6、女の子は好物と言っても過言じゃない
さぁ、お約束の夜会です。
━━本当に素敵な方。今日も紺色のドレス。紺色がお好きなのかしら。
老若男女問わず、誰もが振り返る美少女カリナ・クロフォードは今夜で3回目になる海の国国王レオニーク・バルトンの婚約者を見てぼんやりと思った。
それ以上の感想はなかった。
四年前まで北方の地で羊飼いの第三子として生きていたのだからそれ以上は思いつかない、というのが本音である。
国王の濃紺の正装に合わせたのか、紺の細身のドレス。
詰襟風に胸元を覆うレースと、同じ素材の肘上までの手袋。
若い娘ならばボリュームのあるスカートのドレスを着用するが、彼女の年齢には落ち着いた雰囲気が良く似合う。
片側に垂らした黒髪は緩く巻かれ、耳の上にあしらわれた白い小花は驚いた事に生花である。
生花を髪に挿すという文化はこの国には無く、彼女が世界中の海を航海してきた人間である事を証明しているかのようだった。
すらりとした体躯に、黒曜石のような瞳はいつも凛としている。
絶妙たる曲線を描く唇は誰と話しても社交的であり、それでいながら媚びない笑顔を作り出す。
こんなにも堂々としていながら、それでいてこんなに綺麗な人がいるのか。カリナは国王がこれまでお妃探しに消極的だった理由も分かるような気がした。
こんな女性を知っていれば、たいていの姫君・令嬢はかすんでしまうだろう。
海の国の黒真珠。
国王レオニーク・バルトンの美しき婚約者はそう呼ばれ始めていた。
国王と婚約者はいつも始めに一曲だけ踊る。
おとぎ話の王子様とお姫様が現れたかのよう。いつもカリナはそう思ってしまう。
おとぎ話の主人公と言うには少し年齢が上を行っていたが、国王が彼女を見詰める瞳のなんと穏やかで優しい事か。
見目良い国王に身を委ねる彼女のダンスのなんと洗練されている事か。
これまで社交界とは無縁の世界に生きてきたであろう海姫。そんな彼女が愛する国王のために練習を重ねたのかと思うと尊敬の一言では片付けられないし、恐れ多いと思いながらも自分と似なような境遇に思えてしまう。
それなのに、こんなに幸せそうな二人を目の当たりにしながら、お妃選びが白熱しているというのだから少女はうんざりとする。
婚約者として発表したのだから、もう二ヵ月に一度の夜会と言う名のお見合い会もなくなるか、頻度が落ちるだろうと喜んだのに、ふたを開けて見れば毎月開催になった。
「海のならず者に妃の座は渡せぬ」
そう考えた者のなんと多い事だろう。
「陛下がお選びになったんだから決まりでいいじゃないか」と思ってしまうのはやはり田舎の庶民だからか。
カリナは庶民出身の身である。
よって生粋のご令嬢に言われるまで気付かなかった。
「シーア様は今夜もお気に入りのドレスをお召しになられて、本当に素敵ね」
嫌味が多分に含まれた言葉。
彼女たちの言葉にはいつも裏がある。
素直に受け取ってはいけない、そうカリナはいつも警戒して受け答えしていた。
いつものように彼女達の言葉に隠された真意を読み取って、初めて気付く。
国王の婚約者ともあろう者がずっと同じドレスを着用しているという事実を。
ドレス1着約20万。
聞いて卒倒しかけた。
そんな物のために庶民は納税しているのか。
もちろん貴族が事業を行っている例も多々ある。
だが生まれの違いでそこまでの格差が生じる物なのか。
正直、少女はこんなに明確に知りたくはなかった。
だから夜会の度にドレスを新調するという神経も理解できないし、腹も立つ。
でも、結局自分も同じ事をしているのだ。
養父オズワルド・クロフォードはこの国の宰相に最も近い人間だと言われている人物である。
その名にふさわしい言動、装いをしなければその顔に泥を塗る事になる。
よってカリナは夜会ごとにドレスを作るという、とても不本意な作業を繰り返さざるを得ない立場にあった。
