4、どいつもこいつも好き勝手言う
「妹に先を越された上、島には男がいなくなったって、なんか悲惨だな……」
気がいいのか口が悪いのか、判断に困る発言をしたグレイにサシャは尋ねた。
「腕のいい漁師の知り合いとかご存じないかしら? ここならいっぱいいそうだけど」
「俺は内陸の出身だからな。それならうちの上司の方が詳しいけど━━なんかいいのいないっすかね。海軍の船に乗ってて漁師に転向したい上官クラスの男とか。あ、でも海姫なんて紹介したらむごいか……」
グレイは律儀にオズワルドを振り返りつつ問い、言い終わる頃には顔をしかめていた。
サシャの軽い物言いについ乗りかけて、冷静になったようだ。
真剣に検討しているらしい彼等を見て、シーアは笑った。
「真剣に結婚相手探してるワケじゃないって。要はわたしが船を降りるって事実が広まればいいんだ。わたしがいると船員の士気も下がるしな」
シーアは肩をすくめ、海の国の王は少し目を見張ったが、なるほど、それはあるのかもしれない、とも思った。
海姫の天賦の才を求めて仕事の依頼は多い。
船員の中には「海姫がいるからどんな海でも航海できる」という意識の者もいた。
そんな中、彼女が万が一船を降りた後、ドルファン一家はどうなるのか、存続できるのか、という疑念や憂慮を抱くようになった。
彼等は各国の航海ルートから外れた荒い海流の奥の決して大きくはない島で自給自足する生活を送っている。
危険を冒して島に渡っても何も得るものがないような島のため、そこでは平和な暮らしが営まれていた。
島で賄いきれない物資は島の外から購入し、その外貨獲得のために海へ出て働くドレファン一家の衰退はすなわち、島の衰退に直結する。
海姫がなくとも、仕事に支障のない事を証明する必要性が出てきたのだ。
「一人で漁師でもするつもりだったんだが、だったら船に乗れと個人的に依頼が来ても困るし、結婚したって大義名分がありゃ面倒も言われないだろうと思ったんだが……」
そこで初めて彼女は息をついた。
「海姫をもらおうなんて男、そうそういるハズないじゃない。仕事ばっかしてるからよ。そんなだから、言い寄ってくるのは女ったらしの海賊の跡取りやら辺境の王族とか、悲惨な事になるのよ」
サシャは姉の不甲斐なさに本当に腹を立てているようだった。
「初めて会ったような奴と結婚する位なら、レオンに雇ってもらったらどうだ? ここならいくらでも海の仕事があるだろ?」
それまで沈黙を守り何やら思案していたギルが不意にそう漏らし、「どうにかならないか」という顔で国王を見た。
ギルにとってシーアは大切な妹分なのである。
ドレファン姉妹はそろって「あ」という顔をした。
「それいいわ、ギル! ここなら安心だし、簡単に会いに来られるもの」
サシャは惚れ惚れと夫を見た。
シーアは口元に手をやって「悪くないかもしれない、が。この仕事の後にそのままここにいるのもまずくないか?」と何かぶつぶつと漏らし、「いや、でも、海姫を雇うってのは対外的に問題あるんじゃないか?」とグレイが冷静に口を挟んだ。
それぞれが意見を主張しながらも、ほとんど他人の意見を聞こうとしない混沌とした空気が広がる中、ポツリと声が落ちる。
「いない、ことはないんだよなぁ」
それまで沈黙していたウォルターの声は驚くほどよく通った。
「まぁ……そうですね。本人次第ですかね」
ウォルターの言葉にオズワルドも何やら同意しているが、シーアは不可解な会話をする二人に熟考の邪魔とばかりにうるさげに手を振った。
そこに突如それは響く。
「だったら俺にしとけばいいじゃないか」
海の国国王は事も無げに言い放ったのだった。
グレイは愕然とし、ドレファン一家の新婚夫婦は硬直した。
「一般の漁師から選ぼうなんざむこうに迷惑がかかるってもんだ。俺なら納得するだろう」
それは自信に溢れた顔だった。
これだから顔のいい男は。
「馬鹿かお前は」
シーアは幾分蔑むように鼻で笑い、吐き捨てる。
かつて相棒だった頃、そんな調子で彼を小馬鹿にしてからかう事もあった。
だからこそあの頃と変わらず、軽く受け流したシーアの右手が取られる。
迂闊にも手を取られ、鍛えられた勘が本能的に危険を察知した。
慌てて手を引こうとするが思いのほかしっかりと握られていて取り返せない。
無言で激しく引っ張り合いをしている間に、右手をつかんだ見目麗しい国王は無駄に優雅な、流れるような動きで片膝をつく。
室内にいた全員が「まさか」と思った瞬間、国王は引っ張り過ぎて皺が寄ったシーアの手の甲に口づけて黒い瞳を見上げた。
「我が伴侶に」
お互い渾身の力で引き合う状況に両者の手はぶるぶると震えていたが、それでも口づけを落とす国王の姿は実に優美であった。
━━言いやがった!
