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ある純文系学生の迷走

作者: 春野有希

私の寝室の天井には無数のシミがある。

曾祖父の代から建て直しも行なっていない家なので、当然の帰結と言えばそうなのだが、もし友人をこの家に招待した場合、こういった汚れをそのままにしていても何も気にしないあたりから私の家族の庶民性が伺いしれてしまうのではと1人懸念している。そしてその数秒後自分に友達がいないことを思い出し落胆している。とまあそのようなことを幾千幾万と繰り返すうちに私の部屋の天井にシミが増えていくのである。

眠れない夜には天井のシミを無心に数えていると、いつの間にか寝ることができた。

しかしシミと言っても単に一つ一つ区切れているわけではなく、そのうちの幾つかは分かれ目が曖昧な、言うなれば合同シミ戦線のようなものを築き上げている個体もある。そういった微妙なラインを細かく規定するためにシミレギュレーションなるものを考案するようになった頃には、私は高校生活の半分ほどを終えていた。

私の学校での成績は、晩秋の気温のように各教科の高低差が激しく、理系科目、特に数学に関しては秋雨前線が猛烈な勢いで私の成績に乱気流を巻き起こすほどであった。

あまりの成績の悪さに学校側も、もしやこの少年は義務教育課程を終えていないのではあるまいかと私の出身中学に連絡を取る事態に陥り、私はそういった俗世の煩わしさから、中々寝つけなくなることが増えていった。寝つけなくなるということは畢竟天井のシミを数えることになり、私は数学の成績が降下するのに反比例して自分の家の天井事情に詳しくなった。

そんなある日のことである。その日は秋の陽射しが柔らかく辺りを包み、冬の気配を含んだ風が少し寒さを感じさせる、そんな一日であった。

私は気づいたのである。

天井のシミを数えることと数学の間にある共通点に。

一見無関係な両項目が実は水面下で大きな繋がりを持っており、その繋がりに気づくことのできた自分を褒め称えたくなるほどの衝撃がそこにはあった。

その共通点とは、両方とも私の人生に何の利益ももたらさないことである。

天井のシミを数えて生計が立てられるならば、この世の中でニートと呼ばれている者たちは存在しないことになるし、むしろ彼らでさえある種の尊敬に値しうることになる。

数学についても、ごく一部の、およそ生活に何の役にも立たない数式の解を証明して生計を立てている人を除けば、言い換えると一般の人からすれば、数学なんぞは飯の種にもならない目くそのようなもので、高校レベルの数学ができたところでそれを仕事にできるわけでもなければ、話のネタにもなりはしない。さながら不燃ゴミの様である。故に私は数学のことを脳内不燃ゴミと呼ぶことにしている。

しかし脳内不燃ゴミといえどなぜか義務教育課程に含まれ、また高校の指導要領にも当然のような顔をして紛れ込んでいる以上、私も1学生として彼に一定の注意を払わねばならないのだが、私が彼に歩み寄ろうとすればするほど、やれ因数分解だのやれ二次関数だのと私を小馬鹿にするばかりであるためほとほと愛想が尽きてしまい、歩み寄ろうと思うことすら馬鹿馬鹿しくなる始末なのである。

とまあこんな具合に天井のシミを数えることと自らの嫌いなものを比較してその無益さを再確認することで私の自尊心を保つことに利用できるあたり、天井のシミというものは甚だ便利なものである。彼は時に私の安眠の鍵となり、時に私の心の安定剤となる、人生の友、無二の親友とまで言えるほどである。彼なしの人生などあり得ず、また彼も私なしにはこれほどまでに輝けない。この両者が出逢うことができたのはまさに神のイタズラ、湿度のスペクタクルである。

しかしこの度とある事情で今いる家を引き払うことが決まり、私は新築の一軒家に引越すこととなった。新築であるため当然私の部屋の天井にはシミが一つもなかった。私が夜、床につくと視界いっぱいに広がるのは、月明かりに照らされ煌めくホコリが映える、真っ白で清潔であるばかりの天井だった。

こうして私の人生の無二の親友は部屋を舞うホコリとなった。

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