表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
賢者とバニーガールと  作者: ふぉー
1章 冒険の始まりとバニーガールと
18/25

18話 賢者は語る

「話を聞きながら理解できればそれでよい」

「あ」


 手が離れた。それでもフルルは固まったままだ。

 こんなときになんの悪巫戯けだ。なんのための悪巫戯けだ。苛立ちも強いが、それ以上に困惑してしまう。

 賢者ゼィロルごっこ?


「マアシャンテとは別人格じゃ。普段はマアシャンテで、必要なときはわしが出る。いつでも人格を乗っ取れる。魔法を使うとどうしてもわしが出るようじゃな。当人は自分が演じておるように思うとるようじゃが」


 意味がわからない。


「マアシャンテの中に、わしが潜んでおるということじゃ」


 わからな過ぎる。なにを言い出しているのか。

 少し真剣に話を聞こうと向き合う。


「話を始めるぞ。結論から言えば、時間なんてものは存在せぬ。よいか」


 マアシャンテ、いや賢者ゼィロル――付き合うことにしてみる――はローブの内側から紙を取り出す。

 その紙に指を伝わせて行けば、手品魔法か、線が引かれて行き兎の絵が描かれる。

 兎の絵が描かれた紙をぴょんぴょんと跳ねさせて。唐突にぐしゃりと握り潰す。


「つまり、全ては結果の連続であり時間なんてものは存在せぬ。停止魔法というても、やとることは身体の固定と意識の強制睡眠。それが続いておる状態。停止と言う結果が連続しておるだけ。ここまではよいな?」


 なに一つ良くないのだが。わけのわからない話は続く。


「結果の連続は絶えず更新されて行く。無秩序に見えて止まる事なく、全て等しく同じ間隔で更新されて行く。これを人間の認識では時間と呼んでおるわけじゃな。ここまではわかるじゃろう?」


 わかるじゃろう? と問われれば、時間という概念の解説をしているということは、まぁわかる。僕は頷く。


「全ては一つの基準を中心にして更新されておる。当然じゃな、基準がなければ等間隔で結果が連続的に更新され続けることなど不可能じゃ。基準を中心として我々が回っておるだけなのじゃ。太陽を中心としてこの地球が回っているようにの。我々は運命の輪の上に乗っておるだけであるということが導き出される。よいか?」


 わかるような、わからないような。いや全然わからないような。


「まぁわからんでも良い、賢者の考えを理解しろとは言わぬが……いや、おぬしが僧侶をやっとりながら神を微塵も信じておらぬのは、これもなにかの因果なんじゃろうか?」


 遠くを見つめている。なにか言葉を挟もうとしたが、遮られる。


「わしはな、世界中の人々に神の実在を証明してやりたいのじゃ。世界中の全ての人間が神の救いに希望が持てる。そんな世界にしたいのじゃ」


 ゼィロルは溜め息を吐くように笑い、続ける。


「わしは世界の中心がなんなのか、基準におる者がなにか突き止めたい。おぬし達が神と呼んでおるもの実在と存在を突き止めたい。突き止めて話がしたい。この世界を作った意味を問い詰めたい。そんな壮大な計画を立てておるのじゃ」


 唐突になにを言い出しているのか。

 なにもかもが突然過ぎて理解不能だ。


「おぬしはそう思うかも知れぬがな、この事態に困惑しておるのはわしの方じゃぞ。おぬしの動きが異常事態過ぎる。この事態の原因を探るためにおぬしに近づくつもりが、あまりに唐突な展開に予定変更を余儀なくされたんじゃよ」


 僕の動きが異常?

 いつものように冒険者の手助けをしている日常の中、目についた変な恰好の駆け出し冒険者に声をかければ、それはそれは無力な少女で、特別力になりたいと思った。

 それは賢者がどうこうよりも突拍子なことか?


「一万回思考して一万回星を作り試行を重ね、更に様々なシュミレーションを一万回試みてから実行したんじゃが、こんなルートは初めて見る。オリジナルへの故のイレギュラーか、一万回の予想結果を裏切るまったく予期せぬ事態になっておる」


 思考を言葉にしなくていいのは楽だが、やはり不気味でしかない。

 複雑な言い回し方で良く分からないが、要するに予想と違う事態が起こっていると。

 そんなことを僕に言われても知ったことではないのだが。


(あ、結婚に反対ってことか?)