そして名だたる令嬢たちは親に言われてカリナの周囲に集まるのだ。
田舎出身の小娘風情と心中ではこきおろしながら。
なぜ毎回同じドレスなのか。
夜会の会場の南側は庭園に面した石造りの歩廊があった。
あえて植込みに隠れるようにして作られた石造りのベンチに座って、令嬢たちは小鳥がさえずるがごとく協議していた。
もうすぐ十七歳になるカリナは半年前に夜会に出席するようになったばかりであり、この国にしては遅めの社交界入りを果たした。そんな彼女を囲む三人の少女も皆年上だったが十代であった。
家柄的にお妃候補から外れた彼女たちはもう少し身分の釣り合う、あわよくば同じ年代の相手を探すために夜会に出席しているのが実情である。
「どうして陛下は平気でいらっしゃるのかしら」
「海姫様のお考えがあるのかもしれないわ」
「それとも本当に仮初の婚約者様だからかもしれなくてよ」
声をぐっと潜めて囁きあう少女達は楽しそうだ。
こんな所でこんな話をして、何をしに来たのかと思う。
そんな話は私的なお茶会ででもすればいいのに。
くだらない皮肉の言いあいも、夜会も、つまらない見栄も大嫌いだ。
徒弟になるために王都に来たはずだったのに、自分はこんな所で何をしているのだろう。
楽しくてしょうがない、と言わんばかりの彼女たちに内心嘆息する。
慇懃無礼。
海姫様、その呼び方がすでに侮辱に聞こえた。
国王の婚約者シーア・ドレファン。
彼女は国庫を慮ってドレスを新調しないのではないだろうか。
勝手な希望的観測だという自覚はあったが、そうだといいなとカリナは思う。
荒廃した時代、議会によって国庫も蹂躙されたと聞き及んでいる。
養父がほとんど家に帰れないのも、まだ問題が山積みだからだと知っていた。
「海の国の黒真珠」と呼ばれる美しい人は毎回同じドレスではあるが、髪形や飾りなどが全て違うというのは少女達からの情報である。
しかも今回は生花。
それも珍しい品種ではなく、城の庭園で見かけるようなものだった。
「あれだけお美しいんですもの、髪形や装飾品でいくらでも補えますわよね」
たとえドレスが同じでも。
言葉の前後からすると「正当な出生ではない人間にはお金を掛けるだけ無駄」という内容だった。
無駄金ばかり、浪費する事しか考えないのか。
黙って聞いていたカリナはキュッとこぶしを握った。
我慢、我慢。
聞こえないふり。
そうするつもりだったが、少女もまた「ドレスなんて着回せばいいじゃない」という主義であった。
聡明な方のなさる事は分からない、そう話に乗っかって言えばよかったのだろうが。
「もしかしたら物事の本質を見極められた方の聡明さは、わたくし達のような凡庸な人間には考えも及ばないものなのかもしれませんね」
反論の意を回りくどく、ささやかながら混ぜてしまった。
回りくどければ聞き流してもらえるかとも思ったが、それなりに感じ取るものがあったのだろう。
「カリナ様も同じようなご出身であらせられますものね。海姫様のご配慮はわたくし共には理解できずとも、カリナ様ほどの方でしたらご理解できるのかもしれませんわね」
下賤な田舎者同士なら、という意味だろう侮辱を吐いて隣に座っていた令嬢が急に立ち上がる。
日頃、田舎の平民出身のカリナ・クロフォードが才媛と評価されているのも、令嬢には面白くなかった。
「さすが立派なご両親をお持ちの方は違いますわ」
令嬢の吐いた言葉。
それを耳にした刹那、瞳に剣呑な色が浮かばせたカリナも続いて立ち上がった。
「どういう、意味ですか」
令嬢の言う通り、両親への侮辱を聞き流す事が出来るほど、少女の生まれはよろしくなかった。
険悪な空気が場に満たされたその時、鈴を転がすような軽やかな声が落とされる。
「あら、こんな所に可愛らしいお嬢様方がお集まりになっていたのね。これでは殿方の皆さまが男性同士で踊る羽目になってしまいますわ」
