19話 再度、挑む為に
駆り立てられるように、その日の内から準備をはじめた。
迷宮地区に近い、冒険者向けの安宿を拠点とするため、とりあえず一部屋を一ヵ月貸し切ることにした。
フルルも隣の部屋を取りたいようなことを言っていたが、未成年一人で宿は借りられないので通いとなった。その方がいいだろう。そんなに長く使うとも思えない。
「ふぅ」
孤児院から運んだ冒険用の道具や着替え、身の回りの日用品等々、そこそこに大掛かりな荷物を二階まで運び終えて一息つく。
速やかに10階層まで到達できれば、まったく無駄になりそうだ。
(一ヶ月後もこの世界が続いてるかどうか、わからないわけか……)
ぼんやりと思う。
フルルの決断で世界が滅ぶ。全然現実感がないのだけれど。
「……わ」
入ってくればいいのに、フルルは何故か部屋の入り口で室内を見渡している。
部屋の窓を開けば、今日ももうそろそろ日が沈みそうだ。
迷宮地区と冒険者街を仕切る最内の壁がすぐ側にあり、遠くには枯魔岩がぽつぽつと見えている。流石にダンジョンまでは見えないか。
部屋の中央に丸い机と一脚の椅子、押入れ、あとはベッドがあるだけの狭い部屋だが、二階の角部屋なのと馬屋に近いのが気に入った。若干馬屋のにおいが届くが。
涼風を受けながら思いついたまま言葉にする。
「ホーリーラビットでどうだろう」
「え?」
なんの捻りもない、そのままなのだが。
「クランの名前、ホーリーラビットクラン。語路悪いかな?」
やや気取り過ぎかも知れない。
僕はフルルに歩み寄り、持ってもらっていた手荷物を受け取る。
ホーリー。自分を指差す。ラビット。フルルを指差す。
「あ……。い、いいと、思います……いいです!」
二回言った。嬉しそうだ。兎も嬉しいときは尻尾振るんだっけ。大袈裟に頷い
てバニーイヤーが揺れている。僕も微笑んで頷く。これでいこう。
机について、さっそく契約書を作って行く。
「聖教職・宣教士・祓魔僧」のルシウス=ウォルキス。
「娯楽職・楽芸士・遊装人」のフルーレル=クリアスタル。
各々の組合に提出する分と、酒場に保管してもらう分を作る。あとはミーティの分も作る、ミーティが名前だけでも貸してくれたのは助かった。
(さすがに僧侶と遊び人だけのクランなんて世間体が悪過ぎるからな)
パーティーとして同行するくらいならなんとでも開き直れるが、クランを組むとなると余計な疑いをかけられて組合にまで迷惑がかかるかも知れない。
3人ならつまらない疑惑もかけられ難いだろう。
(これも数日限りのクランになるかも知れないんだが)
それでも律儀に契約書を作る。気持ちの問題か。
ゼィロルの話しは正直、全然現実感がない。
話は一応わかったが、きちんと理解はしていないこともわかっている。そんなふわっとした状態。
正直、知ったことではないという気分かも知れない。
今、僕が考えていることは、フルルの願いが叶うかどうかとの部分だけだ。
駆り立てられているのは、フルルのため。
(急がないと……)
入り口に立っているフルルを見る。
「なにしてるんだ? あ、椅子か。とりあえずベッドにでも座っててくれ」
「……は、はい……お……お、おじゃま、し、します」
「お茶を出したいが、下の炊事場借りることになるのかな?」
孤児院でもそうだったので不便に感じることはないが、やはり身内感覚のときとは勝手が変わりそうだ。
「あ、いえ、いえ、だ、だだ、大丈夫、です」
ぎくしゃくと部屋の中に入り、部屋の中を見渡したり、ちょこんとベッドの隅に腰かけ視線を逸らしたりと、初対面の頃以上に緊張しているのは何故だろう。
怪訝に思い、首を傾げて問いかける。
「え、えっと、知り合いの、の、お、お部屋に招かれるの、初めて、なので……」
失礼なことしてないか……。と言いながら肩を縮こまらせて、うつむき小さくなる。
「あんまり緊張しないでくれよ。知り合いっていうか、もうクランの仲間だろ」
僕は苦笑しながら、契約書に自分の名前を署名する。
(急がないとなぁ)
ベッドに腰かけて僕の言葉ににへっと笑っている小さな身体を横目で見て思う。
(あの賢者、どんでもない物の蓋空けて行ったな)
衝動的に人を手に掛けようとしたことにもかなりの自己嫌悪だが、簡潔に言えば、フルルを妙に意識してしまう。
生々しい幻視の中で見せられた光景を思い出しそうになる。幻視の中、男がフルルの小さな身体にのしかかり――ともかく。あんな光景を見せられて冷静でいられない。
万が一にでもあんなことが起こるなら急いで離れるべきだ。
フルルに対して、万が一にでもあんな暴力的な衝動を覚えてしまうのが不安でフルルを直視できない。
僕の方こそ緊張するなと言う話だが、フルルが僕以上に、面白いくらい緊張しきっているからなんとか平然を装えている。
(迅速に賢者の石を手に入れよう)
速いところ賢者の石を渡して、二度と会わない方が良い。
賢者の石を手に入れた後ならフルル一人でなんとでも出来るだろう。
その後世界が滅ぶかどうかなんて知らない。
理解の範疇を越えた出来事に判断力が鈍っているのかも知れないが。
もしかしたらフルルを説得して世界の崩壊なんて望まないよう、説得するのが 人の道なのだろうか。そんな気もする。
ラティスに相談すべきかとも考えたが、あの様子ではマアシャンテ――賢者ゼィロルのことは知らないのだろう。当然フルルも知らない。
憲兵にでも通報するか? 賢者ゼィロルがこの世界を滅ぼそうとしているぞ。と?
(なにをどう言えばいいんだって話だ)
横目でフルルを見れば、相変わらず無防備な様子でベッドに座っている。
とてもじゃないが世界の運命を担うような、選ばれし者には見えない。そんな自覚もないだろう。
(急いで賢者の石を手に入れて渡す。それで終わり。これでいいだろう)
賢者ゼィロルが言っていた不穏な話。
たぶんあいつは世界を滅ぼしたいのだろう。
賢者の石をフルルに渡すことで、なにかしらフルルを絶望させるのが狙いなのだ。
それでも。
それでもフルルに賢者の石を渡してあげたい。
(あんなに一生懸命だったんだ)
見せられた凶悪な幻視のせいで、どこか自棄気味になっているのはわかっているのだが。
手に入るなら、渡してあげたい。
その結果、フルルがどうするかなんて僕が保証することじゃない。フルルを一人の人間として扱うならすべきじゃない。本人が決めるだ。
「はい、この書面に問題がなければ署名して、楽芸士組合に提出しておいてくれ」
ミーティからはどんな内容の契約書を作ってもいいと、先に専用の用紙に署名をして預かっている。非常に重いのだが。契約自体はそこまで重くない。
クランで潜ることを優先しますというだけの誓約書だ。その方がなにかと都合がいいだろう。
フルルは大事そうに書類を両手で受け取って、なにか眩しい物でも眺めるように目を細め、涙ぐんでいた。
「それで、とある筋から聞いた噂なんだが……」
賢者の石を手に入れるための計画をフルルに説明して行く。