 常識的な発想をすれば、そういうことで、こんなわけのわからない絡み方をして来ているのかと思いつくが――そんな様子ではない。


「やはり運命の輪に……神の見えざる手が作用しておるのか?」


 マアシャンテ、いや、賢者ゼィロルは怒りと憎しみが籠った、地の底をから響くような声で吐き捨てながら空を見上げる。


「わしはな、太古の昔からずっと幸せな世界を作ろうとしておるのじゃ」


 と、一転して明るい口調で言う。


「物心ついた頃には、この世界にある魔導の理を把握しておった。わしは、小鬼より幾分マシな知能を持つ人間共を導いた」


 遠い、遠い目でここではないどこかを見る眼差しは、熟練冒険者のような思慮深さと諦観に疲れた色を湛えていた。


「人間の為に、当時世界を支配しておった竜を討伐して回ってのう、竜の巣-―今はダンジョンじゃな。ダンジョンの恩恵で生きられるようにしてやったのじゃが……結論から言えば72匹の竜、全員殺しても人間は幸せにはなれんかったな」


 ざっくり聞き流してくれて構わんのじゃが。賢者ゼィロルはそう前置きして、まるで童話を読むように語りはじめた。


 わしは竜の巣を模したダンジョンを新たに作って行くと同時に国も作った。

 わしが支配すれば万事上手くいくと、そう考えた。


 最初に作ったのは魔術士の国じゃ。

 皆に魔術を教えたのじゃ。最初は魔素を操る奇跡の可能性に魅せられ、様々な魔術の才能が生まれてのう、原始的じゃが、人間は素晴らしい物を創造して行ったのじゃ。


 が。競争が生んだ繁栄の先、魔宝石の人為的な起動、魔奴贄が生み出され、更なる繁栄を求め国は荒廃して行き混沌を極め、幸せがなにかすら人は見失い、奇跡は当たり前となり民は無気力になり、行き詰り、空回り、裏切り、誰しもが不幸になった。


 次に同じ失敗を繰り返さぬようにと、賢人法典を定めてな、わし自身が教皇となり新たに国をまとめ上げた。

 民は知性と理性を持ち、互いを思いやり、安心できる暮らしに満足を覚えるようになった。


 が。その時代も時が進めば、民は法典の言葉を疑いはじめての。疑う集団と、法典を順守する集団とで争うこととなり、最終的には集団ヒステリーを起こしてとんでもないことになった。


 次の国では、もう少し厳格な秩序を定めることにしたのじゃ。わしは皇帝として君臨した。現在の国政の基礎にもなっておるな。

 この頃、賢人経典に職の区分を作った。ダンジョンの恩恵を効率良く得るための職や、生産職、職人職、それぞれがそれぞれの役割をこなし繁栄して行く形を作った。


 が。そこでは能力の差で絶対的な貧富の差が生まれてのう。

 それをなんとかしよう弱者の保護に力を入れれば、民は怠惰な方へと一斉に流れ込んでしまいあっさりと国は崩壊してしもうた。弱者が弱者から奪う、貧民街のような国になってしもうた。


 やはり群れの長は屈強な雄の方が良いのかと考え、男性として同じことをしてみたがの、どうしても幸せにはなれんかった。

 思い悩むわしは疲れておったんじゃろうなぁ。

 愛こそ全て、愛こそ素晴らしい物じゃと定めて見た。


 上手く行きかけた例ではあるのじゃよ?