グレイは血の気が引くのを感じた。
止める間もなかった。
あまく、とろけるような、眩暈さえ引き起こしそうなまぶしい笑顔を向けられたシーアだったが、動じる様子はなかった。
普段、海王の常軌を逸した言動に振り回されているシーアは悲しいかな「突発的衝撃発言」というものに対し、耐性がついていたのである。
「お前なぁ、こんな時にふざけてんじゃねぇよ」
乱暴に右手を取り戻すと赤くなった手を振りながら、シーアは心底馬鹿にしたような口調でげんなりと言う。
それはそのままグレイの心境を代弁してもいた。
「お前ならいくらでも寄ってくるだろうが。昨日だってお前、次から次へと令嬢が挨拶に来てたじゃないか。あの中から選べってことだろ?」
これ以上は言い過ぎか、と一瞬迷ったが、そのまま続ける。
「それくらいの覚悟は出来てるだろ」
ひどい事を言っているという自覚はあった。
「昨日?」
グレイがふと気になる単語を聞きつけて顔を険しくする。
昨日は式典の前夜祭として夜会が行われた。
確かにそれは王妃選びの意味合いも大いに兼ねていた。
「ちょっと下見に来たんだ。おっさんばっかりの式典より、ご令嬢がわんさかいる夜会の方が入り込みやすいもんでね。三曲くらい踊ったぞ?」
海姫は悪びれもせず言った。
当然彼らの視界にも入ったはずだが、それは黙っておく。
「おま、なんでお前踊れるんだよ、絶対ぼろが出るだろうが」
相手がいるのだ、会話をしないわけにもいかないだろう。
しかし彼女は勝ち誇ったように笑って言った。
「昔こいつに習ったんだ」
海姫は立ち上がった国王を顎で示した。
「なんでも呑み込みが早いからな。教え甲斐があったんだ」
国王は事も無げに、むしろなぜか自慢するかのように言い放つ。
グレイは膝から崩れ落ちたい心境になった。
「明日は反省と対策会議だな。私は出られないからグレイ、頼んだよ」
オズワルドがため息交じりに部下に丸投げを宣言した。
ただでさえ山積みの問題を抱え、明日から忙しくなるというのに。
オズワルドは「ふむ」、と唸った。
ここで一つ問題を片付けておくのもいいかもしれない。
「シーア殿、まじめな話うちの陛下いかがです?」
宰相まがいの男の言葉である。
それにはさすがにシーアもぎょっとした。
だがそれ以上に慌てたのはグレイだった。
「意外と問題ないんですよね。シーア殿は五年前と今日と一度ならず二度までもこの国に貢献した功労者です。人気はあるんですよ。海にゆかりが深いのも趣がありますし、海の国に海姫とはお似合いかと」
金の海からの帰還にドレファン一家の力添えがあったことは非公式ではあったが、海運・漁業関係者の多いこの国ではそれは公然の秘密だった。
「日常会話ならたいていの国の言葉が聞き取れるし、社交界のマナーも俺が仕込んだからな。今更あせらなくても夜会に潜入してバレないだけの技術は持ってる」
オズワルドの言葉に国王も重ねて頷いた。
「黙れよ」
シーアは低く言った。
仕込んだとか言うな。
ドレファン一家の新婚夫婦は突然の極論に思考が十分回らず、「それもありなのかもしれない」と投げやり気味に意思表示を放棄していた。
「ちょっと待て、常識で考えろって。それなら側室とかでもいいじゃねぇか」
唯一の常識人となったグレイが口を挟み、常識派の援護はありがたいとは思う。
だがしかし、惜しい。
動揺して咄嗟に口に出たのだろうが、それはかなり下種な発言だった。
「いや、お前、それもひどい言い様だぞ。お前らもう少し考えろって」
グレイの無神経すぎるあんまりな言葉にシーアが思わず言い返し、さすがに本気で助言する。
その脇で当人である国王は憮然と文句を言った。
「俺は側室はとらない」
