5、「20と15」からの「23と18」。 そして「28と23」
「なぁ、あれからあいつ見かけないんだけど」
海の国護衛隊の長を務めるグレイが、朝一番に国王の元を訪れるのは定例化された業務である。仕事中は普段からとっつきにくい表情の彼であるが、今朝はいつにもまして不服を絵にかいたような表情でそう言った。
国王の暗殺まがいの行為をしでかした海姫だったが、今や国の一大事を回避した国王の旧知の友人として功労者とされ、国賓に次ぐ扱いを受けていた。
半商半賊であるドレファン一家を利用し、計略を画策し他国と内通したダーシャスは自害。相手国は現在調査中との発表がなされたが、城の奥深くで今なお拘束されている。
相手国もドレファン一家からの情報によりすでに把握していた。
検討した結果、海姫との婚約発表は一月ほど待つことになり、グレイはひとまず安堵した。
だが先の式典以来、その婚約者は城内で行方不明になっているのだ。
「城が珍しくて色々と家探ししてるんだろう」
書類から顔を上げずに答えるレオンの口調はまるで「子供の探検」とも言うような軽い物だった。
一般的に「素性も定かではない人物」とされてもおかしくない人間にうろうろされるのは、護衛隊の長として本当に好ましくない環境である。
しかも「家探し」と来たものだ。
━━人の事を言えたもんじゃないがな。
国王にその気は全くないのは分かるが、己の過去を省みたグレイは少し耳が痛い思いがした。
「昨日の午前中はそこで庭師と延々草取りと花ガラ摘みをしていた。午後からは国庫管理室長と碁を打ってたらしい。今日も行くと言っていた。日に一度は顔を見せに来いと言ってあるから問題ないぞ?」
国王はあれから特に精力的に仕事をこなしていた。
一日の大半をこの執務室ですごし、夜明け近くに寝室に戻る事も少なくない。
「あいつ部屋で寝てないし、飯も食ってないって侍女の子が泣きそうになってたけど」
「あぁ━━ここのソファで寝てる。そうか言ってなかったな。可愛そうな事をした。後で連絡しておく」
顔を上げて本当にすまさなそうな顔をするレオンに、グレイは唖然とした。
彼が訪れたのは国王の執務室である。
「おまっ、ここって! 見られたらやばいもんあるんだろうがっ」
グレイでさえも遠慮して机の近くには寄らないというのに。
「本当にまずい物は寝室で扱っているから問題ない。食事は厨房に行けば賄いがいつでも食べられるんだそうだ。皆が交代で食事をとるだろう。何かしらありつけるらしい」
自分も知らなかった、と国王は楽しそうに言った。
「……お前最近ほとんど寝室に戻ってないらしいじゃねぇか」
ここに来た理由は2つだ。
海姫の生活態度と、国王の過労への文句だ。
「いや、深夜に戻って朝は普通に起きてるぞ」
しかし国王は心外だというように言ったのだった。
それはシーアの滞在が決まって二日目の夜の事だった。
「よう、おつかれさん」
国王が夕食を取り終えた頃、そう言いながらふらりと窓から入って来た。
グレイが聞いたらまた怒るだろうなと思いながら様子を伺っていると、室内をぐるりと一瞥し、真っ直ぐソファに向かうとそこに転がり丸くなる。そして数秒で眠りに落ちた。
与えられた部屋では落ち着かず、ここに来たのであろう。
「安全だから安心しろ」と言っても素直に従えるはずがない事は、かつて三年間組んで仕事をした彼が誰よりも分かっている。
この城で最も安全な場所。
それは幾重にも守られた「国王のいる部屋」であった。
信頼できる人間がほとんどいないこの国で、希少な知り合いが手厚い警備に守られているとあれば、選ばない手はない。
それがたとえ異性だとしても、国王だとしても。
「子供が寝る位の時間に寝て深夜に出て行くぞ。あいつは男を何だと思ってるんだか」
しみじみと嘆息した国王。
彼はここで仮眠をとる人間のために、その時間帯を執務室で過ごしているというのか。
そして先ほどの言葉。
グレイはこれまで恐ろしくて口に出来なかったが、意を決して尋ねる。
「まさかとは思うんだけどさ、お前もしかして本気なの」
国王は手を止めた。
ちらりとグレイの顔を確認し、彼の顔が真摯なものであると悟るとペンを置いて顔を上げる。
旧友の真剣な眼差しに、国王はふっと息をついて肩の力を抜いた。
「お前、20の時15の相手って異性として見られたか?」
唐突に言われてグレイは面食らった。
それは、ちょっと自分はナイな、と思った。
質問の答えではなかったが、この男が女の話をするなど、本当に珍しい事なのでつい乗っかった。
