18、ビジネスパートナーが理詰めで口説いて来るので全力で拒否する
体が鉛のように重い。
昨夜、周囲には散々反対されたながらも無理矢理夜会に出席したせいだろうか。
「親切な王弟様に一言お詫びを言うだけだ」
ご心配をおかけしました、それだけを言う為に化粧をして、無駄にならなくて良かったなんて一人ほくそ笑みながら出港式の夜のためだけに誂えたドレスに袖を通した。
国王はそんな婚約者の手を取り、残る手は背中に添えて支え続ける。
婚約者の身を案じて献身的な素振りを見せる国王と、外交のために無理を押して出席する海の国の黒真珠。
実際シーアはそこまで弱ってはいなかったが、二人は体面を取り繕うために演者となった。
北の台地の王弟に挨拶を済ませると、シーアは宣言通り非礼を詫びて退席した。
こいつらは本当にいい性格をしているとグレイは思う。
そこまで嫌がらせまがいの事をして大丈夫かと心配になるほどだった。
それが昨夜の事。
翌朝目を覚まし、シーアはこれまでにない感覚に襲われた。
見覚えのある天井。
海の国王城の自分に割り当てられた寝室だ。
重い━━
はっきり覚醒しない頭で、一つ一つ、体の機能を確かめる作業に入った。
首は動く。
足首も回せたが、膝を立てたりは出来なかった。
ああ違う。不自由なのは右半身だ。
そして重いのは自分の体ではない。
何か重い物が乗っている。
左腕は簡単に布団から出す事が出来た。
ふわふわとした高価な羽毛布団を左手で押さえて視界を広げると、自分の自由を奪うそれの正体を確かめ━━一瞬不測の事態かと慌てて起き上がろうとしてやめる。
「そりゃ重いわ」
寝息に気付いて寝台に体を沈め直すとシーアは呆れて呟いた。
右脇に錆色の毛玉。
緊張が緩み、そこでやっと大きく安堵の息をつく。
布団の上にこの国の王がうつぶせの状態で寝ているのだ、起き上がれない筈である。
しかもその片腕はシーアに乗っていた。
━━ひどい話だ。
功労者へのありえない仕打ちに不満を覚える。
しかし、そう言えば昨夜この男が来室した気はする。
夜会の後、その足でこの部屋を訪れた彼は婚約者の無事を確認し、そのままここで力尽きたらしい。
彼が布団代わりにしている上着は、昨夜の夜会で彼が纏っていたものだった。
こんな状態になるまで起きなかった自分も自分だと、さすがに疲れていたのかとシーアは他人事のように考えていた時。
小さな小さな、実に控えめなノックとともに侍女頭が部屋に入った。
室内に国王が在室している為、若い侍女二人が入るに入れず侍女頭に相談したらしい。
侍女頭と目が合うとシーアは人差し指を唇に当てて見せた。
眠れる時に睡眠を取る。彼のような仕事をしている人間にとってそれはとても重要だと彼女は考えている。
そしてそれは愛情や優しさと言うより合理的かつ実戦的な思考に基づくものであったが、国王を気遣う婚約者のその姿に古くから国王を知る侍女頭はいたく感銘を受けたのだった。
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「いや、もうほんとに、勉強になったよ」
力なく言った。
次の仕事に活かすとでも言っているかのようシーアのな発言に国王は喉で笑う。
「引退するんじゃなかったのか」
「まぁ、そうなんだけど」
重ねたクッションに背を預けて上半身を起こした彼女は、歯切れ悪く答える。
やはりその声に力はない。
こんなに落ち込んだ様子の彼女は実に珍しい。
この先お目にかかれるかどうか怪しいほどに貴重だと判断したレオンは、寝台に腰を下ろしてその姿をじっくりと堪能していた。
次にどうすればもっとうまくやれるのか。
意識せずともついそれを考えてしまうシーアは、仕事がしたいという強い欲求に駆られていた。
今ならいくらでも仕事が出来そうだった。それも新しい手法で。
けれどそれを実践する機会がない事は、彼女自身が誰よりも分かっている。
もどかしい。
最後の大仕事と考えていたのに、大した働きは出来なかった。
レオニーク・バルトンという男を見くびっていたつもりはない。
しかし、想定していた以上だったと言わざるを得ない。
自分がいなくてもこの男は自力でどうにか出来ただろうと思う。
実力を見せつけられた。
特に人材を活かす手法には目を見張るものがあった。
人を正当に評価し、信頼し、最も適した場所に置く。
こんなやり方もあるのか。
そう思うと、まだ━━
「もう少し、やりたいんだろ?」
国王は確かめるように尋ねた。
そう、引退するにはまだ惜しい。
それはきっと、彼女の養父である海王ウォルター・ドレファンも同じ心境だろう。
しかし島のために彼はその言葉をのみ込んだ。
