1話 冒険者の酒場
いつもの酒場。いつものテーブル。昼前といった時刻。
最近この酒場では見慣れない光景が続いている。
バニーガールが昼間から酒場でミルクを飲んでいるのだ。
(異世界の人にはどう見えるかな)
僕らの常識では冒険者の酒場にバニーガールはいない。いるはずがない。
ジョブ章を持っているような本物のバニーガールといえば、先ず王都の巨大カジノに彩を添えるため雇われている光景が思い浮かぶだろう。
酒を出す店なら、入り組んだ路地の階段を降りた先で運営されているクラブと呼ばれるような高級店での給仕か、もう少し地下に潜って舞踊人用の舞台があるキャバレーなんて呼ばれる酒場にもいるだろう。
他には、治安の悪い地区の入り口付近にある、日が落ちてから運営される宿の客引きとして雇われることもあるらしい。日が落ちてからも花の香りと竪琴の音色が静かに鳴り響く憩いの場。銀貨を渡せば指名に応じる者もいるとかいないとか。
(祭りや祝いの席で呼ぶような、奇術士の助手でも見かけるか)
要するに娯楽に関わる場所にバニーガールがいるのは分かる。
なにせ賢者ゼィロルが定めた賢人法典――古の昔、ダンジョンを中心として定められた規律――での区分は娯楽職だ。
正式なジョブ名は「楽芸士」もっと正しく言えば「娯楽職・楽芸士・遊装人」の職位。
仕事は単純に、奇抜な装備をまとってその場を盛り上げること。
基本的に、師匠の居ない駆け出し楽芸士が就く職位であり「遊び人」なんて揶揄されたりもする。
異世界でいうところの、コスプレイヤーやコンパニオンの類にあたるジョブになるのだと思う。
(それがなんで酒場に?)
冒険者の酒場は遊び場ではない。給仕は勤労な酒場の娘が努めてくれている。バニーガールなんているはずがない。
ここ、アーリファ王国、ヴルックス市以外でも、セフィロード大陸全土でそうなっているはずだ。
冒険者の酒場とは、ダンジョンに挑む者の為にある施設。
栄光を求める血気盛んな若者を中心に、魔物の素材を求める職人、生活に必要な物を求める業者や、観光目当てで訪れる観光客。それらを護衛する傭兵、修行や巡礼の場として利用している者と様々な人が集り、情報を交わし、パーティーやクランを組み、ダンジョンに挑んでいる。
今は行商人風の男や魔導士風の男など、数組ほどの席が埋まっているだけで客もまばらだが、日が落ちれば広い店内では煌々と明かりが灯され、鎧の金具が擦れ合う音が響き、屈強な戦士の体躯と、担いだ剣斧の重さで床板は軋み、魔導士たちはローブを目深にかぶり怪しげな香草の臭いと共に呪文のように魔導論理について呟き合う。
ある者達は大きな声で成果を誇り、ある者達は静かに別れを嘆き悼み合い、酒場は雑然とした活気で溢れることになる。
賢者ゼィロル曰く「典型的なギルド制ダンジョン探索型の世界」とのこと。
そんな冒険者の酒場で、場違いな格好のバニーガールが寂しげな表情で俯いている光景というのは僕達の感覚では馴染みのないことだった。
(毎日なにしに来ているんだろう)
今日で一週間になる。
いつも昼前には顔を出し、酒場の片隅に座り俯きながらミルクを飲んでいる。ふと気づけば、ひとりであやとり遊びに興じていることもあった。
そして本格的に冒険者が集まる日暮れ前にはそそくさと酒場から出て行く。
冒険者の酒場に長居しているということは、ジョブ章を持っている本物の遊装人なのだろうが、みんな目的に予想もつかず、どう扱えばいいのかわからない状態が続いている。
いや、これが普通のバニーガールならば粗野な傭兵や戦士職の連中が喜色満面の笑みで、酒でも片手に声をかけていることだろう。
(そもそも、なんであんな子が遊び人なんてやってるんだ?)
