1、いろんな文化があるよな。でもおかしいだろ。
国を挙げての盛大な挙式から10日ほど経ってなお、侍女頭と王妃付き侍女であるユキは常に緊張した状態で日々を送っていた。
彼女達は極力、王妃と二人きりになるのを避けていた。それはもう半ば死に物狂いで。
「ちょっと、聞きたい事あるんだけど」
だから、就寝直前になって王妃がそう言い出した時「ついに来たか」と硬直し、次いで不本意ながら覚悟を決めた。
「この国の王族って夜はどうしてるワケ? 嫁が夜這いに行くべきなの?」
それは一向に寝台を共にしない夜が10日以上続いた日の事であった。
この国の国王夫婦の寝室は完全に独立した造りになっている。
各国を渡り歩いてきた経歴上、文化や風習とは多岐多様に渡る事を理解しているシーアである。
郷に入りては郷に従えとばかりに「まぁ、周りが良いようにするだろう」と高を括っていたら、何の音沙汰もなく日々が過ぎてしまった。
さすがにこの風習はおかしくないか?
そう思って聞いてみたところ、既婚の侍女二人はそれは言いにくそうに答えたのであった。
「通常でしたら陛下がお越しになります。もしくはお呼びになられるか━━」
侍女頭が言葉を濁したところで、シーアは舌打ちした。
反射的に舌打ちしてしまってから、「ああ、悪い。あいつに対してだ」そう訂正して詫び、続けて低い声で一言呟くと寝台から雄々しいとさえ言えるような仕草で立ち上がる。
近くにいた二人には「あの野郎、ぶちのめす」としか聞こえなかったが、聞こえなかった事にした。
冷たい怒りの空気を纏った半商半賊出身の彼女を止めようなどという無謀な行為を起こす気など一かけらも持たず、黙って見送るに徹したのだった。
「そこを開けろ」
国王の寝室の前に仁王立ちして告げる王妃からは殺気が立ちのぼるようで、守衛を務める護衛隊員二人は思わず戦いた。
化粧を全くしていないその顔。
切れ長の目が細くすぼめられ、冷気が漂う。
これまで海で危険な仕事をこなしてきた海姫の気迫は、そこいらの男では到底かなうものではなく、たとえ国王の寝室の護衛を任された先鋭でもたじろがせたのだった。
こんな殺気を漲らせた人間を、国王の寝室に入れるわけにはいかない。
それがいかに王妃であっても。彼らは本能でそう判断した。
「陛下の寝室には、何人も入れないのが決まりでございます。どうか、どうかご容赦ください」
衛兵の声の微かにかすれた声に、シーアは鼻で笑う。
「せっかく夜這いに来てやったんだ。この国だって跡取りは必要だろ?」
あまりにもあまりな言葉だった。
言葉はいつものように気軽だったが、それが軽口ではないのはすがめた目を見れば分かった。
駄目だ。これは何を言っても駄目だ。
衛兵二人は本能でそう悟った。
続いて落とされる決定打。
「それとも誰か囲ってんの?」
落ち着いた、抑揚のない声が逆に彼等の恐怖をあおり、否定しなければと思うのに彼らは咄嗟に声が出せなかった
女だか男だか知らないが、それならそうと始めに言うべきだ。
それならば理解する。
シーアは本気でそう思っていた。
今になって言うのは、契約違反だ。
契約が重要視される世界に生きてきた彼女にとって、それは許しがたい事だった。
「王妃」
呼ばれてそちらを冷たい目で見やる。
衛兵二人は現れた人物の姿を見てあからさまに安堵の表情を浮かべた。
「よぉ、夜に騒いで悪いな」
シーアはオズワルド・クロフォードに肩をすくめて見せる。
「陛下の寝室には呼ばれぬ限り誰も入れないのが決まりです」
「ああ、それは聞いた。愛人でもいるんなら納得するが、そうじゃないなら悪いがぶち破る。これは重大な問題だ」
あれだけ求婚しておきながら、この有様。
許せなかった。
こちらは覚悟を決めたというのに。
「どうせここにきて怖気づいたんだろ。殴ってやる」
そんなことを聞けば、ますます彼女を入室させるわけにはいかない。
壮年の衛兵二人は上司であるオズワルドにすがるような目を向ける。
彼等は国王の寝室の警護を任せられた選び抜かれた人間達であり、賊相手であればその見事な手腕を遺憾なく発揮するだろう。
しかしあからさまに危害を加えようとしている王妃の対処法など、そんな想定の訓練はしていない。
助けを求められたオズワルドでさえ、正直途方に暮れた。
ああ、こんな時グレイさえいてくれれば━━
いてくれたら丸投げするのに。
オズワルドは非番の部下を恨めしく思う。
やはりあの男は実に頼りになる隊長なのだと改めて痛感した。
「古くからのしきたりではありますが」
オズワルドは口を開いた。
悪いのは国王だ。
