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お約束への道のり

 ◆ ◆ ◆



 うーむ、これは目の錯覚なのでしょうか?

 右手側には木製の小イスに腰を下ろし両手でタオルの端々を掴むと後ろに回して背中を擦っているスノーさん。そして左手側にはーー。


「ガオウさん、何処まで行っても温泉が続いているように見えるのですが、……これは私の目がおかしいのですか?」

「いや、隊長の眼は正常ですよ」


 なんと言う事でしょう。脱衣場から出ると岩場に囲まれた細い通路があり、そこを進み抜けると湖のような広大な温泉が目の前に現れたではありませんか。そしてその湯からは濛々と湯煙が空へと向かって上がっています。世界が瞳に映る喜びを噛み締める中、私の頭が膨大な量の景色を認識する処理に追いつけなくなり、熱を帯びるのを感じます。

 そこへ風が通り抜けていきます。するとその風の通り道にあった湯気が吹き飛ばされ、上空に浮かぶ月が水面に映し出されました。あぁ、月がぼやける事なく鮮明に見えるのも、久方ぶりです。

 とそこで、温泉に入るなり潜水をして泳いでいたのでしょう。湯から勢い良くマリモンが飛び出しました。日頃の鍛錬の賜物、腹筋が割れた上半身を露わにして。


「隊長、目の調子はどうっすか?」


 私は温泉の遠くに見える山々の木々を、見渡すように視線を送っていき、感想を述べます。


「すこぶる、良いでーー」

「どりゃー!」


 ガオウさんが突然ダッシュを開始したかと思うと、湯の中にいるマリモン目掛けて飛び込みました。そして大量のお湯を巻き上げながらマリモンと湯船の中へどっぷりと沈んでいきます。そしてすぐに顔を出す二人。


「ぷはぁー、楽しいな!」

「酷いっす」


 マリモンは目を擦りながら講義の視線を向けますが、ガオウさんはそれを無視して話を続けます。


「これだけ広ければ泳げるな! よしマリモン、向こう岸まで競争するぞ! 」

「いやー、自分は遠慮するっす」

「なんでだよ? 」

「また負けたら、ミケ姉の胸を揉んでこい、とかいった罰ゲームが待ってるっすよね?」

「バカ、あれは警戒する獲物を狩るための訓練だ」

「ミケ姉、見てないようで見てるっす。めっさ怖いっす。後々まで尾を引きそうな勢いっす」


 困っているマリモン、ここは助け舟を出しますか。


「ガオウさん、鍛練ですね! 私が付き合いましょう! 」


 私の参戦に、口を尖らせていたガオウさんから笑みが溢れます。


「さすが隊長、話がわかる! それではあの正面に見える岩場を目指して競争、でいいですか? 」

「わかりました! 受けて立ちましょう」

「そしたらマリモン、お前がこの漢と漢の闘いの見届け人だ」

「お二方! 」


 身体を洗い終えたスノーさんが、此方に歩み寄りながら声を掛けてきました。


「中心に行けば行くほど深くなっていますので、気をつけられてください」

「了解しました」


 私は忠告してくれたスノーさんの方へ振り向くと、会釈をします。


「それでは隊長、お先!」


 その隙を突いたガオウさんが、チャンスとばかりに底を蹴りをスタートを切りました。


「負けませんよ!」


 勝負事に負けるのは面白くありません。私は遅れながらも湯煙上がる温泉へと頭から飛び込むと、全力を持って泳ぎ始めます。防具は勿論、樽兜も付けていない状態のため、湯の抵抗が少なくスピードに乗って進んで行きます。しかしそれはガオウさんも同じ事、中々距離が縮まりません。


「隊長達の姿が見えなくなったっす!」


 スタート地点からマリモンの声が聞こえました。恐らくあちらからでは湯煙のため、私達の姿を見失ってしまったのでしょう。

 しかし流石ガオウさんです。凄い肺活量の持ち主だけあって、呼吸回数を減らすことによりロスを無くしているのでしょう。私がそれに勝つには、ガオウさんを意識する事さえ排除し、ただひたすらに全身の筋肉を躍動させる事に集中するしかありません。私は狂戦士バーサーカーのようにただひたすら勝利を求める化け物の如く、泳ぐことだけを考え泳ぎに泳いでいったのでした。



 ◆ ◆ ◆



 あ〜、イ〜湯だわ。

 私が皆から少し距離をおいて湯と一人で戯れていると、蜘蛛が鼻のあたりまで湯船に浸かり、口からブクブクと息を吐いて遊びだす。

 皆の視線が自然と蜘蛛に集まる中、彼女はおもむろに湯から顔を上げると、湯煙の上に広がる夜空を見上げた。暗い空に輝く一面の星々。そんな蜘蛛に釣られて、一時の間みんなで空を眺めていた。


「お姉さま、綺麗な星空ですね」

「どこにいても、空は……繋がってる」


 そう言う蜘蛛の横顔は、何故か憂いを帯びていた。

 そんなまったりとした時間が流れる中、ふと私の瞳が湯煙の僅かな揺らめきを捉える。違和感から風とは違う事だけが分かる。そしてその揺らめきの下、湯の中を何かがこちらに向かい強烈な早さで近づいて来ている!

 私は露天風呂まで持って来ていたナイフへと、迷うことなく手を伸ばし握り締めた。

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