この周辺の文化圏では男はあまりうるさく言われないが、女は二十前後で結婚するのが理想とされていた。
「23の時の18は?」
「まーそれくらいなら・・・」
「今5つ下なら?」
何が言いたい、とは言えなかった。
答えを誘導されているようで非常に癪な気がしたが答える。
「……普通にアリだな」
グレイは27になる。
海姫と出会った時、国王は20で彼女は15だった。
まだまだ子供だと言っても過言ではない年齢だったが、海に関しては大人以上の知識と感覚を持っており、素直に師事を請うた。
議会の解体の材料を探し、自分への協力者を募っていればあっという間に三年が経った。
今になって思えば、あの時がまさに頃合いだった。
18になった彼女が徐々に子供に見えなくなり、戸惑いを感じ始めていた━━
ドレファン一家の船を降りて五年。
海の国として、その動向には常に関心を寄せていなければならなかった。
あの一家の判断が、国の栄華を左右する事にもなりうる。
海姫の話も、当然入ってきた。
「さすがだな」「相変わらず無茶をする」「すごい事を考えたもんだ」
離れてしまった知人の仕事ぶりを、知人として耳にし、素直に感嘆するくらいの感覚だった。
そしてそれはシーアの方も同じだった。
むしろドレファン一家にとっての国王の手腕の方がずっと情報としては重要で、新王が着任した海の国の動向は重要なものであった。
目に見えて平穏が取り戻されていく海の国。
「頑張ってんじゃねぇか」
一時は自分の下につけられた男の手腕に感心し、心の中では素直に褒めてやった。
お互い「以前一緒に、ちょっとばかり長く仕事をした知人」程度の認識だった。
彼女の言う通り、覚悟はしていた。
これまでは政務で手一杯だからとのらりくらりかわしてきたが、そろそろ結婚について本腰を入れなければならないとは思っていた。
そんな矢先、彼女は現れた。
「地味顔」と言われるのは生気に溢れる目が印象的過ぎて、他の顔の造作が記憶に残りにくいためだ。
才知に長け、非凡なる身体能力。
伸びやかな肢体に健康的な身体。
奔放な様はいつも眩しく、自信に満ちた企むような笑みはとても魅力的だった。
五年前船を降りたのは、はからずも意識しそうになるぎりぎりのタイミングだったと思う。
それなのに突然目の前に現れた。
そして船を降りると言う。
「なぁ、もし太陽が手に入るって言われたらどうする?」
「うん?」
友人の問いの真意を量り損ねたグレイは怪訝な表情で先を促す。
「月でも星でも海でもいいんだが……そもそも絶対に手に入らないと分かってるだろ? だから欲しいとも思わない。でもそれが実は手に入ると言われたら……欲しくならないか?」
グレイは押し黙った。
言わんとしていることは理解できた。
「欲しいものが目の前に転がって来りゃ、そりゃ欲しくなるわなぁ」
だがそれは絶対に手を出してはならない代物だと思う。
リスクしか見えない。
「まあ、罠かもしれないから、手は出さないけどな」
あえて茶化すように言った。
「まぁな、だから本気じゃないんだ。ハナから諦めてる。ちょっと言ってみたかった」
そう言って書き物を再開した国王の表情は、窺う事は出来なかった。
その後、警備の話をしているところへドアを叩く音が響き、小さな声が聞こえた。
「陛下、お茶をご用意いたしました」
国王の了承を得た侍女はしずしずと台車を押して入室し、レオンとグレイの間まで台車を進み入れる。
レオンは立ち上がって上着を脱ぐと、肩を回したり首を左右に振って筋肉をほぐしながら、準備をしている侍女の方へと歩み寄った。
事務仕事でこわばった体をほぐしてから休憩。
ごく自然な流れを何気なく見ていたグレイは、ふと気付く。
この部屋で、茶を飲むという状況がかつてこれまであっただろうか。
カチャリ、と茶器の音がする。
国王は侍女の背後に立つと、茶器を扱う侍女の右手に自身の右手を重ねた。
そして愛おしむように首筋に唇を寄せる━━━
ワゴンの上には果物ナイフ。
国王の執務室にはあってはならない代物であった。
それを確認したグレイは国王の突然の奇行に内心では激しく動揺しながらも、反射的に剣を抜く。
刹那、侍女は振り返りざま素早く右肘をレオンに叩き込むが、レオンは一歩下がってそれを躱す。
躱されたと判断するや侍女は、体をひねった流れのまま左手をワゴンの上の果物ナイフに手を伸ばすが、一瞬早く国王の長い足がワゴンを蹴る。
その延長線上にいたグレイは舌打ちしてそれを避け、「なんで俺の方へ蹴るんだ」と言わんばかりの形相で国王を睨みながら状況を確認し━━剣を納めた。
国王は、とても楽しそうだった。