女性の魅力を際立たせるための衣装が、なんというか、普通の町娘が無理をしているようにしか見えない。
似合う似合わない以前の問題で、小さいというか、若い。幼い、といっても過言ではないかも知れない。年の頃はいくつくらいなのか。背も低く、化粧気のない顔は思わず二度見するほど子供のそれだ。場違いな上に、着ている衣装も間違えている感がある。
その辺りの異様さもあり、粗野で野蛮だが名誉だけは気にする戦士達も声をかけることを躊躇して、粗野で野蛮で単純な連中らしく関わらないことを決め込んでいるようだ。
(ハイヒールのちぐはぐな感じがまた……)
そもそも黒髪というのがどうなのだろう。
この地方では珍しい黒髪だが、黒のバニーコートに焦げ茶色の薄手のタイツ。白のカフスに白い襟飾りに、赤の蝶ネクタイ。そして頭に黒いバニーイヤーと見事に色合いを地味な物にしている。
顔が俯きがちなせいで、長い髪が頬にかかり、さらに重い雰囲気となっていて、表情にもその場を華やかにするためのバニーガールらしさが微塵もない。
(なにかの悪巫山戯だろうか?)
子供同士のいじめかも知れない。
通常は15歳で中等学舎を卒業し、準成人となり、高等専門学舎に進学して、そこで在学中にジョブ章を取るか、職人の元に弟子入りをしてからジョブ章を取得するものだが。
それより幼く見える。
(12、3歳かそこらか?)
未だ成長の余地を残していそうな手足の細さと長さに、まさに発達途中といった胸のふくらみ、少年を思わせる肩の丸味が、女性的なラインを強調するための衣装と奇妙な合わさりかたをしていて、見る者になんとも言えない不安感を与えている。
それでも、左腰に付いている古の王冠が象られた円飾りにリボンをあしらえたジョブ章は本物のようだ。
(……装備品の売り込みって感じでもないしな)
遊装人が冒険者相手にやる仕事と言えば、行商人と組んで新しい装備のお披露目に駆り出されることなんて物もある。もちろん、そういった風でもない。
(まさかあっちの売り込みなわけないだろうし……)
長期間ダンジョンに潜る場合、そういう需要もないことはなく、傭兵部隊に混ざる気骨のある娼婦もいたりする。そういう商売をしている輩は概ね職位の低い、簡単なジョブに就いていることが多い。特に、遊び人等。
当然どの国でも売春行為は教会法――神の教えの元、人が正しく生きるために定められている法――に反することなので、娼婦なんて職業は存在しないという建前ではあるが、目立たないように運営し、売り上げの一部を憲兵に握らせることで黙認されているのが実情ではある。
これがそういった勧誘行為なら裏社会の暗黙の了解を平気で逸脱しているし、彼女が所属している楽芸士組合に処罰が行く前に、憲兵へ突き出されない理由がない。
その上、そんな目的で16歳未満の未成年者が冒険者の酒場に滞在しているのを許したとなれば、酒場の主人まで罰せられるはずだ。つまり、そうではないのだろうが。
(なにか困っているのか?)
冒険者への依頼なら酒場の主人に依頼料を払えば掲示板に依頼書を載せてくれる。
どこにでもある普通の仕組みだが、公表できないような依頼などは冒険者に直で交渉する場合もある。それにしてもそんな格好で来るのはどうかと思う。
謎は尽きない。
(あ……)
手提げ鞄から紐を取り出して、もたもたと手遊びをはじめた。あやとりか。
僕はその様子を観察し続ける。
しばらくして。
頭を捻る少女。手元を見れば、指と指が絡まって自分で自分を拘束しているようなことになっていた。解こうと奮闘するが益々絡まる一方のようで。
(……本当に、なにしてるんだろ?)
