だった。
悶々と自制心を鍛える苦行に身を挺していたせいで精神的な疲労が酷いことになっている。
ただ耐え続ける時間は、確かに精神力だけ上がるなと感心しつつ納得できた。
順路に戻ってからは黙々と進むだけだが、精神的な疲れと背嚢の重みでじわじわと体力を奪われることもあり、通常よりもかなり疲弊してしまった。
予定よりずいぶん時間がかかったが、ようやく10階層へ到着。
「はぁー……」
しばらく進み、大地底湖へ至る入り口の影で僕は大きく息を吐く。
「今日は多いな」
泳ぐ魚の群れのように、地底湖の上空をうじゃうじゃとゴーストが漂っている。
(ゼィロルがなにかしてるのか?)
と、背中に気配。
振り向けばフルルは猫背で洞窟の先を覗き込んだまま動かなくなっていた。
その後ろに。
「失敬な。故意にやっとるわけじゃないんじゃが、どうもわしが内包しておる魔素に寄ってくるようでな」
賢者ゼィロル。
外見は先日見たマアシャンテとそっくりなのだが、今はゴースト体のようでうっすらと光っている。
所々ちりちりと燃えているが、僕の聖光魔法を物ともしていない様子だ。
色々言いたいことはあるのだが。
「停止魔法でフルルを止めるのやめろ」
なんだか玩具扱いしているようで不快だ。
僕の苦情は軽く鼻で笑っうだけでまったく取り合わない。ゼィロルは別のことを喋る。
「このままではおぬしら死ぬぞ」
「……なぜ?」
「わしの魔素に惹かれて魔物が集まっておる。今日は剥き出しのゴースト体じゃし、先日よりも酷いのう」
「なにを――」
ゼィロルは大地底湖の方へ視線を巡らせる。
「黒牙熊が1頭。他に小鬼の群れが2組、24頭。洞窟蝙蝠が30羽、ゾンビが5匹。ゴーストは33体漂っておる。ついでにスライムが1匹おる。無理じゃろ?」
「前回の黒牙熊はおまえのせいか……」
確かに、ゴーストの集まり方もおかしかった。
「故意ではないと言うとろうに。ちゃんと牛年増も助けたじゃろう?」
「……」
そういう問題ではないだろう。確かに、ダンジョンでは不測の事態は起こり得るものだが……。不条理な物を感じてしまう。
「引き返しても良いんじゃぞ?」
「……?」
引き返して、どうなると言うのだ。ゼィロルが魔物を寄せるなら、ここで引き返し、再度訪れても結果は同じ事になるだろう。
そうしろと言っている?
「おまえは何がしたいんだ?」
「……」
「世界を滅ぼしたいなら滅ぼせばいいだろ。僕がなにをどうしたところで、おまえの決断は誰にも止められないんだ」
星が落ちて来るようなものだろう。
「わしは臆病者なんじゃよ」
ふっと笑い、星の模造品を作れる程の力を持った賢者が自分は臆病だと語る。
「世界を滅ぼす責任なんぞ負いたくない。それでもこんな世界の延命処置は辞めなければならぬ。安楽死させてやらねばならぬ。生命維持装置のスイッチを誰かが切らねばならんのじゃ。じゃが……わしにはその勇気がない」
賢者は僕如きでは想像もつかない過酷な世界を見て来ているのだろう。
その悲しみと怒りの感情は、ゴースト体だからだろうか、身体が凍える程に伝わる。
「じゃからフルーレルに決めてもらう。文句があるなら神でも誰でも良い、止めて見ろ」
賢者は僕を睨み付けるようにして言う。なんだこいつ。
「つまり、止めて欲しいんだろ?」
「おぬしの持っとるちゃちな刃物では黒牙熊は仕留められんよ。脇腹を狙えば通るかも知れんがのう、心臓か肺に上手く達するか? 筋肉で阻まれそうじゃが、そこ以外を狙うても毛皮に弾かれるじゃろうな。逃げ帰るがよい」
話を逸らす賢者。
複雑な問題に対して、今すぐ答えを出せない気持ちはよく分かるが。
「もうおまえの中で答えは決まってるんだ。踏ん切りがつかないなら手助けしてやるよ。そこでフルルを守ってろ」
荷物を降ろし、ローブも脱ぎ捨てる。
「あっ」
賢者はなにか言おうとしていたが無視でいいだろう。止めるなら止めればいい。
口早に呪文を唱えて、最大威力で身体強化魔法を自分にかける。
あのフルルだって決死の覚悟を持って、冒険者の酒場までやって来てていたのだ。そこで動けずにいた。
そして、その背中を後押ししたのは僕だ。手助けしたのは僕だ。後悔しているが取り戻せない。
