憤怒の魔人
全裸のドリルが右からボディーブローを放つ。腹部を防ごうと腕を折りたたむ覆面頭巾。しかしドリルは当たる寸前で止めると、半時計回りに回転しながら左脚を一歩踏み出し、正面に立つ覆面頭巾の顔面へ鋭い左肘を繰り出した。
半身で構える覆面頭巾は咄嗟に構えていた両腕を上げなんとかそれを防ぐのだがーー。
「くっ! 」
あのドリルの怪力である。骨がミシミシッと軋む音と苦痛の声がここまで届く。そしてバランスを崩す覆面頭巾へドリルが、流れるような動きで今度は時計回りにしゃがみ込みながら低い体勢からの右足払いをした。しかし覆面頭巾はそれを後転でかわして見せる。だがドリルは手を緩めようとしない。さらに続けて突進しようとするーーのだが。
「あっ、熱い! 」
ドリルは右目を押さえると、思わずその場で片膝をついてしまう。苦しさのあまりか、それから声にならない声を漏らし続けるドリル。そして押さえるドリルの右目からは赤味がかった光が漏れるのが見える。そして溢れる赤みがかった光が見る見るうちにドリルの体全体を包んでいく。
「なんだ、この熱気は? ……まさか、炎なのか!? 」
ここからでは確認のしようがないけど、覆面頭巾の言葉からドリルの身体を包むあの赤味がかった霧は、なんと熱を帯びているらしいです。そしてその赤霧は、まるでドリルの身体を燃やす劫火のように揺らめいています。
とその時、結構大きな範囲で湯が少し盛り上がった。そして次の瞬間、ザバーンと音を立て突如温泉の湯が上空へと押し上げられた。そして今まで湯があった場所に、獲物を串刺しにするための巨大な牙を前方へと生やし人の身長の倍程もある巨大な猪が鼻息荒く、顔を現す。亞然とするドリルと覆面頭巾。そして二人が立つ場所一帯に、上空から舞い降りる湯がバシャバシャと大きく音をたてて降り注ぎ出したため、あっという間に頭から脚の爪先までびしょ濡れになってしまう。しかしドリルは大量の湯を浴びた事が幸いしたのか、溢れ出る赤霧の押さえ込みに成功したようでフラフラと立ち上がった。
巨大猪は目の前にいる二人を発見したようで、狙いをつけた二人へ向かい凄い剣幕で湯を押し退けながら温泉の中を一直線に進んでくる。
この大猪、頭に沢山の小さいタンコブが出来ていることから、どうやら先ほどドリルが起こした振動が元で、頭に多くの木の実が落ちて怒っているのかもしれない。
そして瞬く間に飛沫を立てて迫る巨大猪は物凄いスピードのままドリル達がいる岩盤に激突。二人は間一髪で他の岩場に飛び退く。しかしその猪の一撃は凄まじく、体当たりした岩場周辺と覆面頭巾が移動した先の岩場までもが崩壊を始めた。破壊者である巨大猪は辺り一帯の破壊でドリル達を見失ってしまうが、すぐ近くにパラディン隊長を見つけるとそのまま追い掛け始め、パラディン隊長はそれを感じ取ったのだろう。目を閉じたままで来た方向へと全速力で泳いで行った。
そんな中、覆面頭巾は崩壊する足場から近場の無事な岩場になんとか移動していた。そこに丸裸のドリルが襲いかかる。不意をつかれた形の賊を、ドリルは力任せに岩場に押し倒す。その際覆面頭巾が少し飛び出していた岩場で後頭部を強打し白目を見せ、ドリルはその隙を逃さず馬乗りになると、両足で覆面頭巾の両腕に乗っかりその自由を奪うと、その覆面へと手を伸ばす。
「顔を見せろ! 」
ドリルはそう言いながら指に引っ掛けた覆面を無理矢理剥ぎ取る。そして覆面の下の顔を見て、呆気に取られた表情を見せた。そして私も、目を凝らしその顔を確認して言葉を失う。
「ショコラ様!? 」
そう、ドリルが言うように、覆面頭巾の正体はタルトの兄、ショコラ王子であった。
意識を取り戻したようで、ショコラ王子から溢れんばかりの殺気がほとばしる。覆面頭巾の正体に驚く真っ裸のドリルを、ショコラ王子は腹筋で持ち上げ両手を強引に引き抜く。そして掴んだドリルの左腕と左足を引き寄せる事によりブリッヂから一気に体勢を逆転させ、自身の両足でドリルの両手を固定したまま今度はショコラ王子が馬乗りのポジションになった。そしてショコラ王子はドリルに言い放つ。
「拳を納めよ! 私はタルトの悲鳴を聞きつけ、心配でココに来ていたのだ! 私は怪しい者ではない! 」