 多くの人間は幸福を得た。じゃが愛を絶対と定めれば、より強い憎悪も産む。

 そんな単純なことに失念しておってな。憎悪は沈殿し狂気へと変貌し、上手く行きかけた分、この国が一番ひどかったのう……。


 憎悪を外に向け、価値観をまとめ上げるために大きな敵を作り戦わせてみようと思った。まぁ完全に行き詰まってまともな思考が働いておらんかったのじゃな。


 新たに軍事国家を作り上げた。これまで作ってきた国と戦わせてみた。

 勝ち残った国は正義を掲げ敗戦国を食い物として、数年の安寧の後、衰退しては別の国に食い物にされる。その繰り返しを数年おきに続けて行く人間達を見て。


 わしは人間への干渉を辞めた。なにもかも無駄じゃったんじゃ。

 また新しくダンジョンを築き、その奥深で眠ることにした。


 どれだけそうしておったかなぁ。

 眠っておったわしを起こす者がおった。

 二代目賢者、魔奴贄の話じゃな。


 あまりに不憫じゃったので力を授けた。わしの血肉である賢者の石を授けた。

 思えばこのときじゃな、わしが運命の輪の気配をはっきりと感じ取ったのは。


 人を憎んだ二代目賢者は全ての国に戦いを仕掛けた。

 力こそ全ての、永き戦乱の始まりじゃった。やはり集団の力とは強いものでな。最終的に暴走した二代目賢者は討ち取られることとなった。


 戦争は終わり、国をまとめるために人間達が協議した結果教会法が生まれ、歴史は改竄され、二代目賢者に力を与えたわしは魔王として吊し上げられてのう、


 いやぁあれは笑った。

 わしは死んだ。

 うむ。今のわしはゴーストじゃ。ゴースト体としてマアシャンテの中に宿っておる。

 復活しようと思えば、ラティスかマアシャンテの肉体を使って復活することもできるが、こちらの方がなにかと便利じゃからな、やらぬので安心せい。


 ゴーストとなり制限された力で、また国を作った。もう数少ない、手に収まる者だけ幸せにできれば良いと思った。これも上手く行きかけたんじゃがなぁ。

 自分にも力を授けろと言い出す者が巡礼などと言いながらわしらの国を踏み荒らしてまわってのう。


 大概にせいと。温厚なわしもさすがに呆れた。

 悪魔として君臨することにした。

 あくまでも威圧のためじゃがな。

 高い塔を建てて誰も寄りつかぬようにした。


 それからは本当に一人の時間が増えた。

 教会法ができた後からじゃから、二千年近く一人じゃったことになるのう。


 誰もが幸せになれる世界を作るため、誰もが間違わぬ、正しく生きて行ける、 だれもが神の奇跡を信じられる。

 そんな世界を作るため、様々な異世界を作り観察する日々を続けた。


 星がどんどん増えて行った。様々な異世界の本を書いたのもこの時期じゃな。今も写本が多く残っておるじゃろ。

 魔導を排除した世界が一番上手く行きかけたんじゃがのう。

 まぁ、結末は本に記した通りだったんじゃがな。


 そんな生活を続けて、ふと、疑問を覚えた。

 今まで当たり前過ぎて、目の前にあり過ぎて考えてもおらんかった。

 月と太陽は誰が作った?

 星の模造品までならわしでも生み出せる。しかし月と太陽は?


 おぬしは考えた事はあるか?

 漠然と疑問に感じることはあったじゃろう。じゃが、考えたことはあるか?

 この世界は、誰が作ったのじゃ?


 誰が、こんな世界を作った?

 こんな、誰も幸せになれない、希望が絶望しか生まない世界を、誰が作った?

 こんな世界を作った奴をわしの目の前に呼び出して真意を問い詰めてやろう。

 それに、神ならばこの世界の誰もを幸せにしてくれるはずじゃ。


 どうすれば現れる?

 わしがこの世界を良くしようと、これだけ奮闘して来たのに、なにも応えてくれぬ神はどこでなにをしておるのじゃ?


 この世界を破壊すればさすがになにか動きがあるじゃろう。

 破壊しよう。そう決心した。


 わしはこの世界へ最後の審判を下す前に、一つ試しておらんかったことを最後に試そうと思い、最後にこの国を築いた。


 最初からどれだけ手を伸ばしても、なににも手が届かない、全ての物に手が届かない、絶望しか持っていない、そんな人間を一人生み出した。

 希望を叶えるため、幸福になるため、強くて優秀な人間は星の数ほど試してみたが、その全ては本物の希望には届かず失敗に終わった。


 希望を持てば絶望しか生まないこの世界で、最初から絶望しかない人間を生み出した。絶望することが当然の人間を生み出した。

 その者が抱く希望は無謀でしかなく、絶望するための人生を歩む人間を生み出した。

 優秀な人間ならば様々パターン試した後じゃからのう。

 あらゆる全ての可能性を試してから、最後の審判を下そう。

 絶望の申し子であるフルーレルが下す、最後の審判でこの世界の行く末は決定する。


――賢者ゼィロルはすっと息を吸って言葉を区切った。


「そういうわけで、じゃ」


 疑う疑わないの話ではなく、見て来たように、誰も見たことのない歴史を滔々と語る様子は、控えめに言っても狂気染みていた。


「壊れたら壊れたで良いじゃろ。神の救いがないのなら、さっさと壊してやるのが潔いというものじゃ。神に見捨てられた世界ならそれまで。読み切ってしもうた駒遊びは投了せねばならぬ」