このところずっと読んでいた、賢者ゼィロルが記したといわれる異世界の風土を描いた文庫本を閉じて腰を上げる。
(たまには僕も、本業らしいことするか)
僕の胸にかかる輝十字紋章「聖教職・宣教士・祓魔僧」のジョブ章は伊達ではない。
本来の宣教士は教区に縛られず、神の教えを伝え歩き、困っている者や悩める者、迷える子羊を神の教えの元へと導くことが本懐ということになっているが、ダンジョン探索を専門に行う僧侶も概ねこのジョブに就く。
特定の面子で組むクラン契約はしていないが、参加したパーティーの治癒を端役として、主に死霊系の魔物を聖光魔法で浄化したり、祝福を受けた鈍器で粉砕したりと、手広く冒険者の手助けをする日々を送っている。
(迷える子羊に手を差し伸べましょう……この場合は迷える子兎といったところか)
べつに上手くもないが。
僕は頷き、客もまばらな酒場を横切りバニーガールが座るテーブルへと歩み寄る。
向かいに座り、相手が顔を上げるのを待ってから爽やかな笑顔で声をかけた。
「こんにちは。最近よくお見かけしますね」
ゆっくりと上げられた幼い顔は蒼白い。
「なにか冒険者に御用ですか?」
「あ……」
手に絡まっている糸を外してあげながら問いかける。
長い前髪の向こうに見える瞳は薄い水色。形のよい瞳なのだが、どこか節目がちに見えるのはなぜだろう。自信なさげな雰囲気のせいだろうか。
外した糸を手渡せば、少女は青白い顔を上げて。じっと目が合う。
「僕はルシウス・ウォルキス。こういう者です」
丁寧な言葉使いでジョブ章を掲げながら自己紹介をする。が、少女の瞳は不自然に微動だにせず。どこか遠くを見ているようで。唇が小さく震えている。
「……?」
その瞳が、水桶の中に解き放たれた鮮魚のように泳いだ思えば、少女の胸はドクンと慟哭を――
「っぅ、うっ、えっ――」
――おぶっ。そんな言葉にもならない嗚咽を漏らし、小さな唇から――さっきまで飲んでいたミルクだろう――真っ白い胃液が一度、二度、と吐き出され、黒いバニーコートの光沢を白く染めて行く。
「ど、どうした、大丈夫か?」
思わず素になる。
嘔吐を堪えようと少女は自分の小さな手で口を塞ぐが、無惨にも決壊。酷い音と共にテーブルから床にまで、白い胃液がまき散らされる。堪えようとすればするほど反動で激しくえづき、胃の痙攣に合わせて丸めた背中と肩が小刻みに震えている。
「寒いのか?」
「んぐぅ――」
反射的に背中をさすってしまうが、肌の冷たさに驚く。
氷水のような汗が背中から噴き出し、長い黒髪がぐっしょりと張り付き、カタカタと震える少女の小さな身体。
「っぅ、っ、、、」
子供とは言え女性の肌を直接触ることに抵抗もあるので、宣教士のローブを脱いで肩に回させてもらう。
「うっ、っっえ――」
もう一度大きくえづくが、小さな唇からは唾液がテーブルに伝うだけ。
ローブの上から背中をさすり続ける。
「はぁー……はぁー……うっ……っはぁー……」
もう吐く物もないのか、次第に身体の痙攣は収まっていく。
僕は呼吸が整うのに合わせて、背中をさする手もゆっくりにしていく。
「……ぁ」
吐く物を吐き出して唐突に冷静になったのだろう、少女は目を見開いて自分と周囲の有様を確認する。唇をなわなわと震わせ、立ち上がろうとして浅く腰掛けていた椅子から転げ落ちる――のを抱き止めるようにして支える。
軽い。僕の腕にしがみつくようにして軽い身体がカタカタと震えている。
「……大丈夫か?」
「ぁ……ぅ……」
少女は吐しゃ物に塗れた顔を上げて言葉を震わせている。
「お父さんー! タオルと桶とお湯と雑巾用意してー!」
と、遠巻きに見ていた客がこの惨状を看板娘に報せてくれたようで、威勢のいい声で厨房へと向けて必要な物を頼んでくれていた。
