白銀大山猫
隣に佇むエミリアは、完全に竦みあがっているようだ。
このままではエミリアが戦闘に巻き込まれる。
私は地を蹴り前方に大きく飛ぶと、白銀大山猫の視界からエミリアが映らないように立った。
「エミリア、そこから動かないで!」
狩りをする獣は逃げる獲物を追う習性がある。
エミリアが下手に刺激をする行動をしないよう、私は目線を白銀大山猫から外さず後ろにいるであろうエミリアへと注意を促した。
しかしこの白銀大山猫、別れの山脈周辺を縄張りにしているとはいえ人里まで来る事は珍しい。人を警戒の対象としている動物が、こうも堂々と人前に現れるのはそれだけ怒気と殺意に染まってしまっているのだろう。
あの猫の感情は否定出来ない。しかしここで無抵抗を決めたとしても、あの猫は元凶であるオヤジだけを狙う事はないであろう。更にはこれから先、この猫はずっと人間を襲うかもしれない。
殺気を放つ白銀大山猫と対峙する私は、断腸の思いでゆっくりと弓を引き絞った。
「……ミケ姉」
そんな胸が締め付けられる思いの私の気持ちを察したのか、エミリアの漏らした声が私に届く。
月光に照らされた草木を揺らし、一陣の風が脇を通り過ぎる。
そして両者の睨み合いは、なんの前触れもなく終わった。
先に動いたのは白銀大山猫。
右へ左へと反復しながら跳び跳ね、獲物である私との距離を狭めてくる。
月明かりはあるものの、あまりの速さに影としか捉えられない。
しかし私に焦りの色はなかった。
ただ悲愴な心胸で白銀大山猫に照準を合わせるのみ。
……あなたの行動は、分かっちゃうの。
私は白銀大山猫の移動先を予知しているかのように矢を放っていく。
そして矢が次々と放たれる度に避けるも、どんどんと追い詰められていく影。
そして矢がついに表皮を捉え切り裂き始め、その白銀の体毛を朱色へと染め上げていく。
追い詰められて行く白銀大山猫。
そこで白銀大山猫は力強く大地を踏みしめ、半ば強引に飛び跳ねた。
次の瞬間、私の真横を冷たい風と共に大きな影が通り過ぎ、私の後方へと着地する音が聞こえた。
そして影の主、白銀大山猫の眉間には、私が放った一本の矢が深く深く突き刺さっていた。
しかし白銀大山猫は倒れない。
頭を下げたまま鼻をひくひくと動かすと、最後の力を振り絞っているのだろう。わが仔の匂いがする方へと力なく進む。そしてわが仔の冷たい体に鼻を押し当てたところで、その巨体を沈ませ子供に寄り添うように大地へと休ませたのであった。
永遠に……。
こうして後味の悪さだけが残る夜は、草木を揺らす夜風と共に更けていった。
……ローザさん、違うんです!
クロムは………………、ーー夢か。
瞳を薄っすらと開くと陽の光が部屋に射し込むのが見える。重い瞼をゆっくりと上げていくと、耳が音を捉えている事に気づく。
「ミケ姉―! ミケ、姉――!」
私の名を呼ぶのはマリモンとエミリア。どうやら宿の外から呼んでいるようです。
と言うか二人共、訪問する際ドアをノックすると言う発想はないのだろうか?
……そう言えば部屋までは教えて無かったか。
「はいはぁ~い」
明るい調子で返答しながら両手で観音開きの戸を開き顔を出すと、眼下の通りに二人の姿を見つける。
そうか! 昨晩お昼を一緒にしようと約束したから、呼びに来たのであろう。
あ〜よく寝た。
……ん、でもまだ寝たりないし、陽は東から上がったばかりのようでありますが?
と言う朝、ですよね?
「昼までまだみたいだけど、もう食べに行くの?」
「ミケ姉、そうじゃないよ!」
「後任のバレヘル連合の人が到着したっすよ!」
おっ、それは吉報!
このままこの町にいたら昨晩のような目に合う可能性が少なからずあります。
私は何にも縛られない孤高の旅人、が性に合っているのです。
「すぐに支度するからチョッチ待っててー」
いつもの旅人スタイルになり昨晩の内にまとめておいた荷物を背負うと、階段を下りてマリモン達と合流。
そしてマリモン達がバレヘル連合のギルドマークを身に付けた男を見たと言う、町の中心地へと向かうのであった。
トンカントンカン。
昨夜の巨大ゴーレムが破壊した町を修復する人達が鳴らす、トンカチの音があちらこちらで聞こえて来てます。
「あっミケさん!」
「代わりの人なら酒場に入ってったよ!」
この町の英雄である私を見つけた町の人達は、作業を中断し声を掛けて来る。
小さな町なだけあり、私の代わりに後任の人間が来る情報は皆知っているようであります。
「あっどうも~」
皆さんの好意の視線は、やはり気分がいいものであります。
私は町の人達に軽く会釈をすると、心を弾ませ酒場へと直行した。
そして何度もお世話になっている酒場兼レストランに到着する。
戸を開くと鈴の音が店内に一度鳴る。
するとカウンター席で一人グラスを傾ける、黒髪で額に十字傷がある男が私を睨み付けた。