 いや、よくないし駒遊びでもないが。


「そのはずだったんじゃがのう」


 予定していたことが上手く行かなかった、そんな程度の口調で世界を壊そうと賢者ゼィロルは呟いている。


「フルーレルのステータスがこれまでにない程の幸福度指数を示しておるんじゃよ。過去に前例がない程の幸福度指数じゃ。わしの測定魔法なら幸福の数字も数値化できる。おぬしと出会ってから、どんどん幸福指数を更新して行く。今や世界で一番幸せと言ってもよい。三万回試し三万回ともに絶望して終わる人生が、三万一回目、ここ本番に至り異例なことになっておるのじゃ」


 淡々と昨日の天気でも語るかのように喋っているのが異様だ。


「何度も試したんじゃよ。星の数ほどとは比喩ではない、ここから見える夜空に浮かぶ星々は、全て失敗作の成れの果てじゃ。何度やってもフルーレルは絶望して不幸にしかなれんかった」


 異様な語りの雰囲気に呑まれたまま、無造作に向けられた指へと注目してしまう。


「一例じゃが、ちっと見るか?」


 ダンジョン――ではない。地下室か倉庫か――

 全裸の男が――手足を縛られた少女――フルル――身体は既に汚され――目元を隠すように張り付く黒髪――体液が伝う虚ろな唇――男は優しい笑顔で――フルルの腹にそっと顔を寄せて――舌を這わせ――犬歯を突き立て――噛-―み――千切り――


「!」


 中身を――食み――断末魔の悲鳴を耳に――暴れる細い脚に――微笑みながら――涎を垂らしながら――愛しい人の血肉を――興奮し息を荒げ――目を背けたくなるが身体が動かない――揺れるフルルの真っ白な身体――息絶えた身体を抱きしめ――言葉にならない充実感に包まれ――恍惚を全身で浮かべ――震え――果てた――その男は――

 僕だった。


「やめろぉ!」


 自分へと殴りかかって盛大に転倒する。

 急いで顔を上げれば、世界が洪水で洗い流されて元に戻ったのかと思うくらい 自分の瞳から涙が溢れていた。涙だけではない、汗も酷い。耳鳴りのように響いているのは心臓の音だ。世界は元に戻ったのに涙が止まらない。


「ほんの一例じゃよ。全体で見れば珍しくもあるが、オーソドックスでもある一例じゃ。三万回の試行回数でおぬしに合うのはたったの39回。39回中、33回はほぼこのルートに行ったな。残りも似たようなもんじゃ」


 呆れたような声色が耳に届く。 


「それにしてもよく食われる子じゃの。他のルートでもなぜかよく食われる。路地裏で野犬にしょっちゅう食われておったな。食い物にされるとは、美味いのかも知れぬな。兎じゃからな」


 不敵に笑う賢者ゼィロル。

 僕はまだそれどころではない。

 幻覚魔法だったのか、異様な現実感があった。喪失感があった。

 涙を拭い、フルルの姿を必死で探す。

 先程と変わらず、彫刻のように動かないフルルを見つけて安堵の息を大きくついて――流れる汗の不快感と、己の下腹部の状態に気づいて愕然となる。


「凄惨じゃが、なかなかに淫靡な光景じゃったろぅ?」


 艶めかし口調で、少女の姿で異様な程の色気で吐き出される、甘い泥とでも言おうか、熟れて腐った果実の匂いがしそうな程粘り気のある声。


「おぬしの中の秘められた欲望の一つ。可能性の一つでしかない。気にすることはない」


 気づけば本当に味がしていて、口元を指で確認すると、転倒した際に口の中を切っていたのか、血が出ている。

 甘い泥と不快な幻視を吐き出すような心地で唾と一緒に血を吐き捨てる。

 胸のむかつきは晴れない。


「おやおや、比較的マイルドなやつを見せてやったのじゃが。フルルはこの世界のどん底を味わう為に生まれて来たんじゃぞ? この世界で起こり得る最低最悪の絶望を味わう為に存在しておるのじゃぞ?」


 うきうきと楽しそうに、謳うように絶望を語る賢者。

 演技かどうかなんて、もうどうでもいい、敵だこいつは。

 先日一緒に冒険に行った、姉想いのマアシャンテではないことだけは確かだ。


「人間が感じる、最高の幸せが愛する者との間に生まれた我が子を抱く母の感情じゃからのぅ。フルーレルは概ねその逆に行き着くんじゃが。他のパターンも見せようか? おぬし以外の男に騙され、囚われ、組み敷かれ、殴られ、踏まれ、踏み躙られ、犯され孕まされ食われておる光景でも見せて――」