背後の垣根の向こう側から、黒真珠と呼ばれる美女がにっこりと愛想よくほほ笑んでいた。
「シーア、様っ」
少女達に動揺が走り、カリナは我に返る。
思わず右手を耳の上にすき入れるようにして髪をつかんだ。
危うく、手が出るところだった━━
己の浅はかさに手が微かに震えた。
「もうすぐ音楽が変わる頃です。会場に花を添えていただけるとわたくしも嬉しいわ」
たおやかな様子ながら、会場に戻れと、とても分かりやすい指示だった。
三人の令嬢たちは慌てて礼儀作法にのっとった礼をとり、その場を足早に去る。
出遅れたカリナも同様に礼を取って下がろうとしたが、そこに声が掛けられた。
「髪、ちょっと直して行った方がいいよ」
驚いて顔を上げれば、美女は少女の様子をうかがうように小首をかしげていた。
「喧嘩に親を巻き込むのはルール違反だってもんだ。よく我慢したね」
自分は我慢など出来なかったのだ。かぶりを振りたい気分だったが、そっと細長い手が伸びて金色の頭に触れるのでそれは果たせなかった。
「髪、どうしよっか。直すには初めからやるしかなさそうだけど……」
そう言いつつシーアはごく自然な流れでベンチにカリナを座らせるとレースの手袋を外して乱れた髪の状態を確かめ、チラリと脇を見やる。
いつの間にか控えていた侍女が「失礼いたします」とカリナの髪の状態をのぞき込んだ。
「これで隠れるかな」
シーアは首を傾げながら自分の耳元の花に手をやる。
「ご自分で取らないでください、シーア様までぐちゃぐちゃになりますから」
侍女はシーアの動きを制すると、カリナが留める間もなく髪から白い小花の束を取ってしまった。
まさか、そんな。
カリナは顔面が蒼白になる思いだった。
「もう一つすごい派手な花があるから大丈夫。これはわたしには可愛らし過ぎるしね。気にしないでいいよ」
少女の様子を気遣って言うシーアの言葉に、侍女は小花を手に思い起こす。
あれは今日のお顔が派手だから、毒々しくなりそうだったのだけれど。
少しばかり不安に思っている侍女にシーアは手の平をむけて小花の束を催促して受け取ると、女性にしては少し大きな、けれどほっそりとした手でカリナの髪に触れた。
「こういうのは可愛い女の子の方が絶対に合うって。ほらやっぱり可愛い。うん、乱れたところもちゃんと隠れたし。うんうん、いいね。可憐だねぇ、おとぎ話に出てくる妖精みたい」
出来映えにすこぶる満足そうにして立ち上がり、カリナに手を差し伸べる。
吟遊詩人たちが黒曜石のようだと紡ぐ生き生きとした瞳から目を放せず、自然とその手を取ってしまってから愕然とした。
それほどまでに美女の仕草は自然だった。
「申し訳ありませんっ。ありがとうございました」
事もあろうに国王の婚約者手ずから髪を直してもらった挙句、紳士の真似をさせるなんて━━血が引くのを感じた少女の心境は絶望に近かった。
「まぁその花はもうみんなに見られてるから、嫌味を言われるかもしれないね」
「いえ、大変申し訳ございませんが今夜はもう退席させていただきたく思います。本当にありがとうございました」
礼を取っているところへ、夜会の警備のため見回りの最中であった短髪の護衛隊隊長が出くわした。
「……こんばんは、お嬢さん」
グレイは初めて見るその組み合わせを見比べ、明らかに当惑しているカリナの様子にぴくりと眉間に皺を寄せてシーアを睨んだ。
「お嬢さん、こいつにからまれてんですか?」
相変わらず失礼な物言いで彼はカリナにそう問うたのだった。
カリナは養父オズワルド・クロフォードへ先に帰宅する旨の伝言をグレイに依頼して退席した。
彼女にとって彼は養父の直属の部下であり、知己の仲であった。
そして同じ北方の出身であるため、他の大人達より幾分話しやすい人間でもある。
少女の背を見送ったグレイは、隣に立つシーアを上から下までチラリと一瞥する。
