ドの町のリル
建物を叩きつける激しい雨が、ドラムコールのように音を鳴らし、断続的に発生する稲光が窓から差し込むことにより、ランプの光が届かない通路の先を白色に照らす。そしてその度に小さく悲鳴を上げるトロの顔は醜く引き攣る中、私もこの場の空気に流されてしまい、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。
駄目だ、駄目だ駄目だ! 平手で太腿を強く叩き喝を入れる。
……奥の部屋の探索を、始めるぞ!
歯を食いしばり、ランプを持つ腕を前方に突き出し目を凝らすと、そろりそろりと前に進む。廊下に並ぶ、各部屋に繋がっているであろう扉の一つ目を開けようと、ドアノブに手をかける。そしてそろりと開けてみると、そこはリビングルームのようであった。そして脚を踏み入れると、後方から暖かな光が射した。
振り返れば、ドリルが手に持つランプを片手に、玄関付近の壁に取り付けられているランプに火を点けていっていた。
そうだ、普通家には照明器具が設置されているのが当たり前なんだ。こんな事も分からなくなっているなんて、どうやら視野が狭まくなっていたようだ。
そしてリビングルームに入って来たドリルが、壁際に設置されていた暖炉まで歩いていくと、しゃがみ込み薪に炎を移す。
「暖炉も使えるみたいですし、これで一安心ですね」
ドリルがトロに話し掛けている。どうやら怯えてしまっているトロを安心させようとしているようだ。
トロは未だ蜘蛛から離れようとはしないが、暖炉にくべられた木材が燃えているのを見て、少し落ち着きを取り戻していっている。
また暖炉が機能する事により、リビング全体の明るさが確保された。そして部屋の壁に取り付けられた燭台にも火を灯すと、テーブルの上に空っぽのお皿と対になってフォークとスプーンが並べられている事に気がつく。
そして焜炉に置かれた鍋を覗いて見てみると、乳白色の液体が入っていた。これはシチュー。そしてこの感じ、……念のため鍋を触ってみると僅かだけだが、やはり温かみが残っていた。
お食事前? と言うか、人がここにいたっていう事で、即ちここが空き家ではないことになるわけで……。
蜘蛛が怖がるトロに掴まれた状態で、テーブルや鍋に目を配りこちらに歩いてくる。
「ご飯の途中、急用で……出て行った? 」
「そのようね。……あと一応、誰もいないか他の部屋も調べてみましょうか」
それよりこの民家、玄関に鍵がかけられていなかった。家にいるにしても留守にしているにしても、鍵をかけないなんて事は、いくらレギザイール軍が町を守護しているからといって普通は出来ない。
そう言えば町に入る際、レギザイール兵達の姿も見なかった。
……やはり先程の男性といい、この町はおかしい。
風も出てきたのか、ガタガタと音を立てる窓。
とっ、取り敢えず、玄関の鍵は閉めておいた方が良い気がする。
「お姉さま」
小さい声でトロが蜘蛛を呼んだ。そしてーー。
「お手洗いまで、ついて来て貰えませんか? 」
「いいよ」
二つ返事で返した蜘蛛が、トロの手を引き一階にあるドアを順番に開けて行く。
「あった……よ」
「おっ、お姉さま、絶対ココで待ってて下さいね! 」
トロは念をおすと、急いでトイレに駆け込んだ。
そして私が玄関のドアをロックしていると、いつの間にそこまでいっていたのか、ドリルが奥の部屋から顔を出した。
「ミケ様、この階を見て回ったのですが、誰もいませんでした。あと二階と地下に続く階段がそれぞれあったので、そっちも調べてみます! 」
「それじゃ私は二階に行くから、ドリルは地下室に人がいないか見て貰ってもいい? 」
「はいっ! 」
「蜘蛛はここで、トロと一緒にいてあげてね」
蜘蛛はこくりと頷いた。
◆ ◆ ◆
廊下の突き当たりまで進むと、まるで奈落の底のような穴が眼下に広がり、その先から風が抜けるような高音が時折聞こえてくる。そしてそのポッカリと開いた穴には、迷い込んだ人間をあの世へと引き摺り込もうとしそうな印象を与える石段が掛けられていた。
心許ない光源である手ランプのため足元は照らせるが、続く階段の先は闇のまま。そのため自然と、足音をなるべく立てないようにゆっくりと、一歩一歩慎重に下りていく。
あの家で過ごした時と同じようにーー。
幼くして両親を失った僕は、故郷に住む遠い親戚に育てて貰う事になった。そこでの生活は色々と苦しかったけど、耐えられないものでは無かった。彼等がいなければ両親を失った時点で死んでいたか、奴隷商人に捕まって売られてしまっていたのかもしれないのだから……。
それからというもの、新しい家族の恩に報いるためにも必死に働いた。自分の時間なんてものは無かったけど、太陽の暖かさを肌で感じ、川の流れを身体で受け止め、木々の香りに包まれる事に喜びを感じた。
そしてそんな僕に突然、奇跡のような運命の出会いが起きる。時間にしては短すぎる出会いであったのだけど、その人は遠い血が繋がっている兄弟達とは比べものにならないぐらい優しく、格好良い人だった。
善意に溢れる多くの言葉を僕にくれ、その一言一言が生きる糧となった。軍にはもういない事は知っていたけど約束を果たすため、そしてあの事件は何かの間違いだと本人の口から聞き少しでもあの人の力になれるため、僕はこれからも全力で進み立ち止まってはいけないんだ。
時間をかけ階段を全て下りきると、地下室への入り口であろう扉の前までたどり着いた。
風のような音は、やはりこの先から聞こえて来ている。そして耳を澄ましていると、ガタガタと物音も聞こえた。
一瞬、先程襲ってきた男性の姿が脳裏に浮かんでしまう。
うっ、狼狽えるな! 例えまた同じような怪物が出て来たところで、返り討ちにしてあげれば済む話だ。それにこんな姿を見られたら、お兄ちゃんに笑われてしまう。
ゆっくりと鉄扉のドアノブを掴み手前に引くと、一気に開け放つ。そして暗闇と暫し睨めっこをしたのち、手ランプを持つ腕だけを部屋に突っ込むが、手ランプの頼りない灯りでは地下室の全てを照らすことは出来ない。右へ左へと忙しなく明かりを持つ手を動かし、その光で闇を払った箇所を確認していく。
すると部屋の壁に複数のシャベルが掛けられており、石を敷き詰めて作られた床にはバケツやレンガが置かれている事が分かった。
『ガタガタガタ』
風の音と共に物音がした。そしてその音が聞こえた部屋の奥には、一枚の鉄扉が見える。どうやら時折ガタガタと揺れるその扉から、何故か風が入って来ているようだ。
その扉から目が離せない中、地下室の壁に取り付けられた燭台に火を移すために、暗闇の地下室へと進んで行く。
『グゥァターン! 』
突然激しい音と共に、ガタガタ震えていた鉄扉が、急にこちら側に開いた。
風と共に横殴りの雨が地下室に降り込んで来る。そして扉の開いた先には生い茂る木々と大地が見えた。
どうやらこの民家、起伏がある場所にあるようで、きっと建物の裏手から見ると丘と重なり合うようにして建てられたように見えるはずだ。
風に吹かれ続ける扉は、ギィギィッと軋む音をたて続けている。
「外と繋がっているんですね」
僕は独り言を喋りながら、扉を閉めるために辺りを警戒しながらさらに進む。そしてーー。
『バタッン』
無事扉を閉め終えた僕は、念のためドアノブの上に付いていた鍵を捻りロックをした。