五年前に帰国して以来、こんなに生き生きとしたこの男を見た事があっただろうか。
お仕着せの侍女姿の海姫が蹴りを繰り出せば、国王はそれを前腕で受け、足を狙う。
侍女は後転で避けながら跳ね上げた爪先で顎を狙ったが、国王は上体を横にずらすことで躱した。
グレイは国王の執務机の前にしつらえられた応接セットの二人掛けのソファに腰を下ろし、そんな二人を眺める。
髪をきれいにまとめ上げた侍女姿の海姫。
一見では看破出来なかったのは、姿だけではなく雰囲気さえも海姫の物とは違ったからか。
どこまでも真剣である海姫に対し、国王は常に楽しそうにしていた。
全力で襲ってくるしなやかな獣を、可愛くて仕方ないという様子で構い倒す猛獣使いのようだった。
グレイは一度立ち上がり、台車の状態を確認する。
ぽってりとした背の低い形のポットだったおかげで湯はほとんど無事だった。
「これって毒とか入れてないよな?」
念のため聞きながら三人分のお茶を淹れ、奇跡的に無事だった焼き菓子の乗った皿と、自分のカップだけテーブルに運んだ。
受け皿は使わない。そんな上品な生まれではなかった。
グレイは海姫が何も答えないのを返事と解釈して先に休憩に入る。
レオンは美麗な顔にふと笑みを浮かべ、それを目ざとく認めたシーアは不機嫌を露わにすっと目を細めた。
「なんだ」
苛ただしげに笑みの意味を問う。
「いや、そんな動き方どこで覚えたのかと」
それはグレイも同感だった。
細く軽い体を空に舞うようにして動くその様は、体術と言うよりもあの晩見せた舞のようで、見た事もない体術だった。
当然だ、とシーアは思う。
戦闘と医療に特化した僻地の少数民族、「森の民」の里に滞在した機会に会得したものだ。
相性が良かったらしく、指南役にも褒められたというのに━━
「何言ってやがる。全部かわしやがって。ここの王様はそんなに強くないと務まらないのかよ」
舌打ちしそうな勢いでシーアは言っていた。
「癖が出てるからな」
レオンは否定するように言いながら、自分の膝に駆けあがるようにして全身を拘束具代わりに使って腕を取りに来た婚約者の腰に腕を回して阻止する。
シーアは失敗を悟るや体を宙で反転させて逃げた。
「なぁ、何やってんの?」
一向に終わる気配が見られないのでグレイはついに面倒くさそうに声をかける。
「侍女に化けた暗殺者に襲われた時の訓練っ」
「金持ちの雇用主に背後から襲われた時の訓練だ」
相手に稽古をつけてやっている、とお互いが主張していたが━━
「なんかジャレついてるようにしか見えないんだけど。それって楽しいワケ?」
グレイは呆れて言った。
「誰が、ジャレつくか……っ!」
「たまには体を動かさないと体がなまるだろう?」
息を整えようとするシーアに対し、レオンは涼しい顔で言った。
男、それも体格差の大きい相手によくもそこまで善戦したものだとグレイは舌を巻いたが、この女はおそらくそう言われても嬉しくはないだろうと口にはしなかったし、そもそも褒めたくもなかった。
シーアは素早くグレイの座るソファを乗り越えて背後に回ると、その首にどこから出したのかフォークを突き付けた。
人質作戦に出たらしい。
「おっ前ノリ悪いなー」
カップを放さず、お茶の体を崩さないグレイにシーアは不満そうに言った。
「曲がりなりにも王の婚約者様に頭突き見舞って鼻血吹かすとか、やってほしいワケ?」
「なるほど、そう来るか。たいてい私の方が背が低いから頭突きという抵抗は想定外だな。参考になるよ」
仕事に対しておそろしく勤勉な彼女は、真剣な面持ちで頷いた。
「おら、淹れといてやったから飲めよ」
テーブルの向こうの男が難しい顔をしているのを見て、早く腕を放せと言外に催促した。
どうやら年下の婚約者が他の男を拘束しているのが面白くないらしい。
昔なじみの男は、実はこんなにも狭量だったのだろうか。
嫌になってきた。
運動の後は冷めたお茶の方が嬉しい。
「お前、意外と気が利くな」
シーアは用意されたお茶を一気に飲み干して嬉しそうに言ったが、褒められた気は全くしなかった。
国王の仕事は多忙を極めているが、こうして遊んで気が紛れているのなら口を出すのは早計と言う物なのかもしれない。
護衛隊の隊長という肩書ではあったが、国王の旧友としての彼がそう思ってしまった。
本当に不本意ではあったが。
国王はくっつきたがりの構いたがりだと思われます。
海姫がデレないんだから仕方ない。
漢数字と算用数字が混在しています。
二ケタの数字は算用数字の方が分かりやすいしなぁ、でも本来は漢数字なのかな、とどちらを使うかいまだに決めきれません・・・