3、あぁ、もう本当に殴ってやりたい
一瞬とは言え涙してしまった事への反動で、海姫は養父に向かって延々文句を並びたてていた。
「でも父さんもシーアが心配で怪我してるのにここまで来たのよ? さっきだって私に先に行けって。無理して歩くから傷口開いちゃってるし」
キリがないと判断したサシャが果敢にも止めに入った。
「自業自得だ。わたし達まで騙す必要はなかっただろうが」
シーアはバッサリと切り捨て、なおも詰る。
用意された部屋にはドレファン一家の四人の姿しかなかった。
あの後、国王達は事態収束に奔走する羽目になった。
撤収したがるシーアに、オズワルドは部屋を用意し、せっかく久々に会ったんだからと怪我人であるウォルターが長居を決め込んだ。
国王に次ぐ実権を与えられているのが四人の議員だった。
帰還する前は五十名ほどいたが、暴政やレオニーク・バルトン暗殺未遂に関わった責を材料に辞任や更迭で整理した。
折り合いをつけるため妥協と譲歩で国を真摯に案じる議員四名だけを残したつもりだったのだろうが、甘いなと思う。
「なぁ、本当に隠す必要があったのか?」
シーアはもう一度問うた。
そんな彼女を、ソファに横になったウォルターはまっすぐ見つめ返す。
体がつらいなら帰ればいいのに。
ドレファン一家の若手三人は呆れて頭領を見た。
「俺が生きてたらどうした?」
「ニナやマックスを取り戻して二度とこんな真似が出来ないようにしてさっさと撤収するだけだろ」
「だろ?」
「あぁ?」
意味が分からず、シーアは苛ただしげに唸って養父を見た。
レオンに企みを知らせる事もなく撤収する。
それだけで終わるだろう。
多少騒ぎを起こしてやれば海の国もダーシャスの謀反に気付くであろう。
それだけの手助けで充分だとシーアは考えていた。
どの国にも加担はしない。
それがドレファン一家の流儀だからだ。
それも出来ないようではこの先、国をまとめていくことなど出来ないだろう。
だが、もしも。
その後、海の国の王の身に何かあった時、この娘は後悔するのではないか。
そう、海王は考えたのだ。
「せっかく落ち着いたこの国がまた荒れるのも面白くないだろ。今回の件で貸し借りなしになっちまったし、レオンに新しい貸しを作っとけ」
良しも悪しもやられたら等倍以上でやり返せ。
借りは作るな、貸しを作れ。
恨みを買うより、恩を売れ。
ウォルター個人の主義は今やドレファン一家の理念でもあった。
「もう充分だろ。あとはあいつの仕事じゃないか」
「素直じゃないな。お前があいつに持ちかけたんだ、仕事は最後までやり通すんだな」
一瞬絶句した。
もう終わったというのに何を言いだすのか。
そこまでこの国の面倒を見ろと言うのか。
以前のシーアであればそこで拒否の一点張りという方法を取っただろう。
しかし二十三になり、口ごたえと養父に対する耐性を身に着けた彼女は反抗を試みる。
「父がすべきじゃないか? まんまと誘拐されたのだってもとはと言えば見立てが甘かったからじゃないか」
「その通りだが俺は怪我人だからな。親の不始末は子の責任だろ?」
ダメだ、全く働く気がない。
シーアは諦めた。
いつもこうだ。
なんだかんだで言いくるめられる。
こうなったら父にも貸しを作ってやろう。
引退前の最後の大仕事だと思う事にした。
ノックして入室した護衛隊隊長のグレイは、化粧を落として着替えたシーアを見て一瞬不思議そうな顔をした。
切れ長の目は印象的であるが、他は割とあっさりとした顔立ちの女。
あからさまに「誰だ?」という顔をしてから、正体に気付いて彼の瞳に動揺の色が浮かぶ。
その様子にシーアは満足し、少しだけ機嫌が治った。
「あいつ、まだ空きそうにないぞ。ダーシャスが自害しただなんだと騒ぎになった」
そう言いつつ、グレイは小さな木の丸椅子を引き寄せて座った。
ドレファン一家の四人はチラリと目配せし、シーアが「意外と根性あったんだな」と言っただけで終わり、グレイを拍子抜けさせた。
木椅子に座ったグレイは国王やギルと同じ年の頃であろう。
すこし前かがみな姿勢は癖か。
体は薄いが、固く厚い筋肉というより、しなやかな筋肉がつくタイプに見えた。
精悍な顔立ちに両サイドを刈り上げたような短髪がなんとも潔い。
「後学のためにお伺いしたいんですがね、どうやってなりすました?」
舞踏団などの興行人の査定は事前調査と当日に行い、厳しくしている。
依頼先も伝統のある大きな団体ばかりだ。
今回の過失は警備を担う者としてはあってはならない物であった。
してやられた相手に尋ねるのも癪だが、必要性が勝る。
彼が憮然とした面持ちになるのも無理はなかった。
ああ、この男があの警備を敷いたのか。
式典で暗殺まがいなどと言う派手な立ち回りをする羽目になった元凶である彼に、シーアは内心興味を覚えた。
出来れば侍女にでもなりすますか、国王の寝室にでも忍び込んでかつての相棒に取引を持ちかけ、出来るだけ安全に済ませたいという気持ちはあった。しかしただでさえ頭に血が上っている状態で、なおかつ隙の無い警備網。焦って、だからその後、冷静に検討する事が出来た。
正攻法ではダーシャスの身柄を要求しようとも、海の国は応じないであろう。国王の思いとは別に、国はその要求に応えられるはずがない。
ダーシャスの罪を糾弾し、身柄を要求する。そしてその間に人質を救出する為にシーア達は冷静に熟慮した結果今夜の手段を選んだのだ。