「――喋るな殺ッぞ!」


 振るえる指と整わない呼吸のまま、ダガーを賢者ゼィロルの首筋にピタリと充てられたのは奇跡に近い。首筋に充てた刃が小刻みに震えている。


「人の望みには果てがない。知恵を与えれば欲望のまま混沌に走り、秩序を与えれば自由を求め、自由を与えれば平等を求め、平等を与えても必ず愛を憎悪し狂い、争わせれば平和を求め、平和になれば刺激を異端を混沌を求めるようになる。幸せになんてなりようがない憐れな生き物じゃ」

「だれも説教を聞かせろなんて命令してない。喋るな。今すぐ口を閉じるか死ぬか選べ」

「それなのに、おぬしと出会ってからのフルルは幸福度指数を更新し続け――」


 僕は躊躇せずにダガーを首筋に押し当て引き抜いた。舞う刃。


「チッ――」


 頭のどこかで予想していた通り、血は一滴も出ずに傷口は塞がる。


「くっふふふふふ、本気で殺すつもりじゃったな」


 ダガーを手の中で回し逆手で握りマアシャンテの額に突き刺す――寸前で止める。

 額に刃を付きつけられても瞬き一つしないマアシャンテ。

 白刃に余裕をもった微笑が映っている。僕は睨む。

 無駄だ。冷静になれ。ゆっくりとダガーを引いて、思いつくままに問う。


「……フルルに審判を任せるなら、お前が干渉したら台無しだろ」

「おぬしは自分が神に選ばれた存在だと思うか?」

「いいや。ああいや、思うね、僕が神だ」


 即答する。思い切り馬鹿にしてやるが、賢者は微塵も取り合わない。


「おぬしの動きはあまりにイレギュラー過ぎる」


 冷たい声。その声が冷静さを取り戻させた。


「……僕になにをさせたい」


 賢者はじっと僕を見てから、息を吐く。


「そうじゃな、あまり簡単すぎても神の手が介入する余地もないじゃろうかう なぁ……よし、10階層の大地底湖、中心に祠があるじゃろ。あそこに賢者の石を精製する準備をしておこう。余計な邪魔が入らぬよう、おぬしとフルーレル、二人で来た場合のみ精製されるようにするのが、よいな? それまでわしはマアシャンテから離れゴースト体で待機しておる」

「……賢者の石が、手に入るのか?」

「うむ。犬コロよ、取って来い。というやつじゃな」


 唐突な話に息を飲む僕を見て、悪意の篭もった笑い声をあげる。


「おぬしの淡い期待? まぁ漠然とした展望を台無しにすればフルーレルの願いは叶う。そういう仕組みじゃ。選ぶが良い」

「選ぶって……」


 フルルの望みが叶うならそちらを優先するだけだろう。


「うむ。そしてフルーレルが賢者の石を手に入れ、自分がなにを失ったかを知って、どんな審判を下すのかが見たいのじゃ」

「なにを失うってんだ」

「今を失うことになる」


 ……。


「意味がわからない」

「わからんで良い。とにかく10階層までフルーレルを連れて行けば、それであの愚鈍なるフルーレルの望みは叶う」


 僕は一度深呼吸を挟む。


「あからさまに罠だろ。よくわからんが、おまえの中で出てる結論と違った結果が出たからって卑劣な誘導をするな」

「くっふふふふ、こんなに口が回るパターンのおぬしも、今の今までありえんかったんじゃ……いよいよ運命の輪の中心へ、手掛かりになるかも知れん」

「おまえの都合なんて知らねぇつってんだろ……」

「そうそう、その野犬のような目つきと気性、それがわしの良く知るおぬしじゃ。三万通り、全ての試行世界でおぬしを見直しても聖職者についておるおぬしなんて初めてなんじゃ」


 知らないといっているだろう。


「父さんの教育が良かったんじゃないか?」

「ふむ。べリオル神父か……まぁおぬしの関係者は全員洗い直すつもりじゃがな。このまま審判が下されてしまい、運命の輪の痕跡を逃すわけにもいかぬ」


 僕の顔を覗き込むようにする賢者ゼィロル。


「わしが生まれてから三十万年余り、全てはこの時のために存在し続けておったと言っても過言ではないからの。協力して欲しいんじゃよ」


 そんなふうにねだられても、なんと言えばいいのか。


「お、やはりこの方が効果的なんじゃな」


 僕は思い切り嫌そうな顔をするしかない。


「……結局フルルはなんなんだ。お前が生み出した?」


 嫌そうに歪めた眼差しのまま問う。


「ステータスの上昇を抑制するような魔法でもかけているのか?」


 身体強化魔法の逆というのもある。それをここまで持続させている?