娘の本心を知りつつ、島の存続を取らざるを得なかった海王。
ならば。
「引退にはまだ早いだろ。うちでもう一仕事しないか? 北の台地にはもう少しおとなしくしていてもらいたい」
シーアは少し目を見張った。
それはなんとも━━魅力的な口説き文句だ。
「悪くない」
さすがはかつて相棒として認めていた男である。
それはシーアの心情を把握した、実に甘美なお誘いであった。
だが。
シーアの表情が険しくなったのを見て国王は苦笑して口を開く。
「これだけ国に貢献したお前を切れば、いくら当人同士が納得していると言っても世間じゃ俺はとんだ下種男だ」
「海の国の王がゲスってのは確かにキツイな……」
シーアもまたつられて苦笑した。
海の国の王の二つ名で呼ばれる男だ。
海のごとく広い器と、海のごとく深い情を持つ王であってほしいとはシーアも思う。
けれど。
「それにここまで国民や臣下に慕われた婚約者の後釜になる人間のことも考えてみろ」
国王は茶化すように笑った。
それは━━
「軽率だったな」
大きなため息をついた。
女性を悲しませるような事はしたくない主義の彼女にとって、それはゆゆしき問題である。
「なんかものすごい悪女の噂でも流しといてくれ」
海の国の黒真珠はどうせこの世からいなくなる人間だ。
痛くもかゆくもない。
「そんな事をすればますます俺が批判されるだろうな」
彼女を切るために、虚偽の噂を流して海姫を貶めるのか。
いまや国民の多くが、国王レオニーク・バルトンと海姫は五年以上想い合った上での婚約だと妄信している。
今回もまた、彼女の派手な活躍を国民は目の当たりにした。
この世論の中、彼女との婚約解消はもはや不可能な状況になっている。
海姫との関係の清算を強行すれば、国王レオニーク・バルトンに国民が寄せる威信も人望も地に落ちるだろう。
「嫁の来手がない。責任を取ってもらうぞ」
男の強く断言する口調にシーアは眉をひそめた。
責任とは。
さすがに痛い所をついてくる。
けれど。
「駄目だ」
シーアもまた、はっきりと断った。
「いい加減、真面目に考えろ。わたしは犯罪者だ」
お前は国王で、その責任があるのだ。
そして自分は王妃に据えてはならない人間の筆頭だ。
はじめからそう言っている。
自分の存在を起因とする障害に、海の国や、この国の人間が巻き込まれるなんてごめんだ。
そんな責任を負うつもりはない。
自分のせいでこの男が不要な災厄に見舞われる。
そんなのは、たまらないのだ。
どんなに言葉を尽くされようが流される事も、ほだされる事もない。
レオンを真っ直ぐに見つめる瞳に確固たる意志がはっきりと見て取れた。
しかし、レオンは見越していたかのように笑む。
その腹黒い笑みにシーアは思わずたじろいだ。
なんだ、その顔は。
長くはない。けれど決して浅くない付き合いの中で初めて見る類のその表情に、思わず動揺が走った。
「そこは調査済みだ。サシャにも協力してもらった」
サシャの情報管理能力は島が始まって以来の逸材である。
本人は「好きで記録しているだけ」と言うが、好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、その分、恐ろしく細かく、そして整理されていた。
「犯罪者というが、残念だな。そこまでの大物じゃなかったぞ」
美麗な顔に、勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。
シーアはその一言に唖然とし、次の瞬間、無性に腹が立った。
しかしそれは道理なのである。
半商半賊のドレファン一家は依頼によってしか動かない。
そして彼等は仕事を選び抜く。
なぜなら、彼等が仕事をする絶対的な理由が島の存続。
それに限られるからだ。
恨まれて島を滅ぼされるような事があっては本末転倒なのだ。
レオンは障害となる存在がいないか、各国の伝手と自身の間者を使って徹底的に調べさせた。
サシャからはこれまでドレファン一家やシーアが関わった団体の中で、問題になる可能性のある存在の情報を買った。
「新婚生活を邪魔しそうな国や団体を教えてほしい」
海の国の王はサシャに個人的に依頼したつもりだった。
「さすがねぇ」
相場の倍の金額を示されたサシャは呆れたように笑って肩をすくめた。
「うちの家族の事だもの、お金なんて受け取れないわよ」
首を振る彼女に、レオンも同様に否を唱えてから笑う。
「ドレファン一家の人間にタダ働きさせたなんて知れたら後で夫婦喧嘩の原因になる。結婚祝いに受け取ってくれ」
「相変わらず真面目なんだから」
サシャは言葉を選んで言ったが本心は違う。
ずっと先を見越しているこの男は、用意周到だ。