オズワルドはなるようになれと、対処法を模索する努力をあっさりと放棄した。
二人が挙式以来、夜を共にしていない━━正確には国王がその素振りを見せない事に疑問を持っていた。
何を考えているんだ、陛下は。
あれほどしつこく言い寄ったのに。
国王の考えがここまで読めないのはオズワルドにとって初めての事であり、最近になって疑問は焦りや不安に変わった。
「悪習の改変を推し進められている陛下です。王妃にもご理解いただけるかと思います」
面倒な言い回しに、シーアは口元を歪める。
相変わらず、話が分かる奴だ。
そこに刻まれるのは笑み。
しきたり破りは国王もしているので、勝手にしてくれと、そう解釈した。
「武器の所持だけはご容赦ください。最後に体も改めさせていただく事になりますが、それでも入室を希望されますか?」
衛兵二人はオズワルドの言葉にぎょっとした。
王妃の身体を改めるなど、不敬極まりない話ではないか。しかしシーアは不満そうな表情を作るが素直に頷く。
「ああ、仕方ない。それでいい」
今のシーアは、足首まであるゆったりとしたドレスにナイトガウンを纏った姿である。
髪の毛は三つ編みで一つにまとめられ、手には何も持っていない。
武器など何一つ持っていないように見えた。
オズワルドが王妃に向かって手の平を差し出すのを見て、衛兵が訝しげに二人の様子を見守る中、シーアはまず髪をまとめていた紐を外して提出し、三つ編みの中に紛れて一緒に編み込まれていた細い針金を数本取り出した。
ガウンと、室内履きを両方とも脱ぐ。
自らスカートをたくし上げたところで彼等は動揺したが、意に介する事なくふくらはぎと太ももに結び付けた小刀の納まる革のベルトを外した。
長袖の薄手のドレス一枚になった所で首をかしげた。
「これでも殺そうと思えばやれるけど、やっぱ脱ぐべき?」
脱げと言われれば脱ぐけど、そんな口調だった。
オズワルドは本気で顔を覆いたくなった。
なんと頼りになる王妃だろう。
衛兵二人はずいぶん前から言葉を失っている。
「あ、部屋に入ったらすぐ脱いでこれだけ外に出すとか?」
胸元の生地をつまんでからオズワルドを見上げる。
まるで「いい事を思いついた」と言わんばかりの表情にオズワルドは気が遠くなるのを感じる。
それは━━露骨すぎます。
丁重に固辞した。
「他にはありませんか?」
最後にもう一度確認され、シーアは唇を尖らせる。オズワルドに渡した小刀を1本手にすると袖口に穴を開け、手で引き裂いて穴を大きく裂いた。
袖口には小さな刃と針金が仕込まれていた。
せっかく細工したのに、また作り直しじゃないか。
「これで中に賊がいて誘拐されたらお前を恨むかも」
袖の手首部分を渡しながら恨みがましく言う。
その言葉が、これで全部だと語っていた。
「王妃の身の安全のためです。大変申し訳ありませんが、改めさせていただいても?」
衛兵が目を見張る中、シーアは素直に両手を上げた。
「失礼いたします」
そう言って体に触れて異物がない事を確かめる。
彼女の身体に触れるのはオズワルドとしても大変不本意であったが、夫以外には意外なほど思慮深い性質の彼女はそれを理解していた。
「わたしはあいつをぶん殴るから、気にしなくていいぞ」
そう気遣った。
「本当に、陛下を恨みます。ていうか無理やり起こした方が良かったんじゃないですか?」
足元を確かめながら、今さらそんな事を言い出したオズワルドをシーアは嫌そうに見下ろした。
「そりゃそうなんだが……そのうち起きるかと思ってたんだ。こんなに大騒ぎして起きないって事はなんか飲んでんの?」
オズワルドは沈黙した。
「昨晩は徹夜に近いご勤務だったかもしれません」
「━━おい」
シーアはそれはそれは低い声で言って眉間に皺を寄せた。
これじゃまるでわたしが我が儘な嫁じゃないか。
そういう事はもっと早く思い出せよ、と思ったが、ここまで来たら後には引けないか、と思い直す。
「まあいい。寝込みを襲わないと殴れないかもしれないしな。しっかし少しは落ち着いたのかと思ったのに、どいつもこいつも忙しいな」
「申し訳ありません」
珍しく、オズワルドが恐縮していた。
「まぁ、遅かれ早かれだろ」
どうせ早く寝られる夜にだって、妻に会う気にはならないのだろう。
「そう思います」
オズワルドは度重なる気遣いに感謝しながら、扉を控えめに叩いた。
「王妃が入室されます。武器はすべて預かりました」
お気をつけて。
オズワルドはなぜかそう囁くように言ってシーアを室内に送り出す。
「夜に悪かったな。さっさと帰って休めよ」
シーアはオズワルドと衛兵二人を労うと、暗い寝室に足を踏み入れた。