1、国庫管理官に転職しました <前>
散々「第3章で終了」と予告して参りましたが、第3章の完成度を上げるため短編的にグレイ達の話を2.5章として挟ませていただきます。
「式典が終わったら迎えに行くから」
そう、国王の婚約者なんてやっている友達は朗らかに笑った。
そんな立場の人間が一人ふらふらやって来るのだから、相変わらず自由だと思わずにはいられない。
男前で有名な国王もさぞご苦労されている事だろう、海の国最大の港で大手商社にて経理の事務をしているリザは同情を禁じ得なかった。
「港はお祭り騒ぎになるんだろ? 楽しんでていいから」
そう言われ、国王が出席する進水式などそうお目にかかれるものではないので素直に喜んだ。
港の周辺はどこも混雑していて、足の悪いリザは勤め先の2階の窓から仕事仲間と式典を楽しむ気でいた。
海賊団の人質にされた上、砲撃で吹っ飛ばされて、砲弾の雨で荒れた海を寒中水泳、という一生のうちに一つでも味わいたくない災難が一度に身に降りかかった友人。
無事に戻ったとの発表があった時には思わず歓喜に震えてその場にへたり込んだ。
その後、国によって数日前から閉鎖されていた港が解放されたので足止めされていた荷が一度に入荷する事になり、かつてないほどの業務に忙殺されることになった。
あんな事があったのだからお迎えは延期だろうと思っていたら、代理だという若い男二人が商社を訪れた。
短髪の粗野な風貌の男は私服姿だったが、腰には王城警備隊の剣が下がっていた。
もう一人は烏を思わせるやや長めの黒髪の男。こちらは警備隊の制服を纏い、涼し気な目をした綺麗な顔立ちをしていた。
彼等に取り急ぎ会釈して、リザは一層慌ただしく荷卸しや空いた倉庫など指示を出す。その傍で彼等は椅子に掛けた商社の主のご母堂に近付くと「国庫管理室室長からの指示でお迎えに上がりました」と、そう述べた。
「あのっ、リザは私ですが」
背後で慌てた声が上がり、グレイとジェイドは驚いて声の主を振り返ったのだった。
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カウンターの中でそれまで忙しそうに男達とあれこれ協議していた金髪の妙齢の美人が、主張するように慌てて挙手しており、彼女のその手にはシーアが言っていた通り杖があった。
「あのやろう……」
そんなに激しく掻くと頭皮が傷つきますよ、と言いたくなるほどグレイは乱暴に頭を掻きむしる。
殺気さえ漂わせる獰猛な瞳を見て、リザは思わず表情を緩めた。
お気の毒に。この人もあの子に振り回されてるのね。
同様の人間を何人か知っているリザは、彼にもまた同情を覚えた。
そしてシーア・ドレファンという人間がどういった種類の相手か、それを把握している様子の彼に警戒心が薄まる。
「失礼ですが、彼女とお知り合いですか?」
「ああ、悪い。若いとは聞いてなかった。あいつから伝言を預かってる」
グレイは国王自らがしたためた紙片を渡した。
<<迎えに行けなくて悪い。縁起が悪いが今度お詫びにチョコレートを贈る>>
男が書いたと思われるが、とてもきれいな文字が並んでいた。
リザの美しい顔に微笑が浮かぶ。
二人しか知らない共通の情報で安心させようとしたのだろう。
どの段階で書かれた物かは分からないが、こんな事に気を遣ってる状態ではなかっただろうに。
「人の気も知らないで」
小さく口の中で呟くいた。
どうせまた自ら意気揚々と無鉄砲な事に乗り出したのだろう。
どれほど心配したと思っているのか。
「あいつが迷惑をかけると言っていた。直接挨拶に来るつもりだったみたいだが、さすがに……」
人物が特定されないように配慮しながらグレイは商社の主に声をかければ、ずいぶんとがっしりした中年の男は肩をすくめた。
「こっちこそ優秀な人間を寄越してもらって助かったからな。まぁ、あいつの我が儘は今に始まった事じゃない。慣れたもんだよ」
「その優秀な人間をかっさらわれて気の毒に思う」
彼女の働きぶりは少し見ただけで理解できた。
彼女を中心に仕事が動いているではないか。
グレイは心底気の毒そうに言ったが、意外な事に主はニヤリと笑った。
それはそれは、満足げな笑みだった。
「とっておきの儲け話を一つ迷惑料にいただいたんでな。不満はないさ。うちの子供がでかくなって手がかからなくなったんで、嫁も本腰入れて仕事に入れるようになったし、こっちにとっちゃいい事づくめだよ」
そう言って商社の主は豪快に笑った。
交渉も商売も随分上手くなっていたドレファン一家の海姫は、彼に植物の輸送方法を確立する事を提案したのである。
海の国貴族の間で花を髪に挿すという新しい流行が生まれ始め、新種の花の栽培が活性化している。
確かにこの国では一過性の流行になるかもしれないが、花を愛でる文化のある国では新種の花に法外な値がつく事も珍しくはないのだ。
「ここは気候もいいし、上手くいきゃ、新しい一大産業になるぞ」
今のうちに園芸業者と契約を結び、輸出方法を確立すれば他を出し抜ける。
「まぁ、うまくいけば、の話だけど」
あんたなら、上手くやれるだろう?
