4、ああ、めんどくさい奴の顔が見えた
夫となったレオンは議員や貴族の輪の中心和やかな様子を醸し出しなら柄も腹の探り合いに余念がなく、妻であるシーアもまた離れたところで着飾った女性達に囲まれている。
「海の国の黒真珠」と名高い彼女が初めて国民の前に姿を現す機会は、結局挙式まで持ち越された。
婚礼衣装をまとった二人の優美な姿に、人々は歓喜し、熱狂した。
挙式から一か月経ち、時期が重なっていた王政と議会の共存を祝う式典を少しばかり時期をずらして執り行ったのが本日のこと。
見目良い国王夫婦の誕生にいまだ興奮の冷めやらぬ空気の中、新調した深い青緑色のドレスに身を包み、今夜もシーアは「海の国の黒真珠」たる姿でにこやかに微笑む。
裾に向かって色が濃くなっていく意匠は海の色を表わしているかのようだった。
半年前の進水式の式典のドレスを作る際、レオンが婚礼用のドレスの採寸も済ませるよう指示していたのを知った彼女は、それは嫌な顔をした。
その頃、婚約は仕事の契約でしかなった。
彼女は仕事が終えると同時に予定通り婚約を解消するつもりだったというのに、すでに全て用意されていた事実を知った時、彼女の夫になる男を見る目はまるで気持ちの悪い物を見るようなひどいものだった。
そんな彼女が現在力を入れているのは海の国内の貴族の力関係の把握だ。
レオンが国王に着位した後、それまでの爵位制度を廃止した。
今は金位・銀位・鉄位の三つの位に絞り、貴族を減らしたため降格となる人間達からは当然不満が沸いた。それでもそれを調整し、折り合いをつけながら実施したのは出自に関係しない、有能な人間を登用する為である。
それは「ドレファン一家のレオン」として諸国を外遊している間に出会った、他国の制度が参考にされていた。
シーアは社交界の発展には消極的で茶会などの開催はほとんど行わないが、人の顔と名前を一度で覚える彼女は裏でうまく立ち回っている。
王妃として、誰もが考えていた以上の働きをしていた。
半商半賊のドレファン一家の養女として育った野蛮な人間。
もともと期待されてはいなかった分、その素質は王城関係者を震撼させた。
いつもより華やかな熱気のこもる夜会の会場内に見知った顔を見つけ、シーアは目元を少しだけぴくりと動かす。
壁際で、ずっとこちらを見ている見目良い男。
目が合うと、瞳に意味ありげな色を浮かべ、微笑を残して庭園へと続く扉より視界から消える。
その瞳が「ついて来い」と語っていた。
シーアはこの場の主役の一人であるにも関わらず、器用に場を抜け大広間を囲むように作られた回廊へ出たのだった。
◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆
「ジェイド様っ、ジェイド様っ」
夜会が始まってまだ間もない頃、副隊長の耳が限界までひそめられた声を拾う。
声の元を辿って庭園の東屋を覗きこめば、正式に宰相に就任する事を望まれながら決して首を縦に振らないオズワルド・クロフォードの養女。
波打つ豊かな金色の髪と、大きなエメラルドのような瞳。北方生まれに多い白い肌は抜けるように美しく、天使のようだとさえ言われていた少女は最近ますます美しくなった。
結婚適齢期である上に、宰相同然の金位クロフォード家の養女である。
求婚は国内随一を誇るであろう。
そんな彼女が、ぐったりとした国庫管理管を介抱している姿があった。
今夜の夜会は毎年行われる王政と議会の共存を祝う式典の延長だった。
式典では功績のあった者の表彰も行われ、国家管理室で遺憾なく才能を発揮しているリザもその対象であった。
国庫管理室室長に「いい出会いがあるかもしれないから」と夜会への出席を強く勧められ、上司との関係を円滑に保ちたいがゆえにリザはしぶしぶ出席したのに過ぎない。
「お貴族様と一緒の夜会で気疲れするくらいなら、職場にこもって今抱えている案件をつつき倒したい」
切実にそう思った。
しかしそんなリザの働きで半隠居の生活と孫との時間を得た室長は、彼女に服飾一式を誂えるほど感謝していた。