「言うたじゃろ。いや、言うてないか。あれこそ魔奴贄の完成型じゃよ」


 ゼィロルの手がふっと掲げられる。と、その手よりも大きな月蚕の成虫が掌の上に乗っていた。もうなにが起こっても驚くつもりはなかったが、思わずぎょっとしてしまう。


「せっかくわしが人間の為に創り出した養蚕技術をこんな風に使うとは、人の業とはどこまでも深い物よの」


 呆れたように言いながら月蚕を手放した。


「本来ならば世代を重ね、教育を重ねて作るものなんじゃがな、わしの血肉を分けた二代目賢者、直系の子孫じゃからできたことじゃ。母親の胎の中におるうちにちょいとな」


 月蚕は不恰好に羽ばたいて地面に落ちる。


「そうでもなければ、あんな無能な人間、おるわけないじゃろ」


 その羽では飛べないし、成虫は餌を取るための口まで退化しているので自然下に放しても、一晩生き延びられないだろう。


――白くて、ふわふわしていて、羽がある生き物なのに、とべない――


 落下の衝撃ですでにどこか痛めたのか、弱々しく羽を動かして草の間でもがいている。

 その上を白い蝶がひらひらと飛んで行った。


「おぬしがフルルに月蚕で編んだ装束を着せておったのは思わず笑いそうになってしまったのう。蚕ならばまだ役には立つというのに……のう」


 言外に虫以下だと言っているのか。

 つまらない軽口はどうでもいい。いい加減黙れ。


「……」


 ゼィロルは初めて押し黙る。僕も怒りを押し殺すのに必死だった。


「わしを殺してもおぬしが考えておるような奇跡は起きぬよ。フルーレルはあれで通常の姿じゃ。鍛えてもこれ以上ステータスは伸びぬし、なんの技術の才能も持たぬ。惨めで憐れな虫けらじゃよ」


 はっきりと言い切った。

 フルルの人生を、人一人の人生を、運命を。てめぇの都合でとんでもない方向に捻じ曲げたこいつを、今すぐ黙らせる手段はないものだろうか。


「フルルは人間だ」


 ゼィロルは憐れむように視線を下に落とす。弱々しくもがく月蚕。


「魔奴贄なんぞ家畜と似たようなもんじゃ。あれは無力で人を恐れ、人に反抗せんよう、危害を加えぬよう、自己犠牲の精神だけは豊富に出来ておる。思い返してみるがよい」


 反射的に口を開くが、言葉は出ない。


「いや、それでも……」


 フルルの意思で冒険者を目指し、現状をなんとかするために賢者の石を欲していたはずだ。

 泣いて、泣いて、笑って、泣いていた。本人の意思があるはずだ。


「うむ、じゃからこそ絶望する意味がある」

「悪趣味過ぎるだろう……」


 開いた口が塞がらない。殺意に指が震える。


「思い上がるなよ小僧。わしから見ればフルルもおぬしも大差ない、無力な人間じゃ。毛が生えておるかおらぬか、その程度の違いでしかないわ」


 圧倒的な力を持つ者にはそう見えるらしい。

 ふざけるな。なにをどう言い繕っても、やっていることの悪趣味さ加減は変わらない。


「ま、そういう主旨じゃからな」


 賢者は微塵も悪びれなく言う。

 深呼吸。落ち着け。


「……それで、賢者の石を手に入れると実際どうなるんだ。本当に賢さが上がるのか?」

「賢者の石を手に入れればステータスは大幅に底上げされ、この世界の真理に到達し、今ある全ての魔法が使えるようになる。賢者と同等の能力を得るんじゃな」


 普通になりたいというフルルの願いは過剰なまでに叶う。

 10階層に行けば賢者の石が手に入る。なにか保証をしろと問い詰めようとして、ゼィロルは真剣な表情でハッキリと頷いた。


「10階層……それでフルルの願いが叶うんだな?」


 言葉にして問う僕に、もう一度、硬く頷く賢者。

 その頷きに、なにか返事を返すことはしなかったが、心は固まる。そんな僕を見て邪気を孕んで笑う賢者ゼィロル。


「さぁ――神よ! どう出る!」


 賢者は目を見開き、真上を睨み上げて、怨むように叫ぶのだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