国王とは十年来の付き合いになるグレイは「そうだった」と落胆の色を示し、シーアは軽く鼻で笑った。
「立派なこった。もういい年だろ、そろそろ周りを安心させてやれよ」
言ってから、ふと口元に左手を当てた。
「だから求婚したんじゃないか」
国王の反論は放置した。
周り、か━━
左の口角の上を指の腹でなぞりながらシーアは視線を落とした。
あ、何か良からぬことを企んでる━━新婚夫婦はシーアの癖を見て直感する。
「そうか、うん。それは━━案外いいかもしれないな」
床と目の間の宙を見詰めていたが、ふと片方の口角だけ上げて笑む。
「よし、1年ほど婚約しよう」
シーアはぱっと顔を上げ、断言する。
そこには自信に満ちた笑みがあった。
「この際だ、焦ってないなら1年ほど婚期が遅れてもいいな? 会食3万、夜会5万、式典10万。功績に応じて臨時手当も要求する」
シーアは朗々と告げた。
カタがついたら婚約解消を発表する。
「常識で考えたら無理でした」で世間は納得するだろう。
海姫は傷心のあまり島に帰り、引きこもる。
海を恨んで船乗りとしては使えなくなるって筋書きだ。
「完璧だろう」
説明し、そう胸を張るシーア。
それとは対照的に、そこにいた全員が押し黙った。
失恋による傷心で引きこもり……海姫を知る人間であれば信じないと思う。
サシャは思ったがとりあえず沈黙を守った。
「それだと俺がものすごいクズに聞こえるんだが」
国王は不服そうに異議を唱えた。
「話し合いで穏便に別れたことにすればいいじゃないか。お前そういうの得意だろ?」
そう言ってシーアはまた鼻で笑う。
「まぁ好きなようにやってみたらいいじゃないか」
ウォルターは実に無責任に許可した。
「うちも養女がいるんですが、どうやったらあんな女性に育つんです?」
オズワルドはシーアに視線を向けたまま、隣のウォルターに尋ねた。
大切な友の娘を訳あって養女に迎えた彼は、思いがけず見つけた反面教師に確認せずにはいられなかったのである。
ウォルターは少し考えて口を開いた。
「ずっと男所帯だったからなぁ」と大真面目に答えたが、オズワルドはそれは違うだろうと思った。
「じゃあしばらくは陸暮らしか。まぁ励めよ」
ごく軽くウォルターは言った。
「その頃にはマックスも走れるようになってるんだろうなぁ。ニナによろしく言っといて」
シーアの方も継母への伝言だけだった。
ウォルターの後妻ニナと、昨年生まれたマックスはダーシャス邸にてそこそこ恵まれた軟禁生活を送っていたという。
「マックスなんて血色良すぎて逆に驚いちゃったわよ。海の国の人間に海姫の脅迫は効くわね」とサシャは苦笑して肩をすくめた。
「何かあったら言ってくれ」
「無茶しちゃだめよ」
妹夫婦はそう気遣う様子で言って、シーアを残して引き揚げて行った。
個々で離れて仕事をするのは今に始まったことではない。
特にシーアは女ならではの仕事に重宝され、色々な仕事に駆り出されるので職場を転々とする事が多く、いつもとさほど変わらぬ調子で別れた。
「姉さん、泣いてたわよね」
オズワルドが手配した馬車に揺られながらサシャは父に言った。その言葉は彼女には珍しく棘があった。
「少しは良心が痛んだ?」
鋭く刺すような、責める口調であった。
「まぁ、少しは……」
ウォルターは叱られた子供のように居心地が悪そうに言った。
「お前は泣かなかったな」
取り繕うようにダーシャス邸での再会を引き合いに出す。
「死んだって聞いた時にさんざん泣いたもの」
つい、と車窓に視線をずらした娘の様子に、海王の目が細くなる。
娘二人に時間差で詰られた海王は内心━━喜んでいた。
そんな義父に気付いたギルは内心ため息をつくとともに呆れ果てたのだった。