「座れる?」
少女の軽い身体を隣の椅子へと移し、背もたれに身体を預けるように座らせる。
身体の力も入らないようで、酒場の固い椅子にめり込むように脱力してしまっている。
「なにか、変な物でも食べたのか?」
少女は脱力したまま、虚ろな瞳で顔を上げて――力尽きるように伏せた。
「わ、わた……わたし」
伏せったまま口の中でなにか呟いている。
「うん?」
「わたし……あのっ、ぼ、ぼぼ、ぼぼぼっ」
意を決したように、再び上げた顔は鬼気迫る悲痛な表情で。
青白い顔の中、頬だけが異様に赤く上気して、興奮なのか緊張なのか、滑稽なほど言葉に詰まっている。
「うん。いいよ、ゆっくりで」
視線を合わせ、微笑み、少女の頬にかかっている黒髪を丁寧に払う。
「わたし……」
少女はまたうつむいてしまうが、様子は随分落ち着いてきたように見える。
僕は改めて向かいの椅子に座る。
沈黙が流れる。
静かな時間の流れに、寡黙な神父だった父の言葉を思い出した。
僕はゆっくりと、いつか言われた言葉を口にする。
「キミを助けることはできないが、手助けくらいならできる」
そう言いながらも、父は他人の手助けに全力で手加減無しの人だったが。
「これ、どうぞ」
腰の鞄に手拭いが入っていることを思い出して少女へ差し向ける。
「あ……あの……」
少女はうつむいたままじっと手拭いを見ている。
静かな時間が流れる。
「わたし……は、冒険者に……なり……たくて……」
消え入りそうな声。
「……」
冒険者になりたい。
その言葉と、目の前の町娘が無理をして着飾っているような、浮かれたバニーガールの装備が微塵も一致せず、頭の中では大きな疑問符が浮かんでしまっているのだが、そこは聖職者としておくびにも出さずに、穏やかな微笑みで続く言葉を待つ。
「が、がんば……ゆめは……かな、かな、かなうって……っ――」
少女は席を立つ。
「あ、おい」
「きゃっ――」
逃げ出そうとしたのか、少女は唐突に椅子から立ち上がり――吐しゃ物に足を滑らせて豪快に尻餅をつく。起き上がれないのか、呆けたように座り込んでしまった。
床に広がったローブは白い沼地に浸り、じんわりと尻にも染みて行っていることだろう。
「――……っ」
座り込んだまま、背中を丸めて顔を覆う少女。
膝を付いて手を貸そうとして、ふと気づく。
(……気づいてしまえば……見て見ぬふりをすることもできないだろ)
大きさを調整するための横紐を、目いっぱいに締めていてもバニーコートが体型に合ってないようだ。着崩れ、大きく開いて、薄く鮮やかな色のついた先端が見えている。そっとバニーコートを引き上げさせてもらう。
「――――!」
少女は肩を震わせ、腕で胸元を抱きかかえるようにして更に身体を縮こまらせてしてしまった。余計な世話だったか。子供の世話をする感覚で早まってしまったか。いやしかしどうすれば。この惨状に僕も軽く混乱状態だ。
こんなとき男はいない方が良いのかも知れない。丁度看板娘が桶にバケツにと対泥酔客用の道具一式を抱えて来たところだ。
看板娘は呆れた様子でこの有様を見降ろしている。僕は困りきって首を傾げ、後を任せようと立ち上がり――ズボンを掴まれる。
「わだし……冒険者にっ……なり……たくてっ」
胸元を抑え、泣きべそをかいて真っ赤な顔を上げ、絞り出された言葉に。
(いや、無理じゃないか?)
出かかった言葉を呑み込むのには、聖職者として鍛えた精神力を持ってしても並ならぬ労力が必要だった。
誤字やプロット時からの名称変更で誤名になっていて読み難い箇所があるやも知れません、順次手直ししていますが混乱させてしまったら申し訳ございません。