だったら進むしかないだろう。
僕達はもう動き出している、元凶の賢者が今更甘ったれたことを言うな。
――メイスと盾、盾の内側で魔石を手にして全力で走り出す。
最大威力の聖光魔法を発動、眩しさに目がやられる前に上空へと向けて放つ。動きを止めて絶叫するゴーストの群れ。
素早く地底湖全体に目を走らせ。走る。
洞窟蝙蝠が真っ先に僕へ向かって来るが無視する。頬に一筋の噛み傷がつくが無視。ゾンビが緩慢な動きで僕に気づいた。無視だ。小鬼に関しては考えない。一斉に来られたら終わりになるだけなので考える必要は無い。目指すは黒牙熊の頭蓋。
一足飛びで跳ね上がり――永遠とも思える滞空時間――メイスを振り下ろす。ゴン、と手応えは岩を叩いたようで手が痺れる。
足りない。不足を感じる。
素早く聖光魔法を発動。
手の中に発生する光を黒牙熊の眼球に押し付ける。目眩ましとして活用すれば、大振りの前脚の威力が少しは軽減された。
それでも牛にでも跳ねられたかのような衝撃で僕は弾け飛ぶ。
転がった先で小鬼が飛びかかって来ている。
身体強化魔法のおかげで痛みも倍増している。
黒牙熊は潰れた目のせいで半狂乱になって暴れている。
ゾンビものろのろと僕に迫って来ている。
ゴーストへ聖光魔法の効果はまだ続いているが、時間の問題だ。
(それがどうした!)
おかしくて思わす涙が滲む。
この程度の困難で音を上げられるはずがない。
転がり起き上がり、ダガーを抜いて飛びかかって来た小鬼を一閃。他の小鬼を盾で叩き落として――腕に噛みついた小鬼を刺す。
足に張り付いたやつはそのまま蹴り抜いて壁に叩きつける。失敗した。小鬼の牙で大きく引き裂けた足から血が噴き出る。
治癒魔法を足に使うかどうか――身体を反転、飛びかって来る小鬼を躱し――盾で裏拳気味に潰す。
同時に逆手に持ち替えていたダガーで反対から飛びかかる小鬼を斬殺。
迫り来るゾンビ。雪崩れ込まれるのはまずい。逡巡する。ダガーを投擲――腹部へ命中し、倒れる際に近くにいたゾンビも巻き込んでくれた。僥倖。
その隙に痛む足に耐えて走り、暴れる黒牙熊へ身体強化魔法をかける。
全力で振り回していた腕が突然強化され、盛大に体制を崩して転がりながら大暴れをはじめる。しばらく起き上がれまい。
その横を走り抜けて水辺へ――目当ての物を引き抜いて、転げて暴れる黒牙熊へと投げつける。スライムだ。
スライムは当然頭部を狙い、黒牙熊の顔に張り付く。もがく黒牙熊。もがけばもがく程口の中にスライムは入り込んで行き、窒息までの時間が早まる。
「最弱も使いようだなんて、言うつもりはないけどさ!」
スライムより弱い遊び人だ。弱いということはどんな綺麗事を並べたって悪いことだ。
大声を出したのは視界いっぱいに群がる洞窟蝙蝠への牽制の意味もある。
戦いながら昂る感情が止まらない。
大声に蝙蝠が怯んだ隙に走り抜けて、転がるようにしてメイスを拾い上げる。二組目の小鬼の群れと対峙する。
ゾンビも起き上がって来ている。ゴーストも金切り声も最高潮だ。
「強いとか弱いとか、便利とか無能とか、理屈も大事だよ!」
賢者はきっとわかっていない。
万能の力を持って、この世界を幸せにしようとして絶望を繰り返してきた賢者にはわからないだろう。
万能の賢者はあくまで万能の中でやりくりして来ただけだ。
誰かの為に強くなる感覚、弱いままじゃない、ここじゃないどこかへ、強くなりたいと願う意思がまるでわかっていない。
だからこの世界を壊すなんて平気で言える。
「理屈も大事だけど! 目の前の大事なものは、自分の大事なものは、自分で守る!」
そして僕もいつの日か絶望するのだろう。
でもまだそのときじゃない。僕はそのときまで足掻くだけだ。
どんなに無力で、どんなに絶望的な状況でも、どんなに無謀でも、諦めず限界を超えて、笑顔で足掻く少女を僕は知ってしまった。
だから、こんな所で根を上げられるはずがないだろう。
僕は目の前に迫る、残りの魔物の群れを睨み、疲労困憊で満身創痍ながらも唇を吊り上げて笑うのだった。
辺りは魔物の残骸と血、それに僕の血が混ざって酷い色合いになっている。