リザは届けられたそれらを唖然と見やり、出席せざるを得ない事を悟ったのである。
テーブルに両手を当て、そこに頭を乗せて突っ伏しているリザ。
ジェイドはそんな様子に体調を崩したのかと思えば、「ほとんど飲んでいないのですが」とカリナは説明するように上司であるリザを弁護する。
「申し訳ありません、1杯でこんなにまわるとは思わなくって。カリナ様は広間にお戻りください」
リザは回復をはかるように、気だるげに細く長く息を吐きながら言った。
そう言えば、ここ最近リザは領主の横領の一件で深夜まで仕事をしていたな、とジェイドは思い出す。王妃のため並々ならぬ熱意を持って臨んでいた。
ジェイド黙って頷いた。
ただでさえリザは片足に力が入らない。こんな状態の彼女をカリナが宿舎まで連れ戻るのは不可能なのは火を見るよりも明らかだった。
細身のドレスを着ているので背負う事は出来ない。肩に担ぐのが楽ではあるがその体勢は気分の悪さに拍車をかけるだけだろう。まして意識のある相手を担ぐのは人として間違っている気がする。
横抱きしかないのか━━
一番きついな。
仕事中である彼は、さっさと済ませようと覚悟を決めるとリザの片腕を己の首に掛けるように回し、対してリザは大いに慌てた。
察しのいいカリナもリザの杖を手に同時に立ち上がる。オズワルド家の令嬢を付き添わせるには問題を感じたが、ジェイド一人で女性用の官舎に送って行くのもリザが面倒な目で見られ兼ねない。
「誰か」
呼びましょう、だったのか、呼んでください、だったのか━━判断は出来なかったが、カリナは彼の言葉に首を振った。
「こういう事は内密にするのが得策かと」
成り上がり令嬢である彼女は痛いほど知っている。
けれど、それでいてカリナは次に矛盾することを言った。
「最近一匹狼が気楽な事に気付いたので、わたくしの事はどうぞご心配なさらず」
そう言ってにっこりと微笑んだのだった。
王妃が茶会などに消極的な為、気持ちが楽になるとともに、煩わされる事が格段に減った。
カリナ自身も国庫管理室で秀でた能力を発揮している。己に自信を持つようになったカリナは、周囲の些末な言葉に振り回される事もなくなった。
内面が強くなった彼女は、それが故さらに美しさに磨きがかかった。
数々の求婚は、大切な友から預かった養女であるため頭を悩ませている養父の元で保留扱いとなっている。海の国最高位であり、数少ない金位であるオズワルド家だからこそ可能な状態だった。
「庭園から回って官舎へ行けば、それほど見られませんよね?」
ジェイドは職業柄この立地を知り尽くす男である。死角になる道を選び、カリナとリザを送ったのだった。
リザを送った後、二人で大広間の前の回廊まで戻れば、美貌の男が回廊を横切った。
こちらに気付いて柔和な笑顔を浮かべて会釈を寄越してくる、洗練された物腰の男。条件反射で応えながら、カリナは訝しんだ。
今夜は国内の夜会である。
「どなただったかしら? あんな綺麗な人なら目立ちそうなものだけど」と庭園に消える背を見送れば、続いて「王妃」たる姿に完全変態したシーアが姿を現した。
カリナに気付いた彼女は笑顔を浮かべ、こちらへ歩み寄ると顔を寄せて囁く。
「オズワルドの所へ行くか、今夜は帰った方がいい」
作られた、形だけの笑顔だった。
「この辺りを封鎖して待機しろ。合図を出すまで手は出すなよ」
続いてシーアはジェイドにそう耳打ちすると植込みの切れ目から庭園へ降り、彼女もまた石畳の小道に沿って暗がりへと消えて行ったのだった。
王妃からのよどみのない言葉を踏まえ、ジェイドは指笛を一つ鳴らす。
それは北方の山岳地帯に生息する山鳥の鳴き真似であった。
いかにうまく真似られるか競う、子供の遊びである。
それから視界に入る回廊の警備である護衛隊員二人を呼びよせ、王妃の命令通り指示を出した。そしてカリナにも言葉をかける。
「グレイを呼びました。あちら側から来るはずですが、もし来なければもう一度呼んでください」