恐ろしいほどに。
姉は知らないかもしれないが。
仕事の後はさっさと逃げる事にしている姉だが、それは難しいだろうなと思った。
「サシャはすごいな、人材として欲しいくらいだ」
しみじみとレオンは国王の顔で言った。
可能性のある国や団体と、万が一問題が起きた際、有利になる材料や示談に持ち込んだ場合の必要経費まで概算して寄越した。
そこには顧客の情報を横流しする内容も含まれ、開示し過ぎだとレオンも思ったがサシャにしてみれば大事な義姉の結婚生活を脅かす存在である。
迷いはなかったし、情報の開示については海王も快諾していた。
『あいつらにちょっかい出すような馬鹿は後悔すりゃいいんだよ』
海王は笑みを浮かべ、サシャはその様子に肩をすくめた。
なんともお怖い一族になりそうな事ですこと━━
レオニーク・バルトンは王座についた後、国庫に借金をして個人的に船舶関係の会社を創設した。
国庫が議員らに蹂躙された経験から、国政の乱れに左右されず、有事の際の資金を国庫とは別に確保するためだ。
海王の下で学んだ男である。
経営は軌道に乗り、借金は返済し終えている。
シーアは嫌がるだろうが、対応の準備はあった。
もっとも、資金を投入せずともサシャからの情報を駆使すれば内々に処理出来る案件がほとんどだった。
本当に、いい買い物をしたとレオンは思う。
安すぎたとさえ思った。
「島に帰るよりは退屈しないだろう?」
島に帰ったところで、海に漕ぎ出し、成果をあげて帰還する仲間をただ遠くで見つめるだけの生活だ。
いつまでもその状況に耐えられるかと問われれば、答えは完全に否だ。
それは彼女も考えていた事なので憮然とする。
「一応言っておくが、ちゃんと愛してるぞ」
先ほどからずっと難しい顔をしているシーアに、レオンは唐突に告げた。
それはまるで今朝の朝食の献立でも話すかのような口調だった。
「えらく軽いな」
言われた方は鼻で笑うように苦笑してから続けた。
「━━知ってる」
そんな事だろうと思っていた。
長いため息をつく。
「そうか。俺もだ」
国王は彼女の様子に満足げに笑んだ。
シーアは考え込むように両手で目元を覆った。
初めから、この男はこれを見越していたのだろうか。
固く目をつむって深い息をつく。
それを見越して養父は頼みもしないのにあんなものを寄越したのか。
「婚姻免状」
それは近親婚対策として始まった島独特の習わしだった。
島の人口が増え、島外からの女が入ってきた現在では形式だけが残り、拘束力などほとんどなくなった習わしではあったが、島の人間が結婚する際、届け出を兼ねて島の首領でもあるウォルターに申請し免状が発行される。
海王ウォルター・ドレファンが褒美だと言ってレオニーク・バルトンに授けたのは、シーア・ドレファンの結婚を許可する物だった。
自分の読みが甘かったというのか。
こいつはどこまで見通していたのか。
「言っとくが、わたしはそういうのは言わないぞ」
「それも知ってる。かわりに褒美をくれないか?」
レオンのその言葉に、シーアが分かりかねると言った様子で片眉を少し上げて見やると、彼はチラリと二人の間に投げられた「婚姻免状」を視線で指し示す。
仕事だから、だとか契約だからだとか。
シーアは頑なに拒み、牽制する姿勢を見せてきたが、対するかつての相棒は━━残念ながら彼女の照れ隠し程度にしか捉えていなかった。
それは本当にはた迷惑な話で、シーアが聞けば自惚れに軽蔑のまなざしを送っただろうし、グレイが聞けば憤死しそうな話であるが。
けれどレオンはあえて契約更新を匂わせ、「責任」という言葉を使った。
彼女が素直にうなずけるように。
固く閉じた瞼、眉間には皺。
小難しい顔をしていたが、ふと長く吐息をつく。
決めた。
そして考える。
褒美、ねぇ━━
左手が我知らず己の口角の上をなぞっていた。
「しょうがない」
シーアは観念したように言った。
まだ、退路は残っている。
彼女は母親が子供に向けてするように、両腕を広げて見せた。
「来な」
そう言って、いつものように片方の口角だけを上げて笑った。
レオンが驚いて小さく目を見張ると、手を上げたままの彼女は催促するように顎をしゃくり意地悪く告げる。
「自分で言っておいて驚くなよ。早くしないと気が変わるぞ」
茶化すように言って笑うシーアに、国王の顔にも微笑が浮かんだ。
まったく。どこまでも男前な婚約者だ。
国王は体をひねって彼女の両脇に手をつくと、婚約者にそっと口づけたのだった。
最近気になるのが幽閉中のダーシャス元議員。
あの人、どうしよう。
人の親になったからか、人が死ぬのを避けたい傾向になってるんですよね。
悩み中です。