「悪いね。ほんとの興行さんに入城直前に掛けあってね。都合で不要になったからって断ったんだ。報酬は迷惑料を乗せて払っといたよ。そうすりゃ一日くらいは不審に思われないだろ。お偉方の気まぐれはよくある事だし。あ、楽団はうちが雇って同行してもらったんだけど、もう帰してもらった?」
巻き込まれた彼らにも報酬は上乗せして支払った。
彼らには口止めしていないのでドレファン一家に騙されて利用されたと言うはずだ。
国家転覆阻止に一役買ったと吹聴すれば、仕事が減るどころか引く手あまただろう。
断ったと簡単に言うが、王城の人間と信用される身なりと相応の態度で臨んだのだろうとグレイは思った。
そして国の式典に雇った代金といえば、通常の謝礼よりもはるかに高額だ。
それをぽんと支払ったと言うのか。
「聞けば大した話じゃないだろ? 興行さんを招かなきゃいけないのも大変だね」
シーアは同情するように言った。
それは護衛隊の長として上司オズワルドにも不平不満を漏らした懸案である。
式典に余興など不要だと思うのだが、典型的な様式として必要だと言われた。言った本人も困ったような顔をしていたので本意ではないのだろう。
「大枚はたけばなんとでもなるというのがつらいな」
グレイは嫌そうにため息をついた。
半商半賊とはいえ、場合によってはお尋ね者とも言われる連中の中に一人で入って来たこの男をシーアは気に入った。
そこでふとドアが叩かれる。
「早かったな」
グレイは立ち上がる事もなく国王とオズワルドを首だけで振り返った。
「ご再婚されたのですね。おめでとうございます」
日常着に着替えた国王に言われ、寝そべったままのウォルターは珍しく「あー」と言葉を濁して視線を泳がせた。
「二十も年下に散々迫られてついに観念したのよね。島の子なんだけどすごいしっかり者なの」
サシャが笑った。
少し意外だと一瞬驚いた海の国国王だったが、ふっと顔が緩んだ。
「サシャもずいぶん綺麗になったな。最後に挨拶出来なくて残念に思っていたんだ。会えてうれしいよ」
「レオンも相変わらず男前ね。よそに行っても超男前の敏腕国王って評判よ」
五年で国を立て直した手腕は周辺各国からも一目置かれていた。
その後レオンがふとシーアを見やり「変わらないな」と穏やかに笑った様にグレイは唖然とした。先は「綺麗になった」などと言っていたのに化粧を落とした女にわざわざ訂正まがいの発言をしでかすなど正気の沙汰ではないし、グレイの知るこの男らしくない行為だった。だが言われたシーアは鼻で笑っただけだった。
直後、レオンは表情を曇らせた。
「今回の件は大変申し訳ない。尻尾をつかみきれずに先手を打たれた」
悔しそうに顔を眉を寄せる彼の瞳は静かな怒気を帯びている。
他国からは評価されようとも、内部はまだ残り火がくすぶっている状態だった。
「明日からダーシャスの取り調べを始めますが、付き合わせのため情報を売っていただきたいのですが」
オズワルドの発言にシーアはやはりか、と思う。
ダーシャス自害は情報操作か。
何らかの計略の匂いがした。
「うん、まぁ売るのもいいけど……」
そう言ってウォルターはシーアを見やる。もう今回の一件は全てシーアに委ねる気になっていた。
「今回はめちゃくちゃ金がかかったんだ。ぼったくり並みに容赦なくふんだくっとけ」
苛立ちが再燃したシーアは相変わらずの目つきの悪さでそうウォルターを睨み見返した後、口角を歪ませて続ける。
「その代わり、もう一つ仕事してやるよ」
国王は懐かしい笑みを見た。
「わたしの最後の仕事になりそうだからな。思い切り派手にやらせてもらうぞ」
シーアは笑んだ。
━━最後の仕事?
その言葉に国王は耳を疑う。
「船を降りることにしたんだ」
国王の驚きの視線に、実に事も無げに彼女は答えた。
「海王と海姫なんてたいそうな二つ名のせいで最近依頼される仕事が危なっかしいのやら、やたら面倒くさいのばっかりになってさ。もっと安全で堅実な仕事をしていたいんだけど」
シーアはしみじみと言った。
「で、とりあえず私が船を降りてみようかと」
「聞いてよレオン! シーアったら滅多に島に帰らないから、気がついたら島の若い男みんな結婚しちゃってたのよ。島を出てどこかで漁師するとか言い出すし!」
サシャがここぞとばかりに訴えかけてきた。
船の仕事は男ばかりのため、まともに聞いてくれる相手がいなかったのだ。
とは言え「適任者がいるではないか」とばかりに国王はギルを見やった。彼が知る二人は仕事仲間としてその関係は良好であったし、年も近い。まして今や腕利きと高名になった操舵士のギルと、一家の後継者であるシーアである。
条件は整い過ぎているほど整っているように思えたのだが、シーアは怖い顔を作って諫めるように言った。
「そいつらは新婚だ。余計なこと言うんじゃない」
国王は思わずサシャとギルを見比べる。
五年離れていると色々とあるらしい。一抹のさみしさを感じながら、かつて世話になった二人に祝いを述べた。
「ウォルターが二十も下の嫁さんもらったんで、だったら十くらいの年の差、なんて事ないだろうってサシャが口説き落としたんだよな。子供の時から一途だったからな」
シーアはにやにやと笑う。
「粘り勝ちよ」
勝ち誇るように言ったサシャも、それは嬉しそうに笑ったのだった。