カリナも彼らとは同じ北方の出身である。
ジェイドは指笛が出来るか確認する事はなく、庭園へと出て行った。
当然だ。北方の山岳地帯周辺の子供は誰だって出来る芸当である。
彼等の様子に事態の急変を悟ったカリナは、靴を脱ぐとジェイドの指した回廊の奥へと駆けだしたのだった。
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「海の国の黒真珠なんていうから、間違いかと思って見に来たんだけど……まさか本当にきみだったとはね。随分と化けたもんだ」
海賊スミス一家の新頭領であるエミリオ・スミスは端正な顔ににっこりと邪気のない風を装った笑みを浮かべる。
伸ばした金髪をひとまとめにし、正式な礼装姿。
その出で立ちは貴族の見目良い子息にしか見えない。
「人の事言えた義理かよ」
そんな男に、シーアは王妃の顔ではなく海姫たる表情で鼻で笑った。
「お前こそこんなとこで何やってんだ。仕事か? さっさと帰らないと護衛隊を呼ぶぞ」
嫌そうに目を眇めれば、エミリオは笑いながら素早く動き、シーアの手首をつかんだ。
同時に腰に手を回して引き寄せるその一連の動きは、さすが各地の港で恋人が待つと言われるに相応しい、慣れたものである。
腰に回された手はそのまま背中を滑り上がり、抱きしめる形で互いの上半身を重ね合わせた男。
その耳元に、冷たい切っ先が揺れた━━
「そんな女でもうちの王妃なんでね」
エミリオの背後から低い声が響く。
抜き身の剣を首筋に突き付けてグレイは凄んだが、王妃に不貞を働こうとしている男の喉元に王妃の小刀が当てられているのを見て思わず天を仰ぎたくなった。
前後から刃物を突き付けられ、両手を上げて一歩後退した男の整った顔がふと笑む。
「あの可愛いお嬢さんは帰したのかい? 大丈夫かな」
魅惑的な唇がそう言葉を刻んだ刹那、彼の目前に立った痩身の男女二人の纏う空気が冷えた。
おやおや、なんてあからさまな。エミリオは内心苦笑した。
「海姫ともあろうきみがずいぶんとらしくない。陸に上がって腕が鈍ったんじゃないかい?」
挑発には応じなかった。
「何を企んでるか知らないが、面倒を起こす気なら潰させてもらうぞ」
先日カリナは初めて給金がもらえたのだと、それは嬉しそうにしていた。
あの笑顔を曇らせると言うのであれば、容赦はしない。
海姫の中に起こる激情は、海賊一家を束ねる首領の男でさえも一瞬たじろがせる物だった。
そんな彼を救ったのは意外な人物である。
「彼女は父君と一緒だ」
次から次へと出てくるな。エミリオは嫌になった。
男でも見惚れるような美丈夫は、この国の王であり、目の前の女の夫である。
かつて、海の上で一度だけ見た事がある。
あの時はその正体に気付きもしなかったが。
「しばらく誰も帰さないよう言いつけてきた」
新妻の傍らに立ち、優しく腰を抱くのはこの国の王。
彼女を見下ろす表情は穏やかで、とろけるように甘く優しい。
シーアは満足そうに、不敵な笑みを浮かべる。
上出来だ。さすが我が夫だとでも言うかのように。
なぜここで普段は一切見せる事のない「甘やかな新婚夫婦っぷり」を見せつけるのだろう。
グレイは実に冷めた目で彼らを見た。こんな物を見せつけられる賊に同情したくなるほどだった。
「以前一度お会いしましたね」
レオンは余裕を感じさせる態度でおだやかに言った。
6年前、お互い一家の船上から見ただけの関係でしかない。
「紹介する。わたしの夫だ」
レオンの言葉を受けてシーアはさも当然の礼儀だとでも言うようにエミリオに夫を紹介した。
今さら何を言うのか、この女は。
エミリオもグレイも、全てを投げ出したくなる。
「こっちは━━」
それからエミリオを見てシーアは首をかしげた。
「顔見知り、ってやつかな。まぁ、お前も覚えてるだろ?」
夫にそう自分を紹介しているシーアにエミリオは思わず口を開く。
「随分とつれない事を言うね。一度は夫婦になった仲なのに」
そう、実に愉快そうに言ったのだった。