ずいぶんと地味な風体の国王の婚約者はニヤリと笑んだのだった。
「荷物はこれだけかい?」
商社の一室に仮住まいしていたリザの荷物は大きな鞄一つだけだった。
家具はあった物を使っていたので置いて行く。
入所の手配が済んでいるという王城の敷地内の宿舎には家具一式もあると言われているので問題はなかった。
グレイが鞄を持ち、ジェイドは黙ってリザに手を差し伸べるとリザはふわりと笑って、「ありがとうございます」とその手を取った。
口や手癖。それに性格が悪い等、多様な人間の出入りする職場に長く務める彼女は、慣れもあれば達観している。
グレイの乱暴な言葉遣いも、ジェイドの寡黙さも、気にする事はなかった。
護衛隊副隊長であるジェイドの生家は、グレイと同じく北方の山岳地帯である。
年寄りが多く、一番下に生まれたジェイドは働きに出た年長者の代わりに老人達に育てられ、長じてからは彼が老人たちの世話をするようになっていた。
よって足の悪いリザの補助が出来るという理由で彼が迎えに選任されたのだが、彼は若い女性と話すのはあまり得意ではなかった。
むごいことをした。
若い女相手と知っていたら、他を当たった。
わざわざ副隊長が赴くような仕事でないが、シーアからの信頼が篤いため彼になってしまった。
幼少時からの付き合いであるジェイドを憐れみながら、グレイは眉間に皺を寄せる。
本当にあの女は性質が悪い。
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深夜、引継ぎを終えて隊舎に戻ろうと国庫管理室の前を通った時ジェイドは扉の足元から漏れる明かりに気付いた。
賊か━━?
文官たちの職場である国庫管理室は夕方には締められる。
国庫とは言うが、ここには事務仕事の場であり、帳簿や資料があるだけで金銭があるわけではない。
そっと、音を出さないよう細心の注意を払って重厚な扉を開いた。
いつでも剣を抜ける心構えで。
書庫の奥に隠れるようにして立っていたのは最近赴任した、足の悪い女性国庫管理官だった。
大きな目を、いっぱいに開いてこちらを見てから、ほーっと安堵の息をいた彼女の左手には杖。そして隠すように後ろに下げられた右手には━━━
ジェイドは黙って素早く歩み寄ると右手をひねり上げた。
そこにあったのは、華奢なペーパーナイフ。
握る細い手は震えていた。
ジェイドの長い前髪の奥で眉間に皺が寄った。
「居残りです。室長に申請はしましたが━━」
そんな連絡は聞いていない。
いや、文官は基本的に夕方までの勤務である。
居残りがあっても護衛隊に通知が出るというしくみはない。
「何を?」
していた?
冷えた声を、リザは硬い表情で受け止めたが、彼女は知っている。
この副隊長は信頼できると。
もうすぐ挙式を迎える百戦錬磨の友達が信頼している男だ。
それは何よりも信頼に足る。
「偉い方々の探られたくない腹を、探っておりました」
そう言って笑った。
彼はその細い手首を解放した。
そうだ。この女性国庫管理管は「海姫」の推薦でここに来たのだ。
「すまない」
賊かと思った。
そんな危ない仕事をするのであれば正式に護衛を付けた方がいい。
「隊長に進言しておく」
副隊長は抑揚のない声で告げる。
彼は配慮は出来る男ではあるが、残念ながらいつも絶対的に言葉の足りない男であった。
そんな彼の言葉にリザは少し難しい顔をする。
「それは困るんですよね。あまり大っぴらに不正調査をしているとばれると私も動きにくくなるので。新米が仕事を覚えきれずに居残ってると思ってもらった方が都合がいいんです」
ああ、この女性管理管もあの婚約者の同類か━━ジェイドは妙に納得するものを感じた。
不意の入室に怯えて、そんな華奢なペーパーナイフ1本を震える手で握りしめなければならないような状況。
これはやはり進言しておかねばならないだろう。
ただし、隊長か婚約者殿本人に。
幸い、この国の王妃になろうかという人間は意外とその辺りで見つかるのだ。
一日に何回かふらりと海を見に行く人間だ。城壁の上で張っておけば、半日あれば確実に捕まえる事が出来る。
それもどうかと思うのだが。
その日から副隊長ジェイドは終業後、時間があれば深夜の国庫管理室に立ち寄り、自分の書類を仕上げ、終われば本を読むようになった。
当然その状況には多くの問題があったが、国王と、国庫管理室の長が許した。
他の文官は帰宅していたので騒がれる事はなく、見張りの護衛隊員達も生ぬるい目でそんな彼を見守ったのだった。