「いたったた」
「ご、ごめ、ごめんなさいっ」
「いや、いたたた、だ、だいじょうぶ」
凄惨な光景の中だが、心は非常に穏やかだった。止血の軟膏を塗ってもらいながら、のんびりと治療を受けている最中。
全身傷だらけだ。染みる軟膏に苦悶の声を吐きながらも、達成感で満たされていて、気分は悪くない。
出血による眩暈と吐き気、魔法の使い過ぎで全身だるいが、それすらもやり遂げた勲章のような心地で甘んじて受ける。
岩を背にした僕の身体に、フルルは泣きながらすがりつくように治療をしてくれているのはこの際役得だと思って存分に堪能させてもらおう。
丸いしっぽが揺れていてもさすがに変な気は起きない。といっても、頬の傷に軟膏を塗ってもらうのに顔が近過ぎて。
「あれ、ほら、中央の祠」
気恥ずかしさから、朱色に発光している祠を示す。
魔物を倒し終えた所で光り始めていたのだが、フルルは重い荷物を引きずりながら、真っ先に僕の方へ飛んできてくれたので気づいていない様子だった。
「は、はい、でも、あの」
ぐずりながら、僕のことが心配でそれ以外は目に入らないといった様子。
一瞬、視野狭窄って悪いことばかりじゃないんじゃないかなと思うが。
いやそんなことはないだろうと思い直す。
「大丈夫だから。たぶんあれが……そうなんだろう」
色んなものを見て学び、その後で選んで決断してくれる方がいいはずだ。その後ならいくらでも視野狭窄でいい。望む所だ。
「ひとりで行けるか?」
祠までは地底湖の上にある鉄の橋を通る。あまり幅は無いのが心配だ。手すりもあるので問題はないと思うが、油断できないのがこのフルルという少女だ。
「……え、えっと、でも」
片時も離れたくない様子。くすぐったい。
「誰かが来たら、取られるぞ」
「え、え? と、とられる、ですか?」
「うん?」
「……」
物凄く不安そうな目で僕を真っ直ぐに見ている。涙を目一杯に溜めて、そんな目で見られるとまた気もそぞろになりそうで。
「あれ。賢者の石。他の誰かに取られるぞ?」
指を振って祠を再度示す。ようやく祠をちゃんと見て、なにかに気づいたようにハッとなる。完全に目的も忘れていたようだ。
「あ。そ、そうです、ね。取って来ます!」
いったいなにを取られると勘違いしたのやら。笑いがこぼれる。
「行っといで」
「はいっ!」
てふてふと駆け出して、二度ほど振り返ったが、鉄橋からは足元に注意して慎重に進んでいるようで。ふう、と一息つく。
「どうだ、これで満足か?」
「……」
真後ろの岩からすっと出て来る賢者ゼィロル。
「……おぬし、何故死なんかったんじゃ?」
なんでだろう。不思議と負ける気は全然なかった。ここで逃げ帰ってしまうのは、死ぬことより嫌だと思っていた節すらある。
「いつもより頑張ったからじゃないか?」
単純に限界超えて頑張った、それだけだろう。
「……」
賢者は納得いかなそうだ。わからないのだろう。
「あとはフルルが絶望するか、しないかの賭けだな」
「……」
ゼィロルは冷たい目で僕を見降ろしている。
「なぁ、おまえ、本当は世界を滅ぼしたくないんだろ? 神頼みなんて辞めて、滅ぼすのを辞めればいいじゃないか」
「……」
しばらくなにも答えず僕を見降ろしていたゼィロルだが、ゆっくり顔を上げて、湖の上のフルルへと視線を移す。
「もう決めておる。こんな陳腐な場面よりも、よっぽど感動的で泣ける場面は何度も見てきた。今更こんなことでわしの心は動かんよ……」
無表情なのはマアシャンテのようだ。
「もうわしの心は動かん。無理なんじゃ。動かしようがない」
「無理とか言うなよ。人類最弱の女の子が諦めずに夢を叶えたんだ、人類最強の賢者様がそんなことでいいのか?」
「……」
賢者は小さな溜め息をついて、気の抜けた笑い声。失笑。涙交じりの失笑だった。
「おぬし、わしが望んで賢者になったとでも思うとるのか?」
「――え」
その声は悲しい。深淵へと繋がる井戸の底に沈んだと錯覚するほど。
深くて悲しい感触が僕の身体を包み込む。身体の芯まで達するほどの寒気。
唐突に、僕の胸から見慣れた刃物の柄が生えていた。
僕のダガーだ。
「な――」




