16話 挑む。ヴルックス迷宮後
ダンジョンから引き上げ、観測小屋で黒牙熊の報告を終わらせて、ダンジョン内で遭遇した冒険者親子とも別かれ。
街まで到着する頃には、日はすっかり傾いていた。
茜色に染まる大通りに漂う夕餉の香りは、遠き日の不安と物悲しさを掻き立てられて、皆我先にと安らげる場所へと急いでいるように見える。
「もう許してよー、私だってあのときは本気で覚悟してたんだから」
そんな人波に紛れて酒場に向かっている最中。
ラティスに背負われているミーティが疲れ切った笑顔で僕に謝っている。
「……べつに怒っているわけじゃない」
僕も本気で覚悟を決めていたので、張り詰めた気構えの落としどころがわからず戸惑っているだけだ。照れているともいう。
話は単純で、薬製魔法も使えるマアシャンテは採取した薬草をあの場で加工して血止めの軟膏薬を作り、傷口に詰め込んでから前線へと飛んで行った、それだけだ。規格外過ぎじゃないか宮廷魔道士。
「賭けでもあったのよ」
マアシャンテがぼそりと言う。
短時間では不完全な薬しか作れず、材料も完全ではなかったので効果は保証できなかったとのこと。
「上級の薬草を採取してたからなんとかなったの。運が良かったでしょ」
ダンジョン内で事故はあるものだ。
どれだけ準備をしていても、ふとした弾みで誰にでも降りかかる不運。そう考えれば運が良かったとしか言えない。しみじみと頷く。
「うん、助かってよかった」
ようやく微笑んで言えた。
ミーティは息を止め、おぶさったラティスの肩に顔を埋めて小さく震えながら頷いている。怖かったんだろう。
「……私が黒牙熊と死闘を繰り広げていた後ろで、そんないちゃいちゃが繰り広げられていたとは、まったく今日が非番でなければ取り締まっていたところだな」
いちゃいちゃって。朗らかに笑うラティス。背中で泣かれて、明るい話題に切り替えたいようだ。
「それにしても、なかなか良い金額になったな」
僕も明るく言う。
仕留めた黒牙熊は溶解処理をして放置した後、他の冒険者に回収権を売り渡した。
信用出来る冒険者同士ならジョブ章を見せて、折った角を渡せば取引は成立する。手数料は引かれるが、それでもなかなかの金額だ。
「祝杯と行きたい所だが、戦士殿の怪我は大丈夫かな? 傷に応えないか?」
その質問に、僕が肩を竦めてやればミーティが恥ずかしそうに笑う。
ミーティが慎ましさと清貧禁欲の修道士をどうしてもやりたくなかった一番の理由。
「私、お酒いっぱい飲みたいから冒険者やってるようなものだからね。こんな怪我くらいでっ、あたたた」
祝杯と聞いて酒好きの血が騒いだのだろうが、血が足りていないせいで空回ったのだろう、苦痛に顔を歪めている。
「大丈夫か?」
「うー、今日は無理かな……後日ってわけには……いかないかな?」
ラティスもマアシャンテも忙しい身だろう。
「酒場について、薬草の効果が切れたら改めて治癒魔法かけてやるから、もう少し待つでしょ」
「ほんと? お酒飲める?」
普通なら治癒魔法をかけても、あんな大怪我のあとは絶対安静なのだが。マアシャンテの腕前なら治癒魔法の効果も常人離れしているのだろう。
「マアシャンテがこんなに懐くとは、珍しいこともあるものだな」
「ふん、ラテねぇこそ、そこまで親切にしてるの珍しいの」
「しっかり守れなかった負い目がある。それに、私は私がそうしたいと思った相手には尽くす方だぞ。ただ興味が無い相手には微塵も労力を割いてやりたくないだけだ」
「ううん、私の反応が遅れたのが悪かったんだよ」
談笑交じりに、反省と検討をしながら夕暮れの大通りを歩いて行く一行。
僕は立ち止まり――皆止まったが、視線で先に行くよう促す――フルルが追いつくのをしばし待つ。
「……大丈夫か?」
「……」
大きな背嚢を背負って、ふらつきながら歩いている。
水色の瞳に夕日の色が映り込み、輝きの無い瞳は濁っているように見える。
「もう限界なんじゃないか?」
身体強化魔法の反動だって出ているはずだ。全力の最大威力でかけたので、全身が筋肉痛になっているはず。
「……? ……あ、あは、まだ、だいじょうぶ、です」
なにか言ったか? そんな様子で一旦僕を見上げ、思い出したように笑顔を作りラティス達に追いつこうと重い足取りで歩いて行く。
(ゾンビみたいだな)
いつ倒れてもおかしくないような状態なのに歩き続けている。
一日中歩き通しだったのだ、フルルの体力ならもうとっくに音をあげているか、精神的な疲労で歩けなくなっていてもおかしくはない気がするのだが。
(……)
ふらっふらと歩き続けるフルル。
(おかしい)
なにかがおかしい。あんな状態で歩き続けられるものなのか?