「スッ、スミマセンでした! ボクの早とちりとはいえ、王子様に手を挙げてしまうなんて! 」
ドリルは突然の事態に状況が掴めず、用意周到に覆面姿であの場に潜んでいたショコラ王子の取って付けたような言い訳にひたすら謝り続ける。なんとか誤魔化せた、と安心したのだろう。ショコラ王子の表情から、その緊迫感が薄れていく。
「……いえ、私も安全のためとはいえ、女湯の中にまで入るのは些か行きすぎていたとーー」
そう言いながらオール5のドリルから身体をどけようとした時、ショコラ王子の腰で縛っていた帯が緩み胸元が少しはだける。そして胸元に巻かれたサラシから、男性にはあるはずのない柔らかなものがはみ出ており、思わず目が釘付けになるドリル。
「えっ、これって? 」
またも状況が掴めなくなりパニックに陥るドリルの首に、スッと手が伸びた。
「選べ。この事を墓場まで持っていくか、……今すぐ墓に入るかを」
「うぅぅ、誰にも話しません」
私は細心の注意を払い物音を立てないよう覗いていた顔を引っ込めると、その場をこっそり後にした。 ふぅ〜、しかし王族は王族で、きっと色々と大変なんでしょうね。
その後ーー。
結局パラディン隊長は目があまり見えていなかったと言う事で話は進み、怪しい覆面頭巾の正体は何故かスノーさん、と言うことで話が纏まった。
ちなみに翌日の朝、タルト姫が明日帰郷する予定の私達、と言うかパラディン隊長に付いていくと駄々を捏ねたそうだが、ショコラ王子が大反対。しかし覆面の正体に勘付いていたらしく、姫がその件を口外しないことを交換条件に出し、半ば強引にレギザイール王国行きを決めたそうだ。
そして出発の日の朝、パラディン隊長が帰国する姿を泣く泣く見送るタルト姫の姿があった。それは国宝の壺を割った罰はきちんと受けさせる、と譲らないショコラ王子に従ったからだ。残されたタルト姫はその日からパラディン隊長に会いたい一心で、罰のお城掃除を開始、そして強い執念で一週間という短い期間でお城中をピカピカにしてみせるのであった。
◆ ◆ ◆
「入ります! 」
ショコラ王子がレート城の最上階に位置し街を一望出来る場所である一室の扉を開ける。部屋に入ると中央には大きなふかふかのベッドがあり、年老いた男性がその細い体を横にして休めていた。老人はショコラ王子の顔を確認すると上体だけを起こし、しわくちゃではあるが品のある凛々しい顔で笑顔を見せる。ショコラ王子は両手で丁寧に扉を閉めると、一歩前に進んだのち老人のほうへ向き、礼をした後に話し始める。
「陛下、申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに、幼いタルトを外へと出す口実を設けてしまいました」
「ここ数日のタルトの頑張りは、私の耳にも届いておる。ショコラよ、今回ばかりはあの子の好きにさせてやろうと思っとるのじゃが、どうじゃ? 」
「宜しいのですか? 」
「あの子もお主と似て、我が強い子じゃ。駄目と言ったところでそれに従いはせんであろう。それに考えようによっては良い機会でもある、外の世界での出会いや経験は、いつかきっと役に立つ日が来るもんじゃしの」
「はぁ」
「それに約束は、約束じゃろ? 」
「……申し訳ございません」
俯き悲しそうな表情を見せるショコラ王子に、優しく微笑み返す王様。
「……それより男子が生まれなかったばかりに、お前には苦労をかけさせてしまっておるな」
「勿体無いお言葉です」
「……そうそうショコラ、少しこちらに来てはくれぬか? 」
「はっ」
手招きをする王様に誘われるまま、ベッドのところまで歩みを進めるショコラ王子。
「実は頼みがあるのじゃが、少しの間だけで良いからお転婆な、……私の可愛い娘に戻ってはくれないだろうか? 」
「……はい、御父様」
王様の隣にちょこんと座るショコラ。王様はその大きく皺くちゃな手でショコラの頭をゆっくりと撫でるたび、ショコラのピンと張りつめた険しい表情が次第に安らかなものへと変わっていく。
そして窓から射す太陽の光に誘われるまま、彼女は暫くの間うたた寝をするのであった。