世界各国を航海してきた彼女は、地域によって異なる化粧方法を組み合わせる事で別人のように姿を変える技術を独自に確立していた。
「お前、やりすぎだろ。詐欺じゃねぇか」
カリナが充分遠ざかった事を確認してから、普段の姿とはまるで違う化けっぷりに実に嫌そうに言った。
海の国の黒真珠とか、本当に勘弁して欲しい。
シーアはグレイの言葉に気を害した様子もなく、勝ち誇ったような笑みを浮かべただけだった。
そうしていると腹に一物はらんだ、癖のありそうな美女にしか見えないのがまたグレイを腹立たせる。
「あの子知ってるの? あんな可愛い子と知り合いなんて意外だったよ」
にやにやと楽しそうにシーアが尋ねれば、グレイは仏頂面で口を開いた。
「元帥のお嬢さんだ」
「オズワルドの? へぇ……」
意外そうな顔をした。親がオズワルド・クロフォードであればあんな嫌味を言われるいわれはない気がするが━━
左の口角の上をレースのグローブをはめた指でなぞる。
「あの子はだめだぞ」
シーアの思惑に気付いたグレイが厳しい声で言うので、彼女は驚いたようにグレイを見上げた。
「え、狙ってんの?」
「違ぇよ。あの子は総督の知り合いの酪農家の生まれだ。出稼ぎ希望で総督の家に下宿してたけど、いろいろあって養女になっただけだ」
だから、レオンの嫁にするには可哀想だと言いたいらしい。
グレイは少女とは同郷なのだと言った。
なるほど、それでか。
シーアは令嬢たちの当てつけの意味と、グレイを見た時に少女の緊張が少しだけ和らいだ理由を知る。
それから口元に手をやったままシーアは唇を尖らせた。
「そっか、残念。まぁ宰相まがいの人間の娘さんはさすがにまずいかぁ」
権力が偏り過ぎてしまう。
そういう配慮は出来るのに、どうしてレオンにだけは残虐非道なのか。
現在、この国でレオニーク・バルトンのお妃選出に最も力を入れているのは、実はこの婚約者なのである。
「婚約ごっこをしてる間にいい子がみんな売れちゃったらわたしの二の舞だぞ。今のうちにめぼしい子を確保しとかないと」
そう言ってお妃選びに余念がない。
夜会で外に出たカリナ達をわざわざ追いかけたのもそのためである。
海姫を王妃に、など馬鹿げている。
非常識にも程がある。
この婚約に乗り気である上司オズワルドに反してグレイは否定的であるが、幸いにもシーア本人からもその気は微塵も感じられなかった。
この女は仕事が終われば確実に出て行く。
こいつはそんな人間だ。
その点ではグレイは少しばかり安心できた。彼女を認めるようで癪な気がするのも否めないが、彼女はその点においてだけは信頼に足る人間だと思っている。
彼は北方の山岳地帯の出身である。
海岸線に近い人間と違い彼等はドレファン一家に対する知識が少なく、彼等に対する意識も違う。
海に生きる人間は親しみと尊敬、そして畏怖を込めて「海王率いるドレファン一家」と呼ぶが、内陸の人間になるほど「海賊まがい」という印象を持っていた。
よって彼女が国王に対して一線引いた態度を取るのは、彼としては歓迎すべきであるはずであった。
しかし、つい思ってしまうのだ。
こいつひでぇ。鬼だ。
懸想する相手にこんな仕打ちを受けている親友。
同じ男として考えた時、どうしても同情を禁じ得ないのである。
帰る間際、カリナ・クロフォードが振り返った先にはピンクから中央に向かって赤紫になるグラデーションが美しい、八重咲きのダリアを髪に飾った先ほどの佳人の姿。
それは確かに、白い清楚な小花よりもよほど漆黒を纏う婚約者に似合っていた。
その夜遅く、普段の麻のズボン姿のシーアはいつものように国王の執務室を訪れる。
「おつかれさん。参考までに聞くけどさ、十歳以上年下ってどう?」
そう尋ねられたレオンは、それは嫌そうな表情を浮かべると実に冷ややかな視線を婚約者に向けたのだった。
夜会とか、意地悪令嬢とか、定番&お約束を書くのがどうも気恥ずかしくて実は苦手です。