(それも、笑って)
僕は静かにフルルの真後ろからついて行く。
間合いを測り、後ろから来た馬車に一行が気を取られた一瞬の隙に、すっ、と細い路地へフルルを連れ込んで壁際に追いやる。
フルルは、ぼう、としていて、なにをされているのか、なにが起こっているのか把握出来ていない様子。
「ステータスを確認させてもらうぞ」
真っ暗な路地だと光が目立つので、ローブで敷居を作り小柄な体を大通りから隠す。バニーイヤーだけが見えているかも知れない。
とんでもなく危うい絵面だし、穏便に聞き出せばいいだけかも知れないのだが、今この瞬間の状態を確認しておきたい。なにかの予感めいたものがある。こんな予感は当たる。
返事は待たずに魔法を発動させる。
「――測定魔法――」
「ふぇ?」
遅れて声をあげるフルル。
光がゆっくりと染み入り、額に星のような光が表れる――はずだったのだが。
「……なんだ、これは」
予感は的中した。明らかに状態異常。それもはじめて見る形だ。
額に浮かんだのは、割れた皿の破片のような形をした輝きだった。
体力は一番中心に下がったままぴくりともしない。こんな状態初めて見る。普通は回復しようと上下に伸び縮みするものなのだが。
筋力もかなり疲弊している上に筋肉痛状態を示していて、一定せずに歪な速度で疲弊している数値から最大値に戻ろうとしている。
俊敏性も疲労状態でほぼ0。回復に向かっているが、非常に弱々しくて遅い。
賢さも頭が回っていない状態を示していて、9歳児並よりも更に低い数値まで下がっている。
そして精神力。これが一番謎だ。異様に高い数値で固定されている。通常時より高くなるなんてことがありえるのか?
疲労状態で体力の数値も0なのに、精神力が異様に高く固定される。
なんだこの状態異常は。
「これは、どういうことなんだ?」
「あ……え、と、えへへ?」
とりあえず笑うフルル。
こんな状態で、なんで動けるんだ?
なんで笑えるだ?
(こ、これが……噂に聞く、意思の力で精神が肉体を凌駕しているというやつか?)
ようやく思い当たる。
黒牙熊に襲われたときの思い切った提案には、怒りとも悲しみとも敬意とも本当に意味がわかって覚悟しているのか等々、複雑な感情が湧いて、とにかく胸に渦巻くものがあったが。
今ここで、ただの荷物運びに命懸けの意思を発揮する意味がわからない。
「いつからこんな状態だったんだ?」
「え……あの?」
自分の異様な状態に自覚は無いようだ。とにかくまともな状態ではない。
僕は測定魔法を掻き消す。
「荷物を貸せ。身体はどこもおかしくないのか?」
「……」
「どうした?」
「……」
手を差し伸べた僕を、ぼうっと見上げている。
「あ、……わ、たしの、仕事なので……やり遂げたい、です」
酒場についたら採取品は全て僕が買い取り、報酬として分配する話になってる。そこまでは意地でも運ぶつもりなのか。笑いながら言うのが怖い。
フルルは路地を出て、ふらつきながらもラティス達の後を追って行く。
僕は急いで隣へと並んで荷物を受け取ろうとするのだが。
「無理し過ぎて倒れても困るだろ。限界なら素直に仲間を頼れ」
「えへへ、ふふ」
唐突に笑うフルル。
「……なにがおかしい?」
「いつもは……もっと、がんばれって……」
よく言われます。と、かすれた小声で続いた言葉は聴き取り辛い上に意味不明だった。
「なにを言ってるんだ?」
「わたし、いつも……こう、ですよ? そうは……見えませんか?」
フルルはにへっと笑う。
「わたしは……――ずっと、こう、です」
「なんだって?」
なにか、非常に重要な言葉が聞き取れなかった気がして、聞き返す。
儚く、壊れそうに笑うフルル。
「わたしは、はじめから、ずっとこう……ですよ」
はじめから、ずっと、こう。
口調から、本人は得意気なつもりなのだろうが、表情は泣きそうに見えるのは、目に力が入っていないからか。
「ぜんぶ、最初から、全力、です……」
力が抜けるような口調で言う。
頭の中でフルルの言葉を繰り返す。
理解するのに多少時間がかかった。
はじめからすべて全力だった。最初からずっと限界だった。
はじめから、ずっと全力で、無理をして来た。
荷物を持ってダンジョンを歩いているだけで、限界を超えてがんばっていた。
(あ、だから黒牙熊に挑むのも、今も大して変わらないのか)
今も命懸けの覚悟で歩き続けているのか。
「迷惑を、かけちゃうから……ひとりで、なんとか……しないと、いけないけど……できなくて……」
そうだ、フルルは酒場でパーティーを募集していた訳じゃなかった。ずっと動けずにいただけだ。
行き交う人波の中、母親に手を引かれている、子供が僕達に向かって歩いている。
その子供と同等か、それよりも頼りない、圧倒的にステータスの低い少女。
「みんなに、迷惑が、かかるから……ひとりで……なんとかしないと……いけなくて。でも、できなくて……。できないから、ひとりになったのに……ひとりで、なんとかしないと、いけないのに……できなくて……できないから、ひとりで……」
その声はもう音として耳に届くだけで、言葉としてはただのうわ言のようだ。
僕は自分のとんでもない間違いに気づいた。
「でも、わたしの……背中を……おしてくれて、手を差し伸べてくれて……わたしは……わたしも……」
役に立ちたい。そう唇は動いたように見えたが、声は聴こえなかった。
光を映さない瞳で、朦朧と足を進めるフルル。
子供を避けようとしたフルルが、そのまま意識を失い足元から崩れて行くのを、酷く冷静な頭で受け止める。
軽い。
ゾッとするほど軽い身体だった。




